真夜中の脱走劇
満月も傾きかけた深夜に、静寂を破って爆音が響き渡った。
「くそっ、牢の方か!」
「早く瓦礫をどかすんだ!」
一日に二度も事件を起こされ、そのたびにこき使われる警備兵たちはたまったものではないだろう。可哀そうだとは思うが、同情はしようとも思わなかった。
「ウィミーネ、大丈夫?」
瓦礫の陰に隠れながら、エフィルは横目で仲間の様子をうかがった。溜めていた魔力を放出した左腕を押さえながら、呼吸を整えていたウィミーネは、目を合わせて頷く。
「ちょっと疲れたけど、逃げれるよ」
「そう…辛かったら早めに言うのよ」
二人は短く小声でそう交わすと、崩れた牢屋の壁から通路へと出、瓦礫で塞いだ方とは反対側に向かって走り出した。
「当面は、取られた武器を回収する事を目的にしましょう。
その後は、脱出できるようだったらすればいいし、時間を稼げば、ラズマたちが応援に来てくれる可能性もあるわ」
「うん!」
嫌な予感というよりは、確信に近かったかもしれない。
仲間を助け出そうと、フォーラス城の前に立った矢先に、この爆音である。何があったかは、見るまでもない。
ラズマは、独り言のようにイルファに言った。
「…帰ろうか」
「気持ちはよくわかるんだが、一応援助に行った方がいいと思う」
「冗談だよ」
八割方本気だったが。
「武器は回収されてるだろうから、今のはたぶん、ウィミーネの「あれ」だな。エフィルの指図だろう」
「ってことは、少なくとも女子二人は無事だな。アクス王子の消息はいまだ不明、と」
ラズマとイルファは顔を見合わせ頷くと、裏門に素早く駆け寄り、先ほどはいなかった門兵たちに飛びかかった。脱走者の襲撃に気を取られ侵入者への警戒が緩んでいたのか、唖然としている彼らを魔法と剣とで打ちのめすと、門扉を開放し再び城の敷地へと踏み入る。
見張り塔には非常事態を告げる明かりが煌々と灯され、鐘の音が響いていた。このままのこのこと走り回っていては、すぐに見つかってしまう。せっかく助けに来たというのに、あの二人が先に脱走したせいで逆に身動きが取りにくいとは、やるせない。
「渡り廊下の下に、食堂に続く勝手口があったはずだ。極力見張り塔の下に張り付いて、死角を歩いて行くしかないね」
「「灯台もと暗し」ってやつか」
塀の内壁を伝い、警備の目をかいくぐって見張り塔の足下までくると、二人はそっと渡り廊下に回り込んだ。昼、ラズマが隠れていた粗大ごみの山が、暗がりにうっすらと見える。
勝手口の鍵を壊して城の中に入ると、足音や人の声に混じって、今度は剣を打ち合っているような金属音も聞こえてきた。
「もしかして、エフィルたちが交戦してる音かな?」
「わからんが、そうだとしたらますます俺たちの存在意義がなくなるな…」
「と、とにかく合流しよう。アクス王子の無事も気になるし」
徐々にしぼんでいく意欲を無理やり奮い立たせ、明かり一つ灯されていない食堂を抜けると、二人は金属音の聞こえる方へと向かうのだった。
牢屋からほど近くにある物置から自分たちの武器を取り返したエフィルたちだったが、今度は、次々と襲ってくる兵士たちに苦戦させられる羽目になった。
「きりがないわね…」
ダガーを手に肩で息をしているウィミーネの様子を見ながら、ため息をつく。弱音も吐かずについてきてはいるが、体力が底をついているのは明らかだ。
一方、絶え間なくかかってくる兵士たちに手間取りすぎて、牢屋から思った以上に進めていない。これでは、脱出する前に力尽きてしまう。
「…一旦、どこかに隠れましょう。このまま戦い続けてたんじゃ、倒れてしまうわ」
「そ、そうだね…」
周囲に注意を向けながら、二人は近くの部屋の中に飛び込んだ。部屋の真ん中に粗末なテーブルが一つあり、椅子が散乱している。武器が無造作に立てかけてあったり、つい先ほどまで使われていた形跡があるところを見ると、警備団の詰め所だろう。もちろん、兵士たちは皆出払っていて、ねずみ一匹見当たらない。
エフィルはしゃがみこみ、鍵をかけた扉に耳をつけた。
足音がこちらに向かってきている。人数は五、六人程度だろう。気付かずに通り過ぎてくれればよいのだが、もしかすると、一旦この部屋に戻ってくるつもりなのかもしれない。隠れ場所にこの部屋を選んだのは失敗だったかと、エフィルは今更になって後悔し始めた。
しかし。
「うわ、誰だっ!」
足音が急に止まり、扉の向こうで怒号が飛んだ。それから剣を打ち合う音が聞こえ、すぐに呻き声がいくつか重なる。
部屋の扉がコンコン、と音を立てた。
「エフィル、ウィミーネ。ここにいるのか?」
「ラズマっ!」
ほっと胸を撫で下ろしながら、エフィルは扉を開いた。見知った二人の男が目の前に立っている。
「もう、助けに来るのが遅すぎるのよ!今まで何してたの!」
部屋に二人を招き入れて扉を閉めると、開口一番、エフィルは怒鳴った。
「それはこっちのセリフだ。いつまで経っても来ないからどうしたのかと思えば、いつの間にか捕まってるんだからな。
戴冠式の時に、一体何があったんだ」
イルファに尋ね返され、エフィルとウィミーネは交互に、戴冠式の時にあった出来事を語った。
エフィルが戴冠式に乱入しカイ王子の悪事を暴いている最中に、舞台裏から五人の不審者がなだれ込んできた事。逃げようとした彼らを問い詰めるためにウィミーネが立ち塞がったが、不意を突かれて突き飛ばされ、しりもちをついたところを警備団に拘束されてしまった事。それを助け出そうとしたエフィルも、結局警備兵に囲まれて捕まってしまった事。隠れていたアクス王子は、自分たちにも行方がわからない事。
「…なるほど。その五人の不審者ってのが、エリスやディオ、リシェルアだったわけか。
あと二人は見なかったけど、一緒に捕まってないってことは上手く逃げたみたいだな」
ラズマがそう呟くのを聞いて、エフィルは眉をひそめた。
「何よ、そいつらの事知ってたの?」
「敷地内を通って、俺たちの方に逃げて来たんだ。巻き込まれたんだと思って逃がした」
「はあっ?!なんで逃がしちゃったのよ!
舞台の裏から出てくるなんて、明らかにおかしいじゃない!絶対カイ王子の関係者だわ!」
エフィルはいきり立って、イルファを怒鳴りつけた。
彼は腰を引きながら顔の前で両手を振ると、弁解を始める。
「いや、その、だって、舞台の裏から出てきたとか、そんな事情知らなかったし、それにエリスやリシェルアは朝のナンパで………っ!」
ここで、イルファは大慌てで自分の口を塞いだ。が、耳ざとく聞いていたウィミーネが軽蔑の視線を向ける。
「「朝のナンパ」…?」
「…ちょっと、「ナンパ」ってどういうことよ」
エフィルも、立ち上がったまま赤毛を睨み下ろした。
「今日の朝、二人してどっか行っちゃったから何をしてたのかと思えば…
大事な作戦を前に、呑気にナンパしてたってわけなのかしら?」
ラズマの方にも視線を向けると、彼は気まずげに「僕は無理矢理誘われただけで…」などとごにょごにょ言っている。しかし、そんな言い訳にほだされるエフィルではない。
「………どうやら城を脱出した後に、重要会議を開く必要がありそうね………」
「「………………」」
ラズマとイルファは、彼女の放出する威圧感に圧倒され、正座したまま押し黙ってしまった。
明らかに冷たくなったエフィルの声が、二人に命令する。
「ほら、さっさと立って。まずはここを脱出するのが先よ」
合流して早々重苦しい空気に包まれた四人の男女は、部屋を出ると、出口を目指して再び城の中を駆け出した。
その夜、フォーラス城を抜け出した四人がどこに潜んだのかを知る者は、誰一人としていない。