衝撃とはじまり
島から戻り、無事希望の箱を警察の手へと引き渡したエドルたちは、ようやく賞金を手に入れる事ができた。と言っても、手にしたのはクロウの首に懸かっていた賞金だけで、仕事自体の報酬は天空王に報告を終えてからになるのだが。
後始末は、すべて警察や王宮に任せておけば大丈夫だろう。
「あー、終わった終わった」
次の日、久々に昼近くまでゆっくり休んだエドルは、あくびをしながら宿の下階まで下りて来た。珍しく自分が最後だったようで、寝坊常習犯のエリスも、既に朝食を終えて紅茶のカップを片手に、クリティスと談笑している。
「おはよー」
バルコニーで小鳥に残り物のパンをやっていたリシェルアが、こちらに気づいて駆け寄ってきた。
「お城に行くのは、お昼をすぎてからだそうよー」
適当に相槌を返して、エドルはすっかり冷めきってしまった朝食兼昼食をのんびりと口にし始める。
すると、すぐそばのテーブルにいるエリスとクリティスの会話が聞こえて来た。
「あ、言っとくけど、今回はあたしも一緒に天空城に行くからね」
「…へっ?!」
トーストを齧ろうとしていたことも忘れて、会話に割り込むエドル。
「…何?」
「いや、どういう風の吹き回しかと…」
「うーん…」
エリスは、何か考え込むように首を少し傾けると、
「もうそろそろ、大丈夫じゃないかと思って」
「え?」
意味がわからない。
こちらが眉をひそめていても、彼女は平然として紅茶をすすっている。リシェルアかクリティスの解説を期待したが、二人もいぶかしげに顔を見合わせていた。
「と…とにかく、城にはついてくるってことでいいんだな?
ただ、事件解決の報告と報酬の受け取りだけで、退屈なだけだと思うけど…。お前、報酬がもらえるわけでもないし…」
「心配無用。あたしはあたしで、用があるの」
相変わらず謎な返事を返して、エリスはそのまま黙ってしまった。エドルは一人、肩を竦めて朝食を再開する。
何はともあれ、彼女ともこれで別れることになるのだ。多少のわがままは多めに見てやってもいいか…と、彼は考えていたのであった。
その日の昼下がり。眩しい太陽に照らされた白亜の王宮の前で、五人は立ち止まった。
「入城許可を証明するものは?」
幾度となく耳にした、門番兵の問い。入城許可状を管理しているクリティスが、手荷物の中を漁り始めた。
その時だった。
「これを」
突然、一番前にいたエドルを押しのけ、門番に手を差し出すエリス。
「え、お前」
「なんだ?」
エドルの戸惑いの声と、門番の高圧的な尋問が重なる。それらをすべてスルーすると、彼女は差し出した手をおもむろに開いた。
陽光の反射で良く見えなかったが、銀色の金属製の物体が、手の平の上に載っている。
エリスは、門番兵の顔を見上げて、微笑んだ。
「天空王に渡して?」
つられてエドルが門番を見ると、何故かその表情は強張っている。
すぐさま彼は、門の反対側を見張っていたもう一人の門番を呼ぶと、何事かぼそぼそと話しこみ…
「しょ、少々お待ちくださいませ…!」
あからさまに口調を変えて、いやに低姿勢で金属の物体を受け取るなり、彼は城の中へと飛び込んで行ってしまった。
後に残されたもう一人の門兵は、手持無沙汰でおろおろするばかり。それを、エリスは面白そうに眺めている。
「な、何したんだ?」
彼女の傍まで近寄ると、エドルは小声で尋ねた。
「入城許可証を渡しただけー」
ただの許可証を渡しただけで、あんなに門兵がうろたえるはずがない。おそらく、何か特別なものだったのだろう。
「ずっと聞こうと思ってたんだが」
ディオが、いつの間にかすぐ後ろに立っていて、エリスをじっと見下ろしている。
「お前、一体何者なんだ?」
「………ふふ」
含みのある笑い声を立てて、エリスは目を細めた。それから、まばゆい太陽の光を手で遮りながら、城を見上げる。
「意識しなきゃ、わからないもんなんだよね。
いろんな意味でさ」
彼女のこの言葉の意味を、この後、エドルたちは思い知らされることになる。
「…とうとう、来たか」
伝令から渡された、六紡星を模した銀製の金属板を弄び、天空王は呟いた。
それを、寝室の窓から差し込む日の光にかざす。太陽光と魔力によって六紡星の中心に浮かび上がったのは、金色の小さな印。
それを視認して、王は満足気に頷いた。
「どうやら、彼らは思い通りに、「じゃじゃ馬娘」を連れてきてくれたようだな…」
思わず、笑いが込み上げてくる。まさか、これほど思い通りにいくとは。
「よし。丁重にお通ししろ。
もちろん、四人の仕事屋たちも一緒にな」
「ど、どこにお通しするのがよろしいでしょうか?」
王の不気味な表情を見て若干顔を引きつらせている伝令の問いを聞き、王は少し首を捻った。
「最上等の客室に」
「は、はっ!かしこまりました!」
「それから…」
王は、伝令に手招きをして、傍まで引き寄せた。不思議そうにしている彼の耳元に、考え付いた事をあらかた告げてから、そのまま寝室を去らせる。
「…く…くくくくくく」
一人になった途端、天空王は、笑いを堪え切れずに声を上げた。
ようやっとこれで、長年の念願が果たせるのだ。ここまでくるのに、どれほどの時間と労力を使ったか。
「今度こそ、逃がさない」
固い決意と共に手の中の印章を握り締めると、王は礼服を羽織り、寝室を後にしたのだった。
「天空王がいないっ?」
ほどなくして、城の中に通されたエドルたちは、案内の召使いから不測の知らせを受けた。
なんと天空王が、急な公務で出かけてしまっているというのだ。
「じゃあ、報酬は誰から貰えばいいんだ?代理で、大臣か誰かが渡してくれんのか?」
「いいえ、御心配には及びません」
前を歩いていた召使いは、にこりと営業スマイルを浮かべて振り返った。
「もうすぐお帰りになるというお話でしたので、今しばらくこちらでお待ちください。
王が帰還され次第、ご報告すると共に、謁見の間にご案内いたします」
立ち止まった召使いが、そっと廊下の右の部屋を示す。開け放たれた扉から中を覗くと、おそらく賓客を招く部屋の内でも、格が上なのではないかと思われた。
何の事はないただの一市民に対して、これほどの扱いをするとは考えられない。やはり、エリスの持っていたあの入城許可証の効果だろう。
五人が入ると、召使いはそそくさと出て行ってしまった。一体ここでどれほど待たされるかわからないが、しばらくは、この豪華なもてなしを堪能するのもいいかもしれない。
「それにしても、急にいなくなるってのは――」
凝りに凝った装飾の椅子に腰かけ、文句を並べ立てようとした、その時。
かちゃん。
扉の方で、小さな物音がした。
「………え?」
五人は、一斉にそちらを向いた。美しい細工の鉄製の扉は、何事もなかったかのようにずっしりと重厚に居座っている。
クリティスが真っ先に動いた。近づいていって扉を丹念に調べ、そして、ノブに手を掛けて。
だがしかし。ガキンと、つっかえたような音を立てて、ノブは途中から動かなくなっていた。
「うっそ」
顔を青ざめさせたエリスが、クリティスを退かせてノブを回す。馬鹿の一つ覚えのように何度も何度も、ノブを回し押し引きを繰り返すが、扉が動く事はない。
「やっ…」
エリスが、悲鳴に近い声で叫んだ。
「やられたあああっ!!」
「え、え、えええっ?」
何が起こっているのかわからない。
ドアに腕と額をつけて、項垂れてしまったエリスの肩を叩く。
「やられたって、なんだよ?」
「全部天空王の罠だったのっ!」
「ふふふふふふ…罠とは、人聞きの悪い事をおっしゃる」
突如、公務で出かけているはずの、噂の人物の声が聞こえてきた。
「天空王?」
声は、扉の向こう側から伝わってくる。
エリスがはっと身を引き、怒鳴り立てた。
「どういう事?!
城下をうろついてても兵士たちが追いかけて来なかったから、てっきり諦めたのかと思ってたのに!」
「くくく…まさに、そうあなたに思い込ませるために、今回はあえて何もしなかったのです。
あなたがそこのトレジャーハンターたちを引き連れ、この度の事件解決のために動くであろうという事は、私の予想の範疇だったという事ですよ…!」
何の話だろう。
後ろを振り返っても、自分と同じようなぽかんとした表情でつっ立っているリシェルアたち三人がいるだけだ。
「天空王ゼルヴァス、我が主の御前に謹んで申し奉ります!」
天空王が、一際声を高くした。
「後生ですから、早く神界にお帰りください、創造主エリスティア様!!」
え?
(創造主?)
開いた口が塞がらない。いきなりの展開に、頭がまったくついていかない。
(創造主?だれが?)
創造主。
神の一族の長であり、日輪の王とも神聖なる太陽とも称され崇められる、想像も及ばないほどの大昔、天地のすべてを創ったもの。
その姿形は様々に言い伝えられ、存在すらあやふやであった。
「だから、やだって言ってるじゃん!つい二百年前に帰ったばっかりなのに!」
真っ白なままの頭の中に、エリスの声が響く。
(二百年前に帰った?どこに?神界に?
なんでこいつが神界に帰るんだ?そもそも、二百年前ってどういうことだ?)
もう一度、エドルは後ろを振り返った。
もともと頭を使う事が苦手だというのは、自分でもよくわかっているのだ。鈍い頭で考え込むよりも、この状況をきちんと理解していそうなリシェルアたちに聞くのが、一番早い。
…が、どうやらそれも無理なようだ。後ろの三人も、目と口を丸く開け放したまま、銅像のように固まってしまっている。
「私に当たられても困ります!文句なら、私に創造主様お呼び戻しの命を下された、魔界神アルト様にどうぞ!」
「あんたねえ!あの子の命令とあたしの命令、どっちが大事だと思ってんの?!」
「一番大事なのは自分の命です!」
「このっ…」
仕方ないので、自分の頭で考える事を再開した。
そう、確か創造主は、唯一無二の、太陽のような黄金色の瞳を持つと聞いた。
ならば、瞳の色さえ確認すれば、良いのである。我ながらこれは名案だと思い、少しだけ心が落ち着いた。
まず、自分の瞳の色。これは鏡で確かめるまでもなく、深緑色であるとわかっている。人からはよく森の色だと言われて、その例えの微妙さに、反応に困ったものだ。
リシェルアは、真紅。彼女の二つ名である「烈火」につながるような外見イメージはこれしかない。だから出会った人は、激しい炎とは裏腹な彼女の正反対な性格を知って、大いに驚く。
クリティスは紫色。彼女ほど、紫という落ち着いた色の似合う人間はいなさそうだ。
ディオは、漆黒。得物の銃と同じ色。これもまた、彼の噂や性格のためにあるような色だ。本人に言うと、とんでもない目に遭わされるかもしれないが。
そして。
「おい、エリス」
「とにかく、あたしは帰らないよ!アルトにも、そうはっきり言っといて」
「無茶言わないでください。創造主様一筋のあの方が、そう簡単に諦めるとお思いですか?」
「エリスってば」
「そこを、あんたが何とかするんでしょ!」
「もうこれ以上、何とかできないところまで来てるんです!いい加減、中間管理職を務める私の身も案じていただきたい!」
「むきぃぃぃぃ!天空王のバーカっ!」
「エリス!」
「うるっさいね、何なのさっきから?!
ぼーっと立ってる暇があったら、あんたたちもあのわからず屋になんとか言ってよ!あのバカ、あたしが神界に帰るって言うまで、ここから出さないつもりなんだよ?!」
そう言って、勢いよく振り返り、こちらを睨んだ瞳の色は、
今までに見た事もなかったはずなのに良く見慣れた、太陽のような黄金色だった。
呆れるだとか驚くだとか感激するだとか、そんなものを通り越して、エドルはすべての思考と感情を放棄した。
見ると他の三人も、同じような境地に至っているらしい。悟りを開いたような清々しい無表情で、ドアの前の「創造主」を眺めている。
ただ、クリティスはすぐに口元に手をやって俯くと、小さな声で独り言を言いだした。「まさか、そこまでの存在だったとは…」という、意味不明な言葉がぽつりと聞こえてきたが、どうやら彼女の驚きどころは、自分たちと違っていたようだ。
「………あれが?」
ディオが、今一番言ってはならないことを呟いた。
「あれが「創造主」?ふざけてんのか」
ディオが信じられないのも無理はない。むしろ現段階では、クリティスはさておき、エドルも、おそらくリシェルアも信じていない。
何せ、神の一族そのものの存在だって曖昧なのだ。その長が、地上を観光しながらうろついているなどといきなり言われて、そうですかとあっさり信じる人間がいたら見てみたいものだ。
だが思い起こしてみれば、彼女が今まで、人間には到底できない事をしでかしてきているというのも確かなのである。
「ふざっ…?!」
見る間に全身の毛を逆立てて、怒りをあらわにする創造主エリスティア。
「何?あたしが創造主で、なんか文句あんの?!
大体、神様は超慈悲深くて超偉くて超カリスマ溢れてるってイメージは、あんたら人間が勝手に作ったんでしょ?!
そりゃ、確かに神の一族の中にだって、そういう神様っぽい神はいるけどね!」
「自分に、威厳がないという自覚があったのか」
「悪かったね威厳がなくてっ!」
言っている事自体は確かにもっともなのだが、顔を真っ赤にしながら涙目で主張されても、ますます威厳が薄まるばかりである。
別にこちらが何を言うわけでもないのに、彼女はさらにむきになって捲し立てた。
「あたしだってねー、最初の頃は、ちょっとそういうふうに偉そうにしてみよっかなーって思って、神界にこもってた時もあったんだからね!
でも、下界の方が面白い事いっぱいあるし、おいしいものもいっぱいあるんだもん。別にいーじゃん、創造主が観光したり、ちょっと危険な事件に巻き込まれたりしても」
今回の場合は巻き込まれて、というよりも、自分から強引に首を突っ込んだと言った方が正しい。
「おおっぴらに動いて、人間たちにあからさまに手を貸すってのはあんまり良くないんだけど、ちょっとぐらいならいーでしょ?だって、あたしの創った世界だもん。誰も文句言わないもん」
だんだんと話の焦点がずれてきてしまっているが、ようは、世界の頂点に立つものであっても、商店街で山ほど買い物をしたりお菓子を食べ歩きしたいのだと言いたいらしい。
天空王が、少し疲れの感じられる静かな口調で言った。
「もちろん、あなたのお創りになった世界で、あなたの行動を制限しようとするものはいないでしょう。仮に誰かがそうしたところで、あなたがそれをお許しになるはずがありませんし」
「でしょ?!じゃあ、今回だって見逃して…」
「それとこれとは別です」
それはもうばっさりと、容赦なく一蹴する天空王。
「なんでーっ?!」
「ですからっ、あなたを神界に一度お帰ししないと、私の立場と命が危ういのです!
アルト神も、神界に永住するようにとはおっしゃっていません。一度顔をお出しするだけでよろしいのではないかと思われます」
魔界神アルトは、その称号の通り魔界を守護する神であるとともに、知恵と知識の神として知られている。学校や図書館など、知識を身につける場所では、アルト神が奉られていることが多い。
一体どんな性格の神なのかは知らないが、何やら相当エリスティアのことを慕っている様子だ。彼女に、いわゆる里帰りをしてほしいのだろう。
「ああまで言ってるんだからさあ、帰ってみれば?」
とにもかくにも、この場をなんとか収めなければ、いつまで経っても出られない。エドルは、しぶしぶエリスティアの方を諭す事に決めた。
「またすぐ下界に来れるんだろ?」
「神界から戻るのは簡単だけどね。問題は行く方なの」
膨れっ面で、ドアの先の天空王を睨むエリスティア。
「ここから神界に帰るには、まず一度亜魔界に降りて、それから魔界を経由しなきゃなんないわけ。
天空界が神界の上空にあるからって、そのまま直通で行けるわけじゃないんだよ」
「…それは面倒だな」
以前通った「道」から直接魔界に降りればいいのでは、と提案したが、彼女曰く、それでは逆に遠回りになってしまうのだという。
「とにかくっ、絶対っ、嫌だからねっ!」
「ぐうっ…相変わらず強情なお人で…」
天空王は扉越しに、悔しそうに歯噛みをした。しかししばらくして、また怪しげな笑い声を洩らし始める。
「ふふ、ふふふふふふ」
「…今度は何企んでるわけ?」
エリスティアが不審そうに問うても、彼は答えない。その代わり、エドルたちに向かって語りかけて来た。
「エリスティア様の後ろにいる、四人の英雄たちよ…」
冒頭からして、胡散臭さが濃厚だ。
「…なんですか」
「お前たちに、頼みがある」
はっきり言って、嫌な予感がするので聞きたくはない。が、そうもいかない。
天空王は、扉越しからでもその必死な表情が見えてきそうな、切実な声で言った。
「エリスティア様を、神界に送り届けてほしいのだが」
なんで、こんな予感ばかり的中してしまうのだろう。
薄々、そうなるのではないかという予想はあった。もちろん、是非お断りしたいのだが…
「どうせ、引き受けなきゃここから出してくれないんですよねー」
「ははは、無論だ」
むしろ、はじめからそのつもりでいたのだろう。エドルたちと共に、エリスティアがやってきた時から…いや。先に、「創造主が事件解決に動く事など予想の範疇」と言っていたところから察するに、おそらく…自分たちを城に誘い出し雇った時点で、既にこの計画が彼の内にあったに違いない。
だとすれば、なんと狡猾な男なのだろうか。
エドルは思わず、姿の見えない天空王に対して思いきり暴言を吐き散らしたい気分に駆られた。リシェルアたちも、顔を引きつらせている。ディオに至っては、王宮内だというのに銃に手をかけてすらいた。
「このっ、卑怯者っ!」
「お褒めにあずかり光栄です」
今回ばかりは、エリスティアの言葉に全面的に共感した。天空王は、しれっと受け流してしまったが。
「当然だが、ただでとは言わん。今回の事件の報酬が二百万だったから、この仕事はその二倍、四百万ということにしよう。
さあ、どうする?」
「本当に天空王は、人を半強制的に動かすのが上手くていらっしゃる」
クリティスが、皮肉を吐いた。やはり今回もこちらには、拒否権はないのである。
「せっかく、いつもの生活に戻れると思ってたんだけどなあ…」
エドルは、腰まで折り曲げてうなだれた。
「仕方ないわー。でも、また皆でお仕事できるのねー」
「それが一番気に食わないんだがな」
妙に嬉しそうなリシェルア、そして、今にも不満が爆発して、暴れ出しそうなディオ。
「だが、あの女のお守りで四百万払ってくれるなら、引き受けるさ。大金くれるってんなら、俺はなんでもするね」
「私も引き受ける。それに、あの女には、個人的に興味がある」
しぶしぶといった感じだが、二人の意見はまとまっているようだ。
「またしばらく、賑やかなのねー」
「はいはい、もうどうにでもなれって…」
仕方がない。不満は山ほどあるが…
「…わかりました。引き受けます」
「よしっ、良く言った!良く言ってくれたお前たち!」
引き受けざるを得ない状況を作り出したのは、紛れもなく天空王本人なのだが、彼は心底嬉しそうに礼を重ねて述べてきた。ガッツポーズを決めている姿が、目に浮かぶようである。
客間の鍵が、軽い音を立てた。ようやく開かれた扉の先には、礼服に身を包んだ天空王。
「許さない…絶対許さないからね…」
まるで、地の底から響いて伝わってくるような低い声音で、創造主は彼に怨みの言葉を吐く。
対する王は、実に丁寧に会釈をすると、満面の笑顔を浮かべて言った。
「怨まれ役は、この地位に就いた時から慣れておりますので」
なんとか話が片付いたので、ようやくエドルたちは謁見の間に通された。
「さて…いろいろとあったが、首尾よく希望の箱の企みを阻止してくれたようだな」
王はエリスティアに玉座を譲り、エドルたちの前に立つ。
玉座の傍らには、以前助け出したアスロイ王子と、その姉であるエイナ王女が佇んでいた。エドルたちの周りにも大臣たちや兵士が立ち並び、じっと一同の様子を見守っている。
「島に入るまでの経緯は、あらかた船の者に聞いた。
創造主様がその尊いお力を発揮され、見事敵の大船団を退けたそうだな」
「そーやっておだてて、あたしの機嫌を取ろうとしたって無駄なんだからね」
玉座で足を組み、頬を膨らませて呟くエリスティア。
天空王は、指を鳴らして近くにいた召使いを呼び寄せ、小声で何かを囁いた。彼女は微笑んで「かしこまりました」と答えると、謁見の間をしずしずと去っていく。
ほどなくして、数人の召使いがやってきて、エリスティアの前に小さなテーブルを設置した。最後に、盆を携えた召使いが、テーブルの上に紅茶と、色とりどりのプチケーキが載った皿を置き、一礼してから退室する。
その途端、
「わーいっ!」
あれほどのしかめっ面をあっという間にほどいて、創造主はケーキに心奪われてしまったではないか。
こほんと咳払いをして、王は得意げな笑みを浮かべる。創造主ともあろうものが、菓子一つですぐに機嫌を直してしまったのを目撃して、複雑な気分を抱かずにはいられないエドルであった。
「さて、話を続けよう。
この度の栄誉は、天空王族の末に及ぶまで語り継がれるだろう。よくやった英雄たち!」
「栄誉とかはどうでもいいんで、早く報酬ください」
「…むう…せっかく盛り上げてやっているというのに、冷めた連中だな…
まあいい」
不満そうに眉間にしわを寄せる天空王。だが、すぐに気を取り直して、
「わかった。まずは、約束通り報酬を渡そう。
受け取るがよい」
もう一度、王は指を打ち鳴らした。
今度は、盆に金の袋を乗せた兵士が四人現れ、エドルたちの前に並ぶ。それを有り難く受け取っていると、王が、ふと思い出したように尋ねてきた。
「そういえば、後から頼んでいた例の本は見つかったか?」
「ああ、すっかり忘れていた」
クリティスが、懐を探って、赤茶けた古い紙束を取り出す。
「結局、これだけしか見つけることはできなかった」
それは、盗まれた秘伝の封印の書の数ページだった。
クォードから聞き出して、塔に隠されていたのを見つけたはいいのだが、なんと、そこにあったのはこの数ページだけだったのだ。
彼らに必要だったのは、特定の封印の使い方と解除方法を記した一部分だけだったらしく、本そのものはローグの森の屋敷に、保険のための写しと共に保管してあったそうだ。
だが、そのローグの屋敷は、エリスティアを救出しに行ったその夜に…
「ううむ…」
事情を聞いた天空王は、難しそうに顔をしかめる。ついででいいから、と言ったものの、完全に取り返しのつかない事になってしまっていたことに、少なからずショックを受けているようだ。
しかし、こればかりは――
「あ、そういえばあたしも」
不意に、幸せそうにケーキをぱくついていたエリスティアが、声を上げた。
皆の注目を浴びながら、彼女は玉座の後ろから、自分の荷物を取り上げる。
「例の本って、あのおバカな題名の封印書でしょ?。
これを渡すために来たのに、さっきのゴタゴタのせいで忘れてたよ」
雑品の詰まった鞄から取り出されたのは、
「あ…ああっ!それです!」
青い表紙の、大きな本。金色の古代文字で、何やら長ったらしい題名がつづられている。
王は今にも駆けだしそうな足取りで彼女に近づくと、本を受け取り、開いた。そして、目を丸くして何度も独りで頷く。
「間違いありません、この本です」
「な、何でお前が持ってるんだよ!」
ディオが素っ頓狂な声で問う。創造主は、再びケーキを口に運びながら答えた。
「攫われて脱走してる途中に見つけたの」
「なんでおれらに渡さなかったんだ!」
「決まってんでしょ」
彼女は、静かにこちらにフォークを突き付ける。
「あんたたちに渡したら、悪用するかもしれないじゃん」
「どうせ古代文字で書いてあるんだろ?読めねーよ」
「クリティスは古代文字、読めるじゃない」
「ぐ…」
ふう、と一つ、彼女はため息をついて、
「あれは、天空王家の秘伝の書。本来は、王家の者以外の人間が見る事は禁じられているの。その規律を守るために、敢えてあんたたちに隠してたんだよ」
正論だった。彼女は「エドルたちの仕事の補助役」としてではなく、「創造主」の立場として、秘伝を守ることを選んだのだろう。
「とにかく、これで万事解決ということだ。本当に、お前たちはよくやってくれた」
天空王は、深々とこちらに会釈をした。城の重役が集まっている中で最高権力者にそんなことをされると、こちらも委縮してしまう。
「いや、そんな」
「…それから」
照れたエドルが、謙遜しようとした時。顔を上げた天空王が、この上なく素敵な笑顔を浮かべている事に気がついた。
「今後とも、創造主様をよろしく頼んだぞ?」
「………」
せっかく感激していたというのに、なんだか台無しになってしまった感は否めない。
「わかりました…」
天空王の笑顔の後ろで、ケーキを食べ終えて満足げに紅茶を飲んでいる創造主エリスティアをぼんやりと眺めながら、エドルは大きく、深く、ため息をついたのだった。