ルシアニアの塔・後篇
澄みきった外界の空気が、闇と共に満ちていた。上を見上げると、天井の代わりに、果てのない夜空が浮かんでいる。
そこは、高いルシアニアの塔の一番天辺の部屋だった。屋内にいながら空を臨むことのできる、崩れた塔の最上階。
「とうとう、来たか」
聞き覚えのある声だった。
「へえ、お前だったのか。希望の箱のリーダーは」
部屋の奥から姿を現したのは、信者たちと同じく黒いローブを身に纏い、胸にエンブレムをつけた男。
彼は、エヴァスタ旧天空教会で一度まみえ、捕らえ損ねた二人組のうちの一人だったのだ。
「クロウはやられたのか…」
「十階で白目ひん剥いてるよ。
塔にいた信者共も、残らず片づけた。あとは、お前をお縄につかせれば終わりだ」
風が、部屋の真ん中にある机の上から、資料と思われる紙の束を吹き散らす。
男はどこか覚束ない足取りで、その机に近づき、もたれかかった。そして、静かに含み笑いを零す。
「お前たちは、神を信じた事があるか」
「は?」
この期に及んで、与太話でも始める気なのだろうか。思わずエドルが間の抜けた声を上げると、男はなおも笑いながら続けた。
「神だよ。
例えば――世界のすべてを形作ったとされる、創造主」
黄金色の瞳を持ち、時に太陽と同一視される、その姿すら定かでない未知の存在。
「かつて私は、創造主教の信者の一人だった。創造主は常に我々を見守っており、辛い時に手を差し伸べ、助けてくれる存在だと信じて疑わなかった。
しかし、十年前…両親が魔獣に襲われ殺された時…私は、自分の信じていたものに裏切られたのだと気付いたのだ。
神は、我々を助けてなどくれない。それを思い知らされた時、私は神に対して復讐する事を決意した」
「…そのお話は長くなりそうだな?」
嫌そうに顔を歪め、ディオが銃を構えた。
「続きは、警官か裁判官にでも話せよ。俺にとってはてめえの事情なんざ、どうでもいいんでね」
「動くな」
男の声が、夜の空気の中に鋭く響いた。
彼は俯いたまま、おもむろに部屋の奥の暗闇を指差す。
「あれが何か、わかるか」
暗闇の中を、エドルはじっと目を凝らして見つめた。
何か、ある。
いや、部屋の奥に広がる大きな暗闇そのものが、一つの物体にも見える。
「あれも、古代兵器なのか…?」
「そうだ。ただし、下階にあったものとは比べ物にならない大きさと威力だ。
古い魔法石をすべて取り外し、新しくつけ替えてある。そこに魔力を注ぎ込めば、すぐにでも兵器は起動する」
それは、とんでもなく巨大だった。他の階にあったものが、部屋の一角を陣取る程度の大きさだったのに対し、ここの兵器は、最上階の部屋の半分を占拠して佇んでいるのだ。
「そう、私は、あれを動かすためにこれまで活動を続けて来たのだ」
男は、両腕を広げて胸をそらす。その姿は、今から大空へ飛び立とうとする大きな鳥を思わせた。
「あの古代兵器で、神界に攻撃を行うためにな!!」
「馬鹿馬鹿しい」
そう、身も蓋もなく吐き捨てたのは、クリティスだった。
「黙って聞いていれば、何もかも相変わらずお粗末すぎる。
第一、神界が存在すると言われているのは、遥か天空界の上空だ。攻撃が届くと本当に思っているのか」
現実主義者らしい、冷静な突っ込みだった。だが、一体何が彼を自信づけているのか、男は不敵に笑ったまま。
「裏切られただの何だのと言う割に、古代兵器に関する根も葉もない噂をよくそこまで盲信できるな。
天空王は、この塔に関する記録は全くって言っていいほど残ってないって言ってたぞ」
「ふん、あんな狡猾な変人の言う事を信じる方が、よほど難しいと思うがな」
男は、見下すような目でこちらを見た。
「だが、これでわかったはずだ。私は、別に貴様らにとって不利な事を行おうと言うのではない。むしろ、神という、見知らぬところで人類を支配し続けている存在から、解放してやろうとしているのだ」
「勘違いはなはだしいとしか、言いようがねえな…」
「まあ、神をはなから信じぬ仕事屋風情には、何の意味もないだろうがな」
「…なら、聞くわ」
既に呆れ顔のリシェルアが、男を睨んで問う。
「神に裏切られて神に復讐する事を決意したと言うけれど、あなた自身は、これまでに人を裏切った事などないと言えるの?
少なくとも、あなたたちに「口封じ」された天空城の人たちは、あなたたちに裏切られたと思っていたそうだけど」
「裏切った相手を一方的に責めるのは、お門違いってことだな」
エドルも、彼女に続いた。
「何かを信じた以上、あんたもそれに対して責任を負わなきゃいけない。信頼ってのは、お互いがお互いに対して、責任を負うことで成り立つものなんだし」
「…うるさい」
男が、動いた。
こちらをねめつけてゆっくりと後退し、今度は、巨大な古代兵器にもたれかかる。
「もう、何を言われようと、私は引き下がる事などできないのだ」
「おかしな真似は…」
「私にはもう、何を信じればいいのかわからない。信じるという事も、信じられるという事も、わからない。頼れるものはもう、この物言わぬ古代兵器しかないのだ!」
瞬間、暗闇が吹き飛んだ。
古代兵器に装着された無数の魔法石たちが、一斉に光り輝き始めたのだ。
「動いた…」
エドルは唖然と、様々な色の神秘的な光を浴びて呟いた。
夢物語と思われていた、古代の未知の兵器が、今、目の前で起動している。
「…まさか、そんな」
驚いていたのは、エドルたちだけではなかった。兵器を起動させたと思われたローブの男自身も、呆けた顔でそれを眺めていたのだ。
「結局、動かし方がわからなかったというのに」
散々盾に取っていたのに動かし方がわからなかったというあたりは、呆れどころだったが、今はそんなことを突っ込んでいる場合ではない。
もし、この古代兵器が力を発揮した時、何が起こるのか。エドルたちには、想像がつかないのだ。
本当に、神界を攻撃することになるのか。もし失敗したとしたら、その影響は…?
どうなるにせよ、止めた方が賢明だろう。振り返ると、同じ答えにたどり着いたらしいクリティスとディオと目が合った。隣りのリシェルアも、頷いている。
古代兵器に近づこうと、足を踏み出した時。
「そこまで言うなら、動かしてみなよ」
挑発的に男に呼びかける、エリス。
慌てて振り向くと、彼女は真っ直ぐに古代兵器を見据えていた。
「魔力の充填方法がわからなかったんでしょ?だから、あたしが充填してあげたよ」
「なっ…!」
そんなことをして、一体何のつもりなのか。
「馬鹿かお前!」
「あんたが信じたそれが、どういうものなのか、教えてあげる」
「エリスっ!!」
彼女の目的が分からない。怒鳴っても、彼女はこちらを見向きもしない。
それどころか、ゆっくりと古代兵器に近づいていく。それに気付いた男は、警戒心をあらわにして叫んだ。
「動くなと言っただろう、女」
「あたしは動かないよ。動くのは、あんた」
そう言いながら、エリスは男の傍までやってくると、古代兵器の一部に人差し指の先を向けた。
その先には、魔法石でできた四角い箱に似た小さな物体が取り付けてある。他の魔法石と違って、淡く明滅するそれは、次に引き起こされる事態を待ち構えて誘っているようにも感じた。
「ほら、そこの箱に手を置くだけだよ」
抑揚のない声で、エリスが言った。
「そうすれば、この古代兵器が発動する。どうなるかは、あんたがその眼で確かめてみればいい」
「………っ!」
「何をためらう必要があるの」
ここにきて渋り出した男を相手に、なおも挑発を続けるエリス。
今までずっとわからなかった、彼女がエドルたちについてきた理由。まさかそれは、この古代兵器を動かすためだったのだろうか。
「神に復讐したいんでしょ?神を倒して、人類をその支配から解放するんでしょ」
「くっそ!やめろ、二人とも!」
エリスが、男の方へと歩みを進めた。合わせて、男も後ろへと下がる。
男が、恐る恐る振り返った。すぐ後ろに、箱が迫っている。彼が手を伸ばせば、簡単に触れられる距離だ。
「さあ、早く」
「さあ」
「さあ」
「さあ」
男は、箱に、手を触れた。
古代兵器が、発動する。
ヒトからの最終命令を受け付けたそれは、一層魔法石をまばゆく輝かせた。そしてその巨体を、長い眠りから覚めて伸びでもしているかのように、轟音と共に大きく身震いさせ――
「あはははははははは」
静かになった部屋の中で、エリスの笑い声だけが響いていた。
彼女の前では、巨体を一度震わせたきり沈黙してしまった古代兵器が、夜明けの風にさらされている。
古代兵器は発動したかに思われたのだが、何を引き起こすわけでもなく、そのまま沈静化してしまったのだ。あれほど光を放っていた魔法石も、今ではすっかり闇の色に溶けてしまっている。
「きっと、もう動かないね」
永遠の眠りについた兵器を、慈悲を帯びた瞳で眺めながら、エリスは言う。
「この古代兵器はもう、全部、内部の機関がボロボロになってるんだよ。魔法石をどんなに新しくて良いものに変えたって無駄。
いくら古代の超技術だって、気の遠くなるほどの長い年月には勝てなかったわけ」
少女の手が、発動装置だった小さな箱を撫でる。兵器が動き出す事は、もう、ない。
「キレイでしょ?時の止まった博覧場。
この塔にあるものは、全部そう。大昔から、時間が止まったまま」
「そんな…」
床に崩れ落ちた希望の箱のリーダーは、失意のこもった声をかすかに上げた。
「一体私は、何を信じて来たんだ…何を信じればいいんだ…」
「自分を信じてくれた人間を、ことごとく裏切っておきながらその発言とは、救いようがないね」
エリスは、腕組みをするとため息をひとつついた。
「それにまだ、あんたを裏切っても、あんたに裏切られてもいない人間がたくさんいるよ。あんたには、ただの手駒にしか見えていないようだけどね」
海でエドルたちを襲撃し、塔でも行く手を阻んできた、希望の箱の信者たち。彼らももしかすると、彼と同じような境遇で神を憎むようになった人たちなのかもしれない。
「彼らはまだ、あんたを信じてる。今度はあんたが信じてあげればいい。
まあそれも、王都で裁判を受けてからの話だけどね」
エリスはそう言って、彼に背を向けてこちらへと戻ってきた。
それから、してやったりとでも言いたげに胸を反らして…
「アホかお前はっ!!」
次の瞬間、思いきりディオに後頭部を殴られていた。
「何考えてんだてめえ!あれでもし動いてたらどうなったと…!」
「殴った?!あんた今、あたしのこと殴った?!」
「そりゃ殴りたくもなるわボケ!」
彼は大声で怒鳴り散らしながら、エリスに詰め寄った。
「なんでお前は毎回毎回余計なことしかしねえんだよ!動かないなら、動かないままにしときゃいいものを!」
「何も殴る事ないでしょっ!結局動かなかったんだしいいじゃん!」
「だから、それならわざわざ起動させるなっつってんだよ!」
「痛っ、また殴ったー!
泣いてもいい?泣くよ?あたし、泣くと手がつけらんないんだからね!」
この喧嘩は、どうやらしばらくは収まらなさそうだ。
仕方ないので、仲裁をリシェルアに任せて、エドルはクリティスと一緒にリーダーの男を捕らえることにした。
男には、抵抗する気力などないようだ。大人しく手錠を受け、立ち上がる。
そういえば、と、クリティスが呟いた。
「お前の名前をまだ聞いていなかったな」
「…クォードだ」
「クォード…。
…クロウから聞いた話だと、もう一人リーダーがいるという話だったが」
「…あいつから聞いていなかったのか」
クォードは、ここでようやく顔を上げた。憔悴しきった、虚ろな目。
「弟は…もういない。
…私が殺した」
クリティスの手が、一瞬止まった。
「………そうか」
しかし、何事もなかったかのように短い言葉を返し、手錠の鍵をとめる。
騒いでいた二人は、リシェルアの仲裁のおかげかようやく我に返ったらしい。こちらに向かって手招いている。
見上げると、朝日がほのかに空の色を変え始めていた。暗かった最上階もだんだんと明るくなり、暗闇そのもののようだった古代兵器も、銅と魔法石でできたその美しい全容を現す。
塔は遥か昔から、こうしていくつもの夜を越えてきたのだろう。そして、これからもおそらく、永遠に目覚める事のない朝を迎え続けていくのだ。
入口に向かって歩を進めた時、クォードが、何か呟くのが聞こえた。
あまりにも小さな声だったので、すべて聞き取ることはできなかったが、不思議と、一つだけはっきりと聞こえた言葉があった。
「ルエイド」、と。