ルシアニアの塔・中篇
切りつけられたエドルは、なんとか意識を保っていた。減らず口をたたく気力はないようだが、命に別状はなさそうだ。
ひとまず胸を撫で下ろしたクリティスは、爪をゆらゆらと遊ばせているクロウへ目を向ける。
数の上では、圧倒的にこちらが有利だ。エドルが戦線離脱、エリスは参戦不明だが、それでも三対一になる。
「リシェルア、動けるか?」
「…ええ」
声を掛けると、リシェルアは抱いていたエドルを古代兵器の陰に座らせて、立ちあがった。…が、相棒が傷を負わされた事に動揺しているのか、彼女の表情は暗く沈んでいる。その不安が、果たしてどれほど戦いに影響を与えるか。
考えてみれば、エドルもリシェルアも、ただのトレジャーハンターであり、このような、人間相手の殺し合いの場に立った事はほとんどないはずである。以前アスレイナで希望の箱と対峙した時は、相手側の大半が素人だったからか、それほど気負いしてはいなかったようだが、仲間が二度も、同じ人物に傷つけられるのを目にしていては、動揺するのも無理はない。
澄んだ金属音が、塔の内部に響き渡った。
見れば、ディオとクロウが長い膠着状態から抜け、本格的に戦いを始めている。エリスは、思った通り観戦を決め込んだようで、中央の柱に隠れてその様子を見守っていた。
助太刀に入ろうと、抜き身のレイピアを下げて駆けだそうとした時。
「人を殺すのって、悪い事よね…?」
消え入りそうな声が、傍で聞こえた。はた、と立ち止まり、なんのことやらわからず眉を顰める。
「…「人を殺すのが、悪い事か」?」
おうむ返しすると、尋ねてきたリシェルアは、俯きがちに頷く。抱え込むようにして杖を握っている様は、どこか不安定で、儚げだ。
「悪い事だろう」
クリティスは、きっぱりと答えた。
「無闇に人の命を取る事は、被害者当人だけではなく、その周りの大勢の人間の人生まで台無しにする。少なくとも良い事など、何一つないな」
なんてくだらない質問なんだと、クリティスは一瞬、リシェルアを嫌悪した。殺し屋との戦いを前にして、しかも自分の連れを傷つけられているというのに。こんな状況で聞くようなことではないはずだ。
「そう…そうよね」
そう答えたきり、彼女は何も言わなかったので、結局その質問の意図はわからなかった。だが、リシェルアが、何かを思いつめているというのは、表情や声色からはっきりと伝わってくる。
「…戦えるか?」
問うと、彼女は小さく頷いた。どうやら、その点は大丈夫なようだ。
「っく!」
ディオの苦悶の呻きが聞こえる。続いて、何かが弾かれる鋭い音。
咄嗟に足をそちらへ踏み出すと、「待って」と、リシェルアが服の裾を引いてきた。
「炎のつぶてよ!」
さっと前に振られた銀の杖の先端から、真っ赤な炎の球が飛びだした。それは、得物を弾かれ距離を置いていたディオの横を抜け、クロウめがけて突っ込んでいく。
「うお?!」
不意を突かれたクロウは、なんとか火球を避けるも、そのままバランスを崩してたたらを踏む。その隙に、クリティスは間合いを詰めて斬りかかった。
まずは彼の厄介な速さを封じてしまおうと、レイピアを腿に突き立てようとする。
しかし、
「はしれ、雷よ!」
「くぅっ!」
間一髪で放ったクロウの電撃が、構えたレイピアを伝わってクリティスに襲いかかる。全身が弾けるような感覚をおぼえた直後、目の前が真っ白になり、気がついた時には床に膝をついてしまっていた。
「伏せろクリティス!」
背後から飛んだディオの命令と共に、わざと腕の力を抜いて地面に伏せる。発砲音がすぐさま聞こえて、魔力の弾が頭上を飛び交った。
クロウの唸り声が、聞こえた。
その後まもなく、リシェルアの呪文が響く。
「炎の庭は、汝の足下に!」
熱風が前方から吹き付けてきた。思わず身体を起こして飛びすさると、クロウが、撃たれたのであろう腹を押さえながら足元に広がった炎の絨毯から逃れようとしてる姿が目に入った。
今だとばかりに、そばでディオが再び銃を構える。だが、それに気付いたクロウは、燃える床を転がるようにして銃撃を避け――
しまった。と、思った時にはもう遅い。
「全員、動くなよ」
殺し屋は、据わった眼でこちらを睨んだ。
「これにて、お前らとの遊びも終了だ。
自分の仲間には、きちんと注意を払っておかないとな?」
彼の右手には、鋭い凶器。左手には………柱の陰で戦いを見守っていた、エリス。
クロウ一人に気を向けすぎていたあまりに、彼がエリスに接近しすぎていたことに気がつかなかったのだ。
床を覆っていた、魔力の炎が消える。つい先ほどまでの激戦がまるで嘘のように、静寂が訪れた。
「はっ。人質作戦なんて、自分が小物だって言ってるようなもんじゃねえか」
銃口を向けたまま、ディオがクロウを嘲った。
「『熟練者』のプライドはどうした?堕ちたな、殺し屋」
「立場の割に、口は達者だな。この状況をちゃんと理解してるのか?」
左手でエリスの顎を持ち上げ、爪を突きつけるクロウ。
「プライドなんて、殺し屋始めた時点で捨ててるんだよ。相手より優位に立つか、勝てりゃそれで十分さ」
「なるほど」
クリティスは、至極冷静に頷いた。
「それには同感する。下手なプライドなど持っていたところで、この業界では荷物になるばかりだ。そんなものを優先していては、命がいくつあっても足りない」
「おや、まさかあんたに共感されるとは思ってもみなかった。
敵同士じゃなけりゃ、呑み交わして語り合いたいところだったな」
苦笑した殺し屋だったが、しかしその眼に油断はない。この程度の雑談で、気を緩める相手ではないという事はわかっていたが…
再び訪れる、沈黙。時間は、刻一刻と過ぎて行く。
しばらく後、ふと、後方で何かが蠢く気配を感じた。
振り返って確認する事は不可能だが、察するに、古代兵器の陰にもたれていたエドルが何かしているのだろう。幸い、クロウはクリティスたちに気を向けているせいで、そちらの方への注意がおろそかになっている。
彼に、賭けるしかない。しかしそのためには、極力彼の動きに気付かせないようにしなくてはならない。
とにかく何か会話をしようと、クリティスは口を開きかけた。
だが、彼女よりも先に声を上げた者がいた。
「あんた、今まで自分が何人殺したか覚えてる?」
囚われの身のはずの、エリスだ。さすがというべきか、自分の命を今にも狩ろうとしている人間に対して、恐れるそぶりなど微塵も見せない。
問われた殺し屋は、その堂々とした声音に一瞬絶句したが、すぐさま平静を取り戻して、馬鹿にしたような答えを返した。
「知らないね。オレは黄泉の国の番人でもないから、死人の数なんざ、いちいち覚える必要はない」
エリスは、憐れむような笑みを浮かべた。
「百人だよ」
その表情は、相手には当然見えていない。
「あんたに会うたびに、地面の底から声が聞こえる。殺された人間たちの怨念が、叫んでる。
あんたを罰しろってね」
「…はっ。可愛い顔して、オカルト趣味か?」
クロウの表情が若干、ひきつっている。
だが、こちらも同じような心地だった。いきなり脈絡もなく、死人の声が聞こえるなどと言われても、聞いている人間は言葉を失うか、冗談でごまかすしかできないだろう。
エリスは続ける。
「難しい事じゃないよ。そろそろ自分の所業を反省して、罪を償ったらどうなのかって言ってるだけ」
「…命乞いするどころか、敵に人道を説くとは…ほんと、お嬢さんの度胸には参るね」
殺し屋の表情が、あからさまな嫌悪を映し始めた。
「だから嫌いなんだよ、偽善者ってのは。
力の差を見せつけてやっても、理屈ばっか捏ねて自分の正義を主張しやがるから、屈服させるのに手間がかかる」
荒んだ瞳が、殺意を孕んでぎらついた。
「たまに、殺すまで言い続けてる奴もいるが、お前もそのクチか?」
途端に、エリスの顔から、笑顔が消えた。
「イーセ!」
彼女の口から、鋭い叫びが飛び出す。
それは、聞き覚えのある言葉だった。はるか昔、古代文字を独学で覚えた時に。
「イーセ」は、「氷」の意。
「ぐあっ!」
言葉の意味通りのものが、殺し屋の右腕を包みこんだ。
痛みに気を取られた彼の腕をすり抜け、エリスがこちらへと駆けこんでくる。
彼女とすれ違うような形で、今度は後方から、銀色の輝きが一直線に飛んで行った。エドルが放ったのであろうそのダガーは、空中に光の残像を残して、クロウの胸に突き刺さった。
「!!っがはっ…!」
床に膝から崩れ落ちるクロウ。腕を凍らせていた魔力の氷塊は消え去ったが、立つことはできないらしく、激しく咳き込んでいた。
口を押さえた指の間から、血が滴り落ちている。
「たぶん、心臓は外してるはずだ」
真っ先に駆け寄ったリシェルアに支えられながら、エドルが掠れ声で告げる。
振り返って二人の様子を見届けると、レイピアを収めながら殺し屋へと近づくクリティス。しかし、
「…そこまで言うなら、てめえの言い分に従ってやろうじゃねえか」
ディオが彼女を追い越し、クロウを見下ろして低い声で言った。
「力の差、いわゆる弱肉強食がすべてだってことは、俺らに負けたてめえは、当然俺たちの言う事を聞かなきゃいけない事になる。
じゃあ、死ねと言えば、死ぬんだろ?」
「………殺したきゃ、殺せばいいさ」
荒い息の間から、投げやりな言葉を返してくるクロウ。
しかし、ディオは鼻先でそれを笑い飛ばした。
「殺さねえよ。殺したら、てめえの言い分に従ったことになる。
せいぜい刑務所で、今まで死んだ人間の分まで生きながらえて償い続けるんだな」
「…今はあえてその言葉、受け取っておいてやるが…」
殺し屋は、床に膝と手をついたまま、ディオを睨み上げた。
「殺しに少しでも手を染めてたっていうあんたが、人にんなこと言えるのか?」
「―――……」
ディオは、答えなかった。後ろからでは表情が窺えず、かといって、わざわざ覗きに行くのも躊躇われる。
その後、黙ったままこちらを向いたディオは、何を考えているのかよくわからない、少し青ざめた無表情だった。顎だけ動かして「逮捕しろ」とこちらに指図すると、そのまま横を素通りしていく。
クリティスは一人肩を竦めると、ポケットに収めていた手錠を殺し屋の手首に掛けた。
すると、幾分落ち着きを取り戻したらしい彼は、相変わらずのこちらを見下したような態度を取り始めた。
「そんなショボい手錠だけで平気かい?手は使えないが足は使えるってことは、逃げ出せるってことだぜ?幸い傷もそれほど…」
「ああ、それに関しては問題ない」
殺し屋の御託を遮って、クリティスはおもむろに頭を振った。
「貴様には、眠っておいてもらうつもりだ」
「眠って…?睡眠薬でも使う気か?」
「睡眠薬?」
眉をひそめるクロウ。首を捻るクリティス。
「そんな高くつく物は持ち歩いていない。物理的な方法で十分だろう?」
「ぶ…?!」
さあっと音がしそうなほど、殺し屋の顔から一気に血の気が引いた。クリティスの右拳が左手で押し固められて、音を立てている。
「待てっ、待…!オレ怪我人!怪我人だから!」
「幸い、傷はそれほどでもないのだろう?」
問答無用。クリティスは大きく右腕を後ろへ引くと、容赦なくそれを、殺し屋の腹へと叩きこんだ。
声にならない悲鳴を上げて、ぐったりと床に倒れるクロウ。完全に白目を剥いていることを確認して、クリティスは手の平を打ち払いながら振り返った。
「終わった」
「いや、終わったってお前」
唖然としてこちらを見つめる面々。
あまりにもじっと眺められているので、少々居心地の悪さを覚えていると、エドルが、小さな声で呟くのが、微かに聞こえた。
「…また夢に出たらどうしよう」
殺し屋クロウとの因縁にも決着がつき、一応一段落したかと思いきや。
ここで、新たな問題が出てきてしまった。
「…エドル…」
「平気だって」
昏倒したクロウの傍からダガーを取り、持ち主の元へと返す。手渡した際に見えた胸の四本の傷からは、まだ痛々しく血が溢れていた。
強がるエドルの顔色は青白く、額にも汗の粒が浮いている。
「戻るか?」
今ここには、十分な手当てを出来るほどの道具はない。ディオのその判断は、妥当だった。
だが…
「この出血では、果たして戻るまでに体力が持つかどうか…」
ただ戻るにしても、島を出る間に魔獣たちに出くわす恐れがあるのだ。全員好調の状態でも手こずったというのに、怪我人をかばって戦うとなれば、一体どれほど時間がかかるのか。
「…このまま進むしかないな…。
ここにだって、連中が使ってる医療施設ぐらいあるだろ」
エドルが、傷を押さえながら立ち上がろうとする。しかしそれを、リシェルアが制して言った。
「無理に動いちゃ駄目よ。まだ、血が止まってないのに」
「治るまでここにいるわけにもいかねーだろ。敵が来ないとも限らない」
「進んでも、希望の箱の人たちと衝突するのは確実よ」
「じゃあどうするんだよ!どうせどこに行っても敵だらけだろ!」
エドルが、声を荒げた。リシェルアは、びくりと身体を震わせる。
「だから、進むしかないんだよ」
「…治すわ」
唐突に、リシェルアがそう呟いた。
治すとは、一体どういう事なのか。意味がよくわからずいぶかしんでいると、今度はエドルが血相を変え、
「だめだ!!」
塔中に響き渡ったのではないかと思うほど、声を張り上げて怒鳴った。
驚いていると今度はリシェルアが、負けじと悲痛な金切り声を上げる。
「お願い!!あたし、もしエドルが死んだらって思ったら、あたし、」
死ぬなんて、そんな大げさな…とも思ったが、ふと頭に思い浮かんだのは、先ほどリシェルアが呟いた質問だった。
「絶対だめだ、それだけは――」
「いや!
助けられる人を見殺しにするなんて、もうできないのよっ!」
「人を殺す事は悪い事か」と彼女は聞いた。
「リシェルア?」
クリティスが呼びかけても、まるで聞こえていないかのように、エドルに寄り添うリシェルア。エドルが睨んでも、彼女は唇を噛みしめて無視をし続けている。
「治すわ」
いつになくはっきりとした声で、再び彼女は告げた。
「………っ」
舌打ちしながらも、とうとう相方は何も言わなくなった。
リシェルアは、そっと両手をエドルの胸に当てる。
一瞬、エドルがこちらを鋭く睨んだ…気がした。
奇跡が起こった。
なんと、リシェルアがかざした手から淡い魔力の光が零れたかと思うと、みるみるうちに血の流れが止まったのだ。
「あれっ」
エリスが、素っ頓狂な声を出す。
「治癒魔法じゃん。とっくの昔に消えたと思ってたんだけど」
「治癒魔法…」
古代には、この塔に存在する兵器のような技術ばかりではなく、魔術に関しても、現代より優れたものがあったという。時を経るうちに、危険視されて封印されてしまったり、使える者がいなくなり消滅してしまった魔法の中に、生き物の傷を癒す魔法というものも存在した。
伝承でしかなかったものを、まさかこの目で見る事ができるとは。
「…古代の人は、完全に傷口を塞ぐ事が出来ていたそうだけれど…あたしは、少し傷の治りを早める程度で精いっぱいなの」
血が止まったのを視認すると、リシェルアは手を下ろす。
「もしかして」
クリティスは、思わず声を上げていた。
「この間の、ディオの傷の治りが早かったのも、その力か?」
「何?」
目を丸くするディオ。リシェルアは、こちらも見ずにわずかに首を縦に動かす。
不思議には思っていたのだ。アスレイナで再会した時のディオの傷は、思った以上に早く治っていった。クロウとの戦いの最中に開きはしたが、それもあっという間に塞がった。
「アスレイナでディオが怪我した夜…寝ている間に、黙ってこっそり魔法をかけておいたの。
…ごめんなさい」
「え、いや、謝るようなことか?それ。
むしろ、こっちが礼を言うところだろ」
思いもよらない事に戸惑っているディオ。リシェルアはただ、憂いを帯びた目を下に向けている。
傷の痛みも薄れたのか、エドルの表情も少しばかり和らいでいた。しかし相変わらず、何が不満なのか眉根は寄っているが。
「………」
黙ったまま、壁に手をつき、腰を上げるエドル。しかし、貧血のせいか立ちくらみを起こし、相棒に慌てて支えられる。
戦わせるのは控えた方が良さそうだが、立ち上がる気力があるならば、当分は大丈夫だろう。
「エドル、怒ってる?」
口を結んだままのエドルに、リシェルアが恐る恐る尋ねた。
しばらく、エドルは俯いたまま返事をしなかった。が、吹っ切れたのか、大きく天井を仰ぐと深く息をつき、
「あーもう、別にいいよ。
ほら、行くぞ」
苦笑しながら、彼女の方へと振り返り、手を差し伸べる。リシェルアも、いつものように柔らかな微笑みを浮かべて、彼の傍についた。
「…古代魔法…ねえ」
呆れと安堵とを覚えながら、二人が階段を上って行くのを見つめていると、後ろでエリスが意味ありげに呟く。
「どうした?」
気になったのか、ディオが彼女の顔を覗き込んだ。伏し目がちにしながら腕を組んでいるエリスは、ゆっくりと首を振る。
「………ううん。
何でもないよ。別に…ね」
そして、彼女はそのまま、二人の後ろから上へと上って行ってしまった。
残された二人は、顔を見合わせる。
「…何だか知らんが、あいつらもいろいろとあるんだな」
「貴様も、何やら隠し事をしているようだがな…興味はないが」
「てめえも十分胡散臭いんだよ…興味はねえけどな」
エドルたちに急かされて、クリティスたちも階段を足早に駆け上がった。
もちろん、お互いの顔を、殺気のこもった視線で睨む事を忘れずに。