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ワールドメイカー  作者: みたらし
第一章 開かれた箱
17/46

ルシアニアの塔・前篇

今日の夢は、いつもと少し違っていた。

青い海、緑の島、そびえる塔。それらは何一つ変わらない。

しかし、空だけが違っていた。

いつもは青く澄み渡っていた空が、灰色の雲に覆われている。今にも降り出しそうだったが、時間が進むにつれて、本当に雨粒が海に注ぎ始めた。

雨は次第に、風と共に波を立てる。遠雷もどこかから響いてくる。それは獣の唸り声にも、何かの怒りの声にも聞こえた。

やがて、激しい雨によって視界が霞を帯び、いつしか何も見えなくなり…





「エドル!」


怒声で、目が覚めた。

「こんな日に寝坊するとか、どんだけなの?!

人には散々寝坊するなって言っておいて、本人がしてちゃ意味ないじゃん!」

瞼を開いて最初に見えたのは、鬼のような、という表現がぴったり当てはまる形相をした、エリスだった。

二、三度瞬きをして目を擦り、もう一度彼女の顔を見る。そこでやっと、自分が寝坊をしたのだという現実に気がついた。

「早く起きて!みんな、準備できてるんだから!」

「うお、おう…」

甲高い声に捲し立てられたかと思うと、こちらに言い訳もする間も与えず、彼女は部屋を出て行ってしまった。

静かになると同時に、寝ぼけたままの耳に、夢の中でも聞いた覚えのある音が聞こえてくる。まだ夢を見ているのかと疑ったが、そうでもないらしい。


そう。

今日の天気は、雨だった。




「荒れるかな…」

天空王の用意してくれた船に乗り、一行は海原へと旅立った。

雨は止む気配がない。波も、風に煽られてやや高い。

「いやあ、このぐらいなら大丈夫でしょう。

心配なのは、天気よりも、敵の出方でしょうな」

こちらの呟きに応えたのは、朝廷お抱えの船長だった。舵を取る船員の傍で、彼は苦笑する。

「一応、大砲やらなんやら、基本的な装備はこの船にもついてますがね。こちらはこの通り、たった一隻しかない。

向こうが大船団を組んできたとなると、若干分が悪いですねえ。ははは」

「若干どころじゃないですよ船長!最高にまずいじゃないですかそれ!」

お気楽そうに笑う船長に、隣りの船員が突っ込んだ。

「まあ、やばくなったら引き返しましょう。それから城に応援を頼む方法も、アリです」

「こちらは、戦争をしたいわけではないからな…私たちが島に上陸できればそれでいいのだが…」

向こうが、こちらの行動に気づいていなければ良いのだが、そうもいかないだろう。おそらく、こちらの動きをある程度予測しているはずである。

それにこちらは、敵の勢力をまったく把握できていない。一体どう出てくるのか、見当もつかないというのは苦しかった。


「さて、そろそろ見えてくるかな…」

雨雲と海だけの景色に飽きて来た頃、船員に代わり舵を取っていた船長が呟いた。

「島の近海には、結界を施してあるって言ってなかったか?」

ディオが、不思議そうに眉をひそめる。確かに、今までにそんなものは見えなかった。

「結界を解いたあと、そのまま放置しているのだろう。島や近海を覆うほどの大型結界を、おいそれとかけ直す事はできないだろうからな」

「じゃあ、入るぶんには問題ないってわけか。

…あの大船団を、どうにかできれば」

彼のその呟きに、船の中の空気が張り詰めた。

雨で霞がかった水平線に、黒い点がいくつも見える。最悪の予想が、当たってしまったようだ。

「おー、壮観壮観。

どこか、違う町の船団だったりしないかなー…」

「たぶん、それはないわねー。

結界の内部だった場所だもの。天空王の許可なしに無断でこの海域に入るような船は、希望の箱と海賊船だわー」

海賊船だったとしても、それはそれで面倒だ。いずれにしろ、あの船団との衝突は免れない。

近づけば近づくほど、点の数は増えていった。アスレイナでクロウと戦ったときは、素人の信者を動員していたほどだったというのに、あれだけの勢力をどこから得てきたというのだろう。

あまりの多さに、やはり一度引き返すべきではと、相談を始めた時だった。

「助けてあげてもいいよ」

ぽつりと、エリスの声が上がった。

振り返ると、船室にいたはずの彼女がいつの間にか、腕組みをして仁王立ちになっている。

「お前、何を…」

「王都に、ちょっと値段のするチョコレート屋があるの。そこのチョコ、二十粒ずつで手を打ってあげる」

「チョコレート屋さん…もしかして、あのお店のことかしら」

リシェルアの笑みが、心なしかぎこちない。

「そんなに高いのか、その店」

「一粒千コイル」

「はあ?」

すっとんきょうな声を上げ、エリスを見るディオ。

「お前馬鹿か!二十粒で二万だと?!」

「この事件解決したら、天空王から大金もらえるんでしょ?その後でいいよ」

大金と言っても、収入が不安定なエドルたちにとっては、今後の有事のために出来る限り取っておきたいものなのだ。

だが、ここで解決しなければ、報酬そのものがもらえない。しかし、いったん引き返すという手がある以上、無駄な金は…

「わかった。頼む」

エドルが悩んでいる間に、あっさりと返答した者がいた。クリティスである。

現実主義の彼女にしては、珍しい選択だった。見ると、彼女は、挑むような目をエリスに向けている。

「今から戻っても、連中に追い打ちをかけられないとも限らない。あの大船団を、どう対処するのか見せてもらおうか。

何なら、他の三人の分を、私が肩代わりしてやってもいい」

「そこまで?!」

「別にいいよ。

そんなに期待されると、緊張して力入っちゃうなー」

エドルが唖然としている間に、交渉は成立してしまった。

エリスは、エドルの横を素通りしていくと、船長に言う。

「あたしがいいって言うまで、このまま進んで」

「わ、わかりました」

一層激しくなってきた雨が、甲板を打ち付ける。エリスは、じっと前を見据えたまま動かない。

黒い点の集合体だった船団が、みるみるその全容をあらわにし始めた。マストの先で、開いた箱を模した旗が揺れている。どの船も、こちらを待ち構えているかのように、微動だにしていない。

船団の背にうっすらと、島と、そこに突き立つ塔が見えた。

誰かが、唾を飲み込んだ。

「もうすぐ、敵の砲撃の射程圏内に入りますが…」

「そう。もう少し、右の方に船を移動させながら進んでくれる?」

これ以上、進むと言うのか。

思わず、身体が強張った。

船長は、黙ったまま指示通りに動いた。前方に障害のないところ、つまり、直進しても敵の船とぶつかることなく島までたどり着けそうな位置で、

「止めて」

エリスは、声高らかに言った。

「…まさか、このまま突っ切るなんて言わねえよな?」

「それも面白そうだけどねえ」

冗談めかして言うディオに、エリスは笑って首を振る。

それから、低く、はっきりとした声で続けた。

「そろそろあたしたちも、反撃を始めないと、ね」

まるで、天を掴もうとでもいうかのように、エリスの腕が高く上がった。



海が、二つに分かれた。



いや、実際に分かれたわけではない。しかしエドルの目には、分かれているようにしか見えなかった。そして、おそらくこの船に乗っている皆の目にも、そう見えているに違いない。

「なんだ、これ」

放心したように呟く。目の前で、ありえるはずのないことが起こっているのだから、仕方がない。

エリスが手を掲げたその瞬間、冷たい風が横殴りに吹いたかと思うと、海が、止まってしまったかのように凍りついたのだ。氷が敵の船の下部を丸ごと飲み込んでいるため、船団はまったく身動きが取れない。甲板の信者たちは皆、呆然と立ち竦んでいる。

自分たちの乗っている船の前方の海だけが、液体のまま、たゆたっていた。左右に氷の壁を設えた、青く冷たい海の道が、真っ直ぐに、ルシア島まで続いている。

「ほら。あとは、この道を進めばいいだけだよ。

大砲も矢も、氷の壁のおかげでこっちには通らないから、何も心配はないでしょ」

とんでもない奇跡を起こした少女は、満面に笑顔を浮かべて振りかえった。「チョコレート八十粒、よろしく」などと付け足しながら。




「なんだ…あれは」

それ以外に、言葉が出て来なかった。望遠鏡の先で起こった出来事に、ただ、驚くことしかできないのだ。

突然、時を止めたように動かなくなった海。二つに割れた海の間を、悠々と渡る一隻の船。

人間の所業とは思えなかった。島の近海を、一瞬にして氷の大地に変えてしまうなど。

「一体、何がどうなっているんだ。奴らには、神か何かがついているのか」

自分で、自分の言った事が信じられなかった。あれほど神の存在を否定してきたというのに、なぜこうも自然に、神という名が、口から出てしまったのだろう。

「っ…クロウ!」

「あー?何だい」

部屋の隅で、不機嫌そうにソファに横たわっていたクロウは、首だけをクォードの方へ向ける。

「仕事屋たちが海を突破した。お前も、奴らを出迎える準備をしておけ」

「…あの船団を突破されたのか」

見る間にその表情が険しくなった。彼も、ただ事ではないと悟ったらしい。

クロウはそのまま立ち上がると、黙って部屋を出て行った。その袖から、得物の爪が鋭く光っている。

一晩で王宮の人間を片づけた手練だ。本気を出しさえすれば、たった五人を始末する事などたやすいだろう。

「…あとは…」

クォードは、部屋の奥をじっと睨んだ。

「あれを、動かせさえすればいい」


海の道を真っ直ぐに抜けると、島は目前だった。目の覚めるような緑に覆われたルシア島から天に向かってのびる塔が、威圧感を放っている。

雨はいつの間にか小降りになり、雲間からところどころ、青空が覗いていた。

「何だ。ちゃんと道はあるんだな」

船から降りると、エドルは、森の中に続いている道路を眺めた。

人の侵入が禁じられているところだというので、人外魔境のような荒れ果てた光景を想像していたのだが、そういうわけではないようだ。

先に立って進みながら、ディオが応えた。

「そりゃ、希望の箱の連中もここを本拠地にしようってんだから、整備ぐらいするだろ。

それより心配なのは、伏兵だな…」

「魔獣の存在も気になる。この閉鎖された土地に、どんな種類のものがいるのか見当もつかない」

「あらまあ、それじゃ、新種の魔獣に会えるかもしれないわー」

楽しみねえ、と、リシェルアは呑気に微笑んだ。

この小さなルシア島では、魔獣の食糧(いわゆる人間の肉や、他の動物の肉)が慢性的に不足しているということは、想像に難くない。つまり、そんな激しい生存競争の中で、魔獣たちは、外の土地などよりもはるかに強く、凶暴に進化しているかもしれないという事だ。

急に、ディオが歩みを止めた。クリティスも続いて止まり、エドルとリシェルアも頷き合う。

周囲に立ち込める、獣の匂い。

「これはちょっと、やっかいかもな…」

木々をぬって現れたのは、想像した通り、見た事もない魔獣ばかり。ダガーを抜き、エドルは舌打ちをした。

塔に入ってからが問題だというのに、思わぬところで手こずりそうだ。

「おい、エリス」

ディオがくるりと振り返って、一番後ろで隠れる準備にいそしんでいたエリスに問う。

「お前、さっき海を凍らせたみたいに、こいつらのこと凍らせられねえの?」

その意見は、もっともだった。エドルも期待を込めた目で、彼女を見る。

すると、

「それじゃあ、その代わりにあんたたちは何をしてくれるの?」

まるで、さも当然という表情で、そう尋ね返してきたのだ。

「…お前、いちいち対価をもらわないと、魔法を使わない気なのか」

エドルがむっとして呟くと、

「だって、あたしは天空王の依頼を引き受けたわけじゃないから、あんたたちの手伝いをしてるってことになるでしょ?だから、あんたたちからはそれなりのものはもらわないと。

ちなみに、エヴァスタでドラゴンを倒すために使った魔法は、エドルを気絶させちゃったのも考慮して、おまけしてあげる」

あまり大したことはしてないような…と言いかけて、やめておいた。

ドラゴンを一撃で倒す、天空王家の紋章の入った結界を破る、海を凍らせる…よくよく考えてみれば、どれも、大したことではないとは決していえない所業だ。ただ強引についてきて、文句を言っているだけかと思っていたが。

「ほらほら、塔まではまだまだかかるよ。みんな頑張ってー」

…が、やはりうざったいことには変わりない。

「この野郎…」

エリスのやる気のない声援を受けながら、四人は、襲いかかってきた見知らぬ魔獣と、悪戦苦闘するのだった。




やっとのことでルシアニアの塔に辿り着いたときには、皆ぐったり疲れ切っていた。これからが本番だというのに、先が思いやられてしまう。

「こんな場所を拠点にしようって考えが、ありえねー」

身体中についた埃や草、あるいは魔獣の血を払ったり拭ったりしながら、エドルは愚痴を漏らした。

手の平に付着した真っ赤な返り血を、舌で舐め取りディオが言う。

「あとは、この塔にいる連中を捻れば、全部終わりだな。

古代兵器ってのも気になるっちゃ気になるが」

先ほどまで、魔獣相手に繰り広げていた戦いの余韻が冷めやらないのか、彼の眼は座っている。その様子は、飢えに飢えた獣そのもので、エドルは身震いし、顔を逸らした。

「古代兵器か…」

五人は、一斉に塔を見上げる。

「…白銀の時代」

クリティスが、何とはなしに語り始めた。

「頻繁に大戦があって、「史上最悪の時代」とも呼ばれた時代だが…その頃に作られた兵器の中には、魔界の大陸を真っ二つにしたものも存在したそうだ」

何で、今になってそんなことを言い出すのかと、クリティスを問い詰めてやりたい気分になった。

「それが、この塔に設置されているとは限らないがな」

「可能性はあるってことか」

「そーゆーこと言うなってディオ…」

彼らの空気の読めなさは、半端ではない。

すっかりテンションの下がり切ったエドルを、リシェルアが慰めに来た。

「そんな大変な兵器を彼らがものにしているとしたら、希望の箱は、それを盾にしてあたしたちを脅すことだってできたわよー?

しないっていうことは、大丈夫ってことよー。たぶん」

「だといいけどな…」

エドルは、もう一度目の前のルシアニアの塔を見上げた。暮れかけの強い陽光に照らし出された塔の雰囲気は、荘厳でもあり、不気味でもある。

今は希望の箱の動向よりも、この塔そのものが、得体の知れない、恐怖の対象だった。


ルシアニアの塔の中で最初にエドルたちを待ち構えていたものは、古代兵器でも刺客でもなかった。

塔を内部から支える巨大な一本の柱。それを取り巻く螺旋階段。そして、壁一面に彫りこまれた古代文字。天井にまでびっしりと敷き詰められた、謎めいたその文字列に、圧倒される。

リシェルアが、ため息を漏らした。

「なんて書いてあるのかしら…」

「いや、これは…全部、人の名前だな。

しかし、なぜこれほどたくさんの人の名前が…」

彼女の問いに答えたのは、クリティス。

エドル、いや、そこにいた皆が驚愕の声を上げた。

「お前、古代文字読めるのか?!」

「エルフ族は、古代文字の廃れが他と比べて若干遅い。だが、現代語の普及も遅いから、他種族との交流には不自由なところもあって、賞金稼ぎを始めたばかりの頃は苦労した覚えがある」

魔界のエフィット大陸に住む長寿の種族、エルフ族。彼らは自然との共生を昔から続けている反面、他の種族との共生を拒む傾向がある。現代でも、エフィット大陸に出入りする他種族の者はわずかだ。

その為、外界文化とは切り離された、独自の文化を持っている。古代文字の存続も、その一つなのだろう。

「だが、エルフ族の中でも古代文字はほとんど読まれなくなっているし、私も趣味の域で勉強していただけだ。ほんの少ししか読めないが…」

「おい、ここにもなんか書いてある」

ディオが、中央の柱の下の方を指差した。

見ると、階段の陰に隠れるように、古代文字が刻まれている。壁に書ききれなかった人の名前ではないかとのエドルの推測に、クリティスは首を振った。

「こっちは、文章だ。こんなところに書くことと言えば、着工の年月日だとか定礎の…」

だが、彼女は言葉を途中で打ち切ると、もう一度じっくりとその文字列を眺めた。そして、眉をひそめて言い直す。

「…違う。これは、…よくわからない」

「わ、わからないって」

予想外の回答に拍子抜けしていると、クリティスは食い入るように文字を見つめ、そしてそれを訳し始めた。

「…天空王…二世…は、愚かな………だった…?

駄目だ。私の解読力では…」

諦めてうなだれてしまったクリティス。エドルたちも、落胆して肩を落としたその時。

「『天空王イリアム二世は、愚かな王であった。賢王イリアム一世の実子でありながら、彼はいつも政務を大臣たちに投げだして、城下で遊び呆けていた。しかしながら、それでも彼は情に篤く、人望があったため、人と神とのどちらからも好かれていた。』…」

エリスが、クリティスの後を継いで訳し始めたのである。

「…エリス、お前もこれ、読めるのか」

尋ねると、彼女は小さく頷いた。その表情は真剣そのもので、とても、適当に嘘をついているとは思えない。

「あっ」

突然、リシェルアがぱっと明るい声を出した。

「そのお話、知ってるわー」

「マジで?」

「ええ。「イリアム二世の物語」っていう、お伽噺よー」

微笑みを浮かべた彼女は、子供たちに読み聞かせでもするかのような、柔らかな透き通る声で語り始めた。



イリアム二世は、自分の仕事を放り出していつも城下で遊んでいる、愚王であった。しかし、とても優しく、誰とでもわけ隔てなく接するので、市民の人気は非常に高かった。

ある時、天空界で戦争が起こった。それはとても大きな戦争で、たくさんの人を巻き込んだ。神はこの悲惨な戦争に怒り悲しみ、愚かな人間を罰しようと考えた。

しかしイリアム二世は、人を愛し神を愛する王だったので、それをさせまいと、必死になって神を説得した。戦争を続ける人間たちにも、何度も何度も呼びかけた。



「…それで?」

「あら、これで終わりよー?」

「えええええええっ?!」

オチがあるだろうと踏んでいたエドルは、まさかの打ち切りに不満の声を上げた。

「えらく中途半端すぎねーか?」

「でも、本当にこれで終わりなのよー。少なくとも、あたしが昔、絵本で読んだ限りでは…」

「ページ抜けてたんじゃねーの、その本」

「しかし」

噺を聞いている間、じっと柱の古代文字列を読んでいたクリティスとエリスも、リシェルアの擁護に入る。

「こちらの古代文字の文章の長さからしても、それほど長い物語には思えないのだが」

「っていうか、リシェルアの話してた部分までしか書いてないよ、ほんとに」

「うわっ、すげー続き気になる!

結局、史実ではどうなってんの?その、イリアム二世って」

天空王族の歴史など、エドルにとっては知った事ではない。が、話を中途半端な状態で投げ出されるというのも切ない。

一番その手の話に詳しそうなクリティスに尋ねると、しかし、意外な答えが返ってきた。

「知らない」

「えーっ」

「というか、」

リシェルアが彼女の言葉を継ぎ足した。

「実はこのお話、天空王族の歴史と矛盾してるのよー。

言ったでしょう?「お伽噺」だって」

お伽噺。子供たちに話し聞かせるために作られた、架空の物語。

「イリアム二世などという天空王は、歴史上のどこにも存在しない。イリアム王という王は確かにいたが、彼には、子供がいなかったそうだ。

彼の後を継いだのが、今の天空王、ゼルヴァス・ルア・ヴィシェナ王の先祖だ」

そうだったのか…と、エドルは残念がって項垂れた。

しかし、ないものはないというのだから仕方がない。これ以上詮索しても今は無意味だと判断した五人は、しばらく部屋を調べ回った後、上へと進むことにした。


次の階からは、また違った光景がエドルたちの目を引いた。

鉄や銅などの金属と魔法石の塊でできた、得体の知れない巨大な置物が、各階に一つ、あるいは二つ三つずつ、設置されているのだ。

これらは、何かを模した像なのだろうか。十階まで登って来た時、エドルが疑問を口にすると、

「…これが、古代兵器なのかもしれねえな」

像に触れながら、ディオが感心のため息を漏らした。

「銃の作りと似てる。たぶん、このでかい魔法石に魔力を溜めこんで、それをどっかから放つんだろう。

もっとも、内部はもっと複雑な構造をしてると思う。扱いも、銃なんかよりはるかに難しいだろうな」

「お、おい、そんな軽々しく触って大丈夫なのか?」

説明などよりも、いつ、まかり間違って起動させてしまうかが心配だった。

だがディオは、馬鹿にしたような目でこちらを見ると、

「これに装着してある魔法石は、古すぎて、もう魔力を溜めこむ力はねえよ。

なんだお前、怖いのか」

「怖いに決まってんじゃねーか!下手すりゃ大陸が吹き飛びかねないようなモンが、あちこちに置いてあるんだぞ!」

自分もトレジャーハンターの端くれなので、古代兵器の多くの謎に、確かに魅力は感じる。だが、身の程はきっちりわきまえる主義なのだ。下手に好奇心を出して危険を冒していては、いくら命があっても足りない事は、長年の経験で知っている。

「ちょっと触ったぐらいじゃ、うんともすんとも言わねえって」

こちらが怖がっていると見るや、サディスティックな笑顔で腕を引っ張って、兵器に触らせようとしてくるディオ。

「やーめーろっ!」

「うふふ、微笑ましいわー」

「遊んでる場合ではないだろう。貴様らには、ここが敵地だという自覚が…」

クリティスの咎める声が、終わるか終らないかという時だった。

視界の右端、古代兵器の陰で、何かが鋭く煌めく。と同時に、リシェルアがほとんど悲鳴に近い声で叫んだ。

「危ないっ!」

ぞっと背筋が冷たくなった。考える間もなく、エドルは本能に任せて、身体を後ろへと引いた。

鼻先を、一筋の光がかすめていく。右手から左手へと飛んでいったそれを、クリティスがレイピアで叩き落とした。

ナイフだった。カランと軽い音を立てて落ちるそれを見つめ、エドルは、身体から血の気が引いていくのを感じていた。

「不意討ちかよ…珍しく、殺し屋らしい手段じゃねえか」

前方のディオが、嫌そうに顔をしかめる。

エドルも素早く体勢を整えると、皆が向いている方向、ナイフが飛んできた場所に目を向けた。

「そろそろ――

戯れんのは止めにしようや、お子様共」

「クロウ…」

今回の彼に、前のようなおどけた雰囲気はなかった。得物の爪も殺気立った表情も、何もかもが本性むき出しだ。

「いい加減、とっととくたばってくれ。安心して酒が呑めねえんだよ」

「いい機会だから、今後の健康も考えて、禁酒してみたらどうだ?

長生きしてえだろ、おっさん」

ディオがホルダーから、銃を抜いた。銃口の先で、クロウは笑う。

「老後のためでもあるんだ。じいさんになってからも、この稼業を続けるつもりはないんでね。

道中資金不足になってるような、勢いだけのガキには、まだわかんねえか」

「お前、おれらのことガキガキって言うけどさー」

張り詰めた空気を解きほぐすような明るい声色で、エドルは不平を言った。

「それ、クリティスに失礼だぜ?あいつ、あれでも軽く五十は越えて――」

ひゅっ、と。後ろから飛んできた何かが、頬をかすめて地面に突き立った。

頬に残った、小さな痛み。血が出ているようだ。それを確認してから、おそるおそる地面に目を向けると、今度は見た事のあるレイピアだった。

「悪かった、エドル。うっかりすっぽ抜けてしまってな」

続いて、先ほど通ってきた氷の道などとは比較にならないほど、冷え切った声が飛んでくる。

まだ戦い始めてもいないのに、剣が手からすっぽ抜ける事などありえるのだろうか。そんな疑問を投げかける暇もなく、おもむろに剣を拾って立ち去るクリティスの背中を、視線で追うしかなかった。

「ほんと、お気楽な連中だなあ」

くくっと、クロウが喉で笑い声を立てる。

「オレを前にして、そんな茶番できるのなんか、お前らぐらいだったよ」

地面を蹴る、軽い音がした。はっとして彼を振り返るが、そこには、古代兵器の影が落ちているだけ。

傍にいたディオも、切羽詰まった表情で辺りを見回している。どうやら、うかうかしている間に見失ってしまったようだ。

途端に、悪寒が、背筋を駆けあがった。さっきよりも、それははるかに強かった。

「それじゃあそろそろ、「熟練者」の本気ってのを見せてやろうじゃねえか」

背後から声がした。気配を察知すると同時に、身を引きながら振り返る。

だが、遅かった。

「死にな」

血が、目の前で鮮やかに飛び散った。

「エドル!」

リシェルアに呼ばれて初めて、その血は自分のものだと気がつく。同時に激痛が襲ってきて、エドルはそのまま後ろに倒れた。

地面にぶつかる直前に、リシェルアに抱き止められる。意識はかろうじて繋ぎとめたが、傷口が焼けるように痛んで、うまく呼吸ができない。

「さすが、疾風の名は伊達じゃねえな。

首を狙ったつもりだったんだが、避けられちまった」

血に濡れた爪を舐めながら、クロウがこちらを見下ろす。

強がって精一杯睨みつけてやるが、吐き気が込み上げて、慌てて口元を抑えた。自分を見つめるリシェルアの青い瞳が、不安そうに揺らめく。

「正直、今まではオレも、お前らの事を馬鹿にしてたよ。だから今回は、容赦なしだ」

「人の事をお子様だの、自分の事を熟練者だのと言ってる奴が反省してるふりしたって、説得力ねえんだよ」

ディオが、クロウの前に立ち塞がった。

「私たちの実力を認めてるのであれば、一人で相手をするなどという無謀な事もしない。

お前は、自分の力に自惚れているだけだ」

クリティスも、彼の隣に並んで吐き捨てた。

対してクロウは、二人を見下した目つきで眺め回し、言葉を返す。まるで、地の底から響いてくるような、低くドスの利いた声だった。

「『殺し屋』をなめんなよ…仕事屋風情が」

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