盗まれた封印・後篇
海の上の空は澄み渡っているようだが、塔の上を覆うように渦巻いた雲は、どこか禍々しい雰囲気でもあった。
やりきれない憎しみに満ちた心が、そう感じさせるのだろうか。空の青も、海の青も、悲しい色にしか見えないのである。
数日もすればディオの傷もそこそこ癒えたため、予定通りアスレイナに戻ってきた一行。
そのまま市街に入ろうと話しながら、はずれを歩いていた時だった。
「…早っ」
エドルが、自分たちの周りを見回し呟く。それもそのはず、まだ町に入ったばかりだというのに、黒いローブの不穏な集団が、こちらを取り囲んでいたからである。
「えーっと…お出迎えごくろうさまですー?
なんだか、この間とおんなじパターンねー」
さっそくリシェルアの毒舌が飛ぶ。
「学習能力のねえ奴らだな…。俺に散々痛めつけられたのを、もう覚えてないとでも?」
「覚えているから、こうやって復讐に来てやったんだよ」
集団の中から、エドルにとっては聞き覚えのない男の声が、ディオの悪態に応えた。
前までエドルたちと別行動をしていた二人は、あからさまに顔の色を変える。
人の輪を掻きわけて進み出てきたのは、風貌のいまいちな中年の男。飄々とした顔つきだが、視線にはそれなりの殺意が見えている。
「…ほーう」
彼は五人を舐めまわすように観察した後、レイピアの柄に手を掛けているエルフの賞金稼ぎと視線を合わせた。
「名前だけは知ってたが、お目にかかるのは初めてだな。噂通りの美人だ」
「何かと思えば、殺し屋クロウだったのか」
「クリティス、知ってるのか」
エドルがすっとんきょうな声をあげると、彼女はさも当然という顔で頷いて、
「そこそこ有名な賞金首だ。
まさかこんなところで出くわすとは、運がいい。捕まえれば多額の賞金が手に入って、しばらくは魔獣退治に明けくれなくて済む」
「それはいいわねー」
「金蔵扱いかよ、オレ」
クロウがしょげて肩を落としているが、こちらには気を遣ってやる義理はない。素知らぬ顔をしていると、ディオの陰に隠れていたエリスが小声で言った。
「こいつだよ、あたしを攫った奴。超呑んだくれなの」
「おや、お嬢さん。こんな形で再会するなんて夢にも思わなかったぜ。
…屋敷から脱走するほどのじゃじゃ馬だとは、気付かなかった」
うすら笑いを浮かべていたクロウが、一瞬眼光を鋭くした。
しかしじゃじゃ馬娘は、その視線に恐怖など感じてもいないようだ。得意げに「ふふん」と鼻を鳴らして、そっぽを向いている。
エドルは、一連の会話を総合して大きくうなずく。
「なるほど…王都で大量殺人をして、エリスを攫って、ディオに怪我を負わせた張本人か、あんた」
「その通りだよ、疾風」
再び、うすら笑いを顔に張り付けるクロウ。
「希望の箱に雇われていてね。あんたらをまとめて始末しろって、頼まれてるんだよ。
もちろん手段なんか問われていない。つまり、」
ここで彼は、大きく両腕を広げた。
「こんなふうに、たまには数に頼ってもいいってことだ」
「一人であれだけの数の城の人間を殺せる腕を持つ奴が、たった五人相手に、数に頼った戦法とはなー。
殺し屋の名前が泣いてるぜ」
「手厳しいなあ」
まいったね、と頭を掻き、一度俯いたクロウだったが、
「まあ、しかし」
ゆっくりと、顔が上がる。そこには、先ほどまでの笑顔はない。
人を殺すことに、微塵のためらいも持たない無情な殺し屋の、本当の顔がそこにあった。
「死んでいく人間の言う事だから、気にする事もねえだろう」
その言葉が合図になったのか。希望の箱の信者たちは、一斉に各々の武器を取りだした。
「あら、今回は召喚術はなしなのー?」
「ありゃあ、いろいろと後始末がめんどいらしくてな。
あんま使うなと怒られちまった」
袖から覗くクロウの両手にも、鋭い刃の爪がついている。
彼は舌なめずりをすると、口元を大きく歪ませた。
「召喚術なんてつまんねえものより、オレは直接、血みどろの戦を体験したいタチだしなあ」
できれば殺し屋クロウの相手はしたくないな、と願っていると、彼は真っ先にディオの元へと向かっていった。
そういえば、リシェルアから聞いた話では、ディオも傷ついたが、クロウの方にもディオが一太刀浴びせたとのこと。互いの因縁に決着がつくまでは、エドルが相手をせずとも済むだろう。
「さて、こっちは…と」
様々な武器を手にして、真正面からかかってくるローブたちを見据えて、エドルははあ、とため息をついた。
魔法戦であればともかく、接近戦では動きづらいであろう、裾の長いローブ。そんなものを着て真っ向から臨んでくるなど、正気の沙汰ではない。動きやすい服装で、というのは、戦の基本どころかスポーツの基本である。普通に考えてもわかりそうなものだ。
つまり彼らは、武器による戦いにおいてはまったくの素人であると思われる。
「こんな素人を戦に連れ出すとは、よほど人手不足なのか?」
信者の一人が繰り出してきた、見え見えの太刀筋を受け流し、クリティスが首を捻った。
エドルは、気の抜けるような速度で飛んできた矢をダガーでたたき落とし、それに答える。
「まあ、こんなことしてるとはいえ、希望の箱ってのは一介の宗教団体にすぎないわけだろ?」
「確かに、門をたたく人間が、皆戦に長けているとは言えない。むしろ戦の経験などない一般人が多いのだろうが…それにしても、傭兵を雇うぐらいの財はなかったのか…」
しばらく信者たちの相手をした後、クリティスは、ふと、急に思い立ったという表情で、ディオと激戦を繰り広げているクロウを見やった。
「…クリティス?」
「…そろそろ、私も本業を再開しなくては」
そう独り言を漏らすなり、「ここはまかせた」と、彼女は視線の先へと駆けて行ってしまった。
「は?!え?!いきなりなんだよ!」
突っかかってくる敵を手当たり次第に蹴散らしながら、クリティスはどんどん二人の元へと近づいていく。
クリティスの本業…
「あいつ、賞金稼ぎだったよな…」
波乱の予感が、胸中に渦巻く。
まとめて襲いかかってきた信者を殴り飛ばし蹴り倒し、エドルは本気で頭を抱えたくなった。
「頼むから、わざわざややこしい事にしないでくれよー…」
間一髪で爪を避け、銃を放つ。しかし銃弾の軌道を読まれて避けられ、隙をついてきた爪をまたかわす。
一向に進展しない戦況に、ディオはいら立ってきていた。
「とっとと死んじまった方が、余計な事考えずに済むのになあ」
首元を狙って薙いできた爪をダガーで弾くと、にやけ顔が一瞬目の前に現れて、また消えた。
こちらの心境を、見透かされている。
舌打ちをして、後ろに現れた気配に向かって魔力の弾を撃ち出す。しかしそれは当たることはなく、今度は背中に振り下ろされた爪を、胴を反らしてかわした。
「動きが適当になってるぜ。そろそろ、集中力が切れてきたか」
再び、間近に迫るクロウの顔。
「昼間っから酒くせえんだよ、この酔いどれ!」
その顔面に銃口を突き付けたつもりだったが、構えた時には既に姿がない。
慌ててその場から離れようとしたが、
「うわっ?!」
思わぬ方向から飛んできた、他の信者の放った矢に気を取られてしまう。幸い矢には当たらなかったが、完全にクロウの居場所を把握し損ねた。
焦って気を散らした瞬間に、気配は背後から襲いかかってきた。
「じゃあな」
完全に不意を突かれてしまった。今から動いたのでは、遅すぎる。
反射的に、腕で攻撃を防ごうとしたときだった。
「?!」
いつまで経っても、相手の攻撃が始まらない。
「まったく…戦場の死神の異名を持つ男が、見ていて呆れる」
代わりに聞こえて来たのは、いつ聞いても、はらわたの煮えくり返る涼しい声音。
顔を上げると、自分とクロウとの間に、凍てついた海の名前を持つエルフが立ち塞がっていた。
「それにしても動きが鈍いが、貴様まさか、傷が開いているわけではないだろうな?」
「…うるせえ」
口先で一蹴してはみたが、図星である事には違いなかった。
開いているかどうかはわからないが、先ほどから脇腹の傷がいやに痛む。自分の身体と相手の攻撃と、常に両方に気を回していなければならないのだから、集中力がいつもより早く切れるのも当然のことだった。激しい動きは傷に触るため、おのずと動ける範囲も制限される。
それを察していたクリティスは、こちらに背を向けたまま呆れて首を振り、
「貴様が勝手に死ぬのはこちらとしても喜ばしいが、時と場所を考えてほしいところだ。
今死なれては、人手に困る」
「俺は死んでやるつもりなんかねえよ」
「…二人がかりは、卑怯じゃないか?」
クリティスの向こう側から顔を覗かせているクロウが、困った顔で肩を竦めた。クリティスは、無表情を微塵も崩さず鼻を鳴らす。
「そちらが数に頼ると言うのなら、こちらも数に頼るまで。
…というのは、冗談だが」
「何?」
「私には、この男と共闘する気などさらさらない。
私がディオに代わって、お前の相手をする、というだけだ」
「は?!」
人の意思を無視した勝手な決定に、ディオは不満の声を上げた。
「ふざけんな!あの酔いどれは俺が倒す!」
「負傷している貴様が奴に勝てる可能性は低い。それに私には、貴様の安っぽいこだわりに付き合ってやる義理もない」
「呼んでもいないのにしゃしゃり出てきて、人の獲物横取りしようとしてんじゃねえよ!
いいからどけ!」
「誰の獲物だの横取りだのという問題ではない。
今貴様に死なれると、人手に困ると言っただろう。聞いていなかったのか?」
「おーい…」
ほったらかしになっていたクロウの控えめな呼び声に、我に返る二人。
彼は、寂しげな目でこちらの様子をうかがっていた。
「もうそろそろ、始めてもいいか?」
「…始めていいかも何も、今のうちに襲ってくるとか、そういう考えはなかったのか」
「いや、あまりにも仲が良さそうなんで、横槍入れるのが憚られるなーと…」
「「仲が良さそうだと?」」
今の一言で、抑え込んでいた怒りが沸点に達した二人。それはもう、刺し殺さんばかりの鋭い視線をクロウにやって、正面に向き直った。
「訂正を要求する」
「今言った事、死んで後悔しろ」
エドルが案じたその通りに、今まさに、この場に波乱が巻き起ころうとしていた。
「あの二人、一緒に戦ってるわー」
にこにこと愛らしい笑みを浮かべ、炎の魔法で周囲を一掃しているリシェルア。エドルのそばまで近づいてくると、楽しそうに耳打ちしてきた。
「仲良しねー」
「なんだかなあ…」
実は彼らの一連の会話を耳にしていたエドルは、複雑な気持ちで返事を返した。
「クリティスは、ディオの助太刀と本業と、どっちが本音なのかわかんねーしな…」
ディオには上手い事言っていたようだが、先ほどのエドルの傍での呟きから察するに、本業の賞金首狩りをしたいというのが本音ではないだろうか。すべて、エドルの推測でしかないのだが…
「敢えて戦の合間に喧嘩をするあたり、実は仲良しっていうセンも無きにしもあらずか…」
働いてさえくれれば、もうどーでもいいんだけどな。
諦観しきった眼のまま、エドルは素人信者たちを適当にさばき続けるのだった。
「どけよホント!いい加減にしねえと、あいつごと殺る!」
「賞金首狩りは、私の専門だ。貴様こそ、他を相手にしていればいい」
先ほどから、ずっと口論を続けながら二人は戦っていた。
クロウがひっきりなしに繰り出す爪を交互に避けてはいるが、どうやら彼らはクロウよりもお互いの方が気になるようで、攻撃らしい攻撃を返してこない。
威嚇射撃のつもりか、はたまたいら立ちゆえの八つ当たりか、まったく見当違いの上空に銃を放ち、ディオは怒鳴り散らす。
「うぜえんだよ!助太刀だろうが賞金首狩りだろうが、んなこたどうでもいい!
こっちは間に合ってるから、ほっとけって言ってんだろうが!」
クリティスも、爪の攻撃をはね返すと、一度宙を一閃してディオを睨んだ。
「はっきり言わなくてはわからないのか?
怪我人に戦場をうろつかれると、足手まといだということだ。さっさと退場願いたい」
「あのー…」
既に呆れを通り越して、涙目になっているクロウは、小さな声で呼びかけた。
「避けるのはまあいいとして、せめて攻撃をしてきてくれねーかな?こっち、すごいむなしいんだけど…」
「退場すんのはてめえの方だ…それともなんだ、人生から退場させてほしいのか」
「どうやら、人手不足になるのを心配している場合ではなさそうだな…今のうちに、ここで後顧の憂いを絶っておくべきか」
「お前らと戦ってるのはまごうことなくオレのはずなのに、何なんだろうな、この疎外感」
嗚咽を堪え、震える声で呟き苦笑いを浮かべるクロウ。もちろん、それを慰めてくれる者などどこにもいない。
お互いに神経を向けているため、一見簡単に始末できそうに見えるのだが、案外隙がなく攻め入る事の出来ないところが、またやりきれなかった。
「いつ殺してやろうかずっと悩んでたが、なんだかふっきれた気分だ。
今しかねえな、うん。今決めた。今殺す」
「人手など、あとで適当な仕事屋を見繕って雇えばいいだけのこと。それよりも、この人害を早めに潰しておかなくては、世の中に害はあっても利はない。
――決まりだな」
元々の敵の事などとうに忘れ去った二人は、同時に決意を固めて対峙して…
「あのガキ共の頭を冷やせ、水よ!」
クロウの、怒りに満ちた呪文が響き渡ったかと思うと、二人の頭上から、まるで滝のように多量の水が降り注いだ。しばらくすると水は止み、頭から靴まで濡れそぼった、文字通りの水も滴る美男美女が現れる。
「散々無視しやがって…少しは冷めたか?」
「「………」」
改めて声を掛けるクロウ。しかし、二人からの返答はない。
「聞いてんのか、てめえら」
すっかり問題児を諭す父親の気分で、彼は再び声を掛ける。
そこで、ようやっと二人は顔を上げ、クロウを見た。
鬼のような瞳だった。
「「黙れ」」
「いぎゃあああああああああっ!」
突如、断末魔が蒼天高く轟いた。
「うわ、何だ?!」
数少なくなった信者を、面倒くさがりながら気絶させていたエドルは、それに驚き身を竦ませる。
おそらく、ディオかクリティスが何かやらかしたのだろう。
「それにしても、すげえ声だな…」
「大丈夫かしら…」
「あの二人なら大丈夫だろ」
「ううん、今の声の人ー」
「………さあ」
なにしろ相手は、悪名高いあの二人だ。
「ただでは済まないだろうなー」
「そうねー」
断末魔に慄き、逃げて行く信者たちの背中を眺めながら、エドルとリシェルアは、他人事のように語り合った。
血の海の中で、息も絶え絶えに倒れ伏したクロウ。
周囲の信者たちも、きっちり片付いている事を確認したクリティスとディオは、クロウの身体を挟んで対立した。
「貴様には、言っておきたい事がある」
「俺も、前から言いたかった事があるんだが」
二人は、互いに得物を突きつけ合う。レイピアの刃の銀、コクヨウの銃の黒が、陽光を反射し鋭く光る。
血の、錆びたにおいが立ち込める中で、睨みあった二人は同時に言葉を吐き捨てた。高音と低音の、見事なハーモニーだった。
「「目障りだ」」
二人の因縁も、まだまだ先が長そうである。