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ワールドメイカー  作者: みたらし
第一章 開かれた箱
12/46

盗まれた封印・前篇

五人がようやっと再会したのは、次の日の朝のことだった。




「はあ?」

「王都に帰るっ?」

負傷してベッドで安静を保っているディオを囲んで、話し合いをしていた時だった。

クリティスの口から出た突拍子もない提案に、エリスを除いた三人が目を丸くする。

ちなみにエリスは、床に寝転びスナック菓子をほおばりながら、だらだらと本を読んでいる。一度怖い目に遭っているというのに、反省の色もなく相変わらずマイペースだ。

「ここまで来て何でまた…」

「天空王に、聞きたい事がある。おかしな資料を見つけたものでな」

「おかしな資料?」

エドルがおうむ返しに尋ねても、「まだ何の証拠もないから」とクリティスは教えてくれない。

まず不満の声をぶつけたのは、ディオだった。

「ここでの調査はどうするんだよ。結構いい線来てるのに」

「負傷している貴様が言う事ではない。怪我が治らないうちにまた襲われたら、対処できるのか?」

「単独行動中に奴が来たらやばいが、他の雑魚には…」

「その雑魚にしても、簡単にドラゴンを呼び出すというのだろう?」

「………」

返す言葉もなく、ディオは黙り込んだ。

「なるほど…ディオの療養も兼ねてってわけか?」

「そうだ。怪我人がいる時に下手に動いても、かえって危険を招くに決まっている。

さっさと安全圏に戻って、そこでできることをしようということだ。ディオの怪我が良くなってからアスレイナに戻ってくればいい」

今度はクリティスも、分かれて行動しようとは言い出さなかった。分かれて行動したが最後、別個に叩かれてしまうというのは、すでに学習済みだ。

希望の箱とこちらとでは、戦力の差は歴然。少ない人数をなるべく削らないよう、慎重に行動する必要がある。

「わかったよ。一旦、王都に戻って天空王に会おう。向こうも、もしかしたら新しい情報を提供してくれるかもだし」

「というわけだが、聞いてんのかエリス?」

ディオが、スナックの袋に手を突っ込み引っ掻きまわしているエリスを睨み下ろす。

返って来たのは、「聞いてる聞いてるー」という、なんとも適当な返答だった。

「こいつ…いっそ、何かやらかすまえに俺の手で始末した方が」

「と、と、とにかくっ、明日王都に戻るからな!準備しとけよ、エリス!」

物騒な事を言い始めたディオにも、エリスは全く無反応。

いつもと変わらぬこの調子で大丈夫なのかと、エドルは胃が痛む思いだった。




「それにしても」

宿の廊下を、自室に向かって歩いていると、突然クリティスが話しかけて来た。

「あら、クリティス。なあに?」

振りかえると、手帳とペンを持った紫の瞳と目が合った。何か、考え事をしているようだ。

「希望の箱の連中が、ドラゴンを呼び出すという話があっただろう。

呼び出す前にドラゴンを手懐けておいて、それを呼び出しているというのがお前の論だったが…」

「ええ、そうねー」

「そもそもドラゴンは、生息地も生息数も限られているはず。それを、どこで手に入れているのかと疑問に思ってな。

私も召喚術をたしなんでいるが、どうも納得いかない。手懐けたところで、紙に書いた魔法陣ごときで呼び出せるはずが…」

「うーん…あたしはそれほど召喚術に詳しくないから、どうとも言えないわねー…」

顎に手をやり眉根を寄せるクリティスを見て、リシェルアも首を傾げる。しかしこればかりは、魔術に精通するリシェルアにもわからなかった。

「どうも希望の箱には、相当魔術の知識のある人間がついているようだな。おまけに、腕の立つ殺し屋もいる。思った以上に危険な団体だ。

ディオの傷が浅かったというのが、唯一の救いか」

クリティスはそう言い残して、そのまま自室へと入って行った。

「おやすみー」

思考にふけっているクリティスに、リシェルアの声は耳に入らない。しかし、別段気にする事でもないので、リシェルアはその後ろ姿を見送ってすぐに、部屋に向かった。

クリティスの頭の良さ、洞察力・観察力の高さには、いつも驚かされる。なんて知的で凛々しいのだろうと、何度羨んだことか。

「エドルも、あれくらい頭が良ければかっこいいのに」

頬に手を当て、リシェルアは一人、含み笑いを零すのだった。




昨夜から、ずっと書庫にこもりきりだという兄を、弟ながらに心配して、ルエイドは地下支部に戻ってくると、さっそく書庫の扉を叩いた。

「…何だ?しばらく書庫には誰も近づくなと、言っておいたはずだが」

「弟にも言うか?それ」

「…ルエイドか…」

扉越しに短い会話を交わすと、向こうから扉が開いた。古い本のすえた臭いと、こもった空気とが一気に押し寄せてきて、げんなりする。

「換気ぐらいしろよ…不衛生な…」

「ああ、まあ、そんなことはどうでもいい。

それより、入ってくれ」

兄の口調は、高揚した心持ちを表していた。面白い話か実になる情報でも手に入れたのだろう。

入ると、几帳面な兄にしては散らかり放題の室内が、最初に目に飛び込んでくる。熱中するとずぼらになる彼の性質は、昔から変わっていないらしい。

「我々の行こうとしている地は、とんでもない場所だった」

そんな室内の状況に見向きもせず、クォードは目を輝かせながら語り始める。

「とんでもない場所?

確かに、場所的にいえばとんでもないけどな」

「そうではない。

歴史、目的、そして太古の叡智…あらゆる意味で、我々の想像をはるかに超えた場所だという意味だ」

扉を少しの間開放して、微弱な風の魔法で室内の空気と熱気を逃がす。しかし、兄の興奮はまったく冷める様子がない。

対してテンションの下がっているルエイドは、「…はあ」と適当な相槌を投げ返した。

「で?想像をはるかに超えたとんでもない場所なのはいいけど、ちゃんと俺らの目指す目標に沿ったところなんだろうな?」

雑多な机の上に載っていた、飲みかけの紅茶の入ったティーカップを片づけながら訊くと、

「無論だ」

クォードは、端正な顔に輝かしい笑顔を浮かべた。

「我々が行くべき場所はそこしかない。いや、そこでなければ成し遂げられん!

いいかルエイド、決して邪魔者共に計画を悟られるなよ。ようやっと素晴らしい情報も手立てもものにしたというのに、邪魔が入ったとなれば興ざめも良いところだ」

「はいはい、頑張りまーす」

結局、弟にその素晴らしい情報とやらを教える気はないらしい。面倒くさいだけなのかもしれない。

これ以上留まっていると、つまらない話を延々と聞かされそうな気がして、ルエイドは部屋を去ることにした。

扉を開けると、通路に集まっていた信者たちが散り散りになって離れて行った。どうやら、クォードの事を心配して様子をうかがっていたようだ。

「あいつならぴんぴんしてるぜ。ほっといても大丈夫そうだから、心配しなくてもいい」

兄に代わって声を掛け、信者たちの不安を取り除く。こんなことが原因で組織内に乱れが起こっては、困るのだ。

「兄のところに、昨日誰か来てたか?」

「え、ええ」

口々に安堵のため息をついて定位置につく信者たちから、一人を捕まえて小声で問う。新米らしき彼は、戸惑いながら頷いた。

「ルエイド様が雇われていた方が…」

「クロウか…他には?」

「他に…?」

彼はしばらく記憶を手繰るように首を傾げていたが、後に首を左右に振った。

「いえ、そんな報告は聞いていませんが…」

「………」

ルエイドは、無言のまま顎の動きだけで指示して、彼を去らせた。




信者の向かった方と反対側に歩き出しながら、思考を巡らせる。

書庫の机に載っていた、飲みかけの紅茶。

クォードが飲んでいたとは思えない。彼は本や資料を読むとき、零すと嫌だからと言って物を飲み食いすることはないというのは、弟である自分が良く知っていた。

ならばクロウに出したものかと考えると、やはりありえない。クロウが飲むといえば酒、よくてコーヒーだ。紅茶のような上品なものは口に合わないと言っていたのを、思い出す。クロウの事を良く知らないクォードも、出すとすれば、ワインかコーヒーを選択しただろう。

他に、違う客がいたとしか考えられなかった。もしかすると、「素晴らしい情報」とやらも、その客から聞き出したのだろうか。




思えば、天空王子を攫い、エヴァスタ旧天空教会に連れてくるという計画。あれは、確かに自分が計画を練って指揮したものだったが、エヴァスタ旧天空教会や天空王子の事、それらの情報を持って来たのは兄に他ならない。

ドラゴンの召喚術、あれも彼が見つけてきたものだ。魔術の話には疎い自分には理解しかねるが、聞けば、普通ではありえない術式だという。便利なのは認めるが、考えれば考えるほど、不気味だった。

「…あいつ…毎度毎度、どこから情報を持ってきてるんだ…」

情報収集はクォード、実行役はルエイド。いつもそう役割分担をしていたが、お互いその分担は性に合っていると思っているし、ルエイドも兄の持ってくる情報に、特に何の疑問も抱いた事がない。というのも、彼の持ってくる情報は、外れた事が一度たりともなかったからだ。

だが。

「何かあいつ、いろいろと俺に隠してるのか?

…警戒しとくに、越したことはねえな」

胸くそ悪い。

そう吐き捨てて、ルエイドは自分の仕事場へと戻って行った。


王都に帰ると、一行はすぐさま城を訪問し、天空王との謁見に臨んだ。

「聞きたい事があるのだが」

王と対面し軽く挨拶を交わした後、クリティスが単刀直入に話を切り出す。

「何かな?」

「最近、この城に盗人が入った事は?」

その場にいる皆が、クリティスに注目する。

天空城に泥棒が入ったという話は、エドルにとっては初耳だった。しかし、隣りのリシェルアは少し考え込む素振りを見せてから、

「そういえば、殺人事件があった後に王都で聞き込みをしてたら、町の人がそんな噂をしてたような…」

「マジか」

「でも、本当なんですかー?」

王は、きょとんとした表情で頷いた。

「その通りだ。

数日前…あー…確か――」

「私たちが依頼を受けて、エヴァスタに向かった日では」

「そう。その日だ」

もう一度頷き、それから天空王は少し困った表情を見せる。

「しかしその日は、息子の誘拐を手引きした者たちを検挙するのに大忙しでな。城中が大騒ぎになっていたために、誰もその犯行に気付けなかったのだよ。

しかも、盗みに入られた場所は書庫。あの騒ぎの最中、書庫で読書をする呑気な者はさすがにいなかったようだ」

「そうか。その様子では、盗まれた物の行方はおろか、犯人も未だ不明だろう」

「まったくその通りだ。ここしばらく、息子の誘拐や大量殺人と大きな事件が相次いでいたものだから、その件の捜索は後回しになるばかりで…ああ、頭が痛い」

口ではそういうものの、王の顔はそれほど深刻そうにはまったく見えない。これも、彼の神経のたくましさの賜物なのだろうか。

クリティスが、手に持っていた資料を王に差し出した。

「…これは?」

「先日、連れの一人が希望の箱に攫われた。それを助けるためにローグの屋敷に行ったところ、見つけた資料だ」

訝しげに紙の束を受け取り、そのまま読み始める天空王。読み進めるに従って、彼の眉間に次第に皺が寄っていく。

「…間違いない」

すべて読み終えた後、王は大きくため息をついてそう呟いた。

「ここに書いてある計画の概要、盗まれた物。すべて今回の盗難事件に当てはまる」

どうやら資料の中には、今回起こった盗難事件の内容が書かれていたらしい。

つまり。

「その事件も、希望の箱の仕業ってわけか。

で、結局盗まれたものってのは何なんですか?」

ディオが尋ねると、王は難しい顔をして黙り込んでしまった。

わからない、というわけではなさそうだ。むしろ、知っているからこそ言いにくい、という苦渋の表情だった。

「「天空王族秘伝の封印の書」と、資料には書いてあるのだが…表現があいまいだからか、いまいち私にもわからない」

クリティスも、好奇心に満ちた瞳を王に向けた。

「秘伝ということは、とどのつまりは門外不出、一般世間に教えられない本だということか?」

「…ああ」

いつも飄々としている王が、珍しく頭を抱え込む。

エドルはそれを見て、納得いかないという顔で尋ねた。

「そんな大事なもん盗まれてるのに、なんで後回しにしてるんですか」

「第一に、盗んだところで、利用するには解読が難しく手間のかかる本だということがある。何せ、古代文字で書かれているからな。

第二に、本ごときで人の命には代えられん。市民にしてみれば、門外不出の本などよりも、誘拐事件や殺人事件の方を、先に解決してほしいに決まっている」

「…なるほど」

考えてみれば、確かに妥当な優先順位だといえるだろう。

「まあ、背に腹は代えられん…。ただでさえ人手不足の今、頼れるのはお前たちしかいないからな。

おまけに、この三つの事件すべてが希望の箱に関係するとなれば、こちらも最大限の情報を提供せねば」

しぶしぶ顔を上げ、一度大きく深呼吸をする天空王。

それから、まるで裁判で宣告を下すかのような厳かな声色で答えた。

「その本の正式な題名は、「後世の天空王家後継者たちへの高等魔法の伝授の書~主に封印関連を中心に、ポロリもあるよ~」だ」

「秘伝の書にポロリはいらねえだろ」

「ポロリだと?」

「お前ら…」

ボケにボケで返すディオとクリティス。エドルは呆れ顔で彼らを睨む。

「つーか、王もこんな状況で冗談言うのやめてくださいよ」

「…もう一度言う。

その本の、「正式な題名」だ」

「――天空王ってのは、昔から変人ばっかなのかよ…」

あんまりな題名だが、しかし、これで盗まれた本の内容についてもおおよそ見当がついた。

「王家が直々に施す、封印や結界に関する魔術書か。

しかし、ポロリなどと言うから、高等な禁呪などが密かに載っているのかと思ったが」

クリティスが少し残念そうに言うと、王は苦笑した。

「悪いが、中身は普通の魔術書だ。神から禁じられている魔法を、神に仕える天空王家が持っているわけにはいかないだろう。

私も、この本の題を読んだときには、思わずやましい気持ちになって幼心ながらにわくわくしたものだったが…」

そう言って、思い出に浸り遠くを見やる天空王。一同の白い視線に気づくと、彼は前にもしたように一つ咳払いをして、

「天空王家の秘伝にまで首を突っ込んでしまったのだから、こちらの方も、是非取り返してきてくれ。

もし中身を見てしまっても、悪用は禁止だ」

「中身を見たところで、古代文字で書かれてるんじゃそもそも読めませんよ」

古代文字とは、その名の通り、遥か太古の時代に使われていた文字の事だ。現代では解読できる人間もほとんどおらず、いずれ誰も読めなくなってしまうのではないかと、危惧されつつある。もちろんエドルも読めないし、彼にとっては読めなくとも、生きていくにはまったく弊害のないものでもある。

「まあ、希望の箱を潰すついでに取り返してくるってカンジで」

「それでいい。奴らに、あの本を利用できるとは到底思えないからな」

天空王は、ほっとしたような笑顔を浮かべた。

が、その時だった。

なにやら、謁見の間の奥、王族の部屋のある方から、けたたましい騒音や爆音が聞こえてきたのだ。

目を丸くして、エドルたちは顔を見合わせる。

「――ああ、心配しなくていい。別に賊などではない」

しかし、かなりの音だったにも関わらず、王は動じることなく玉座に腰を落ち着かせている。その笑顔は、さわやか過ぎるほどにさわやかだ。

「いつもの事だ。じきに悲鳴が上がって兵や召使いが駆けつけてくるが、温かく見守ってやってくれ」

「は」

王が何を言っているのか理解しかねて、ぽかんと口を開けたままでいると。

「きゃあああああああっ!」

まさに言った通り、女性の悲鳴が謁見の間にこだました。

「ど、どうしよ、部屋のドア開かなくなっちゃったああああ!

誰か助けてええええええ!」

「ひ、姫様ー!ご無事ですかーっ!」

間もなくして、これまた王の予言通り、忙しなく兵士や召使いが駆けこんできた。彼らはエドルたちのことなど構いもせず、謁見の間を素通りして奥へと入っていく。

王は、笑顔のまま説明を始めた。

「先の悲鳴を上げていたのが、我が娘であり、アスロイの姉に当たるエイナだ。

小さい頃からからくりものをいじるのが好きでなあ…触っては壊し組み立てては爆破させ、結果的にあのような…どうしてあんな娘に…。

いや、思えば、他界した妻もあんな感じだったような…」

王の笑顔は、さわやかなどではなかった。むしろ、精も根も尽き果て笑うしかないという、諦観の表情だった。

「本来ならば、直接顔を出させて紹介したいところなのだが、見た通りの状況なので、このような簡単な紹介で勘弁してくれ」

「いえ、お、お構いなく。

…人騒がせな女には、もう慣れてるんで…」

エドルが、この場にいないわがまま少女を思い浮かべていると、天空王は「ほう?」と首を傾げた。

「君も意外と、女性に悩まされるタイプか」

「いえ、あのじゃじゃ馬が特殊なだけです」

そう、エドルだって、エリスに出会う前までは、さすがにああまで自己中心的な女とは、知り合った事はなかったのだ。リシェルアだって、たまに食えないことを除けば、大人しくて付き合いやすい少女だ。

「今日だって、眠いから行きたくないって言って布団からでてこねーしな…」

「絶対今頃、買い物してるに決まってる」

ディオも、同調して頷いた。

王は背もたれに寄りかかると、ふっと顔を緩めて微笑んだ。

「じゃじゃ馬、か…それはそれは。

是非とも、会ってみたいものだな」

「やめておいたほうが…あいつ、失礼な態度取りまくると思うし」

「失礼と言えば、お前たちも十分失礼だとは思うんだがなあ…」

王のぼやきは見事にエドルたちにスルーされ、姉王女とともに大騒ぎしている兵士や召使いたちの声にかき消されていった。


「クロウ、ここにいたのか」

町の寂れた酒場で、一人酒盛りをしていると、ルエイドが周囲の様子を警戒しながら入ってきた。

「おお、旦那。

この間の件は悪かったな。うまくいけばいっぺんに奴らを始末できると思ってたんだが、やっぱかなり手ごわい連中だった」

自分を捜しに彼が来る理由となれば、ローグでの失敗のことだろう。そう踏んだクロウは、先手必勝とばかりにすかさず謝罪した。

こうしておけば、向こうがうるさく追及してくることはないと考えたのだが。

「いや、そんなことはどうでもいい」

あっさりとそれを切り捨てられ、思わず拍子抜けしてしまう。どうやら、まったく別の件でやってきたようだ。

「お前、例の本の中身は、もうあいつに渡したのか?」

「もちろん。ここにきて、すぐに渡したはずだが」

「…そうか」

ルエイドは、難しい顔をして顎に手をやり、俯いた。

そもそも、兄に渡せと言ってきたのは、他ならぬルエイドだ。それを、今更尋ねてくるとはどういう事なのか。

「…その本の中身、読んだか?」

「いや、読めなかった。全部古代文字で書いてあったしなあ。

…どうした?まさか、紛失したなんて間抜けた話じゃ」

「い、いや、そういうわけじゃねえ」

どもりながらこちらの杞憂を否定するルエイド。しかし、その表情は未だすぐれない。

しばらくして、彼は俯いたまま呟いた。

「実はな。あの本の中身、俺も知らねえんだ」

「…は?!」

一瞬、クロウは自分の耳を疑った。

信者たちに、天空城の書庫から盗んでくる事を指示したはずのその当人が、盗んできたものの中身を知らないとは。

「あれを盗んで来いって言ってきたのは、あいつ…クォードなんだ。俺は、それを遂行しただけでな…」

「ははあ、なるほどそういうことか」

「…そういえば、お前」

はっと、思い出したように顔を上げるルエイド。

「その本の中身を渡しに行った時、クォードに、なんかおかしなところはなかったか?」

そんなことを言われても、と、クロウは首を傾げた。何しろあれが、自分とクォードとの初対面だ。相手の事をよく知っていなければ、おかしな点になど気付けるわけがない。

「わかるかい、そんなもん。

渡したら、客が来るからってすぐに厄介払いされたしな」

「客?!」

突然のルエイドの大声に驚いて、口に含みかけていた酒を噴出するところだった。

懐から雑にたたまれたハンカチを取り出し、口元を拭いつつ相手を睨む。

「急に叫ばないでくれよ…危うく、もったいないことしちまうところだった」

「わ、悪い。

でも、あいつ、客が来るって言ってたのか?その客、お前は見たのか?」

「だーもう、ちょっと待ってくれって!」

彼の意図も趣旨もわからない質問に、こちらの思考がまったくついていけない。なぜか興奮するルエイドを、クロウは両手を前に押し出すジェスチャーで留まらせた。

「確かに、客が来るとは言ってたよ。けど、オレはその客とやらが来る前に追い出されて医務室に行っちまったんで、後の事はわからん」

「そうか…しかし、本当に客が来てたのか」

今度は、ルエイドは、クロウをそっちのけで独り言を言い始める。

「つーことは、あいつが俺の知らないところで、知らない輩と内通してるっていうのははっきりしたわけだ…」

「あのー、旦那?」

こちらが声を掛けても、彼は返事すら返さない。それどころか、ぶつぶつ呟きながらこちらに背を向けて、酒場を出て行ってしまった。クロウのことなど、眼中にないといった様子だ。

「…最近、どこからもはぶられてる気がするのは気のせいか?」

マスターがカウンターでグラスを拭く音を聞きながら、殺し屋クロウは薄暗い酒場の隅でうなだれ、独り酒に浸るのだった。

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