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ワールドメイカー  作者: みたらし
第一章 開かれた箱
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鴉・後篇

血だまりの中にまた一匹、魔獣の身体が崩れ落ちた。

流れた血の川に踏み入ると、飛沫がスラックスの裾を赤く染める。

「はい、魔獣退治完了ー」

乾いた音を立て、漆黒の銃身から使い捨ての小粒の魔法石が転げ落ちる。無色透明だったその石も、地面に落ちた途端、沈んだワインレッドに変わった。同じような魔法石が、道端の小石と血に混じっていくつも転がっている。

「あ・と・は」

骨張った手が、新しい石を銃に組み込んだ。

一歩前に進むごとに足元から、土砂降りの道を踏みしめたような、濡れた音がする。

前にいる希望の箱の刺客たちが、揃って竦み上がり、息を呑んだ。

「「人間」だけだな…」

ここにいるのは、獣だった。銀色の毛に黒い目を持ち、返り血にまみれた獣だった。

刺客の一人が、苦し紛れに叫ぶ。

「こ、この、人喰い狼…!」

「誰が人肉なんてまずいもん喰うか!」

惜しくもこの場に、彼の発言についてツッコミを入れる余裕のある人間は、存在しなかったようだ。

いつも笑顔の絶えないリシェルアさえもが、後ろで息を詰めている。

無理もない。彼女が呪文を唱える間に、ディオが片を付けてしまったのだから。

「くそっ…こんな奴が来るなんて聞いてないぞ!

クォード様に早く応援を」

「誰が逃がすって言ったかなー」

リシェルアの代わりに微笑んでやると、彼らは頬を緩めることすらせずに固まってしまった。絶世の美青年が笑顔を投げかけているというのに失礼な、と呟き、ディオは今度は不機嫌をあらわにする。

「ああ、でも、逃がしてやらないこともないな。

お前らが、素直に本部の場所を吐いてくれれば」

「…はっ。冗談を」

強がる刺客の声は、震えを隠せていない。

「素直に吐いた方がいいと思うわー」

ディオと打って変わり、慈愛に満ちた声色で語りかけるリシェルア。

「あたし、今の戦いで疲れちゃったー。

ディオが暴れ出しても、止められる気力がないのよー」

「戦ってねえくせに何言ってんだか」

「うふふ。

でも、どっちにしろ、あたしがディオを止めるのは無理だわー」

リシェルアの困った笑いが、さらに絶望感を加速させる。

だが、ここで諦めてしまうほど、希望の箱の信念も弱くはなかったようだ。先頭にいた刺客が、舌打ちをして低く呟いた。

「仕方ない…よもや、ただで逃げることすらできないとは…」

「?」

何のことだかわからず、銃口を相手に向けたままディオは首を傾げた。

その隙を見て、刺客は素早く胸のエンブレムをローブから引きちぎった。片手でエンブレムの裏の蓋を外すと、目にもとまらぬ速さで紙片を取り出す。

「無駄な抵抗は――」

「抵抗したいのは山々だが、こちらとて自分の命は惜しいのでね!」

たたまれていた紙片が広がる最中に、後ろの刺客たちが何やら呪文の詠唱を始めた。

引き金を引くか引かないかの瀬戸際、広がりきった紙片がまばゆい光を放つ。

咄嗟に目を押さえた時、まさかここで聞くとは想像もしていなかった、轟音のような咆哮が大地を揺るがした。

「ドラゴン…!!」

リシェルアが、驚愕の声を上げた。

エヴァスタ天空教会跡でも見覚えのあったあのドラゴンが、希望の箱の刺客たちを全員背に乗せて、眼前に立ち塞がっていたのだ。

ここは街の中。地上最強の生物が暴れまわったとなれば、とんでもない被害が出る。襲ってくるかと、二人は戸惑いの中、身構えた。

だが、意外にも、ドラゴンは背中の翼を大きく羽ばたかせたかと思うと、貫禄のあるゆっくりとした動きで宙に浮いた。

そして、ディオたちが呆気にとられているうちに、何をすることもなく、夜の空へと飛び去って行ったのである。


「ここが、エリスが捕まっていた場所か…

どうやら、重役の部屋だったようだな」

信者たちからエリスの目撃情報を聞き出し、屋敷一階まで降りて来たエドルと氷海は、エリスが拘束されていたという部屋までたどり着いた。

物陰に隠れて片端から敵を襲っていくという手段を繰り返した結果、いつの間にか、この屋敷にいた信者の大半を倒していたらしい。二人が移動しているときには信者は見当たらず、徘徊していた魔獣も、捜索がてらに始末してしまった。

おそらくこの屋敷内の信者たちを取り仕切っていたと思われる重役の部屋には、もちろんエリスの姿はない。テーブルとその周りの床に、書類と酒瓶がないまぜになって散乱している。

部屋に残った酒の匂いに顔をしかめながら、氷海はテーブルに近づいた。

「天空城の見取り図に、これは神学関係の資料だが…あまり、目新しい話はないな。こっちは、魔術書の写しか?

…どうした、エドル。顔色が青いが」

「別に…」

先ほどまで目の前で起こっていた出来事のショックから未だに立ち直れず、エドルは扉の前で憔悴していた。

次々と物陰に積み上がっていく、気絶した信者たちの身体。死んでいるわけではないとはいえ、この世のものならぬ光景を見せられて、青くならない方がおかしい。

「おかしいなー…エルフ族は、身体的にも精神的にも他の種族と比べて繊細だって聞いてたんだけどな…奴がおかしいのか?おれの方が繊細すぎたのか?」

「何をぶつぶつ言っているんだ。大丈夫なら、そんなところでつっ立ってないで、役に立ちそうな資料を探せ」

けろりとした顔で、部屋の隅にあった紙の山を指差す氷海。

エリスの捜索はどうした、と言ってやりたいところだったが、再び自分の世界に入り込んでしまった彼女に、声を掛けるのも憚られる。しぶしぶ言われたとおりに、紙束に手を突っ込んだ。

「こういうのは、おれじゃなくていっつもリシェルアが担当してるんだよ…ああめんどくさいめんどくさい」

「たまには頭を使わないと、その内腐り落ちるぞ」

「やめろよそういう表現使うの…」

「…これ、は…?」

氷海が、手を止めて紙の一束を拾い上げた。気になる資料が見つかったようだが、どうせ説明されてもわからないし、とエドルはあえて構わず、無視を決め込む。

文字の羅列しかない紙を、適当に混ぜた時だった。

「おい、」

「この日付は、この日は確か…」

「おい!」

二回呼びかけて、やっと氷海は顔を上げた。始め迷惑そうな表情を見せた彼女は、しかしすぐさま異常に気付く。

酒の匂いにまみれていた部屋の空気が、いつの間にか異臭に満ちていたのだ。

「やっべ!」

エドルはすかさず扉を蹴り飛ばした。

すると廊下から、白く濁った煙と熱が、溢れんばかりに流れ込んできたではないか。

「屋敷に火をつける余裕のある人間が、まだいたということか。それか、先ほどの連中が目を覚ましたか」

「エリス!」

そうだ、エリスがまだ、この屋敷内に隠れているはずなのだ。

エドルは口元を手で覆いながら、一寸先も見えない廊下へと飛び込んだ。左奥、エドルたちがやってきた方の視界が、ぼんやりと赤く色づいている。

あちらは既に、捜索し終えた方だ。まだ捜す猶予があることに、胸を撫で下ろす。

しかし、猶予はあっても余裕はない。

「エリス!どこだ!」

大声で呼んでも、返事はなかった。

「まさか、もう煙にやられてるなんてことは…」

「…わからん」

氷海も、深刻な表情で首を振った。

廊下の両脇にあるあらゆる部屋を、手分けして蹴破り呼び掛けた。しかし、廊下の端の最後の部屋まで行っても、エリスは見つからない。

火は、すぐ後ろまで迫ってきていた。

「くそっ、いねーじゃねーか!まさか、騙されたんじゃねーだろーな?!」

「…エドル、一旦外に出るぞ」

氷海が、落ち着いた声で言う。

「待てよ、エリスはどうするんだよ!」

「もしかしたら、外に出たのかもしれん」

氷海は、廊下の突き当たりの、小さな窓を見つめていた。

それに倣って目をやると、窓の鍵は壊れて掛かっておらず、覗いた隙間から外の風が入り込んでいる。ここは一階。いくら運動神経が悪くても、打ちどころさえ間違えなければ、怪我一つなく降りられる高さだ。

納得したエドルは呆れる間もなく、氷海に続いて窓から外へと脱出した。

背後では、火の回り切った屋敷が轟音を立てて燃えている。炎の勢いは強まり、空を焦がすかと思うほどだ。

崩壊に巻き込まれないよう素早く屋敷から離れ、希望の箱の信者の目を逃れて傍の茂みに潜り込んだ。


唐突に現れた魔獣やドラゴンによって、町は大騒ぎになってしまった。

町人に捕まって面倒に巻き込まれないうちに、ディオとリシェルアは逃げるようにして町のはずれの草原までやってきた。街灯のないこの場所では、お互いの顔も見えないほどだ。

二人が取った宿は町の中。これでは、しばらく戻れそうもない。

「地上最強生物を、あんなに簡単に手懐けられるもんなのか?」

呼吸を整えて、ディオはリシェルアに尋ねかける。

暗闇の中で、リシェルアが首を振ったのがうっすら見えた。

「少なくとも、あんな紙に描いた魔法陣で呼び出せるほど、人間に友好的な生き物じゃないはずよー。相応の応用知識が必要だし、エヴァスタで見たような、きちんとした床や地面に描いた魔法陣で呼び出さないと…。

それでも、呼び出すのがやっとっていうところよ。背中に乗せてもらうなんて、もってのほかだわー」

それから少し間をおいて、彼女は説明を続けた。

「ただ、先にドラゴンを手懐けておいて、それを呼び出すっていうのなら、話は別だと思うけど…。

それでも、ドラゴンを手懐けるっていうのは簡単にできることじゃないわー」

「エヴァスタといい今回といい、連中はドラゴンを操れるっていうのが強みなのか?

衝突するたびにあんなの呼び出されてたら、確かにたまったもんじゃねえな」

草むらに胡坐をかき、銃の手入れを行いながら、ディオは舌打ちした。

そっと近づいてきたリシェルアが、呪文を唱えて杖の先に明かりを生み出した。銃を持つ自分の手元にそれを近付け、不思議そうに眺めてくる。

「それにしても、ほんとに真っ黒な銃ねー。普通は銀色なのに…」

「これは黒曜石(コクヨウ)を組み込みまくってるから真っ黒に見えるだけで、銃身自体は銀色だぜ。それに、魔界や天空界ではほとんど銃が実用されてないから知らないだけで、黒い銃身のも結構ある。

魔界じゃ、銃なんてのは、金持ちのコレクションか置物扱いだろ」

銃身に数多の種類の石を埋め込み、その石によって使用者の魔力を増幅・凝縮し、撃ち出す銃。他の種族に比べて圧倒的に魔力の低い亜魔界人にとっては、魔法に代わる不可欠な武器だ。

しかし、魔法を存分に使うことのできる他の種族にとって、銃は、天然石のちりばめられた美しい観賞品という扱いがもっぱらである。実際に、実用できない観賞用の銃が出回っているほどである。

「まあ、確かにこれは特注品だから、見覚えがなくたって当たり前だけどな」

「特注品なの?

こんなにコクヨウを組みこんで、よくあんなに軽々と扱えるのねえ…」

石の中でも、コクヨウは魔力を溜めて増幅する力が強いため重宝される。だが、その分扱いが難しい。銃に組み込む時のみならず、魔法の力を注いで魔法石として使う時でも、暴発の恐れのある、癖のある石なのだ。

「それだけ、俺の腕が良いってことだよ」

「ふふっ、そういうことなのかしらねー。

現にさっきも、呪文を唱える時間がなかったもの」

ふと、ディオは銃をいじる手を止めた。

「…リシェルア」

「なあに?」

きょとんとした目で、呼びかけられたリシェルアは首を傾げている。

その真紅の目を見つめ返して、ディオは問う。

「俺は魔術の話に詳しくねえからよくわからんが…

呪文って、唱えなきゃ魔法は使えねえよな?」

「ええ、そうよー。魔法石を使ってても、それは一緒ねー」

「この間、エヴァスタでドラゴンと戦ってた時のことなんだが」

話の中で、不意に思い出したことだった。

「エドルが倒れただろ?

お前、確かちょうどその時、ドラゴンにやられそうになったじゃねえか」

「そうだったかしらー?」

何気なく、リシェルアはディオから顔を背けた。

「…。

で、間一髪のところで、お前が火の魔法使って助かったわけだけど」

彼女は、草むらに腰を下ろして空を見上げていた。こちらの話を聞いているのか、いないのか。口元には、いつものように笑みが浮かんでいる。

「あの時、お前、呪文唱えてたか?」

「……………」

いくら待っても、リシェルアは答えない。

夜風が吹き始め、彼女の黒髪を揺らしている。

「――呪文を唱えないと、魔法は使えない」

こちらが諦めかけた時、彼女はようやっと声を出した。独り言を言っているような、小さな声だった。

「これは、魔法を使う時の大原則よー。きっと、エリスや氷海に聞いても、同じ答えが返ってくるでしょうね」

「…そう、か」

求めていた答えではなかったが、きっと、これ以上聞いてもはぐらかされるのがオチだろう。こちらとしても、氷海のように他人の秘め事を詮索するような真似は、したくもないし、する気もない。

大人しくディオは、止まっていた手を動かし、銃の手入れを続けることにした。

「…エドルたち、どうしてるかしら…」

しばらく後、リシェルアがぽつりと呟いた。

「心配か?

ちょっとやそっと囲まれるぐらいじゃ、やられるような腕じゃねえだろ」

「それはそうだけど、私たちより危険な目に遭ってるのは確実だわー。

大丈夫かしら…」

頬に手を当て、ため息をつくリシェルア。対して、向こうのグループがどうなろうと知ったことではないディオは、肩を竦めるだけだったが。


「なんなら、会ってくればいいじゃないか」


リシェルアの呟きへの応えは、背後の闇の中から返ってきた。






思わぬところに先客がいた。

「ぷぎゅ」

茂みに足を踏み入れた途端、柔らかいものを思いきり踏みつけてしまう。

「う、わあああ?!」

驚いて、後ろにいた氷海にぶつかるのも構わず、たたらを踏むエドル。

「ひっ、人の背中、いきなり踏むなーっ!」

「エリス?!」

涙目で怒鳴りかかって来たのは、散々探し回った目的の少女だった。

「やはり、外に出ていたのか」

ぶつかったエドルの身体を汚れ物のように押しのけ、氷海が息をつく。

「でも、中の奴らはみんな、お前が屋敷に隠れてるって言ってたぞ?」

「ふふふん。魔法を見当違いのところにぶっ放して、撹乱させて出てきたの。

あたしってマジ天才だよねー!」

「おまっ…おかげでこっちまで大迷惑だよ!」

安堵と怒りとで、エドルも氷海と同様、大きくため息をついた。

「…で、あたしの荷物は?」

「は?そんなもの、宿にほったらかしてきたけど」

「ほったらかしてきたぁ?!ホンットに気が利かないんだからっ」

こんな状況でも自分の荷物が最優先か、と、エドルは呆れるしかなかった。

「今持ってるその鞄だけで充分だろ…言っとくけど、今後一切、私物増やすの禁止な」

「いやああああそれはダメっ!買い物しなきゃあたし死んじゃう!」

「あーもーうるさいうるさい」

耳を塞いで、金切り声をシャットアウト。屋敷を走り回って疲れているというのに、彼女の雑談に付き合える気力はなかった。

「ほら、帰るぞ。さっさと立て」

とにかく、ここを離れたい。信者たちがいつ自分たちを見つけるか知れないし、エドル自身も早く休みたかった。

茂みにしゃがんだままのエリスを立たせようと、手を差し伸べようとする。が、それより早く、氷海が動いた。


「…え」


エリスに向かって氷海が差し出したものを見て、声を失うエドル。

それは、手ではなかった。

背中の向こうで唸りを上げ続けている炎を映し、赤くきらめくレイピアの切っ先。

「…普通、剣を人に手渡す時は、柄の方を向けるもんじゃない?」

「これが、渡そうとしているように見えるのか」

どう捉えても物騒な発想にしかならない氷海の返答に、しかしエリスはにっこりと笑顔を浮かべる。

「ああ良かったぁ。剣術の覚えもないのに、これ使って戦えって言われたらどうしようかと思っちゃったじゃん。

…で」

エリスは、紫色に燃える氷海の目をまっすぐに見つめた。

「何の真似?」

火炎によって熱を帯びているはずの空気が、さっと冷え込んだように思えた。

これは、まずい。

「…にやってんだよ、お前ら!」

咄嗟に、エドルは怒鳴っていた。

「そんなことしてる場合か!ここ、まだ敵地なんだぞ!」

「…っ」

一瞬、氷海の瞳が戸惑うように揺らいだ。下唇を噛み、しばらくレイピアの柄を握り締めていたが、やがて、諦めたのかゆっくりと剣先を下ろす。

「…リシェルアとディオは?」

よいしょっ、と掛け声をかけて立ち上がったエリスは、まるで何事もなかったかのような表情で辺りを見回した。

「あいつらとは、一旦王都で別れた。今頃、アスレイナで情報収集を続けてるはずだ」

「そう…」

エリスの眉が、くっと眉間に寄った。

「急いで合流した方がいいよ。

あたしを攫った奴が、二人の方に向かってるはず」

「え?!」

「名前は聞けなかったけど、大量殺人の犯人はそいつだよ。

あんたたちが分かれて行動してたことも、筒抜けになってたみたい」

全身の血の気が引いた。まさか、こちらの行動が、すべて向こうに知られていたとは。

「――筒抜けというより、そいつには、私たちが分かれるという事がわかっていたのかも知れない。

エリスの隔離場所に、アスレイナの反対に位置するここを選んだのも、わざと私たちを引き離すためではないかと思う」

「確かに、今から行っても、アスレイナに着くのは陽が昇るか昇らないかってとこだな…。

エリス、そいつが出てったのはいつだ?」

「夕日が沈んですぐ…ってとこかな…」

「くそ、それじゃ走って行っても間に合わねー!」

歯噛みして、エドルはすぐさま、王都の方へと駆けだした。

後ろから、氷海とエリスも遅れてついてくる。

「ちょ、ま、待ってよ!

あんた無駄に足速いんだから、もー少し気を使って走って!」

「馬鹿なこと言ってんじゃねーよ!

ついてこれなくなったら問答無用で置いてくからな!」

「鬼ーっ!」






ほとんど反射的に、二人は身構えた。


「今から目をつぶって、大人しくしてるだけですぐに会えるぜ。

なんてったって、オレは仕事の早さにだけは自信があるんでね」


声は、真後ろから聞こえてくる。


「お代はいらないさ。オレは、人に親切にするのがことのほか好きでな」

「太陽のごとく、夜を照らせ!」

素早くリシェルアが呪文を唱え、高々と杖を突き上げた。

先ほどまでのほのかな明かりが、呪文の通り太陽のような輝きになり、夜の草原を照らし出す。

「はじめまして」

一人の男が、草の中に立っていた。

身なりや風貌はいまいちだが、醸し出すその殺伐とした雰囲気は、明らかに並みの人間ではない。

「烈火のリシェルア、月傷のディオ。高名なあんたがたと手合わせできて、光栄だ。

ホントは酒でも酌み交わしたいところだが、そんなことしたら上の人間に怒られちまう」

「ああ、酒呑みてえなあ」と、ため息交じりに彼は呟く。

銃を構えたまま、ディオは嗤った。

「なんかいろいろ勝手なこと言ってやがるけど、別に俺らは向こうの連中に会う気もねえし、あんたと手合わせする気もねえよ?」

「まったく、どいつもこいつもつれねえったら。

寂しくて嫌になるぜ」

相手は、こちらの話など聞く素振りもない。警戒するこちらに構いもせず、歩みを進めてくる。

どこまで近づけばこちらが攻撃するのか、見切られているようで気分が悪い。ディオは威嚇するように、目を細めた。

「しかし、あれだ。ドラゴンってのはあんまり乗り心地のいいもんじゃねえなあ。速いのは助かるが、身体のあちこちが軋んで困る。

痛みもわからないぐらい確実にってのがオレの信条だが、そんなわけで調子がいまいちなんだ。ちょっとばかり狙いが外れて、痛い思いするかもしれんが勘弁してくれよ」

男が、動いた。

目には、消えたようにしか映らない。それほど素早い動きだった。

「…リシェルア!」

「火よ!」

ディオが注意を促すと同時に、リシェルアが、ごく短い呪文を叫ぶように唱える。

背中合わせに立った二人の周囲に、いくつもの火の玉が生まれた。これで、相手も迂闊には近付けない。

そう思っていたのだが。

「甘いぜ、お子様たち」

盾にしたはずの火の玉が、見る間に次々と弾けて消える。それに気を取られ、男が接近するのを許してしまった。

金属同士のぶつかる音が、背中から響く。

「くっ!」

リシェルアの杖と男の得物がぶつかった音のようだ。それを目視する前に、ディオは背後に銃を構えて、標的も見ずに発射した。

「おっと?!」

それに驚き、一瞬身を引いた男を確認し、もう一発。しかしそれも避けられて、魔力の弾は闇へと消える。

「標準も合わせずに発砲とは…さすが!」

二人が再び間合いを取ると、男は心底楽しそうに笑って、手を打ち鳴らした。

「あの人、魔法を使えるのね…」

リシェルアが、いつもより早口で言う。

「さっきの火の玉、水の魔法を当てられて消えたみたいだわ」

「おお、正解正解。良くわかったじゃないか」

ディオが何か言う前に、男が応える。

「少しなら、オレも魔法が使えるんでね。

さっきのは、水の粒を適当に当てて消させてもらった」

また、男が姿を消した。

「ちっ、またか!」

再び銃を構え、神経を研ぎ澄ませる。同時に、上着の内側に手を入れた。

ひゅっ、と、耳元で風を切る音がした。

「ディオ!」

大きく体を反らして相手の攻撃を避ける。しかし避けきれなかったらしく、服の右肩が切れて、皮膚に血がにじんでいた。

しかし、ひるんでいる余裕はない。相手の斬撃が、休む間もなく立て続けに襲ってくる。

ディオは上着の内側に入れていた手を抜き、攻撃に合わせてその手を振りかざした。

甲高い金属音。

手の中にあるのは、ダガー。

「銃だけかと思ったら、そんなことはなかったか」

殺気の迸る沈んだ青い目が、目の前で愉しげに歪んだ。

ダガーと交わった、数本の鋭く短い刃が、一瞬引かれてまた現れる。それは剣やダガーではなく、刃の鉤爪だった。

数回攻撃を受け流し、ディオはもう片手の銃を構えて威嚇射撃を行った。

「逆巻け、火炎よ!」

相手がたたらを踏んだその瞬間、今まで隙をうかがっていたリシェルアが魔法を放った。

「うおっ?!」

炎の火柱が数本、男の周囲を塞ぐようにして立ち上る。一瞬行動を封じられた男は、続くディオの射撃を避けきることができなかった。

一発が、左腕に直撃した。しかし…

「撃ち砕け…!」

彼がディオを睨みつけた時、彼の魔法の雷撃が二人を襲う。何とかそれからは逃れたが、気づくと男の姿がない。

慌てて周囲を見回そうとしたその視界の端に、鈍い光が飛び込んだ。

「っぐ…!」

身を捩るも間に合わず、鉤爪のうち二本の切っ先がディオの脇腹を抉っていく。

膝を折る直前、見えた男の姿に向かって発砲した。しかし、それは惜しくも男の顔の横をかすっただけに留まった。

「やっぱ、二対一じゃあ不公平だったな…」

草の中に膝をつき、相手を見上げる。男は、弾の当たった腕を押さえてにやりと微笑んだ。

脇腹から、手を伝って生温かい血が流れ出ている。五分か、とディオは内心で舌打ちした。

「仕方ねえ。まあ、一発で終われる仕事だとは思っちゃいなかったしな。

また遊んでやるよ、ガキども」

捨て台詞の最後に、男は刺し貫くような殺気立った目を二人に向けた。しかしそれも束の間、すぐに踵を返して闇の中に溶けていく。

「ディオ、大丈夫?」

寄りそってきたリシェルアが、ディオの手をどかせて傷の状態を調べ始めた。

だが、ディオは自分の傷のことなど頭になく、別の事に思いを巡らせる。

二人だから追い返せたものの、一人だったらディオであろうとリシェルアであろうと、やられていたかもしれない。あの男は、これまでの仕事屋稼業で出会った中でも、かなりの強敵に入る。

「ったく、次から次へと面倒事が増えてくな…」

まずは奴の素性を暴かねえと、と、ディオは男の消えて行った暗闇の先を睨んで、息を吐いた。






燃える屋敷を後にし、暗い森を一目散に駆け抜けた後。木々の間から見える王都を前に、エドルは一旦立ち止まった。

息の上がる胸元を押さえて、後ろの二人が追い付いてくるのを待つ。

「やっと王都か。アスレイナに着くのはやはり、深夜か明け方になりそうだな…」

「は、速すぎなんだけどっ…」

こちらの姿を見つけたエリスは、開口一番にそう文句を垂れた。

「もっとゆっくり走ってってば!これじゃ、あたし倒れちゃう!」

「さっきからうるさい。しゃべりながら走れば、無駄に体力を消耗するのは当然だろう」

「そっちが気を使ってくれれば、こんなに怒鳴らなくて済むのっ!」

「貴様が安易な行動をとって誘拐されたから、こうやって走らなければならなくなったというのに…少しは遠慮というものを覚えられないのか?」

どうやら、さすがの氷海もここにきて、エリスの傲岸不遜さにいら立ってきたようだ。ここぞとばかりに口撃を始めた。

「なにそれ。大体、あんたたちが今まで散々あたしを足蹴にしてきたのが悪いんでしょー?

「足蹴にしているのはどっちだ。これ以上チームワークを乱すような真似は…」

「チームワークなんて、元々あってないようなものだったと思うけど。だから今、こうやって別々に行動してるわけで…」

「お前らなー…」

こうも騒がれては、一体何のために休憩を取っているのかわからない。

エドルは、呆れかえって二人の間を割った。

「とりあえず、アスレイナに着くまで大人しくしろって。

リシェルアたちと合流してから、好きなだけ喧嘩してくれ」

「「………」」

険悪な雰囲気のまま、そっぽを向く女二人。

こめかみに片手を当てて目を瞑った氷海を横目で見ながら、エドルは思い直していた。

いら立っている、というのは間違いかもしれない。先ほどエリスに剣を向けたことといい、彼女のエリスに対する対応が、今までとは明らかに違う。

エリスの短所は山のように思い当たりがあるので、彼女にとって何が決定打になったのだろうと悩み始めた時だった。

「仲直り、しよ」

氷海と正反対の方角を向いていたエリスが、おもむろに振り返り、そう言いだした。

「………は?」

氷海の口から出てくるとは想像もしなかった間抜けた声が、森の中に響く。

「うーん…この際、ごめんなさいは省くことにしよう。とりあえず、仲良くなれればいいんだし」

「何を勝手なことを」

「チームワークが必要なら、まずは仲良くしなきゃダメでしょ?」

言葉に詰まって、口を噤み眉間に皺を寄せる氷海。

急な展開についていけず、エドルがおろおろしている間に、話は進んでいく。

「そうだねー…まず、あんたの本名、教えてよ」

「本名?」

「そう。いつまで経っても二つ名で呼んでちゃ、仲良しとは言わないでしょ」

そういえばエドルたちの中で、氷海だけは、二つ名で通っているため本名を知らない。

特に氷海は、賞金稼ぎだ。本名から素性を賞金首などに知られてしまうと、家族を盾に取られかねない。それを防ぐために、本名を伏せて活動する賞金稼ぎや仕事屋というのは少なくない。

おそらく、氷海もその類だろうとエドルは思っていたのだが、

「クリティス・シェリィ」

意外にあっさりと、氷海――クリティスは、自分の名前を口にした。

「ええっ?!いいのか、そんな何のためらいもなく!」

「別に私自身、隠しているつもりはなかったのだが…なぜか、二つ名の方が有名になってしまってな。

それに、ここまで有名になってしまっては、隠していてもおのずと素性は知れ渡ってしまうし、そもそも、」

クリティスは、一瞬言葉を途切れさせた。だがすぐに、いつもの変わらぬ抑揚の薄い声音で続ける。

「家族は、皆とっくにいなくなっている。以来、ずっと独り身だから、知られて危険なことなど一つもない」

「なんだ、そうだったのか…」

心配して損した、と、エドルは安堵のため息をついた。

黙って彼女の話を聞いていたエリスが、にっと笑みを浮かべる。

「それじゃあ、クリティス。これからよろしく」

「…今更だが」

クリティスの冷静なツッコミに頬を膨らませたエリスは、それでもすぐに表情を戻して、「また走るのやだなー」と伸びをした。

どうやら、いくらか場の空気はなごんだようだ。安心して、再びクリティスを見上げると、彼女はじっとエリスの背中を見つめていた。

「本名…」

「どうした?」

「…いや」

再び王都に紫の瞳を向けて、クリティスは少し驚いたような声で、ぼんやりと呟いた。


「クリティス、の名で呼ばれる事など、五十年来のことだったと思っていただけだ」




「お前が、弟が雇っているという殺し屋か」

アスレイナから少し離れた村の地下に、クロウは足を踏み入れた。

希望の箱幹部の弟、ルエイドとは知った間柄だが、兄クォードとは初対面だ。

ルエイドと打って変わって生真面目な性格の彼は、神学や魔術の本で溢れんばかりの書庫で、鋭い視線を向けてくる。

「その血なまぐささは、何とかできないのか?本や資料に血を落とすなよ」

腕の傷もそのままに、ドラゴンでここまで直行してきたクロウは、ぎこちない笑みで軽口を返した。

「怪我人に、そんな冷たいこと言わねえでくれよ。

ほれ」

懐から、赤茶けた紙束を取り出し、向こうに投げて渡す。受け取ったクォードは、息をするのも忘れてその紙束に書かれたものを読み始めた。

「「保険」は一応、ローグの方にも置いてある。

…が、もし向こうに行った邪魔者を仕留めきれなかったら、屋敷そのものに火を掛けるよう、旦那の方から指図があった。最悪の場合だけどな…」

「ルエイドから、連絡が来た」

紙から目を離すことなく、クォードは言う。

「屋敷に残っていた信者は、皆気絶させられていたそうだ。そこで、ルエイド自身が屋敷に火を放ったらしい」

「…奴らは?」

「始末に失敗した。人質の女ともども、まんまと逃げられた」

「最悪の中でも最悪のケースになったか…」

「…まあ、いい」

さして憤慨することもなく、クォードはすました顔を上げた。

「これが無事手に入っただけでも良しとしよう。

あとは、邪魔者を消し、手勢を増やすだけだ」

それから、彼は懐中時計を取り出し時間を確認すると、

「これから客人が来るのでな…下がってくれ。

ちなみに、医者は右の角を曲がればすぐだ」

「はいはい、血なまぐさい奴は退散しますよっと」

首を振り振り、クォードに背を向けクロウは書庫を後にした。言われた通りの道筋を辿り、角を曲がる。

「?!」

その時、突如、得も言われぬ威圧感がクロウの身体を圧迫した。あまりにも急な事に、クロウは何の覚悟も構えもできぬまま、立ち尽くす。

廊下の向こうから、何かが来る。

鉄の床を、靴の底が叩く音。それは、どんどん近づいてきて、

「こんばんわ」

え。と、クロウは思わず、間の抜けた声を上げていた。

何とも場違いな愛らしい声が、自分に向かって挨拶したのだ。

威圧感を出していたその者の姿を見て、愕然とする。

「あら、血が出てる。早く診てもらうといいわよ」

女の子だった。それも、年齢は十歳かそこらというところだ。

観劇やパーティーにでも行くのかと言うような、レースをふんだんにあしらった華やかなドレスを身に纏い、巻いた金色の髪はふわふわと揺れている。

「あ、ああ、どうも」

「それから――」

彼女は、小首を傾げてこちらの顔を見上げて来た。



「あまり、好きじゃないニオイもするみたい」



鼻歌を歌いながら彼女が通り過ぎるまで、威圧感に気押されて、クロウはまともに彼女の瞳を見ることもできなかった。鼻歌が聞こえなくなった頃に、やっと我に返る。

「なんだ、今の」

彼女が横を通る時、その背中に纏わりついていた黒い影。いや、霧か煙にも見えた気がする。

良く分からない。良く分からないが、自分が触れてはいけないものだという確信はあった。

「…早いとこ、退散するか」

顔を歪めて舌打ちを一つすると、クロウは足早に医務室へと駆け込んだ。

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