十五話 夜の街は暗く
お土産にくるみ餅……もとい、お団子を包んでもらって店を出た。
陽が落ちても街の中は色んなところから喧騒が漏れ聞こえてくる。
大きな二つの月に見下ろされ、灯りがなくても随分と明るい。
広場はさらに、真っ白に染まった『リフォレの大樹』がほんのりと光を湛えていて……なんだかイイ雰囲気の男女がちらほら見えますね。
広場の外周、あまり手を加えられていない花壇を囲む、くたびれた木の柵に腰掛ける。
少しだけ奥まったここは、目立たなくてなかなかいい場所だ。
微妙に火照った身体を撫でる夜の風が、ひんやりとしていて気持ちが良い。
この時間になると掲示板に貼られていた数々もあらかた剥ぎ取られ、肌寒そうにしている。
紙箱を取り出し、一本を咥えた。
ぼう、と浮かんだ小さく青白い火に、注目する目はない。
視線の先、港へ続く道には警備の為なのか武装した人間が何人か、眠そうにしながら立っている。
夜通しなのだろう、灯りの少ない海沿いには商会の建物が多く並んでいるから。
「やっと見つけたぜ」
そう言って隣に腰掛けたのは、今日は頭にくるくると雑な感じで黒染めの布を巻いている、情報屋ウルフレッド・カーヴィン。
「お久しぶりですね」
最後に会ったのはいつだったっけ。
……いつだっけ。
「三狂の魔女のことは、もういいんだろ?」
「あー……、一応聞いてもいいですか?」
ルデラフィアと戻ってきたことはもう知っているのだろう口振り。
けれど、別の視点からの情報を聞いておいても損はないだろう。
「あぁ、構わないが」
ウルフレッドは懐からくたびれた羊皮紙を取り出すと、目を細めた。
「三狂の魔女。エクスフレアの三姉妹。工房はソムリアの領土内、城塞都市レグルスとの境付近にあるとされる。
ソムリア群島の一つにもあったが、今は放棄されている」
前者があの邸宅のことだろう。
多くの『木々を食むもの』を抱え、多くの魔獣が棲む深い森の中に隠れ潜む。
「長女はヴィオーネ・エクスフレア。『侵食の魔術』を得意とするが、ありとあらゆる魔術に精通している」
「あとおっぱいが大きいです」
「へぇ」
うわぁすっごい興味なさそう。
男は基本大きいおっぱい好きだろ、と思ったけどそうだった、こいつ……別の方向を向いた変態だった。
「次女はニャンベル・エクスフレア。魔力の『充填』と『供与』が得意とあるが、他に目立った点はないな」
ふぅん……?
むしろ俺の中では、最も魔力の扱いが上手くて何でもできそうなイメージだったんだけど。
魔術に特化しているというか。
それしかできない、というか。
「三女はルデラフィア・エクスフレア。三姉妹の中で最も有名だな。『炎剣』の使い手と言えば誰もが思い浮かべる」
あの『渦巻く海竜』さえ焼き切っていた、防御不可能な攻撃魔術。
あの時あの場に、彼女一人だったらきっと、当たり前のように撃退していたんだろうなと思う。
「彼女たちへの評価は様々だ。『災厄』後の初めての二国間の争いでレグルス側は騎士団を半壊させられたからな。当たり前だが西側での三姉妹にまつわる話は悪評しかない」
初めて相対したときの衝撃と、その後聞いた話とを併せて、彼女らの印象は酷いものだった。
その後お持ち帰りされて顔を突き合わせて、少しだけ改善されたけど。
「一方で魔術師の多い東側での評価は高いものが多い。まぁ良くも悪くも、だがな」
スティアラ・ニスティやトルデリンテ・マクロレンからも随分と買われていた。
自由奔放で悪辣、というわけではないらしいことは、俺もよく分かっているつもりだ。
「とりあえずはこんなところか。後はソムリアでの魔術養成機関時代の話だが」
「ありがとうございます。それくらいで」
過去までほじくり返す趣味はない。
咥えていた一本も散り散りに宙に消え、頃合だった。
「あー、すみません。今日はソラいないんですよ」
「代金の話か。次にまとめていただこう」
まとめてって。
……何させられるんだろう。
「ああそうだ。アーティファクトの件だが」
ウルフレッドはそう言って別の羊皮紙を取り出した。
どうやら継続して調べてくれていたらしい。
「城塞都市レグルスが背負う『神聖なる山』に、黒き魔女が訪れたことがあるって話だ」
「……?」
訪れたってだけなら、世界中に姿を現したって聞いたけど。
首を傾げる俺に、片笑みを浮かべてウルフレッドは続けた。
「あそこは王族しか入れない場所だ。入り口も上級騎士が固めて、近寄ることもできない」
「なるほど」
そんな場所にわざわざ足を踏み入れる理由、か。
「まぁ何かありそうだ、くらいの情報だけどな」
今回はこんなもんだな、と立ち上がったウルフレッドは羊皮紙を折り畳み、頭に巻いた布を僅かに下げた。
「次の仕事を頼んでもいいですか?」
ああ、と返事をした変態だけど有能な男は、少しだけ眩しそうに『リフォレの大樹』を見上げている。
黙ってればこの人もなかなかに精悍な顔つきなんですけどね。
「人間が対応できる程度の空を飛ぶ魔獣の存在を知りたいんですけど」
「……またおもしろいことを知りたがるな」
少しだけ間を置いたウルフレッドは、視線を落としてから続けた。
「空を飛ぶ魔獣ってだけで、もうそれは人間の手に余る存在じゃないか?」
「……たしかに」
言われてみればその通りだった。
自由自在に空を舞い、急襲する……ちょっと手に負えそうにないですね。
「まぁ仕事は仕事だ。調べてみよう」
そう言って手をひらひらと振り、ウルフレッドはまだあちらこちらから喧騒の聞こえる街の中へ姿を消した。
小さく手を振り、考える。
……あの女、ヒイラギはどうやって『神域の庭』に渡るつもりだったんだろう。
「うーん……、うん?」
気がつくと人々の声は減り、家々から漏れる灯りも少なくなっていた。
昼間の喧騒が嘘のようで、同じ街の中にいるとは思えない。
イイ雰囲気に包まれていた男女も消え失せ、街の中心の大きな大きな広場は、静けさに覆われていた。
しかし、無人ではない。
どこから現れたのか、ふらふらとおぼつかない足取りの人間が数人、大樹の方へ歩み寄っていく。
『リフォレの大樹』はまるで、誘蛾灯のように光を湛えている。
なんとなく見覚えのある彼らの風体は、城塞都市レグルスでも見た、影に隠れ光を見上げるだけの人々と同じもの。
どこに潜んでいたのか、そして何故この広場を……地面を凝視しながら、さ迷い歩いているのか。
その答えはすぐに分かった。
急に機敏な動作で屈み込んだ一人が、裸になった掲示板の足元から、何かをつまみ上げた。
『リフォレの大樹』の柔らかい光に鈍く反射して見えたそれは、半月の形をした銅貨。
他の場所でも、磨り減ってほとんど段差も隙間もない石畳の上から、何かを拾い上げた。
それは一見するとただのゴミにも見えたが、彼らにとってはゴミではなかった。
これが、夜の港湾都市リフォレの姿か。
反対側では、酔っ払った数人の男が持っていた何かを地面にばら撒き、そしてそれに群がる人々の姿が見える。
それを笑う者、冷ややかに見つめる者、我先にと独占しようとする者、弾き飛ばされる者。
大通りには巡回する警備兵だろうか、姿がちらほら見えるが、広場の小さな騒ぎには目もくれない。
港方面への道を塞ぐように立つ彼らも、また同様に。
城塞都市だけではなかった。
この街でも、きっと何処の街でも、この世界はこうなのだろう。
この世界は夜でもこんなに明るいのに、どうしようもなく、影が濃い。
小さく溜め息をつく。
「……戻るか」
マクロレン商会には部屋を一室貸してもらっている。
流石にソラも起きてるだろう、寂しがってるかもしれない。




