十一話 魔術師の住処
「これは素晴らしい!!」
応接室に響く感嘆の声。
柄から頭まで魔力が染み込んだそれをリターノ・マクロレンに手渡すと……絶賛だった。
細部までじっくりと注視する真剣なその目は多くの商人を束ねる鋭いもので、執拗に撫で回す指は恐らく異常がないか確認しているのだろう。
指使いがねっとりしている……。
「お一人で、しかもこんな短時間で、いやはや……」
ぺちり、と広いおでこを叩いたリターノは、報酬の話は後ほど、と慌てた様子で部屋を出て行った。
あれ一本でそこまで作業効率が変わるのだろうか、喜んでもらえたようで何よりだけど。
「で、話ってなんだ」
ソファに深々と座り、焼き菓子を齧りながらルデラフィアは視線をこちらに向けた。
トルデリンテは忙しいのだろう、この部屋に姿はない。
つまり、二人きりだ。
「その、目的を少し修正しようかと」
今の俺の目的は、港湾都市リフォレから北、魔術都市ソムリア……のさらに北にある、複数の都市国家の集合体。
そこで『雲隠れ』という空を飛ぶ魔獣を探し、可能なら使役する。
……だけど、その前に。
「鈍色のローブの集団……『使徒』でしたっけ。彼らを、なんとかしたい」
黒き魔女に付き従っていたというあの存在は……看過できない。
放っておけば恐らくこの街、小さな魔術師たちも危険な目に遭うだろう。
「ああそういえば、ずっと寝てたからお前はまだ聞いてねェよな」
「? 何をですか」
「あの河口で遭った鈍色の目的」
怒りに任せて聞く前に全て吹き飛ばしてしまったのを、少しだけ後悔している。
それでも何かを掴んだあの場に居た俺以外は、やはり優秀な魔術師だった。
スティアラ・ニスティ。アイファ・ルク。そして、目の前の。
「というより、状況的に一つしか考えられねェ、って結論に至った」
「……と、いうと」
「有り体に言えば、『召喚の魔術』だな」
んん、どういうことだろう。
確か『血の平野』へ至る川を、人目につかないように何十体もの『渦巻く海竜』を進攻させていた。
川沿いの村はその為にあらかじめ……。
「『血の平野』は場。『竜』は生贄。行われる筈だった戦争、流れる血で陣を構成する……そんなところだ」
俺には想像すらできないほどの規模の魔術なのだろうそれは、一体何を呼び出す為のものだったのか。
考えこむ俺の目の前に、ずい、と寄せられたのはぶどう酒が注がれたグラス。
一口だけ飲む……美味い。
「何を呼び出すつもりだったか知らねェけど、本音を言えば、見てみたかったな」
「そう、ですか」
「まァあの『断罪』を見れたからいいわ」
脚を組み替えたルデラフィアの声色は至っていつも通りで、危機感みたいなものは感じられない。
そこまで危ない状況ではなかった、のだろうか。
ぐしぐしと頭を乱暴に撫でられた。
「で、さっきの話だけど」
この人は本当に物事に頓着しないな。会話のテンポが速い。
いやまぁ、そういう性格は嫌いではないけど。
「結局、北には行くことになるぜ」
「そうなんですか?」
「あいつらの隠れ家がソムリア群島の中にあるからな」
群島……そういえば魔術都市ソムリアは、群島都市と呼ばれていたんだっけ。
つまり彼らは、ソムリアの魔術師ということになる。
……確か三姉妹も、そうだった筈だけど。
「ただ悪ィが、その前に『血の平野』に行くぞ」
「……それはまた、どうして」
ルデラフィアはぶどう酒をおもいきり呷ってから答えた。
浮かべた笑みは似つかわしくない、優しげなもの。
「完全に潰さねェと、またやらかすだろ」
この三姉妹の才女が言うには、二つの国が何度もぶつかった『血の平野』は、魔術的に優れた場所らしい。
生贄に使う『竜』を失ったものの、代替品を用意して必ず再び挑むだろうと。
「あたしとしちゃァ放っといてもいいんだけど。……お前は、そうじゃないんだろ」
「……はい」
魔術の探求を第一とする三姉妹、その末っ子がそれ以外を……俺の意思を、優先してくれるという。
なんだか、お腹がぽかぽかする。
「フィア」
その黙っていれば美しい横顔に、唇で触れる。
「ありがとうございます」
「……おねえちゃん、だからな」
やっぱ根に持ってたわこの人。
移動手段はマクロレンに用意させろ明日また来る、と言ってルデラフィアは街へ繰り出していった。
ロビーに一人残された俺は、いつの間にか足元に纏わり付いていたクリーム色の毛並みの良い猫に見上げられていた。
「……ちょっと離れててくれますか。ミスったら、真っ白になっちゃいますよ」
屈み、頭を撫でながら声をかけると、すぴーと鼻を鳴らし、軽快な動きで肩に飛び乗ってきた。あ、この子けっこう重い。
なるほど、失敗は許されないということか。
「ふぅ……」
ちらりとカウンターの方を見やると、受付のお姉さんがにこりと笑みを浮かべた。
広いロビー、他に視線はない。
慎重に魔力を廻らせる……身に纏う服を自身の魔力で構成できたのだから、他にもできるはず。
例えば武器とか、ぱんつとか。
お腹の下に意識を集中する。
「んー……。うーん」
……できないや。
おっかしいな……あの女はそれこそ何でも生成していた気がするんだけど。
まだその域に達していないということですかね。
猫様を肩に乗せたまま身体の中で魔力をぐるぐるしていると、奥から並んで歩いてきたアイファとコリン、二人と目が合った。
その手に魔布を抱えて……嫌な予感がする。
「あ、お姉さま! そうだ、お姉さまも一緒に行きませんかっ?」
「えぇと……?」
「言葉が足りないよコリン。今からスティアラ様の工房で、頂いた魔布を加工してもらおうって話になったんです」
アイファは太もも辺りをもじもじさせながら補足した。
まだぱんつは穿いてないらしい。
それでその魔布は、一体何に生まれ変わることになったんですかね……?
「そう。じゃあ、付いていこうかな」
魔布も気になるし、工房の方も一度見てみたいと思っていた。
ソラはまだ寝てるけど……街の中だし平気だろう。
察したのか、肩の上に鎮座していたマクロレン商会リフォレ支部の看板猫は、に゛っ、と鳴いて華麗に飛び降り、カウンターの方へてしてしと歩いていった。
なんだったんだろう、暇だったんですかね。
受付のお姉さんに三人で会釈をしつつ、外へ。
工房へ向かう途中。
広場は相変わらず人の往来が激しく、そして騒がしい。
「月へ昇る光の柱を見たか! あれこそ人が血を流し争うことを憂いた『白き魔女』が示した奇跡!」
真っ白に染まった『リフォレの大樹』の根本では、白い布を全身に纏ったかなり怪しい人々が、声高に何かを叫んでいる。
それを横目に見つつ、アイファが口を開いた。
「一大派閥になってますよ。先日の『断罪』も、既に知れ渡ってます」
なんだか面倒そうなことになっていらっしゃる……。
しかも以前ここを通ったときはその声に耳を傾ける人はそんなに居なかった筈だけど、今は足を止め大樹を見上げ聞き入る人がそこかしこに見える。
「ダルセイ・クリシュ様は頭を抱えてましたよ」
と、アイファは顔を綻ばせて可笑しそうに話すと、コリンの方へ視線を向けた。
「おじい様は、とても忙しそうでした」
でしょうね。
あの騒ぎに乗じてよからぬ事を企む人間も現れるだろう。
木を隠すなら森。悪事を働くなら、喧騒の中で。
といっても現状、俺にできることはなさそう。
下手に姿を現して、静かにしろい! なんて言っても薮蛇どころか火に油だろうし。
二人の手を引き、足早に広場を去った。
目的地のスティアラ・ニスティの工房は、一度通ったことのある道の先にあった。
ああ、なるほど。
マクロレン商会から紹介してもらっていた魔術師の工房は、ここだったのだ。




