十話 魔布は大人気
マクロレン商会リフォレ支部。
煉瓦造りの建物は海風を物ともせず、湾沿いの特に利便性の高い土地に堂々とそびえ立っている。
その中の一室、どれも一目で分かる高級品で彩られた応接室。
部屋の中では、支部長であるリターノ・マクロレンと、その兄トルデリンテ・マクロレンが、昼食もそこそこに忙しなく書面に目を通している。
「よォ、起きたか」
その応接室の外、ドアの前で腕を組み、紋様の刻まれた長い脚を惜しげもなく見せながら待っていたのは、ルデラフィア・エクスフレア。
三狂の魔女の末っ子。
表情が柔らかく見えるのは、大きな窓から差し込む陽射しのせいだろうか。
「おはようございます、フィア」
送ってくれたコリンの頭を撫でると、それでは、とぺこりと頭を下げてから戻っていった。
その小さな背を見送ってから、ルデラフィアはしかしノックもなしにドアを無造作に開けた。
「ん、おお。元気になられたようで」
リターノは勢い良く立ち上がり、こちらに歩み寄ると、満面の笑みで手を差し出してきた。
よく分からないけど手を握る。
その間にルデラフィアはソファに腰を下ろして、早速酒を無心している。
「やはり兄の目に狂いはなかったようですね。いやぁ素晴らしいですよ、シエラ殿」
「えぇと……?」
さぁさぁこちらへ、と促されるままにルデラフィアの隣に座る。
トルデリンテはようやく顔を上げ、相好を崩した。
「話はそっちの魔女から聞いた。『渦巻く海竜』を塵一つ残さず消し去ったそうだな」
「……はい、すみません」
彼らからしてみれば、その手に入ったであろう素材はそれこそ宝の山だったはずだ。
船と人を出してこれでは、赤字どころの話ではない。
「いや、謝ることはない。約束通り、船は渡そう」
「え、いいんですか?」
ルデラフィアはさも当然のように、運ばれてきたぶどう酒を美味しそうに呷っている。
「と言うより、今はそれどころではなく忙しい。……白き魔女殿のおかげでな」
どういうことだろう、と隣のルデラフィアを見る。
一気に飲み干し空になったそれを置き、ルデラフィアは口を開いた。
「お前が使った『断罪』で、川が一つ干上がった」
お前一週間以上寝てたんだぞ、と。
ルデラフィアは足を組み替え、そのまま続けた。
「どんだけ高出力だったんだか。川底の砂と石、周辺のもろもろが、見たこともない鉱石に変化していた」
「それを今我々が独占しようと、人員を派遣中だ。まったく、恐ろしいことだ」
トルデリンテの言葉は非難の色が混じっていたが、それ以上に隠し切れない笑みが浮かんでいる。
……そんなことになっていたのか。
「これは河口付近からようやく採取できたものです。非常に頑強で、恐ろしく軽い」
リターノがテーブルの上に置いたのは、黒い木炭のような鉱石。
爪で小突くと澄んだ音がする。
「……微妙に魔力を内包してますね」
「そう、素晴らしいのはそこなんですよ、シエラ殿」
と、リターノが興奮気味に捲くし立てる。
「魔力が付与された物を作るには基本的には最初から魔力が内包されている素材を使用するのが一般的なのですが、そもそもそんなものが自然に転がっているかと言えばこれが全くと言っていい程見つからないのですよ。
そこで魔術師たちは『魔力の付与』という魔術に挑んだわけなのですがこれがまた非常に難しい代物で、そもそも外界に自身の純粋な魔力を現出させること自体が高位の魔術師でも難易度の高い芸当なわけで、例えば一枚のシーツに魔力を付与するのに何人必要だと思いますか?
十人ですよ十人、馬鹿げていると思いませんか? それも数日かけてですよ効率が悪すぎる! ですからつまり素材の時点で魔力が内包されているのがベストってことになるわけでして」
長ぇ。
ちら、とルデラフィアを横目で見ると、既に二杯目に口をつけている。
黙ってたら本当に綺麗な人だな。
「ただ現状、アレを採掘するのも加工するのも非常に難易度が高くてですね、そこでシエラ殿にお願いがあるのですが」
「なんでしょう」
「『魔力の付与』をお願いしたいのです」
さっきの力説はなんだったの……?
ふよ。
一度だけ……一度だけ、意図せずしたことがあったような、気がする。
ただあれは、なんというか偶然の産物だったわけで……。
「ちなみにあたしは専門外」
ルデラフィアは手をひらひらと振って、これ以上こっちには話を振るなと言外に言われた。
「いや、私も……」
「ソラ殿に見せて頂きましたよ。豊潤な魔力を湛えた魔布、素晴らしい出来でした」
あいつ……。
「勿論ご予定もあるでしょうから、無理にとは申しませんが」
予定、か。
考え直したことが一つある……後でルデラフィアにも話さないとな。
「……分かりました。ただちょっと自信がないので、試してみていいですか」
建物の中、ロビーの片隅には木箱が乱雑に積まれていて、中にはツルハシやスコップ、ハンマーなどが無造作に放り込まれている。
そのどれもが刃は欠けヒビが入り使い物にならないものばかり。
「普通の道具では文字通り歯が立ちませんでした」
案内してくれたリターノ・マクロレンの言葉通りの有様だった。
ボロボロの道具の数とは反比例して、手に入れられた木炭のように見えるそれの数は目に見えて少ない。
使い古しのまだ使えそうな大きなハンマーを、腕に魔力を流しつつ手に取る。
「これ借りますね。……中から鍵を掛けられる部屋、あります?」
そして。
工程を見たい、という声を全力で断り、用意された部屋に一人、閉じこもる。
見せるわけにはいかない。
なぜなら今から俺がするのは……。
ベッドの上、アイファから貰った(?)ぱんつを脱ぎ、膝立ちでハンマーの長い柄にまたがる。
壁沿いに置かれた大きな姿見には、空を飛び宅急便でもしそうな絵面の白い少女が映っている。
ハンマーで空は飛べない。
そんなことは分かっている。
「ふぅう……」
落ち着け。
あの時は許容量を超えたのと、一つの大きな山場を越えた恐らくは安心感からもたらされた、決壊。
現象それ自体は、外界に現出された、液体化された純粋な魔力。
原理は分からない。
『吸血鬼』を通して発現させた魔力の刃も、口付けによって行われる他者への魔力供与も、言ってみれば純粋な魔力の筈。
ただ、きっと、何かが違うのだ。
この身体を一度通すことによって現出されたあの液体化された魔力は、『そういう特性』を持っているのだろう。
「はぁあ……」
気は進まない。
けれど自分の身体のことだ、把握しておく必要があるだろう。
大きな姿見に映った人形めいた少女の目は、光を失っている。
お腹に力を入れる。
あの女は、どうしてこの身体にこんな機能を付けたのだろう。
「……っ」
太ももの内側を伝う、透明で生温かいそれから、意識を逸らす。
ぽたぽたとシーツに垂れて染み込むそれから、意識を逸らす。
もし仮に、再び会うようなことがあれば。
「……はぁ、ぁ」
聞かせてほしい。
この機能で、何をするつもりだったのかを。
そしてそして。
副次的に出来てしまったベッドのシーツもとい魔布と、上手くいったであろう魔力の込められた大きなハンマーを手に、部屋のドアを開けた。
「きゃあっ!?」
栗色の髪を揺らし、驚いたような声を上げるコリン・クリシュ。
飛び上がった少女を慌てて抱きとめるアイファ・ルク。
こいつら、聞き耳を立ててやがったな……。
「……何してんの」
「え、えへへ……な、何も聞こえませんでしたよ……?」
そうか、なら目を合わせろ。
アイファは後ろでなにやらもじもじしている……まだ代わりのぱんつを穿いてないのかな?
そのアイファはちらりとこちらを見て頬を赤らめながら、おずおずと口を開いた。
「し、シエラ様。もしかして、もう付与は終わったのですか?」
「ああ、うん」
この世界の魔術師がどのような手順で魔力の付与をするのかは知らないけど、俺にとってはその。
あれをこう、染みこませるだけなので……。
しかし、こんな硬そうな無機物にもできるとは思わなかった。
「流石お姉さまですっ!」
何かを勢いで誤魔化すように飛び込んでくるコリン。
この子は意外としたたかですね。
「あ、あの、見せていただいてもいいですか?」
ぱんつがないのがよっぽど不安なのだろう、普段より声色も態度も控えめになったアイファに、折り畳んだ魔布を渡す。
その気持ちはよく分かるよ、うん。
奪った本人が言うのもどうかと思うけど。
……返したほうがいいかなぁこれ。
「わぁ……す、凄いですね。見てコリン、こんな豊潤な魔力が……こんなことできるんだぁ……」
「ほぁ……すごい……」
目をキラキラさせて二人の少女が見つめるそれは、非常に申し上げにくいのですが、その……。
尊敬の眼差しを向けられ、俺は苦笑いしか返せない。
「頼まれてるのはこっちだけだから、それは好きにしていいよ」
きゃあ、と同時に声を上げて綺麗に重ねた二人は、何に使おうか相談を始めた。
曰く、魔術師にとって魔布で作られた外套などは、憧れの的らしい。
……それはちょっとやめてください。
 




