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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第三章 無知なる罪
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八話 大陸を分かつ光

「つまらない催しだと思っていたら……嬉しい誤算」


 『渦巻く海竜』その巨大な体躯の下半分は水の中、体表は蒼が薄く透ける翠色で、その頭の上に人が乗っている。

 鈍色のローブを纏った女の、翠に輝く両の目が喜色に震える。

 くるくると巻かれた髪は薄く、魔素の色に似ている……およそ人間離れしたその見た目に嫌悪感が背筋を撫でた。


「黒き魔女の器に、炎剣の使い手、慈愛の魔女に、実験体、そして加護を受けた魔術師……。ふふ、いくら私が雑食と言っても、これは、ふ、ふふ」


 なんて素敵なのかしら、そう呟いた女の声は透き通るようで、寒気がする。


 左手で『吸血鬼』を抜き、四肢に魔力を流した。

 いつでも動けるように……やるならあの女の真後ろに転移して、一刺しで終わらせたい。


「……お前がしんがりか。何匹昇らせた?」


 ルデラフィアの声色はいつも通り。

 ソラが俺の手を握る。跳ぶなら一緒に連れていけという意思表示。


「えーっと、二十くらいかしら?」


 何か考える風でもなく素直に答えた女は、『渦巻く海竜』の頭の上、角か耳か触角か分からないそれを優しげに撫でた。


「それで……わざわざお出迎えしてくれた理由を聞いてもいいかしら? 器を届けにきてくれたと言うのなら、他は特別に見逃してあげてもいいけれど」


 返事の代わりに、ごう、とルデラフィアの右手に、目が潰れそうなほどに眩い炎の剣が現出した。

 それを視界の端に見やりつつ、『吸血鬼』に魔力を注ぎこむ。


「あら、怖い。でも、そうね……」


 女は腰を僅かにくねらせ、頬に手を当てた。


「一度味わってみたかったの、それ」


 女の周囲、魔素が揺らぐのを見て、転移の魔術を発動させた。

 女の真後ろやや上に現出、真っ直ぐ『吸血鬼』を振り下ろす。


「ふ……っ!」


 刀身は呆気なく女の頭部に埋まり、魔力を吸収しながらの斬撃はしかし重く、振り切るまでにかなりの抵抗感があった。

 間違いなく女の体内の魔力を全て吸収した。

 ……筈なのに。


「せっかちですね、『仮宿の子』は」


 ぐるり、と後ろを向いたその首の動きは滑らかすぎて気持ちが悪かった。

 見開いた目に浮かぶ笑み、しかし魔術の気配はおろか、敵意が感じられない。

 ゆっくりと伸ばされた手をソラが蹴り飛ばし、俺を抱えて後ろに跳躍。

 『渦巻く海竜』の背に着地した。


 もうソラにお姫様抱っこされるのにも慣れてきたなぁ……。


「シエラちゃん、私の話を覚えていますか」


「……どの辺りの?」


「『融合』。……その」


 確か子作りの話でしたっけ。

 なぜその話を今。


「成れの果てが、これです」


 ソラの足元、『渦巻く海竜』の背からずるずると何かが……いや、人間の腕が生えてきた。

 それを跳んで避ける、その眼下で巨大な体躯を爆炎が飲み込んだ。

 初めて見る密度と規模……ルデラフィアは、恐らく本気だ。


「ふふ、噂通り、綺麗な魔術」


 立ち上る炎の中、女の声が聞こえる。

 『渦巻く海竜』の頭の上の女の身体は焼け崩れ、背に生えた人間の腕も炭化してボロボロと剥がれ落ちていく。

 なのに、女の声は止まらない。


「成れの果て、なんて酷いわ。あなたも私も、命を救われたという意味では、同じ仲間なのに」


 川の対岸に着地した俺とソラに、燃え盛る『渦巻く海竜』のどこかから声が投げられた。

 俺を降ろしたソラの表情は険しい。

 実験体に、今度は仲間ときたか。


 薄くなった霧がまた濃くなり、動きを止めていた『渦巻く海竜』その巨体が動き出した。

 それだけで川の水が溢れ、押し寄せてくる。


 ルデラフィアは上流の方へ回りこみながら、『渦巻く海竜』の体躯に楽しそうに魔術を放っている。

 全力を出しても壊れない玩具とか思ってそう。

 しかしその巨大な体躯を炎に包まれても、なんというか、効いているように見えない。


「どうしよっか、ソラ」


「フィアちゃんに任せておきましょう。巻き込まれたくないですし」


 同感だった。

 物凄い密度の爆炎が休むことなく浴びせられている。

 音と光と爆風と……とてもじゃないが近づけない。

 対岸のスティアラとアイファは手を出さず距離を取っている。


 もしかしたらこのまま削りきれるんじゃないか、と思った矢先に、『渦巻く海竜』の全身から……泡が染み出してきた。

 しゃぼん玉みたいなそれは一つ一つが人間大まで成長し、ふわりと浮かんだ。

 その中には……炎が、閉じ込められている。


「へェ……おもしれェな」


 ほんと楽しそうだなあの人。

 数十のしゃぼん玉が『渦巻く海竜』に纏わりついていた燃え上がる炎を全て閉じ込めてしまった。

 それを再び爆破しようとする魔素の収縮が見え、連鎖的に爆炎が弾ける。

 しかししゃぼん玉は、爆風に乗ってふわりと逃げてしまう。

 そしてそれは操れるようで……今や『渦巻く海竜』を取り囲むように配されていた俺たちに向かって、ふわふわと飛んできた。


「ソラ、ちょっと離れてて」


 恐らく割れたら爆発でもするのだろうそれを、『吸血鬼』の揺らめく刀身で触れてみた。

 衝撃に備える……が、割れない?

 なんでだろう、試しに刀身越しに魔力の吸収を試してみると、ちゅるん、と綺麗に吸収できた。


「なにこれすごい気持ち良い」


 ソラの少しだけ冷ややかな視線を後頭部に受けつつ、近づいてくるそれらを全て吸収する。

 が、『渦巻く海竜』を挟んで対岸側。


 スティアラ・ニスティの周囲数メートルを半球状に覆うあれは……結界?

 その背に張り付くように周りを見回すアイファは明らかに戦意を喪失している。

 無理もない、乗ってきた船より大きい『竜』が現れたのだ。

 あまりにも大きすぎて、もはや生き物にすら見えない。


 恐らく結界の魔術だろうそれにしゃぼん玉が触れると、薄い膜が割れ中から炎が現出する。

 その光景はいっそ幻想的ですらあるけれど、つまりあれは……現象それ自体を封じ込めているのだろうか。


 ルデラフィアは荒れ狂う炎の剣で、朽ちた建物ごと周囲全てを焼き払っている。

 魔術だろうがなんだろうが関係ない、触れたものを全て焼き尽くす業火。

 炎の中から笑い声すら聞こえる。こわい。


 吸収した魔力を全て『吸血鬼』の刀身に回す。

 俺の背丈の倍近くまで伸びたそれを一度振るう。

 揺らめくそれはどす黒く、陽炎のような残り火は魔素をも貪欲に喰らっている。


 『渦巻く海竜』、その巨大すぎる体躯が川から這い出し、対岸へ上がっていく。

 標的は……動きを止めたスティアラとアイファか。

 動きは緩慢に見えるが、間近で見れば距離感を喪失して気づいたときには潰されているだろう。


 ソラの手を掴み転移の魔術を発動、『渦巻く海竜』の頭の上に現出。

 真っ直ぐ突き下ろし、魔力を吸収しながら刀身に還元していく。

 ソラは空中で青白い炎を散らしながら元の姿に変化し、地面へ急降下。

 視界の端、ルデラフィアの炎の剣が『渦巻く海竜』の数メートルはある翼のように見えるひれを、豪快に焼き切っている。


 ギュイ゛イ゛イ゛イ゛イ゛ッッ!!!


 咆哮を上げた『渦巻く海竜』の動きは止まらない。

 この単純な質量をあの結界で防ぎきれるとは思えない。

 眼下、ソラは間に合った、スティアラを背に乗せアイファを咥え、大きく距離を取る。

 ほっと一安心した直後、再び『渦巻く海竜』の全身から泡が滲み出してきた。


 さっきの大きなしゃぼん玉とは違い魔力が内包されていない、弾力すら感じられるそれは触れるより早く弾けていく。

 恐らく物理的な防御だろうそれは、俺からのそしてルデラフィアからの攻撃に対してではない。

 『渦巻く海竜』の這いずる速度が急激に上がった、地面との摩擦を、軽減する為──!


「っ……ソラ!!」


 多分、ソラ一人だったら避けられた。

 アイファを空高く放り投げたソラは、ルデラフィアにひれを切断されたからだろうしかし完全に逸らすには至らなかった、僅かに方向がズレた『渦巻く海竜』の、翼のようなひれに弾き飛ばされた。

 ぐしゃり、という音が耳に焼き付いた。


 スティアラは、ソラの体躯と結界の魔術で衝撃は緩和されたらしい、けれど痛々しい姿でふらふらと立ち上がった。

 僅かに青みがかった濃い灰色の、大きな狼の姿をしたソラは、口腔から血を流し、動かない。


 不意に力が抜け、『吸血鬼』から魔力が消失し、ずるりと足を滑らせた。

 ころころと『渦巻く海竜』の首を転がり落ち、背中で何かに抱きとめられた。

 その手はひんやりと冷たく、身体の中に染み込むよう。


「ふふ……おとなしくしていてくださいね」


 透明な泡に包まれ、その直後に周囲で爆炎が弾けた。

 視界の端、薄い風を纏って、放り投げられていたアイファ・ルクが体勢を崩しながらも着地した。

 その顔には怯えと恐怖が浮かんでいる。


 魔力が廻る。頭が、身体が、熱い。

 お腹の奥が、どろどろと煮えている。

 スティアラの魔術だろう柔らかい魔力の波が漂っている。

 ルデラフィアの炎の剣、その魔力の波動が空気を震わせている。


「フィア、離れてろ」


 誰にもミスはなかったと思う。

 ただ、俺が漠然と甘えていただけだ。

 左手で、涙が滲む左目を抑える。


 俯瞰する。

 大陸を俯瞰する。

 川には大きな橋が三本と小さな橋が三本架けられている村は八つ全て無人で遠く上流の山に三体途中の沼に六体川の中に十二体。

 こいつだけ特別に大きい他のは聞いていた通りの大きさでなるほど魔力の融合か。

 右手の中指の付け根……刻まれたそれを噛む。


 その起こりは落雷のよう。

 魔素が、捻れた。


「あなた、それは」


「お前らが何しようとしてるかなんて、知らないけど」


 身体に刻み込まれた『断罪』の魔術。

 それは、周囲の魔素を巻き込み吸い尽くし、標的の魔力をも利用して尽き果てるまで発動し続ける、破壊と殺戮の魔術。


「消えろ」



 大陸を横断する川が干上がったその年、二国間の戦いは起こらなかった。

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