六話 猫とは喋れない
「なんでこの話、引き受けたんですか」
出発して一日目の夜。寝るにはまだ早い時間。
大きな二つの月のおかげで、ゆっくりだが船は進んでいる。
時折、船の進行方向の空に燃える明かりが弾けるのは、ルデラフィアの魔術だ。
舳先で酒を飲む三姉妹の末っ子に絡まれないよう、少し距離を取って口を開く。
「目的地は北だし……関係ないでしょう。特に、フィアにとっては」
咥えた先端の青白い炎は小さく、辺りを照らすには心許ない。
どんな風に魔素が混じり合っていくのか、妄想しながら耳を傾ける。
「考えなしなわけじゃねェよ。怒んなって」
「怒ってるわけじゃ、ないですけど」
夜空に花が、燃えては咲いて、散っていく。
海の上では魔術が暴走しやすいとか言ってたけど、大丈夫なのかなこの人。
いや、制御には絶対の自信があるのだろう。恐らく。
「お前を追いかけてる騎士団連中も、海の上までは追ってこれねェだろ」
「……あ」
ルデラフィアのその言葉に、固まる。
てっきり自分が船を欲しいだけだと思ってたんだけど、この話を受けたのはもしかして……俺の為?
「守ってやるって言ったろ」
「……っ」
危ない危ない、魔力が廻りそうになる。
かっこいい台詞が妙に似合うな、この末っ子は。
「戦争も近いんだろ。便乗して街道沿いなんかお祭り騒ぎになるぜ」
そこまで考えていたのか。
嫌味だと思っていたトルデリンテが評した言葉は、あながち的外れではないのかもしれない。
「……でも、策はあるんですか」
動揺を気取られないように、努めて平静を装う。
結局のところ、『渦巻く海竜』という脅威を排除しないことには、この船も手に入らないのだから。
取らぬ狸のなんとやら。
「あんな風に言ってましたけど、私自身にそこまでの力はないですよ」
街ごと消えるとかなんとか。
それこそ、ルデラフィアの方が適任だろうに。
「なら、覚えりゃいいだろ」
空気を震わせる盛大な爆炎を背に、ルデラフィアはにやりと笑った。
船室は思ったより広く、内装は簡素なものだけどけっこう快適。
用意されていた個室の部屋は俺とソラ、スティアラとアイファ、ルデラフィアという至極真っ当な割り振り。
「ねじれと波。魔法陣の構成と速度の関係について。空間圧縮魔術。真空形成による破断魔術。……猫語の理解」
ルデラフィアに招かれた一室、簡素なベッドの上で『閲覧者』を広げている。
あの黒き魔女ヒイラギが遺したであろう魔術書ならば、望む以上のものがあるだろう。
というわけで、ヒイラギが書いたであろう日本語タイトルを片っ端から読み上げているのだけど……。
「猫、すげェ気になるな」
「ですよね。それどころじゃない気がしますけど」
『猫語の理解』という不思議なタイトルに、視線が釘付けになっていた。
何をやってたんだ黒き魔女……。
「見てみようぜ」
俺の火力向上の話はどこ行ったんだろうなぁ。
「じゃあ、呼び出しますよ」
しかし俺もノリノリだった。
だって猫と喋れるかもしれないんだぜ……?
指でなぞると、ほんの少し赤みがかった黒い文字が解け、独りでに動き、文字を図を紋様を再形成していく。
『猫語の理解』。著者は、ヒイラギ。
意気揚々とページを捲る俺の手は、しかし数ページで止まった。
「えぇと……すみませんフィア。めっちゃグロいこと書いてありますけど……読まなきゃ駄目ですかこれ」
「いや、いいわ……、画で察した」
直筆だろうコミカルな猫の解剖図(上手い)と、その身体のどこに術式を刻み込むかが、部位ごとにびっしりと描かれている……。
恐らく様々な魔術が刻まれているこの身体も……いや、あまり考えないほうがいいかもしれない。
ルデラフィアはもしかしたら猫好きだったのだろうか、見るからにテンションが落ち、ベッドに突っ伏してしまった。
「フィア」
声をかけるも、手をひらひらと返されるだけ。
まっさらに戻した『閲覧者』をそっと閉じる。
「これ、借りていきますよ」
返事代わりにゆらゆらと揺れる手を見て、小さく溜め息をつき、部屋を出た。
少しだけ気乗りしない気持ちを抑え、スティアラたちの部屋のドアをノックする。
「シエラだけど。スティアラ、いる?」
すぐに内側からドアが開かれ、迎えてくれたのは短いキュロットスカートだけを穿き、健康的に焼けた肌を惜しみなく晒した、アイファ・ルク。
どうやら寝巻きに着替えている最中だったらしい、普段は纏めている亜麻色の髪も今は下ろしている……にしても、随分無防備な。
「シエラ様。ごめんなさい、スティアラ様は今別室に」
「そか。いや、二人に用があったんだけど」
どうぞ、と招かれ部屋の中へ。
構造は全く一緒で、部屋の内装だけ見れば船の中にいるとは思えない。
ベッドの上には服やら下着やらが乱雑に置かれている。
「ご、ご用件はなんでしょうか、シエラ様」
「とりあえず服着て」
差し出された背のない小さな椅子に座ると、畏まった態度で目の前に直立された……流石に目に毒すぎる。
すみません、と謝りながら着替えるアイファの後姿をなんとなしに眺めつつ、聞いてみる。
「アイファが知ってる一番高火力な魔術って何?」
「へ? 高火力、ですか……?」
すぽん、と薄手の寝巻きから顔を出したアイファは、少しだけ考えてから口を開いた。
「やっぱり、魔術都市ソムリアの教団員三十人で発現したといわれる、『断罪』じゃないでしょうか」
「……だん、ざい」
ちょっとやばそうな名前だけど……一応見てみるか。
『閲覧者』を開いて膝の上に置き、魔力を注ぐ……おや、日本語で書かれている。
つまり、黒き魔女産の魔術か。
指でなぞり、ぞるぞるとうごめく酸化した血のような色のそれを眺める。
目を輝かせながら覗き込むアイファの胸元が隙だらけすぎる……この子ちょっと心配ですね。
と、急に『閲覧者』の質量が増したような気がした。
ページ数、いや、これそのものの密度だろうか、やけに重い。
著者はやはりヒイラギか。
「な、なんですかこれっ? わあぁ、なんですかこれっ!」
アイファの声のトーンが一段上がった。
少女らしいその反応は可愛らしいが、説明が面倒だな……。
「ちなみにどれくらいの威力なの、それ」
「えぁっと、確か……『セオーグ島』が、二つになりました!」
「???」
興奮混じりの説明は要領を得ておらず、全くイメージが湧かなかった。
島が、二つ……?
そのページを捲ると前置きなどは一切なく、魔術発動の工程と術式、各種紋様がただただ羅列されている。
日本語で書かれている部分がほとんどない……。
「んー……」
他にも何かないか聞こうかなと考えていると、ドアがノックもなく開いた。
スティアラ・ニスティ。
少しだけ、身構えてしまった。
「あら。こんばんは、シエラ様。お勉強会ですか?」
「ああ、……えっと」
戻ってきたスティアラを見て、アイファはしまった、という顔でベッドに駆け寄った。
ああ、色々散らかってましたね。
「二人に聞きたいことがあって」
ベッドの上の片付けに加わるスティアラに、先ほどアイファにした質問をそのまま投げかけた。
「そうですね……想定する規模にもよりますが……」
スティアラは片付け終えたベッドに腰を下ろすと、そう前置きしてから続けた。
その隣に座ったアイファは、答えを期待してか落ち着きがない。
「無条件でならやはり『断罪』でしょうか。丸一日かけての構築に加え、三十人もの高位魔術師の連携が必要という点で汎用性はゼロですが……島が真っ二つになるほどの魔術は、他には聞いたことがありません」
わぁお。
島が二つってそういうことか、とんでもないものだった……。
「個人で使用できる魔術に限定するのでしたら、防御不可能な『炎剣』でしょうか」
「……それって、もしかして」
「はい。ルデラフィア様です」
……枯れた湖でやり合ったとき、ガチで殺しにきてたんじゃねーか!
それは、ニャンベルも苦言を呈するはずだ。
「共通して言えるのは、常人に扱えるものではないということです。……シエラ様なら、或いは」
「そか」
アイファのそわそわした視線を感じ、『閲覧者』を閉じた。
そしてもう一つ、聞いてみる。
「『渦巻く海竜』は……フィア一人で勝てるもの?」
俺の質問にスティアラは手を軽く顎に添え、少しだけ考えてから口を開いた。
「ルデラフィア・エクスフレア様は、戦闘ただ一点においては魔術師の最高峰です。ただ、『竜』という存在はあまりにも……」
俺が相対した『地均す甲竜』は、元々がおとなしい気性の上、操られていて盲目的な行動しか取れていなかった。
それでも尚あの迫力だったのだ、まともに戦うとなると……。
「……うん、分かった。ありがとう」
立ち上がり、礼を言う。
方針は決まった。




