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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第三章 無知なる罪
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五話 覚悟は海原に揺れ

 用意された船はそれはそれは立派なもので。

 キャラック船のような丸みを帯びた船体は可愛らしいが、積載量はかなりのもの。


 船員はマクロレン商会指折りの屈強なおとこたち。

 そして白いのと、慈愛に満ち溢れているのと、そのお付きと、獰猛なのと、犬っぽいのと。

 大丈夫なのかなこの面子。


 目的地の河口、小さな漁村までは風の機嫌次第だが三日はかかるという。

 陸路のほうが恐らく早かったのだけど、騎士団の連中が張っているのと、ルデラフィアがどうしても乗りたいというので海路に決まった。

 成功報酬の船を使わせてくれるトルデリンテは太っ腹だ。



 そういえば全員、船に乗るのは初めてだと言っていた。


「女性が船に乗ることは基本的にありませんからね」


 甲板で二人、手すりにもたれて眺める海面は穏やかだ。

 スティアラは潮風を受けてなびく琥珀色の髪を押さえながら、にこやかに語った。


「海の仕事は男のものだ、という風習は、魔術の素養にも関係してるんです。

 比較的女性の方が、魔術の適正は高いことが多いじゃないですか。

 だけど海の上は魔素が荒れ狂っていて、魔術が暴走しやすいので」


 その言葉を聞いて、目を切り替えた。

 髪の間から獣の耳がぴょこ、と生える。それを見てスティアラは息を呑んだ。


「ほんとだ」


 濃密とまではいかないまでも漂っている魔素は濃く、しかし実際に吹いている風とはてんでバラバラに流れて踊っている。

 その光景は青い洞窟で見た、黒き魔女の手によってくるくると踊る、薄く青い魔素の公演を思い起こさせた。


「その耳は……魔素を感知しているのですか?」


「へ? ……ああ、そう、そんな感じ」


 そうだった。

 魔素は見えないもの……この世界ではそれが当たり前で、常識で。

 それが見えるなんて言ったら、どんな扱いを受けるのだろう。


「その若さで魔術に身を捧げる姿勢、覚悟。……感服します、シエラ様」


 んん。

 やることなすこと、この子は大げさに捉えるなぁ……。

 胸に手を当て微笑むスティアラ・ニスティを見やる。

 数日前まで完全に遮断されていたとは思えないほど、左腕には淀みなく魔力が廻り、循環している。


「腕、大丈夫そうで良かった」


「はい。……本当に、なんて言ったらいいのか」


 柔らかく笑うようになったスティアラは、しかしまだ恩を感じているらしかった。

 うーん、なかなかに重たい子ですね。


「言ったろ。竜をも統べるんだぞ、私は。人間の一人や二人、っ……んぷ」


 偉そうに語る白いおチビちゃんは、軽々とスティアラに腕を引かれ、抱き締められた。

 柔らかなそれはとても良い匂いがします。

 まだ十代の筈なのに、これは最早、暴力。


「それでも、私は……あなたに尽くしたいと、心から願っています」


 息すら止めかねない抱擁はなかなかに、いやちょっと待って、この身長差はまじで息が……。


「シエラ様……こんな小さな身体に、なんて濃密な魔力……」


「……っ」


 恍惚とした吐息が獣の耳を震わせ、汗ばむ豊かなそれが俺の頬の温度を上げていく。

 これ俺じゃなかったら死んでるかもしれない。息が。


「人間に近しい、しかし魔力によって変質したとされる強靭な器官を持つ魔族」


 スティアラは俺の頭を、そのあまりにもたわわすぎるそれに抱き締めながら、言葉を紡ぎ続ける。

 あれ、もしかしてこの子は俺を殺そうと……?


「私も一度しか見たことはないですが……それはこんなに綺麗で、完成されたものではありませんでした」


 スティアラの独白は続く。

 そろそろ俺からの返事が皆無なことに気づいてほしい。

 死んでるからな。俺じゃなかったら死んでるからな!


「……すみません。その、シエラ様があまりに美しかったもので……初めて目にした時、人間ではないと、思ってしまいました」


 正解だけども。

 反応したくても声が出せない。

 知っていますかスティアラ・ニスティ……耳に伝わる音声というのは空気の震えなのですよ……お前は今、その空気の通り道を完全に遮断しているのですよ……。


「魔術師は皆、どこかの街に工房を開き、根ざすことを夢見ています。

 私はその夢を叶えられましたが……今は、少しだけ後悔しています」


 はむ、と熱い吐息とともに、身動きの取れない俺の頭上で、獣の耳が甘く噛まれた。

 ……なんで?


「自由な身であれば、あなたに付いていくことができたかと思うと……胸が、苦しくなります」


 聞こえていますかスティアラ・ニスティ……目の前のおチビちゃんは苦しいどころか、呼吸をしていませんよ……。

 『慈愛の魔女』ってお前、この胸の中で安らかにお逝きなさい的な意味じゃないだろうな。


 と、抱き締めながら優しく髪を撫でるスティアラの手が不意に止まった。


「……スティアラ様?」


 甲板をとことこと軽快に歩く音が近づき、怪訝な声が俺と慈愛の魔女を分かち、間に滑り込んだ。

 た、助かった。


「どうしたの、アイファ」


 海上を滑る新鮮な魔素が体内に取り込まれる。

 ああ、くうきっておいしい。


「あ、えっと。夕食について相談があると……」


「……そう、分かりました。……それではシエラ様、失礼いたします」


 ぺこり、と気品すら漂う物腰で挨拶をして去っていくスティアラの後姿は、一目で分かる上機嫌ぶりだった。

 ……もしかして、本当に人間かどうか、試されてたり。


 一息ついて、紙箱を取り出した。

 久しぶりに一本咥え、目を戻す。

 魔素の煙は見えず、ただ先端が薄く青白く燃えるだけ。


 ちらりと周りを窺うと、船員たちは皆黙々と……恐らく先ほどのあれは見て見ぬ振りしながら、作業に従事していた。

 なんだかすみません、と心の中で謝りつつ見渡す……一段、いやもう一段高くなった船尾でルデラフィアが気持ち良さそうに風を受け、酒をかっ喰らっている。

 相変わらずだなあの人は。


 ソラの気配は頭上。

 中央マストの一番上で、真っ黒なローブをぱたぱたとはためかせている、こちらも全身に風を浴びて気持ち良さそうにしている。


 咥えたそれが散り散りに消えるまで海を眺めた。

 ふと視線を感じて……転移の魔術でマストのてっぺんへ。


「おっと」


 現出位置が若干ズレ、伸ばされたソラの手に掴まる。

 軽々と引き寄せられ、お姫様抱っこされた。これで何回目だろう。


 マストの上に設置されている見張り台は狭いけど、大人が二人立てるスペースは確保されている。

 ……なので、下ろして欲しいんですけど。


「ソラさん?」


 ソラは無言で遠くを見つめている。

 その少し切れ長の青い瞳は吸い込まれそうなほどに澄んでいて、魔素の色より濃く、明るい。

 諦めてぐるりと見やる……ああ、いい景色だ。

 ずっと遠く、どこまでも平らな水平線は穏やかで、そのあまりの大きさ広さに、今自分が何処にいるのか見失いそうになる。

 港湾都市リフォレは、今はマストの陰になって見えない。


 景色を堪能し、もう一度ソラの顔を見上げると……そのまなじりに涙が溜まっていた。


「……どうしたの、ソラ」


「え?」


 頬に一筋流れた涙を指で拭うと、ソラは自分が涙を流していたことにようやく気づいたらしい、ぐしぐしと手で目を擦った。

 そして、照れたように笑う。


「シエラちゃんと居ると、願っていたことが次々に叶います」


 その眩しい笑みに俺の持ち上げた手は固まり、ソラはすりすりと頬をこすりつけてくる。

 柔らかな温かいそれを撫でると、ソラは気持ち良さそうに目を細めた。


「私は、シエラちゃんのこと、大好きですよ」


「……うん」


 何度か聞いた、親愛の情を込めた言葉。

 真っ直ぐなそれは嬉しいけれど、照れくさい。

 だけどそれは、ヒイラギが作ったこの身体だからこその……。


 ソラは抱きかかえていた俺を下ろし、もう一度口を開いた。


「だから、子供作りましょう」


「まじか」


 だからってなんだよ。

 確かヴィオーネは可能だとか言ってたな。

 あれはどっちの意味だったんだろう……行為のことなのか、子をなすこと自体なのか。


 素朴な疑問なんだけど。


「……魔獣って、どうやって子供作るの?」


「先天と後天で少し変わってきますね」


 以前話していたあれか。

 生まれつき魔獣だったものと、後から魔獣へと変じたもの。


「後から魔獣になったものは、以前の特性を受け継ぐものが多いです」


「つまり……」


「性交です」


 ですよね。

 ……あれ、ということは、ソラさん?


「あの、ソラさんも後天だと仰ってましたよね……?」


「はい」


「……せい、こう」


 性交。交尾。えっち。セックス。

 魔獣には人間でいうところの明確な性別の区別はない……でもソラは女の子……。

 そして俺のこの身体も確か明確な性別はないと言っていた……けれどベースはあの女だと……。


 明言はこう、心が死にそうになるから極力避けてきたけれど、俺は今、女の子なわけで。


「ソラ」


「なんです?」


「おんなのこどうしでえっちはできないんだよ」


 光が失われていく。

 何処からだ。俺の目からだ。


「やってみなきゃ分からないでしょう」


「分かるんだよなぁ……」


 両手で俺の頬をぷにぷにと摘むソラは、少しだけ思案してから続けた。


「先天の魔獣は基本的に子をなすことをしません。ただ魔素を、魔力を喰らう為だけに生きて、やがて朽ち果てます。

 しかし長く存在し続けた魔獣の中には稀に、動物的な営みに興じるものも現れます」


 ベースがあの女でこの見た目な以上、人間を基準に考えるべきだと思うんですけど。

 ソラの手が俺の頬を撫でる。


「その場合、お互いの存在それ自体を混ぜ合わせるという、魔力の供与や吸収より一つ上の……『融合』が必要になります」


 つまりは魔力を融合させるということだろうか。

 融合、その言葉をどこかで……。


「それで……俺とソラの場合は」


「そもそも種族が違う以上、先天的な魔獣を例にすべきでしょうね」


「そうですか」


 やらないけどな。


「今すぐというわけではありません。ただ、覚えていてほしいのです」


 俺の目を覗き込むソラの青い瞳は潤み、真剣なものに見える。


「私が、あなたのことを大好きで……その覚悟がある、ということを」

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