三十七話 それはいつも突然に
「鈍色のローブを纏った魔術師、ですか」
戻ってきたダルセイ・クリシュとスティアラ・ニスティとともに囲む食卓で、広場で見たそれを伝えた。
ソラを実験体と呼んだ少年、黒き魔女の名を使い魔力を集めていたという老人のことも加えて。
彼らがどう繋がっているかは分からないが、なんだか嫌な予感がする。
「分かりました。人さらいとの関わりも含め、注意しましょう」
食事をしながらの話題は尽きなかった。
『リフォレの大樹』を巡る顛末、白き魔女の処遇。
五佳人会議でのスティアラの涙混じりの語り口は、聞くものの心を大いに揺さぶったという。
「後で聞かせてください、スティアラ様」
そうねだるアイファに、やりすぎたという自覚があるのか困った顔をするスティアラ。
それを見て、では私が再演しよう、と髭を撫でながら立ち上がるダルセイ。
意外とこのおっさんはノリがいい。
時折、胸やお腹を気にするアイファやコリンの様子に、何も知らない二人は怪訝な視線を向けるが、まだ秘密にしておきたいのだろう、姉妹のような二人は顔を合わせてにんまり笑っていた。
その時がくれば彼女たちから切り出すだろう。
それを使わなければならない時など、来ないに越したことはないのだけど。
食事を終え、久しぶりにソラを連れて外へ出た。
神出鬼没な情報屋ウルフレッドを探しつつ、ここに足を運ぶのはもう何度目だろう、広場はやはり大勢の人々で賑わっている。
この街の中では『白き魔女』の首に掛けられた賞金は撤廃されるという話を聞いた後だけど、フードを取る気にはならない。
掲示板には既に『五佳人』からのお触れが張り出されているらしいけど、どうせ読めないし。
「シエラちゃん、これからどこに行くんです?」
「とりあえずこれを見てもらおうかと思って」
首を傾け、左耳に付けられたピアスを見せる。
ふぅん、と興味なさげに視線を切ったソラに、ふと思い立ち聞いて見る。
「そういえば、『風の加護』ってなに?」
初耳だったんですけど、というニュアンスも込めて。
ソラは少しだけ考えるそぶりを見せてから、俺の手を取って口を開いた。
「魔獣には先天と後天の二種類あるんですよ」
生まれつき魔獣だったものと、後から魔獣へと変じたもの。
「『空駆ける爪』は後者です。元々はただの狼の群れでした」
長い時を経て魔力を蓄積させ、体躯は大きくなり牙は頑強になり爪は鋭くなった。
その特性は引き継がれ、より強く、より賢く、より速く。
『リフォレの大樹』を見上げながらソラは話を続ける。
「それがいつ、どこで宿ったのかは分かりません。いつからか私たちの身体には、その『加護』が備わっていました」
見上げた視線の先、以前より眩しくなった木漏れ日に目を細める。
どの魔獣にもある程度共通する話です、と言いながら、ソラは少しだけ肩を寄せた。
「それは親から子へ、仲間から仲間へと渡される、約束のようなものです」
私はそれを渡せませんでしたから、と小さく呟くその声は、すぐに雑踏に紛れて消えた。
「あの方は『自然に結実した魔術』だと、目を輝かせていましたよ」
『空駆ける爪』足らしめる、無意識下における風を操る魔術だというそれは、思い返せば確かに腑に落ちる。
それを何故、アイファ・ルクに渡す気になったのだろう。
「減るものじゃないですし。それに……」
海からの強い風に、ソラはフードを押さえた。
お互いに裾がはためき、慌てて二人で押さえあう。
「……少しだけ、似ていたので」
それはきっと、仲間を失ったばかりの頃の自分自身に。
そして、一人助けられたのに結局、助けになることもできず置いていかれた、自分自身に。
人ごみ溢れる広場を抜け、蜘蛛の巣状の道を南西方向へ抜ける。
その通りの幅は狭いが、人通りの少なさと整頓が行き届いているからだろう、倍の幅で南北を繋ぐメインストリートより遥かに歩きやすい。
通り沿いに立ち並ぶ店は華やかさなど必要ないとばかりに、機能を優先した店構えが目立つ。
目的の魔術師がいるという店まであともう何軒か……というところで、ソラから瞬時に立ち上ったのは、殺気。
ほぼ同時に背中に、ふに、という柔らかな感触と、頭の上を通って伸ばされたのは、小さな手と大きな分厚い魔術書。
「待って、ソラ」
繋いでいたソラの右手を少しだけ強く握る。
ぴく、とソラの開かれた左手が強張った。
危うく俺の上半身が血まみれになるところだった……。
この少女はいつも突然現れる。あの時も、そして今も。
「……いつも突然ですね、ニャンベルさん」
恐らく転移の魔術だろう、俺の背に突然現れコアラのように抱き付いているのは、三狂の魔女ニャンベル・エクスフレア。
やはり重さはほとんど感じない。
しかし、向こうから現れるとは……。
「今すぐ、来て」
挨拶も抜きに一方的に用件だけを言い渡すその声には、やはり感情の色が……いや、少し、焦っている?
「誰ですか、お前」
剣呑な目つきと声色はソラのもの。
冷たい空気が頬を撫でた……あ、やばい、この子まじでキレてる。
その全てを無視したニャンベルは、俺の魔力を当たり前のように吸い取り……足元に、魔法陣が展開された。
「ソラ、大丈夫だから」
いや、確信はないけど。
ソラは今にも飛び掛りそうな気配を纏わせ、しかし俺の手を強く握るにとどまった。
「帰る、帰るよ、私は、帰る。うさぎ、いぬ、いぬ、血に、ぬれる」
耳元で囁かれたそれは、恐らく変換機構……意味は、さっぱり分からなかったけど。
立ち上る光はお持ち帰りされたあの時と同じ。
ニャンベルは一体、何に焦っているのだろう。
その答えは、光が消え纏わりつく空気が変わった瞬間に、視界に飛び込んできた。
ひんやりとした少し湿り気のある空気が頬を腕を脚を撫でた。
そして鉄の……いや、微かに香る血の臭い。
床に壁に赤黒い魔法陣が描かれた土壁の地下室に足を着けるのは、これで三回目か。
しかしあの時と違うのは、部屋の隅に……淡く光を放つ魔石を抱えた侍女が、何人かうずくまっている。
「シエラちゃん、ここは何処ですか」
警戒心を剥き出しにしたソラの声は、響くことなく低い天井に吸われた。
背中に張り付いていたニャンベルが飛び降り、侍女の方へ足を向ける。
「エクスフレア邸……目的地、だった」
そう。
多分まだ協力関係にある、黒き魔女が遺した秘宝を求める魔術の探求者、三狂の魔女が住む場所。
こんな形で再び訪れることになるとは思ってなかったけど。
「ニャンベル様、これを」
「ん」
侍女の一人が、抱えていた魔石をニャンベルの服へ手際良くしまっていく。
城塞都市の尖塔で見たものとははっきり違う、澄んだ輝きを放つ魔力の結晶。
「ニャンベル。あの、アーティファクトなんだけど……」
「それは、後」
俺の言葉を遮ったニャンベルは、来て、と一言呟いて階段へ足をかけた。
ソラに目配せをしてそれについて行く……見上げた狭い階段の先、ドアの前にも侍女が一人灯りを持って立っている。
つるりとした石の階段には、ところどころ血の流れた跡。
「まだ何人か屋敷内におります」
「ん」
ニャンベルの返答は短い。
地下室にいた侍女たち、その緊張感は以前訪れたときと全く違う。
彼女らが地下室に避難している、若しくは立て篭っているように、見えるのだけど。




