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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第二章 這い寄る影
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三十四話 霧雨に村は赤く塗れ

 港湾都市リフォレから南にある大きな川、それに沿って西へ丸一日ほど上流へ上ったところに、その小さな村はあった。

 五十人にも満たないその村で育ったアイファ・ルクは、他に近しい年の子供がいなかった為、いつも一人で過ごしていた。

 娯楽も何もない単調な生活の中で、アイファは度々行商の荷馬車にただ乗りしてはリフォレに繰り出し、その度にこっぴどく怒られていた。



 今から一年ほど前の、まだ寒い時期だった。

 街から採集に訪れていた魔術師、スティアラ・ニスティが村に滞在して五日目。

 四歳年上の彼女が見せる魔術にアイファは虜になった。

 進むべき道が見えたと思った。

 まだ弟子を取るつもりはないとやんわり断り続けるスティアラに、アイファは必死に頼み込んだ。


 スティアラの得意分野は祈りの句による魔術の発現、治癒力の向上で、村人は連日、彼女の言葉を聞きに集まった。

 城塞都市と魔術都市の争いは続いていたが、遠い地での争いは世間話に彩りを添えるものでしかなく、村は至って平穏だった。



 その日は重たい雲が立ち込めていて、いつ雨が降り出してもおかしくない空模様だった。

 スティアラは朝早くから、頑固だけれど憎めない妹みたいなアイファを連れ、川を下ったところにある死水域へ来ていた。

 川沿いは比較的魔素が濃く、こういった溜り場には稀に魔力を蓄えたものが流れ着くことがあるのだ。

 反面、魔獣も寄り付きやすい少し危険なところでもあるのだが。


 お昼に手作りのお弁当を二人並んで食べ、その後は再び足を泥まみれにして採集に没頭した。

 簡易的に敷いた結界に引っかかるものもなく、けれど目ぼしいものも見当たらず、よくある空振りの一日だった。


 あれ、なに? と震える声で指し示すアイファの指の先、川上から流れてきた、血と、死体と、人間だったもの。

 遠く、大きな都市国家間での争いは、川の色を変えるほどに凄惨なものだった。

 スティアラはそういったものに比較的耐性があったが、少し活発なだけのただの女の子のアイファには、その光景はあまりにも酷だった。


 陽は傾き、雨が少しずつ降り始めていた。

 泣きじゃくるアイファを連れ、スティアラは村への足を急いだ。

 魔術師の道を志すのであれば、心は磨り減り、ああいったものも見慣れてしまう。

 できればこの女の子には、私の道に関わってほしくない。

 いつまた魔族が大挙して押し寄せるかも分からない、その時に真っ先に狙われるのは、魔術師という人種だから。


 霧のような細かい雨は視界を遮り、容赦なく身体を濡らす。

 スティアラは灯火を身体の周りにふよふよと浮かせ、暖と明かりを効率的に取った。


 お世話になっている小さな村の入り口、足を踏み入れたスティアラは、すぐに異変に気がついた。

 川を流れてきた死体、それに群がったであろう『死肉漁り』、そしてそれを狙う、もっと厄介な──。



 村は、手遅れだった。

 半数が既に息絶えていて、戦い抜きなんとか生き残っていたのが僅かに十数名。

 しかしその生き残った彼らにも、死の宣告が既にその身体に刻まれていた。


 魔獣との戦闘をほとんど経験していなかったスティアラにとって、『骨喰わず』との戦いは熾烈を極めた。

 無様な、しかし必死な戦いで魔獣を全滅させたものの、自身は傷を負い、そしてアイファにも死の臭いがこびりつき。


 私が村に残っていれば、もう少し……。

 自責の念に苛まれながら戻ってきたスティアラを、しかし生き残った村人は責めることはなかった。


 ただ彼女の無事を喜び、そして、これで助かると、安堵した。


 『死告の卵』に寄生された人間を助ける手段を技術を魔術を、何一つ持ち合わせていない、まだ十七歳のスティアラ・ニスティに向けられた悪意のないその眼差し。



「とても、怖かった」


 とつとつと語るスティアラの、俯いた拍子に垂れた髪をかきあげたその表情は、しかし穏やかなものだった。

 その隣に座ったアイファは、包帯を巻かれたスティアラの左手を握り、涙ぐんでいる。


「けれど彼らのその期待に、私は応えたかった」


 村人に、そしてアイファに寄生する『死告の卵』を、自身の左腕に植え替えたという。


「その作業自体は簡単でした……より魔力の多い宿主を求めて、勝手に移動してくれましたから」



 その時はまだ魔力の制御が追いついておらず、少しずつ魔力を食べ大きくなる卵に怯えながらの生活が始まった。

 幸か不幸か、十三もの卵は互いに魔力を奪い合い、その成長は著しく遅いものだった。


 親を失ったアイファを引き取り、街へ戻ったスティアラは工房に篭るようになった。

 ほど近い村で起きた凄惨な事件、その顛末は街にも伝わり、人々はスティアラ・ニスティを『慈愛の魔女』と呼ぶようになった。

 噂を聞いて訪れる人々に祈りの句を唱えながら、スティアラは魔力の制御を完璧なものにしたが、根本的な解決策は見つからずじまいだった。


 痩せ細る左腕がうまく動かなくなるまでに、そう時間はかからなかった。

 彼女を支えるアイファには魔術の素養があったらしく、めきめきとその腕は上達していった。

 その姿もしかし希望ではなく、むしろ引き込んでしまったことによる後悔が大きかった。



「結局は腕を切り落とすか、卵の魔力自体をまばたきの間に消し去るか、そのどちらかしか対応策は思いつきませんでした。

 しかし純粋な魔力そのものによる攻撃手段は、限られています」


 そしてそれには、人間には到底保持し得ない魔力が必要になる。

 魔術師が、自身以外の魔力を利用するには……選択肢は少ない。


「魔石を使うのが一般的ですが、しかし流通するそれは魔力の保有量も少なく、それも高価なものばかりですから」


 『木々を食むもの』の身体に生える、薄く青い魔力の結晶。

 しかし現存する『木々を食むもの』は大きな都市国家が囲い、産出される魔石は高額で取引され、それを収入源としている街もあるという。

 彼らを保護する代わりに魔石をある程度自由に扱う大きな魔術工房もあるが、その数は少ない。

 ふと、あの三姉妹の屋敷が思い浮かんだ。


 そして街には人さらいの不穏な気配が流れ、教え子も一人、姿を消して。


「その瞬間を、私は広場の外側から見ていました」


 『リフォレの大樹』が、突如として真っ白に染め上がる、あの奇跡の光景を。


「あの時の魔力の波動は、私の身体を震わせました。恐らく街に住む魔術師は皆、恐怖に怯えたと思います。

 ですが私の目には、舞い降りて来たあなたの姿が……福音に、映りました」


 初めて、スティアラの顔に笑みが浮かんだ。

 そんな風に言われると、少し照れる。


「お姉さまは『小月の姫』ですもの!」


 ソファに座る俺の後ろに回ったコリンは手先が器用なのだろう、ああまた髪を編まれている……。

 その手つきを見守るソラは時折コリンに話しかけて、何やら習得しようとしている。

 無用心にフードを取ったソラの姿に、しかし対面に座る二人は警戒するでもなく、ただ優しく見やるだけ。


「そこから先は、もうご存知の通りです」


 コリンとダルセイの話を聞き、そして魔力を保有した『リフォレの大樹』に誰一人触れることができないことを確認したスティアラは、白き魔女に近づいた。

 その魔力を、得る為に。


「まさか、一振りで『死告の卵』を一掃されるとは、思ってもいませんでした」


 想像以上の方でした、と微笑むスティアラは、すぐに真剣な眼差しでこちらを見つめた。

 そして立ち上がり、ゆっくりとテーブルを回ると……床に片膝をつき、ひざまずいてから再び口を開いた。


「あなた様の計らいを横から掠め取ろうとしたこの欺瞞、決して許されるものではありません。

 そればかりかこの身まで救っていただき……私は、どう、報いれば」


 涙混じりの声に、後ろのコリンの手が止まる。

 何も計らってない時点で報いるも何もないんだけど……。

 ちらりとソラを見る。

 察したのだろう少し眉根をひそめたその唇に、指でぷに、と触れた。


 立ち上がりスティアラの前へ、腰に手を当てて偉そうに立つ。

 ひざまずいたスティアラのその胸は、暴力的なまでに視線を引き付ける。

 目を切り替える……やはり魔力の遮断は無理な行為だったのだろう、その廻りは滑らかではない。


「顔を上げて、目を瞑って」


 はい、と小さく呟いたスティアラは、言葉に従い目を閉じた。

 視界の端でアイファが両の手をぎゅっと握り、固唾を呑んで見守っている。


 その小さく震える頬に手を当てると、ぴく、と閉じられた目に力が入った。

 強張る唇に唇を押し付けると、目の前と……後ろからも驚愕の気配が伝わってくる。


「な、にを……」


 アイファの声を聞き流し、震えの止まったスティアラに魔力を流し込む。

 ゆっくりと、少しずつ。

 無理なく染み渡るように、左目で体内を注視しながら、慎重に。


 スティアラの喉が鳴る……物理的に何かを嚥下しているわけではない筈なのだけど、生理現象だろうか。

 その姿は艶めかしい。

 後頭部に不穏な視線が突き刺さる……これは恐らくソラだろう、ちょっと怖い。


「んぷぁ」


 唇を離すと、スティアラの身体が少しだけふらついた。

 その頬は紅潮し、熱に浮かされているように見える。

 ……大丈夫ですかね。


「はっ……ぁ……っシエラ、様……?」


「使い道は、任せるよ」


 下唇に指を当て、戸惑うスティアラはしかしすぐに自身の体内を廻るそれを正しく認識した。

 魔力を扱う技量が高いのだろう、しかしそれでも『死告の卵』に対応できなかった。


 このまだ若い『慈愛の魔女』なら、あの大樹もコリンも、悪いようにはしないだろう。

 それよりも、魔力を流し込んだ後に、スティアラの左腕を舐めた青白い炎が気になる……。

 そういえばあの洞窟でコリンに魔力を与えたときも、傷が塞がってたような。

 もしかしてこの身体の治癒能力は、身体に付随した機能なのではなくて、体内を廻るこのどす黒い魔力が原因……?


「……シエラ様。この大恩に私は、この身全てを捧げる以外、返す術を持ちえません」


 いちいち重いなこの子は。

 こんな綺麗な子とちゅーできただけで俺はもう満足なんですけど。


 仕方ない。

 威厳を見せる為に、ソファの上に上る。

 柔らかいそれは油断すると倒れそうで、少しこわい。


「……聞け、小娘ども。私は『竜を統べる白き魔女』だぞ。私にとってあれもこれも、朝飯前の屁の河童よ。

 いちいち恩を感じる必要などないわ!」


 どやぁ……。


「シエラちゃん」


「……なに」


「へのかっぱってなんですか」


「えっ」


 そのソラの声に部屋の中を見回すと、確かに誰もピンときていない様子。


 どうやらこの世界には、河童はいないらしい。

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