三十一話 優しい時間
目を覚ましたコリンに手を引かれ、自室に案内された……その可愛らしい女の子の部屋に目が眩む。
今の俺より頭一つ分は背の低いコリンは十歳で、将来は魔術師になって月に行くのが夢だと語った。
「お姉さま、どうですか?」
この世界で魔術師を目指す者が一番初めに試すのが、この『ともし火の魔術』だという。
インクで手の平に紋様を描くだけで使用できるこの初心者用の魔術は、しかし魔術の素養がない者には一切その光を示さない。
魔術師としての道、その一歩目を照らす、小さなともし火。
「……なるほど」
小さな手の平に細い筆で描かれたそれに沿って魔力が流れて意味を成し、魔素が反応して現象が起きている。
淡く小さい、しかし確かなその灯りは自信の表れだろう、一連の流れには淀みもなく、美しいとさえ言えた。
「すごい、綺麗だと思う」
「ほぁ……」
目を輝かせて俺の言葉に反応するコリンはやはり歳相応の女の子で、しかしその視線は俺の頭上に熱く注がれている。
コリンの魔力の流れを注視していたらやってしまった……。
既に広場で見られているから今更だけど。
ソラは我関せずといった様子で、ベッドの上で丸まっている。
コリンの部屋は年相応にぬいぐるみや可愛らしい小物に溢れていたが、それ以上に魔術書が多い。
次は何を見せてもらおうかと読めない背表紙を見ていると、身体をうずうずさせている少女が視界の端に映る。
「……触りたいの?」
「っ、はい!」
小さく溜め息をつき、少女の前にぺたんと座りなおして頭を傾ける。
俺としては小さい魔術師殿に色々と教えて貰いたかったんだけど……まぁいいか。
コリンは恐る恐る手を伸ばすと、目を『あっち』にしているときに生えてしまうそれに、指でそっと触れた。
ちょっとくすぐったい。
「はぁ……はあぁ……」
息が荒いけど大丈夫ですかねこの子。
その手つきは優しいが、おっかなびっくり感も拭えない……きっと好奇心が勝っているのだろう。
「怖くはないの?」
魔族とやらの中には、身体に人外の特徴を有するものがいると聞いた。
今の俺とソラは、見る人が見れば恐怖の対象でしかない筈だ。
「むしろ、素敵ですっ」
むしろの意味がちょっと分からないけど、その言葉は嘘ではなさそうだ。
あの広場で、この少女は臆することなく飛び込んできた……周囲の人間が、それこそ武装している者までもが遠巻きに見ていた中で。
……大物になりそうだな、この子は。
「か、髪に、触れても……?」
「ん、どうぞ」
きゃあ、と喜色満面で声を上げたコリンは俺の後ろに回り、早くも慣れてきた手つきで髪に手を通す。
「はぉ……こんな……」
何事か呟く声が聞こえるが、目を瞑りされるがままに身を委ねる。
人に髪を撫でられるのを心地良く感じるのは何故だろう。
元の世界……そうか、そもそもそんな機会すら、そういえばなかった。
「はぁ……ほしい……」
……何か物騒な言葉が聞こえた気がするけど、あえて反応はしない。
小さな手による櫛からは、もう遠慮は消えていた。
悪戯心が湧き、身体に魔力を通す……もふ、と後ろで獣の尻尾が現出した。
「は、ひゃ……っ」
魔獣としての特徴をこれでもかと体現したこの姿に、しかし少女はきゃっきゃと声を上げじゃれついてくる。
知らないが故なのか、それとも恩人だから姿かたちは関係ないのか。
……別にどちらでもいいか。
白い尻尾と戯れるコリンの姿を見て、ベッドの上のソラが微妙に不満気な顔をこちらに向けている。
「私には触らせてくれなかったのに……」
いじける姿は可愛らしい。
苦笑しつつ、ベッドによじ登る。
まぁソラには何度も助けられてるし、たまにはいいだろう。
「そういえば耳は警戒能力の現れって言ってたけど」
「はい」
「尻尾は何に使うんだ」
ベッドに座りなおした俺の後ろで、ソラが白い獣の尻尾を撫でている。
その後ろ、ソラが纏うローブの裾からちらりと見える尻尾を狙い、コリンが目を光らせている。
「……バランス?」
「なんで疑問系なんだよ」
つまり自分で意識して何かに使っているわけではないのだろう。
特に用途がないのだとしたら、何故生えた……。
「まぁいいじゃないですか。おそろいですよ、おそろい」
「いいなぁ……いいなぁ。わたしもほしい……」
ソラの尻尾に顔を埋めているのだろう、くぐもったコリンの声。
「……洋服の自由度が下がると思うよ」
俺のその言葉にコリンは、それは困りますぅ、と言い再び尻尾に顔を埋めた。
女の子にとっては致命的だろう。
獣の尻尾を動かす度に、身体の後ろできゃいきゃいと声が重なる。
この家の主、ダルセイ・クリシュは軟禁と言っていたけど……。
「……子守りだな」
若しくは、護衛。
……いや、そうか。
街の中央、真っ白になった大木の下で起きた顛末は、恐らく既に街中に広まっているだろう。
死が確実視されていた少女を救出した白き魔女、それを軟禁していることも。
そして自分の手勢を使わず、わざわざ首に賞金がかかっている俺とコリンを一つ所に置いたのは……炙りだすつもりだろうか、獅子身中の虫を。
……というのは、流石に考えすぎか。
「……ん」
考え事をしている間に、部屋の中は静かになっていた。
いや、髪の毛に何か違和感がある。
振り返ると、ソラが目を瞑り、コリンに髪をいじられていた。
他の人間には懐かないと思っていたけど……ああ、そうか。
ベッドの上、小さな手鏡を手に取る。
これはなんて髪型なんだろう、随分丁寧に編まれてますねいつの間に……。
編まれた髪の束が後ろでくるりとまとめられて、リボンで結ばれていた。
ソラがおとなしいのは恐らく、お揃いの言葉に釣られたのだろう。
ふと見た左目は、違和感も何もない、普通の目だった。
ズレていた……舐められた感触を思い出しそうになり、目を瞑った。
優しい時間は緩やかに過ぎていく。
このまま何事もなく、朝を迎えることができればいいのだけど。
この家の主は、夜更けになっても戻らなかった。




