二十八話 手遊ぶ魔の力
空が白み始めた頃になって、ようやく街に戻ってくることができた。
『空駆ける爪』の背に乗れば小一時間で踏破できる道のりだったのに、調子に乗ったソラは俺の頭を撫で続け、ずっとお姉さん風を吹かしていた。
朝早くから街の中は、既に往来が激しい。
時折鼻をくすぐるのはパンの焼ける香ばしい匂い。
交代する眠そうな警備の兵、早くから準備に追われる小間使い、馬にブラシをかける店主、出立する荷馬車。
目が覚めた街は、もう忙しなく動き出していた。
「いいですねぇ。いいですねぇ」
フードの中で耳をぴょこぴょこ動かし、裾の長いローブの中で尻尾が揺れている、隣で手を引くソラはうざい程に上機嫌だ。
「見回るのは綺麗にしてからにしよう」
お互いに頭から足の先まで薄汚れている。
気は進まないけど、マクロレン商会のお世話になろうと二人、歩を進める。
ずっと戦い通しだったけど、魔力は変わらず廻っているし、疲労感も眠気も空腹も、何も、感じない。
……およそ人間ではない、か。
ぷに、と頬に指が刺さる。
「……なに」
にへら、と笑ったソラの笑みは可愛らしいが、少しだけ憎たらしい。
「安心してください。もう離れませんよ」
いや、考えていたのはそっちじゃないんだけど。
結局昨日の夜はずっと涙が止まらず……まさかこの年になって子供扱いされるとは思わなかった。
あんな醜態を晒した後だ、勘違いされても仕方がない。
わき腹の傷はもう塞がっていた。
……自己修復機能ってやつですかね。
服のほうは穴が開いたままなので、どこかで直したい。
手を引き引かれつつ、早くからごった返している広場を抜ける。
なるほどこの時間帯は掲示板を見る側ではなく、貼る側の人間が多いようだ。
俺もソラも字が読めないので、さほど興味も湧かず素通りする。
もうあの誰が見ても理解できない継ぎ接ぎの紙は、剥がされているだろうし。
マクロレン商会の前は陽の昇り始めたこの時間が一番忙しいのだろう、額に汗を浮かべた男たちが荷の搬入作業に追われていた。
彼らの邪魔にならないようにこそこそと端を歩く。
マクロレン商会リフォレ支部、煉瓦造りの建物は、海からの陽射しを受けて堂々と建っている。
その入り口に立つ見張りか守衛か、初めてここを訪れたときと同じ顔。
挨拶もそこそこに中へ入ると、受付のお姉さんがこちらに気づいて小さく手を振る。
カウンターに偉そうに座っている猫は今日も毛並みがつやつやしている。
「おはようございます、シエラ様」
「おはようございます。これ、なんとかしたいんですけど」
どこの世界も大きな団体、その顔となる受付は礼儀正しく見目も麗しい。
全身の汚れとワンピースドレスの穴を確認したお姉さんに、有無を言わさぬ勢いで俺とソラは瞬く間に連行された。
忙しい時間帯だろうに、愛玩動物のようにお風呂に入れられ身だしなみを整えられ、かいがいしく(もみくちゃに)世話をされ。
「これは専門の魔術師じゃないと無理ですね」
ワンピースドレスの補修は素材がどうとか魔力の通った道具がどうとかでどうやら難しいらしく、商会が懇意にしているという魔術師の工房を紹介してもらった。
礼を言い、商会を後にする。
石鹸の良い香りがするソラを連れ、再び街中へ。
街は先ほどよりも賑やかさを増し、人通りも増えていた。
「ソラのそれ、便利だよな」
「?」
小首を傾げるソラの、黒い袖を掴む。
あの女の高度な魔術で作られているのだろう手触りの良いそれは、周囲の光を、魔素を吸い込んでいるよう。
「これですか。あの方とおそろいですよ」
それは知ってる。
『空駆ける爪』本来の姿から少女の姿へと変じる際に、自身の魔力を使って生成しているのだろうか。
今までにも何度かソラの身体を注視してみたけど、理解できそうになくて諦めていた。
革のチョーカーのことを聞くと、私が装備したものは同じように自身として認識されるんですよ、としたり顔で説明してくれた。
よく分からないけど、そういうことなのだろう。
「多分ですけど、シエラちゃんのそれは、あの方の魔力で編まれたものですよ」
「ふぅん……?」
あの女はローブの中から色々なものを引っ張り出していたけど、それも全て取り出すあの瞬間に生成していたとでもいうのか。
……有り得なくもなさそう。
「だから、シエラちゃんにもできるんじゃないですか?」
「んん、どういうこと?」
「出したり、消したり」
おそろいにしましょうよ、と言ったソラはやはりずっとテンションが高い。
それができれば便利そうだけど。
魔力……、魔力か。
再び広場に足を踏み入れると、露店やそれ目当ての客、掲示板に群がる人々、他にも声高に演説をする者など、一層騒がしくなっていた。
掲示板に依頼を貼るのにも許可が必要なのだろうか、くたびれた紙を手に声を上げる人もいる。
「……試してみるか」
その人ごみには入らず広場の端っこ、目立たない位置で遠巻きに見やりつつ、全身に魔力を流す。
フードの中で耳が生え、スカートの中で尻尾が生える……窮屈感がはんぱない。
視界の端でソラがにやりと笑みを浮かべた。無視。
お腹に手を当てる……『竜の心臓』が脈動し、淡く赤い光が白い服から漏れる。
身体にぴったりな白いワンピースドレス、内包するその魔力を感じ取る。
……なるほど確かにこれは、魔力の塊だ。
今まで近すぎて、当たり前すぎて、気がつかなかった。
目の前に回りこんだソラの顔が近い。
「魔力の湖に沈んでましたよね。だからもう、馴染んでる筈ですよ」
目を瞑り、集中する。
額に触れるソラの吐息が熱い。
言っている意味はほとんど分からなかったけど、馴染んでいるという感覚だけは分かった。
あの女、ヒイラギの魔力で編まれたというこれは、しかし何故だろう俺の魔力に見えるんだけど……。
『吸血鬼』を使ったときの魔力の流れ、刃を構成した自身の魔力、その変質する感覚を思い出す。
そして初めて転移の魔術を使ったとき、奇妙な高揚感に包まれたことを思い出す。
この身体にはきっと、必要なものは既に刻まれているのだ。
骨に、そして恐らくは、核に。
「……ああ」
一歩、ソラが離れた。
魔力に干渉し、変質させる『竜の心臓』が再び赤熱する。
……掴んだ。
ゆっくり目を開く。
ごう、と全身から薄く青白い炎が立ち上った。
目の前には、驚愕に目を見開くソラの顔。
そして石畳に何かが落ちる音が続く。
……周囲の喧騒が掻き消えたような錯覚。
魔力の、完璧なる制御──。
「し、シエラちゃん」
「いや待ってごめん拾っといて」
できてなかった。
というかワンピースドレスが消失した。
フード付きのケープとショートブーツ、ニャンベル印のぱんつだけという酷い格好になった少女……もとい俺は、涙目で転移の魔術を発動させた。
街の中央、全ての道が集結する大きな大きな広場の中心、巨大な木のてっぺんへ。
「はっ、はぁ……? え、なんでぇ?」
立派な幹と枝は、俺が一人乗ったところでビクともしない。
動揺で独りごちる俺の横に、短剣やら紙箱やら服の消失とともに落ちたそれらを拾い抱えたソラが跳んできた。
「流石ですねシエラちゃん」
「どういう意味だそれ」
ソラの着地でしなるも、折れる気配はない。
何層にも重なる枝葉が今はとても心強い。
「まぢむり……ここに巣つくろ……」
「落ち着いてくださいシエラちゃん」
膝を抱え丸まる。
ケープは温かく頭と背中だけを隠してくれている。
垂れ下がる尻尾が、風に揺れる。




