二十七話 血の香りに安堵して
切れ味かそれとも耐久の強化か、分からないけど彼らが持っている魔術師仕様の長剣、その物理的な切れ味は凄まじいの一言だ。
せっかくだし利用させてもらうとしよう。
迫り来る彼らから視線は外さず、左手の『吸血鬼』をしまい、落ちているそれを拾い上げる。
そして手から魔力を流す……のは、やっぱり無理だった。
仕方がない、すぐに諦めて刀身に口付ける。
彼らの顔はやはり険しいが、余裕がないようにも見える。
恐らく魔石からの魔力供給は過剰なのだろう、相応のリスクがありそうだ。
逃げ回るのもありだな……淀みなく魔力が流れ、光を放つ長剣を構える。
迫る彼らの足が、警戒からか僅かに緩む。
わざと笑みを浮かべ、右手の人差し指の付け根に唇を押し付ける。
足を止め迎撃の構えを取る彼らを見てから視界の端……自身の魔力を目標に、転移した。
「うわ、よだれすげぇ……」
ソラの口、もごもごと抵抗……いや、恍惚とした表情で味わっていやがった魔布を抜き取る。
ねちょり。
「……はれ、シエラちゃん。どうしたんですか」
「どうもこうもないよ……手、出せ」
はい、と素直に差し出された鈍く黒い恐らく鉄製だろうそれに、拝借した長剣の刃を入れる。
目論見通り綺麗に両断し、ソラの足に嵌められたそれも同様に。
……まじで凄いな、この切れ味は。
「それ、私のですよ。返してください」
耳をぐしぐしと擦りながら、摘みあげた唾液まみれの魔布を見つめるソラの目は薄く輝いている。
お前どれだけ心配したと……。
「没収だ」
「そ、そんな」
濡れているそれを折り畳んでいると、ソラの耳がぴくぴくと可愛らしく動いた。
「というか、ここどこですか」
「ずっと寝てたんだな……」
立ち上がり伸びをするソラを尻目に振り返ると遠く、ようやく気づいた彼らが迫っていた。
魔布をしまい、右手に光を放つ長剣、左手に『吸血鬼』を構える。
「真ん中のが新品を持ってるぞ」
くん、と鼻を鳴らしたソラが獰猛な笑みを浮かべた。
「どうやらシエラちゃんには、迷惑をかけてしまったようですね」
「うん」
素直に頷いておく。
どうやら状況が飲み込めたらしい。
「休んでてください。寝起きの運動をしてきます」
真っ黒なローブを翻し、足を踏み出したソラの姿が視界から消えた。
けっこう強いぞあいつら、と言おうとしたけど遅かった……余波で捲れ上がるスカートを押さえる。
魔力を底上げした彼らを相手に一対三は、いくらソラでも分が悪いだろう、そう思いつつ追いかける。
と、既に一人、首から血を噴き出しゆっくりと倒れるところだった。
「うわぁ……」
スプラッタ再び。大きな二つの月に照らされた薄闇の中、血飛沫が舞う。
リーチは彼らの方が持っている武器の分、長い。
魔術で重ねて強化されている、膂力も間違いなく上だろう。
それなのに、ソラ一人に翻弄されている……狩る側の彼らが、いとも簡単に狩られている。
切り替えた後の、動体視力もかなり向上しているだろうこの目でも、ソラの青い眼光が舞い踊るのを追うのがやっとだ。
窮屈だろう少女の姿で、これか。
見ている間にまた一人、腕をやられたのだろう剣を取り落とし、直後に首を裂かれた。
出番はもう無さそうだ。
まだ光を湛えた長剣を放り投げ、ケープを羽織り直す。
四肢の使い方がまるで違う……彼らの動きも洗練されていたけど、ソラを見た後だとそれぞれが連動していないのがよく分かる。
……素人の俺の動きとか、見比べるとそれはもう酷いんでしょうね。
最後の一人も致命傷は免れているものの、満身創痍といった状態だ。
近づき、声をかける。
「あの」
「……なんですか、魔女」
撫で付けられていた髪は乱れ、額には汗と脂が浮いている男の眼光はまだ鋭い。
「このまま帰って、主殿とやらに諦めるように伝えてくれませんか」
「く、く……っ、無理な相談、ですね」
即答だった。
忠誠心なのか、それとも。
「……そうですか」
俺の目配せを受けて、ソラが男に飛びかかる。
斬撃は掠りもせず、爪が深々と男の首を抉った。
男の懐をまさぐり、美しい刺繍の施された大きめのハンカチ……あの魔布から作ったのだろうそれを手に入れたソラは、ご満悦だ。
「すうぅぅ……、んはあぁぁ……」
うっとりした様子で鼻に当て匂いを嗅ぐその姿はただの変態だった。
奪い取り、この世の終わりみたいな表情を浮かべた(大げさな)ソラの乱れた髪に櫛を通す。
周囲は死屍累々で、血の臭いが濃く漂っている。
「……シエラちゃん?」
梳かした髪を、俺の魔力が染み付いたそれで軽く結んだ。
緩い低めのポニィテイル。
「あの、……怒ってますか?」
ソラの頭の上、獣の耳が少しだけしおれている。
怒っているわけではなかった。
けれどなぜか、声が出なかった。
……ああ、多分、油断した。視界が滲む。
「……う、ぅく……っ」
涙がこぼれてきた。
歯を噛み締めたけれど、遅かった。
情けない嗚咽混じりの声は、少女のそれ。
振り向いたソラに柔らかく抱き締められた。
獣臭く、血の臭いを纏う、白き魔女より少し背の高い魔獣の少女は、体温が高い。
だから、温かいから、離れたときの寒さが寂しく感じるのだろう。
ソラの手が俺の髪を撫でる。
容赦なく人体の急所を引き裂く、血塗れた手で。
「うぅ……この、湯たんぽめぇ……」
「なんです、それ」
可笑しそうに笑うソラは吐息も熱い。
ああ駄目だ。
涙がぽろぽろと止まらない。
自分で思っていた以上に、俺はこの獣臭い少女のことを心配していたようだった。




