二十三話 変質する魔力
彼らの集会場は、湾岸都市リフォレの少し北、海沿いにある天然の洞窟の中にあった。
人目を忍んでいる、その入り口の岩陰には見張りも立ち、疑うなという方が難しい様相。
先導する杖をついた男の身体は傾いている……どちらかの足が悪いのだろう。
そのゆっくりとした歩みに一人、黙ってついていく。
ソラは洞窟の外で待機させている……何かあったとき、転移で逃げる目標にする為に。
時折壁際に立つのは、明かりを手にした壁に滲む黒いローブの信者。
彼らの身体が小さく震えているのはなぜだろう、常に俯きこちらを見ようともしない。
冷たい風が背を掠め、獣の鳴き声のような音が反響する。
もう既に嫌な予感しかしない。
曲がりくねった洞窟をしばらく歩くと、人の手が入った開けた空間が見えてきた。
月を崇めていた教会と同程度の広さだが、上が開けていない分、窮屈に感じる。
壁面の蝋燭の数は多いが、空間を照らすには心もとない。
地面には薄いござみたいなものが敷かれ、やはり黒いローブをすっぽり被った人間が所狭しと膝をついている。
「こちらへ」
突き当たる空間の一番奥、壁一面に幾何学的な紋様が物理的に刻まれている。
どうやって運び入れたのか、一段高くなった地面の上、立派な祭壇には花がびっしりと植えつけられ……それは棺のようにも見える。
その脇に立つ、フードから長く黒い髪を垂らした女……影でよく見えないが、やけに濃い赤いルージュを引いている。
「ロズオス、勝手な真似を」
女の声には艶がなく、枯れている。
ロズオスと呼ばれた杖をつく男はフードを取り、祭壇に手を置いた。
「必要なことだ」
露になった痩せこけた頬、薄い頭は黒いまだらになっている。
男に続いて歩を進める……花で彩られた祭壇の上には、人が……少女が横たわっていた。
一糸纏わぬ血の気のない、骨の浮き出た女の子の胸に呼吸の上下はない。
そしてその胸の中心には、祭壇まで達しているだろう深々と、短剣が柄まで突き刺さっている。
肩口で切り揃えられた栗色の髪の女の子、その表情に苦悶はなく安らかで……眠っているようにすら、見える。
「……私に見せたかったのは、これですか」
無意識に目が切り替わった。
フードの中で窮屈に獣の耳が折れ曲がる。
「どうぞ、ご覧に。『吸血鬼』と呼ばれる秘宝です」
男の手が短剣の柄に触れ、握る……ずるり、と白い肌をした少女の胸から引き抜かれたその刀身は薄く、透けるように赤い。
流れ出る血がへそに溜まり、流れていく、その量は多くない。
「魔術師殺しの秘宝……いかがですか、白き魔女よ」
宝石のような刀身、差し出される濡れたそれを受け取るまでもない。
一目見て分かった。この短剣に、あの女の痕跡は一切ない。
「いえ。残念ですが」
一言で切り捨て、踵を返す。
長居をする意味はないし、必要もないだろう。
やはりそう都合良く事は進まない。
「そうですか、残念です……本当に」
呟く男の声を背に足を踏み出すと、膝をつき頭を垂れていた信者と思しき人々が、何かに怯えるように壁際へ後退した。
彼らの視線はしかし俺ではなく……足元、地面に向けられている。
なるほど、敷かれていたそれは魔法陣を隠す為のもの、後ろを振り返る、男の手、短剣の刀身は壁に刻まれた紋様に突き立てられている。
魔力が流れる、繋がっている、怯えは巻き込まれることへの恐怖か、足に泥の色をした冷たい手が這い上がる。
「白き魔女よ。贄になってもらう!」
興奮を抑えきれない上擦った男の声が空間に響き渡った。
飛びずさるつもりが、地面がやけに柔らかい。
その地面から生えた、脚に巻きつくように這いずる手が膝まで上がり、きつく動きを束縛する。
転移するか、少しだけ迷う。
視線を廻らせる。
開かれた空間、地面に刻まれた魔法陣の外に退避した者たちに動きはない。
魔力が吸われている感覚……脚に絡んでいるこれか。
「そのまま枯れ果てるがいい!」
男が握る突き立てたそれが淡く鳴動している。
先ほどまで透けるように薄かった刀身は、今は鮮烈に赤く存在感を増していた。
連なる紋様を介して、あの短剣……『吸血鬼』が、俺の魔力を吸っているのだろうか。
なるほどそういう使い方もあるのか、と感心しつつ、四肢に魔力を込める。
動けそうにないが、それに連動して『吸血鬼』の輝きが増し、光を放つ。
吸いたければたらふく吸えばいい。
それを握る男の顔が、焦燥へと変わる。
「私を制したいのなら」
俺が口を開くと同時に祭壇の脇、女の両手がこちらへ向けられ、その手の平の前に小さな火球が現出した。
魔素への反応、魔力の流れ、右手が火球、左手が目標を決める為の……視界内、すぐ目の前へ魔力が伝播してきている。
「神さまを殺すつもりじゃないと」
狙いを定める補助魔術だろうそれに手を伸ばし、握り潰す。
目標の定まらなかった火球の魔術は、女の手の前で収縮し爆発した。
甲高い叫び声とほぼ同時、男の握る『吸血鬼』が鈍い光と破砕音を撒き散らし、男の手を巻き込んで弾け飛んだ。
余波が洞窟内を走り、ケープとスカートがはためく……今、スカートの中に何か違和感が……。
鬱陶しさにフードを脱いだ。
叫び声は男と女が混じり耳障りで、振り乱れて露になる女の髪は、染めているのだろうやはりまだらだった。
太ももまで上がってきていた泥の手が消失したことにひとまず安堵する……多くはないけど、吸い取られた魔力は戻ってこなかった。
それは別にいい、というか四肢に魔力を流した瞬間、消えた筈の獣の尻尾が生えたんですけど……。
いや、とりあえず今はそれどころじゃない。
もう一度、ゆっくりと視線を廻らせる。
反応し、壁に張り付く信者たちには敵意どころか戦意すらない。
一段高くなった地面に置かれた祭壇の脇、呻き声を上げる二人に駆け寄るものもいない。
砕かれ地面に散った『吸血鬼』の刀身だったものが、青白い炎を上げ消失した。
もうここに居る意味もないだろうけど、気になることがある。
自由になった足で祭壇に歩み寄る。
膝をつき腕を押さえる両人は、俺を睨みつけるだけで動こうとはしない。
祭壇に手をかける。
「この子は、生きてるんですか?」
男は一瞬、俺の頭の上を見て間の抜けた顔をしたが、すぐに杖を手繰り寄せながら口を開いた。
「……放っておけばいずれ死ぬ」
魔術の素養の有る無しに関わらず、人間はみな体内に魔力を保有している。
それはどうやら個々人の魂、存在そのものにも深く関わっていて、生きていく上で必要不可欠らしい。
少ないから生命力が弱い、多いから長く生きられる、というわけでもないようだけど。
この身体も、こんな風に横たわっていたのだろうか。
花に囲まれた祭壇の上、少女の冷たい頬に手を添え、唇を重ねた。
息を呑む、驚愕の気配が伝わってくる。
魔力を少しだけ流し込む。
女の子の身体が一度、ぴくん、と小さく跳ねた。
胸の傷を青白い炎が舐め、塞いでいく。
仮死状態だったのだろう、身体に薄く魔力が染み渡ると、すぐに自発呼吸が始まった。
なるほどもっと上手く魔力を操ることができれば、対人戦闘でも使えるかもしれない。
「さて、それじゃあ」
壁際に張り付いていた信者たちは、何に対してなのかひざまずき、頭を垂れている。
杖をつき、ふらふらと立ち上がった男……確かロズオスと呼ばれていたか。
へつらうような卑屈な笑みを浮かべた男の足元、柄だけになった『吸血鬼』を拾い上げた。
紋様が細かく刻み込まれたそれは、俺の魔力をたらふく飲み込んで破断したからだろう随分と手に馴染む。
刀身は吸い取った魔力で構成されていた筈、試しに魔力を流し込むと、禍々しくどす黒く揺らめく刀身が現れた。
「うわぁ……」
初めて手から外側に魔力を流せたことに喜びたいところだったけど、何これ気持ち悪い……。
それを目の前で見せられた男も、顔に変な汗を浮かべて身体を震わせている。
「お、お許しを……お許しを……」
こちらに鋭い視線を向けていたまだらな髪の女も、そして目の前の男も、『吸血鬼』の刀身を見て絶望の表情を浮かべている。
え、そんなに?
「他にさらった人は?」
「ま、魔力を吸い……海へ……」
答えた男の顔は恐怖に震えている。
街で聞いた人さらい、無関係ではないだろう。
哀れなくらい身体を震わせる男の喉元に、揺れる刃を突きつける。
「ひっ! ひぃ……っ」
視界の端、魔素が揺れる、空いた手で払い横目で見やる、恐怖に震えながらの一矢が適わなかったことに、数瞬遅れて女は気がついたようだ。
切っ先を下に滑らせ、男の胸の中心へ突き刺した。
ず、と衣服でも肉でもない何かの、僅かな抵抗感。
「やめっ……へ……?」
魔力の刃を通して男の魔力を感じ取れる。
刺された痛みも衝撃も何もないことに、男は驚き安堵したのだろう、間の抜けた声が口から漏れた。
無意識のうちに笑みがこぼれた……魔力を、変質させる。
「へへ、え? あ゛、が、あがああ゛っ、やめ゛……っ!」
パキ、パキ、と小さく細かく何かがひび割れる音が、男の身体のそこかしこから溢れた。
ずるり、と刀身を引き抜く。
血は流れていない。
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ!? 痛い゛! 痛い゛い゛!」
男は膝から崩れ落ち、身体を掻き毟り身悶える。
「何、を……ロズオスに、何をした!」
女の枯れた絶叫が響く。
視界の端、信者だった者たちは出口へと殺到していた。
「実験」
短く答え、まだらな黒髪を振り乱す女へ足を向ける。
「く、来るな! 来るな、魔女め!」
「呼んだのは、あなた達でしょう」
手をこちらに差し向けた女、その腕に魔力が走る。
それを見て転移の魔術を発動させ、女の後ろに現出した。
「っ!? ど、どこにいっ……あ゛」
刺された感触はなかっただろう、胸から突き出した揺らめく刀身を見て女は言葉を失った。
「たす……た、助けて……」
嗚咽混じりの懇願に、思うところは何もない。
痛みに叫び続ける男の声を聞きながら、女に突き刺した刀身越しに魔力を少しだけ吸う。
「ここで何をしていたんですか?」
「ひっ……ま、魔力を、集めていま、した」
『吸血鬼』を使って、か。
貯蔵はどうしていたんだろう……魔力を、少しだけ吸う。
「その目的は?」
「はっ……ぁ、く、黒き魔女へ、捧げる為」
……あの女に、たかだか人間何人か分の魔力なんて必要だったのだろうか。
やはり本人の意思が介在しているとは考えにくい。
魔力を、少しだけ吸う。
「誰に言われて?」
「は……はっ……、黒き魔女の、付き人を名乗っていた、ろ、老人、です。
な、名前は、し、知りません。はっ……ぁ、に、鈍色の、ローブを着て、いました」
鈍色のローブ……あの女を、この身体を師匠と呼んだルッツ・アルフェイン、そのお仲間だろうか。
弟子に当たる人間が一人とも限らない。
『魔力の変質』による本人、という線もあるのだろうか。
目に映る女の体内、魔力は残り少ない。
さらに魔力を吸い取る。
「そいつはどこに?」
「あっ……あ……、し、知り、ま、あ……」
これくらいが意識を保てる限界か。
刀身を抜き取ると、女は身体を痙攣させ、膝から地面に崩れた。
浅く早い呼吸は苦しそうだが、死にはしないだろう。
「ん……うぅん……」
花に彩られた祭壇の上、意識を取り戻した少女の声が聞こえる。
そちらに足を向けつつ、うるさい男を見やる……骨に絡みつくように生えた魔力の結晶は、これからずっと男を苛み続けるだろう。
僅かに身体を起こした少女の身体の中、やはり俺の魔力は上手く順応していない。
自ら魔素を取り込み魔力を生成し、その自身の魔力が廻るまでは動けないのかもしれない。
面倒だけどここに放置するのは後味が悪い。
隣接した物置だろう小部屋から彼らの予備のローブを拝借し、女の子に被せる。
無人になり、明かりの一つもない温度の下がった洞窟を、少女を抱えて戻った。
外で出迎えてくれる筈のソラの姿は、どこにもなかった。




