二十一話 港湾都市リフォレ
「わお」
荷馬車に揺られること丸二日。
もう一つの大きな橋には待ち伏せもなく、遥か前方、湾岸都市リフォレを囲む壁が見えてきた。
右手に再び海を望み進む道、左手一面には緩やかに上る広々とした畑と牧草地。
この規模の荷馬車の群れは珍しいのか、道行く人や何かしらの作業をしている人まで、なんだなんだと口を開いている。
「シエラさん、そろそろ下へ」
「分かりました。一番後ろに戻ります」
先頭を行く荷馬車の幌の上に居た俺とソラは、御者の返事を聞いてから後方、歴戦の商人が操る荷馬車の方へ跳んだ。
ソラに抱えられた空中で転移の魔術を発動させ、御者台へ着地。
「おっと。戻りましたか、シエラ殿」
「はい」
ソラに目配せをしてフードを被る。
人口だけなら大陸一とも言われているその都市の中では、迂闊なことはしないほうがいいだろう。
しばらく揺れるに身を任せていると、地面から伝わる振動と音が変わった。
石畳ではない、土に見えるけどしっかりと固められているそれは、随分と走りやすそうだ。
右手に見える海面には遠く、小さな帆船が幾つか見える。
そういえばグレイス・ガンウォードは、俺が海の向こうから来たと言ったとき、酷く険しい顔をしていた。
そんなことはありえない、とでも言わんばかりに。
「んー……」
見た感じ、普通に漁とかしてるみたいだけど、外洋はまた事情が違うのだろうか。
きらきらと陽の光を受け輝く海面は、穏やかだ。
「今の時期は『逃げ魚』が美味いですよ」
俺の視線に答えるように、御者の男が口を開いた。
「外は今、あれでしょう。おかげで湾内は大漁のようですが」
適当に聞き流しつつ、遠くを見やる。
あの海の向こうには何があるんだろう。
城塞都市レグルスのものよりは格段に低い、けれど充分に立派な壁には潮風への対策だろうか、表面に何か塗られている。
……いや、汚れてるだけかもしれない。
その壁の外にまで住居が建ち、人々が溢れ、道端で露店が開かれている。
雰囲気はレグルスの下層にかなり近い、ごった煮という一言がぴったりな印象だ。
雑多なその中、どこからかは分からないが一瞬、鋭い刃物のような視線を感じた。
まばたきの間に目を切り替える……けれどもう視線は感じない。
フードの中で獣の耳が窮屈に折れ曲がる。
鬱陶しいなぁこれ……。
港湾都市リフォレ。
少し前まで自由都市と呼ばれていたというここは、元は戦いを忌避した人々が寄り集まってできた小さな村だった。
だがその立地は幸か不幸か、大きな都市国家の間を行き来するのに丁度良い中間地点でもあった。
かくして小さな村は、放射状に道を土地を広げていき、人と物が流通する都市国家へと急成長した。
見せかけの自由の裏で各都市国家の陰謀が渦巻き飛び交う、張り巡らされた道は蜘蛛の巣のよう。
賢しい者がさらに賢しい者に食われる、権謀術数の坩堝。
右半分を湾に削り取られた蜘蛛の巣、その中央の広場は『渡り鳥の巣』のそれより遥かに広く、ど真ん中にそびえ立つ大木が木漏れ日で飾り立てている。
一団は悠々と見せ付けるように広場をぐるりと回り、湾の方へ。
マクロレン商会リフォレ支部は、湾沿いの土地を贅沢に使い、様々な店を手がけている。
一等大きく立派な、湾を一望できる建物に通された俺とソラは、支部長と名乗った恰幅の良い男に出迎えられた。
その足元にはクリーム色の毛並みが艶やかな猫が纏わりついている。
「ようこそいらっしゃいました。私はここを預かる、リターノ・マクロレンと申します」
マクロレン? 兄弟だろうか、あまり似てないけど。
それならもう話は通っているだろう、フードを取り、スカートの裾を摘む。
「シエラ・ルァク・トゥアノです。マクロレン殿のご助力に感謝します」
ぺこり、と同じように頭を下げたソラの動きは少しだけぎこちない。
あんまり裾を持ち上げるな見えるぞ色々と。
「いやはや、聞いてはいましたが本当に美しい。あの兄がよく……」
なるべく笑顔を保ちつつ、小首を傾げる。
視線は全身を舐めるようだが、あまり嫌な感じではない……恐らくこれは品評という目線。
自身の中にある確固とした基準と照らし合わせているのだろう。
値打ちと、その価値を。
商会にもたらすであろうメリットと、デメリットを。
「ご用命があれば、なんなりと。この街にいる間は不便をさせるなと、兄から言われておりますので」
「ありがとうございます。その時は、是非」
挨拶はそれくらいにして、ソラを連れて足早に建物から出た。
協力はありがたいが、身体は軽いほうがいい。
外で荷下ろしをしていた、運んでくれた商人たちに声をかけてから、フードを被る。
「ウルフレッドはどこだろ」
とりあえず街の中心、一度荷馬車で通った大きな広場へ向かう。
下から見るとまた違って見える景色の中央には立派すぎる大木が植わっていて、見上げると木漏れ日がきらきらとまぶしい。
だが行き交う人々の中に、その葉に枝に光に目を細める人はいない。
何かに追われるように、その足は忙しない。
立ち止まっているのは余裕がある者と、一切の余裕がない者だけだ。
持つものと持たざるもの、やはりこの街にも影が色濃く滲んでいる。
大きな木の周りに立てられている掲示板の数は多く、乱雑に重なりちぎれはみ出している。
読めないのは分かっているけど、なんとなしに見やる。
周囲は武装している人々で溢れ返っている……そういった依頼が多いのだろうか。
冒険者、という単語が脳裏に浮かび、少しだけうずうずする。
そこら中で立ち話に興じている人々の声に耳を傾けると、全く別の世界なんだと再認識させられる。
「グラス鉱山行きでこんだけ? ありえねーわ」
「また人さらいだってよ。怪しい魔術師を見たら連絡をだって」
「この『粉吹き兎の耳』の急募、一桁間違ってんぞ」
「なぁあんた、足代折半しようぜ」
「テホバン爺の工房閉鎖? マジかよ!」
広場は賑やかで騒がしく、活気に満ち溢れている。
「この辺りは昔から魔獣が多くてな。だから必然、討伐や護衛、それと加工の依頼も多い」
俺とソラの頭上後方から、覚えのある声が聞こえた。
振り返ると、木漏れ日に赤混じりで明るい茶色の逆立った髪が映える、お人好しの……いや、変態の情報屋が立っていた。
ウルフレッド・カーヴィン。
「よう。『竜殺しの魔女』殿」
「……どうも」
その姿を見るなりソラはススス、と俺の身体の後ろに隠れる。あまりくっつくなこいつを喜ばせるだけだぞ。
というかこの人、口調が戻ってますね。
いや、それは置いといて。
「噂は馬より早い、ですか」
「そういうことだ。さっきの商団がもう一部を運び入れたんだろう? 盛大に金が動くぞ」
『地均す甲竜』の頑強な体躯、それらが人の手を介してどんな商品になるのか。
ちょっと興味がある。
「それにしても、マクロレン商会を味方につけるとはね。どんな手を使ったんだ?」
それに関してはむしろ俺の方が聞きたい。
「……おじいちゃんのおかげ、ですかね」
あの短い言伝に、彼らにしか分からない何かがあったのだろう。
気にはなるけど、詮索するつもりはなかった。
「それよりも、仕事の話ですけど」
「せっかちな嬢ちゃんだ。まぁいい、場所を変えよう」
僅かに顔を近づけて、ウルフレッドが囁いた。
「もう何人かに目を付けられてるぞ」




