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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第二章 這い寄る影
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十六話 竜の心臓

 日は真上に差し掛かっていた。

 遮るものが何もないここは海からの風が時折強く吹き、草葉を揺らす。


 それぞれの代表たちは流石に直接挑みかかることはせず、少し離れたところで静観していた。

 トルデリンテ・マクロレンの姿を見つけて駆け寄る。


「ご覧の有様だよ」


 集っていた面々は皆、苦虫を噛み潰したような顔で事態の推移を見守っている。

 頭を抱えるもの、収支の計算をするもの、現実逃避をするもの。

 様々な色を浮かべた彼らが、戻ってきた白き魔女に向けた眼差しは……期待のそれだった。

 そしてその期待の色は、助けてくれ、ではなく……儲けさせてくれという、欲望に塗れた人間の業。

 思わず苦笑してしまう。

 なんてしたたかで、正直な。


「……彼らを引かせてください。ちょっと、邪魔なので」



 カァン。カァン。

 櫓のあれより少しだけ軽い、それでもかなり遠くまで響き渡っただろう合図の音。

 白と緑の大きな旗が振られ、それを聞きそれを見た、勇敢なそして無謀な人々が距離を取り始めた。

 ぐるぐるとその場で回るようにして彼らを撃退していた『地均す甲竜』は、低く唸り声を上げ、怪我人を助けようと遅れた男に追撃を──。


 ガギン、という頭に響く打撃音と同時に、『地均す甲竜』の巨体が一瞬、浮き上がった。

 僅かに怯んだその隙に、息のある者は距離を離せたようだ。

 ディアーノ・トルーガ。

 前線を退いて尚、その一撃は重い。



 老兵に対し威嚇で翼を広げる『地均す甲竜』、その目の前にソラを連れて現出した。

 視界全てを埋めるような巨体、その岩のような体表に大きく深く穿たれた穴からは、とめどなく血が溢れ出ている。

 刺さっている、というよりは引っかかっていると表現した方が適切だろう矢や穂先、刃の欠片。

 それらの影響を微塵も感じさせない、生命力の塊。


 ギャア゛ア゛ッギャア゛ア゛ア゛ア゛ッッ!!


 周りの人々が引いた後、興奮している『地均す甲竜』が俺の魔力だけを認識するようになるまで、しばらく一人で攻撃を避け続けよう……なんて無謀なことを考えていたのだけど。

 おじいちゃん……いや、ディアーノの人間離れした一撃で、見事にその目論見が達成された。

 まじで俺、何もしてない……。


 さて。

 現状、俺にできることそれ自体は少ない。

 四肢に魔力を流してそれぞれの強化。

 認識している場所への転移、特定の場所への帰還。

 魔力の供与と吸収(口で)。

 それと……魔素と魔力が見える。

 もっとこう、派手な魔術とかないんですかね。


 それでも、目の前のこれを仕留めるには充分だ。


「任せるぞ、嬢ちゃん」


「はい。……行こう、ソラ」


 何より、ソラがいるし。

 ディアーノの声を受け、『空駆ける爪』本来の姿に戻ったソラ、その背に再びまたがる。

 大口を開けて迫る、しかし明らかに動きが鈍っている『地均す甲竜』から距離を取り、誘導する。

 もう俺たちの魔力しか見えていないだろう。

 鬼ごっこ再び。

 左手には森。人々からも逃げるように向かうは……海。


 ソラの全力に比べれば遅い、それでも人間の全力よりは遥かに速いその鼻先を、距離を保ちつつ駆ける。


「疲れてない?」


(全然)


 ソラの返事はそっけないが、中途半端な速度を維持するのに神経を使っているからだろう。

 背の高くなってきた草葉を掻き分ける音が心地良い。

 左目で辺りを見回すが、前方にも周囲にも警戒すべき生物は見当たらない。

 淡く、薄い光の絨毯。

 今俺と『地均す甲竜』は、同じ景色を見ているのだろうか。

 お前から俺は、どう見えてる?



 血をとめどなく流しながら、しかし迫る速度はどんどん上がっていく。

 油断していると振り落とされそうになる……そして視界が開けた。


 切り立った崖、その先に広がる海面。

 ソラの頭をぽんと叩く。

 走る延長の、緩やかな跳躍。

 それを追いかけ、『地均す甲竜』はただ真っ直ぐに、少しだけ崖の先端を崩しながら、落ちた。


 十数メートル下は、突き出した岩礁の群れ。

 ソラと高く大きく跳んだ時に僅かに見えた、天然の罠だ。


 空中で少女の姿に変化したソラの手を掴むと同時に、大地そのものを揺らすような破砕音。

 眼下を見やる。

 バランスを崩し背中から落ちた『地均す甲竜』は、自重と加速度をもろに受けて……いや、まだ動いている。


 崖の上を睨みつけて人差し指の付け根に口付けた。

 ソラと一緒に着地。

 瞬時に運動エネルギーがゼロになる感覚には、なかなか慣れそうにない。

 恐る恐る下を覗き込むと、体表が地味な岩の色に戻り、痛々しい姿になった『地均す甲竜』がその巨大な体躯を震わせ、鳴いている。

 ソラの手を離す。

 一度、大きく深呼吸して、飛び降りた。


「待ってて」


「え、シエラちゃん」


 ソラの声を置き去りに颯爽と……いややっぱり高すぎた怖い、転移の魔術でひっくり返った『地均す甲竜』のお腹に着地した。

 まだ動いているが、見える魔力は弱々しい。

 落下のダメージより、深く抉られ魔力を溢しながらの鬼ごっこが効いたのだろう。

 放っておけばこのまま動けずに死ぬ……目的は達成された。



 ディアーノ・トルーガの話では、『地均す甲竜』が人前に現れることは滅多にないらしい。

 浅い洞窟や湖畔などを好み、岩に擬態して魔素を舐めるように生息しているという。

 ちょっかいを出されると一転、周囲は最初から何もなかったかのように平らに均される……地を均す、甲竜。


 白き魔女の魔力に当てられた可能性。

 魔術によって何者かに操られている可能性。

 まだ知られていない習性もあるだろう、運悪くの遭遇かもしれない。

 ただ、儂の勘では……そう言ったディアーノの顔はとても険しかった。


 目を切り替えて、『地均す甲竜』をくまなく見る。

 身体の中を静かに廻っている魔力の流れは複雑だが緩やかで、欠け落ちた岩石のようなところどころから漏れ出ていく。

 ああ、見つけた。


 首の根本に纏わりつくように、紋様が刻まれている……魔力の残滓が匂う、中心のあれはなんだろう。

 ゆっくりと近づくと、ギャア゛、と威嚇するように吼え、四肢を奮わせた。


「静かにしてろ」


 その言葉が通じたのかどうかは分からないが、『地均す甲竜』はおとなしくなった。

 刻まれた紋様、その意味は分からない……けれど酷く歪なことは分かる。

 内にまで侵食するように見えるそれは、村跡で見たヴィオーネの魔術に少し似ている。

 存在を、冒涜するような。


 体表に抉り込まれているそれは、まさかオシャレをしているわけではないだろう。

 魔石のように見えるけど、色が違う……血を固めたように赤く透明なそれ。

 その拳大の赤い魔石を中心に、紋様を組み合わせた円状に広がる薄く赤い魔法陣。

 それに、手を伸ばす。


 指先で触れると、鉱石に見えたその硬い表面がぬるりと溶け、指を飲み込んだ……瞬間。

 指の先から青白い炎が弾け、一瞬で魔法陣を青く染め上げた。

 何かを解除した……あるいは壊した実感がある。


 見る間に刻まれていた魔法陣は粉々に解けていき、歪な形の赤い魔石だけがその場に残された。


「ああ、そういうことでしたか、師匠」


 場違いなまでに明るい、声変わり前の澄んだ少年の声。

 振り向くと、つららを反対向きにしたような岩礁の上に器用に座る、鈍色のローブを着た男の子が、足をぶらぶらさせていた。

 ……師匠?


「わお、ほんとに真っ白」


 目が合った瞬間、あどけない笑顔を向けられ困惑する。

 その俺の横に、少女の姿のままのソラが重苦しい真っ黒なローブをはためかせて、音もなく着地した。

 獣の耳がピン、と逆立っている……ほんとに着地上手ですね。


「……どちら様?」


 声をかけつつも、警戒度が一気に跳ね上がる。

 ソラがわざわざ降りて来たのだ、恐らく協力的な相手ではないのだろう。

 そして目に映るこのどす黒い魔力はなんだ?


「ひっどいなぁ、まだ十年かそこらなのに!」


 ふんわりとしたボブカットの髪は黒く、艶やかだ。

 頬を膨らませてわざとらしく怒っているアピールをする少年は、一体何者なのだろう。

 ぷんぷん、と口にまで出しつつ突き立った岩礁からふわりと跳んだ少年は、ひっくり返ったままの『地均す甲竜』の尻尾の付け根に降り立った。


「いやぁ、心が躍りましたよ。月に瞳が浮かんだときは!」


 月に……瞳?

 左手をちらりと見る。

 頭を右に左に揺らしながら、一歩二歩と少年は歩み寄る。


「なんですか、訝しげな顔をして。……ああ! コレですか?」


 そう言って立ち止まった少年は、さらさらした黒い髪を一房、摘みあげた。


「師匠に教えてもらった『変質』ですよ。寂しくて寂しくてつい。ヒイラギ色と呼んで皆に自慢したら、酷い目に遭いましたが……」


 良くできてるでしょう? そう言ってくるりと身体を回す仕草は年相応だが。

 ヒイラギ……『黒き魔女』。

 同郷の、今は亡き女。

 この少年はもしかして俺を、この身体の中身を、ヒイラギだと思っている……?


「というか師匠。なんで『実験体』なんて連れてるんです?」


 小首を傾げ中性的な声は可愛らしい、しかし不穏な単語に意識を向ける暇もなく、手を伸ばした。

 ほんの少し少年のローブの袖が揺れ、閃き伝播する光は秒にも満たない。

 ソラの額で魔素が急速に捩れる、それを握り潰した。


 間に合った。

 というか今、何をしようとした?

 現象が何も起きなかった、波の音しか聞こえない……静寂。

 少年が僅か目を見開き、遅れてソラが一歩後ずさる。


「……すごい! すごいすごい! 本当に見えてるんですね! 『魔術の起こり』が!」


 わあ、と目をキラキラさせて称賛の声を上げる少年は、一度崖の上をちらりと見てから、すぐに気だるそうに顔を傾けた。


「はぁ……。本当はもっとお話、したいんですけど……。抜け駆けしたのバレるとヤバイので……師匠もまだその器、馴染んでないみたいですし」


 ぐぐっと脚に力を込め、今にも飛び出しそうなソラを手で制する。

 遠く、テンションの高い声が聞こえてくる……彼らは追いかけてきたのか。


「ソレもただの実験だったんですけど、師匠に反応したんでしょうね、暴走しちゃって。

 丁度良いですしそのままお返ししますね! 第二のアーティファクト、『竜の心臓』!」


 そう言って手を大きく振りながら、少年は身体を翻し、険しい岩礁の群れを器用に飛び跳ねていった。



「……なんだったんだ」


「ルッツ・アルフェイン」


 吐き捨てるような、初めて聞く声色だった。


「……お知り合い?」


「いえ。あの方に付き纏っていた魔術師です」


 あの話しぶりからは確かに、畏敬や崇拝に似た色を感じた。

 言葉と行動の端々から、いや何よりあのどす黒い魔力からは、危険な香りしかしなかったけど。

 冷や汗を流しまだ身体を強張らせているソラの頭を撫で、後ろを振り返る。


 この赤い魔石が、鈍色のローブを着た少年ルッツ・アルフェインが言っていた、アーティファクトか。

 『竜の心臓』……色は赤いけど脈打ってもいないそれは、何かの比喩だろうか。


 ずっとおとなしかった『地均す甲竜』は、まだ微かに動いている。


「あの方の魔術の結集の一つ、ですね」


「どんな物かご存知で?」


「いえ」


 また魔力をごっそり吸われて動けなくなったら嫌だな……。

 まぁソラがいるし大丈夫だろう。


 小さく溜め息をついて、よく見ると大きな爪のような形の赤い魔石、『竜の心臓』に恐る恐る指先……爪で小突く。

 今度は沈み込むことはなく、硬く透き通るそれは宝石のよう。

 『地均す甲竜』の首、その根本に突き刺さっているそれは、簡単に抜けそうにない。


 爪でこつこつとノックをするように引っかく。

 拳大のそれの中で、細い紋様の列がぐるぐると縦に横に斜めに何重にも渦を巻いている。

 遠く、遠くから集まる人々の声が焦燥感を煽る。


 ええい、ままよ。


 小さく覚悟して掴むと、その名の通り一度大きく脈打ったそれは、青白い炎に包まれてどろりと溶けた。

 掴んだ右手ごと熱をもたない魔素の色をした炎に覆われ、煙のように宙を舞うのはやはり帯状の紋様。

 同じような光景を……そうか、ニャンベルの部屋で、転移の魔術書を開いたあの夜にも見た。


 掴んだ右手で、握り潰す。

 一際大きく青白い炎を上げ、突然お腹がじゅう、と熱くなった。


「あっづ……!」


 後退りお腹を押さえる……視界にも掴んだ右手にも、『竜の心臓』は跡形も残っていない。

 刻まれた、というよりも、取り込んだという感覚。

 そして唐突に理解する……『地均す甲竜』に刻まれていた魔法陣は、そういうことか。


 やはり黒き魔女が遺したアーティファクトは、この身体の為にあるのだと実感させられる。

 魂の器……きっとこの身体は、アーティファクトの器でもあるのだろう。


 もうほとんど動いていない『地均す甲竜』を見下ろす。

 魔力に直接干渉できるアーティファクト『竜の心臓』によって、操られていたのだ……ディアーノが危惧していた通りだった。


 ……この世界の倫理観に照らし合わせれば、きっと俺は甘く、自分勝手なのだろう。

 まだ熱いお腹を撫でる。


「ソラ、ちょっとこいつから降りてて」


「? はい」


 ぴょん、と折れていない岩礁の上に飛び乗るソラを見やりつつ、『竜の心臓』が刺さっていた傷口の前に膝をつく。


「どうせもう死ぬんだろ? 悪いけど、好きにさせてもらう」


 ギャア゛、と力のない鳴き声。

 それはどちらの意味だったのだろう。

 穿たれたその傷に、唇で触れた。

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