十二話 命の重さ
とす、という軽い音は、道から外れた草地に矢が刺さった音だ。
見ればもう表情もはっきり見える距離まで近づいていた賊の残りの二人が、身を隠している商人と馬に向けて矢を放っていた。
ひいぃ、と情けない声が荷台の向こうから聞こえる……馬は随分とおとなしくしている。
ガン、ガン、という音に護衛の方を見やると、大ぶりな石が金属の鎧に当たり弾かれていた。
賊の三人は接近戦を拒んだのだろう、距離を取り投石で攻撃している。
腰に巻かれたポーチのようなものに常備しているようだ。
頑丈そうな金属の全身鎧に投石なんて効くのだろうか、と疑問符が浮かぶ。
けど鳴り響く音はかなりの大きさで……いや、そうか。
四肢を強化しているならその威力、衝撃はかなりのものだ。
流れている魔力は不器用で、量そのものも大したことはないように見える。
精々一割から二割程度しか強化できていないような気がする……。
それでも大の男の、しかも複数からの全力の投擲に、護衛の男は身動きが取れていない。
「んー……」
鼻から下を覆い隠している彼らの目的は、恐らく俺たちだったのだろう。
問題は、何処からか、だ。
ウルフレッドの情報だと、現状俺は四つの勢力から追われている。
マクロレン商会。城塞都市レグルスの若き王直属の騎士団。そのお触れを聞いた賞金稼ぎの類。そしてそのお触れを隠れ蓑にした王の側近の手駒。
レイグリッドの騎士団は動いていないのだろう。
噂の『白き魔女』を捕らえるにしては何というか……雑すぎる気がする。
そしてこの荷馬車への襲撃。
商会とやらの雇われか賞金稼ぎの、標的を見失ったことに対しての八つ当たりと埋め合わせ……そんなところだろうか。
つまり彼らは、とばっちりだ。
ガン、ガン、という鳴り止まない音の間に、あの弓矢は牽制だったのだろう、二人の男が商人と馬の方へ、獲物を携え距離を詰めていた。
「ソラ、片方よろしく」
音の大きさに耳をぺたりと畳み顔をしかめていたソラは、俺の言葉にこくんと頷いた。
迫る二人の男、その後ろを注視しつつ右手でソラの手を握り、左手に魔力を込める……刻まれた紋様を満たすように。
ソラの手も一緒に持ち上げながら、転移の魔術を発動させた。
二人の男、その背中は無防備だ。
手を離し跳びかかるソラ、それを視界の端に捉えつつ、踏み込む。
音か気配か、察知し振り向いた男の表情は見えなかった。
「ふ……っ!」
わき腹を狙ったそれは、身体ごと振り向いた男の左腕に当たり、鈍く何かが折れる音と感触。
視界の外、ぎゃっ、という変に途切れた叫び声。
「な゛っが……っ?!」
驚愕と衝撃がない交ぜになった声を漏らし、男の身体は横にぐるんと回転して草地に倒れ伏した。
少し痺れた左手を振り、すぐ横を見る。
「ソラ」
口元を彩る鮮烈な赤いそれを長い舌でぺろりと拭ったソラは、身体を震わせながら首を両手で押さえて膝を突いた男から手を離した。
手では止められないおびただしい量の血が草を土を砂を赤く染める。
「た、食べてないですよ」
「いや……、うん」
目を背けたくなる光景だった。
恐らく頚動脈まで達しているのだろう深く抉れた傷口は、数秒の間に確実に男を死に至らしめるだろう。
痙攣した、浅く速い呼吸が途切れ途切れになっていく。
そちらはもう見ずに、殴り飛ばした男の方へ足を向ける。
断続的に鳴っていた護衛の男からの大きな反響音は止んでいた。
相手をしていた三人の賊はこちらの異常を察知し、明らかに狼狽している……その隙を護衛の男が見逃す筈もない。
距離を詰めてしまえば戦いは一方的だろう。
一人があっという間に切り伏せられ、残る二人は残り少なくなっていた石と獲物を放り出し、背の高い草葉を掻き分けて森の方へ逃げて行った。
足に魔力を全て注ぎこんだ、全力疾走。
「あれはいいんですか」
「うん、いい……。フード、被っときな」
護衛の男もあの鎧では追いつけないだろう、血振りをした剣を改めて拭っている。
六人中、三人が死んで、二人が逃げた。
生き残りは目の前のこいつだけ。
恐らく折れているだろう左腕を押さえ、顔面を蒼白にした男の目の前に立つ……ああ、この男は御者台から声をかけてきた男だ。
ゆっくりとフードを取った。
「……誰に頼まれたんです?」
体内の魔力はほとんど見えず、魔術を使う気配もない……目を元に戻した。
「は、話を聞いたんだ。……ぼこぼこにされてた奴らに、は、話を、あ、あんたらが金をたんまり持ってるって」
ぼこぼこにされていた奴ら……ああ。
「えぇと……この髪、どう思います?」
「へ? い、いや、き……綺麗ですね、へへ……」
『白き魔女』、それを狙う賞金稼ぎの類ですらなさそうだった。
つまりウルフレッドが片付けた、俺たちを狙っていた恐らくただの金目当ての一団、そこが情報の出所か。
ただの追いはぎ……?
物騒ですね。
「そうですか、ありがとうございます」
フードを被りなおし、こちらへ近づいてくる全身鎧の護衛と、辺りを警戒しながら馬を引いてくる商人の男を見やる。
頑丈そうな鎧のあちこちにへこみが見える……やはり相当の衝撃だったのだろう。
飾り気のないバケツをひっくり返したような兜を脱ぎながら、頭部も口周りももじゃもじゃさせた男が空いた手を挙げて歩み寄ってくる。
「やあ、やあ。助かった」
全身から仄かに湯気を立たせる、明るい茶色の髪はやはり鳥の巣のようで今は少ししっとりしている。
中年くらいだろう、どこか愛嬌を感じさせるがしかし容赦なく人を切り捨てている、油断はできない。
その目が、俺の近くでうずくまる男を捉えた。
「そいつは?」
「情報が欲しかったので」
「そうか」
その動きはあまりに自然で当たり前で、だから全く反応できなかった。
シャリ、と滑らかに抜剣した音と、鋭く突き出した腕、その先の、喉に深く刺さる剣先。
ごぼ、と血を口から漏らして、御者だった男は絶命した。
「な、……っ」
「用が済んだなら、速やかに始末しないと」
何も殺すことは、なんて台詞は恐らく、口に出しても意味がない。
なぜなら一連を見ていたソラも、商人の男も、護衛の男の行動に一切の疑問を抱いておらず……当たり前のこととして受け入れていた。
「? どうしました、シエラちゃん」
「いや……。なんでもない」
ここでは、この世界ではそれが当たり前なのだ。
命の重さ、その認識がまるで違う。
「旦那、そちらは?」
「知らん。が、助けられた」
ほう、と商人の男は軽快な足取りでこちらにやってきて、手を差し出してきた。
「いやあ、助かりました。旅の方ですかな」
「えぇ、まぁ」
差し出された手を握り返すと、両手で包まれ上下に振られる。
恰幅の良い体格で、お腹周りが窮屈そうな男はソラにも目を向けるが、ソラは俺の身体の後ろにススス、と隠れた。
それを気にする風でもなく、商人の男は身体の前で手を軽く打つと、
「回収は済ませましたかな」
と、護衛の男に向き直った。
「いや、これからだ」
回収? と疑問に思っていると、ソラに腕を引かれた……その手は僅かに震えている。
フードの中で耳が忙しなく動いている。
「シエラちゃん。逃げましょう」
「え」
ソラの目は俺ではなく、護衛と商人の男でもなく、逃げた賊が向かった方向……遠くに低く見える森を睨みつけていた。




