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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第二章 這い寄る影
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十話 ごほうびのじかん

 この建物は一階が酒場で、二階が宿になっているらしい。

 二階の一番奥の部屋の鍵を渡され、きぃきぃと軋む廊下を歩く。


 部屋に入ったソラがローブを脱ぎ去り宙に放り投げると、ふわりと舞ったそれは床に着く前に青白く解けて消えた。


 小さなテーブルに、椅子が一つ。

 ベッドは一人用。

 これ以上なく簡素な構成の部屋は、採光もあまり考えられていないのだろう、薄暗い。


 ケープを脱いでベッドに腰かける。

 真っ裸に首輪を一つ付けただけのソラが隣に座り、身体をすり寄せてきた。


「シエラちゃん」


「……なに。近いんですけど」


 吐息が熱い。

 こいつ、まじで酔ってるのでは……?


「どうしていきなり、ご褒美をくれたんですか」


 一瞬何のことかと思ったけど、魔力供与のことか。

 ……ご褒美なんだ、あれ。


「いや、そういうつもりでは」


 ないんだけど、という続きは、俺の唇に触れたソラの鋭利な爪でかき消された。

 ぷにぷにと押されるそれは、いや待って刺さりそうで怖い。


「魔獣にとって」


 ソラの爪が頬を滑る。

 身体を反転させて、向き合うように俺の脚の上にまたがったソラは、そのまま腕を俺の背に回した。

 ほとんど背丈の変わらないソラの唇が、俺の前髪を咥える。


「魔力は、ご馳走なんですよ」


「……知ってる、けど」


 ソラの鼻が額を小突き、傾けられた唇が俺の鼻を甘く噛んだ。

 長い爪が器用に首の後ろ、ワンピースドレスのリボンを解いた。

 ……なんで?


 額と額が触れ、ソラの少し切れ長で大きな青い瞳が、俺の目を覗き込む。


「左目、どうしたんですか」


 ふるふると揺れる瞳孔が、獲物を狙うそれではなく、単純に心配しているように見つめている。


「……どうなってる?」


 そういえばまだ姿見で確認していない。


「いえ、見た目は別に。ただ……」


 ソラの長く薄い舌が、左目に迫る。

 首筋に鋭い爪が突き立てられていて、動けない。


「う、ぇ……っ」


 その感触をどう表現すればいいのだろう。

 熱くぬめるそれが眼球を這い回っている間、喉の奥からは、ひゅうひゅうと隙間風のような声にならない声が勝手に漏れる。

 背筋が痺れる。恐怖、いや、この気持ち悪いような、これはなんだ。

 なんで、俺は眼球を、舐められている。


 ソラの舌が離れ、熱い吐息が眼球を撫でた。


 熱が移ったように、左目が生温かい。

 ちくしょう、涙が出てきた……。

 いや違う、ソラのよだれだ。

 もうやだ……。


「シエラちゃん。目、どうです?」


「どうって……どういう……」


 言われて試しに目を切り替えた。

 薄暗い部屋の中がぼんやりとした魔素の色で満たされる。

 と、左目の視界……ソラの体内、部屋の壁の向こう、外側まで……魔力が鮮明に見えた。

 この感覚はそう、尖塔でも。


「良かった。見えてそうですね。ちょっとズレてたので」


「……うん。ありがとう……?」


 眼球を舐めてもらい、礼を言う変態がここにいた。俺だった。

 何度かまばたきをしてから目を戻す。

 ズレていた、という言葉の意味がよく分からなかったけど、目を切り替えたときの左目の違和感は確かになくなっていた。

 脚の上にまたがり顔を突き合わせたソラは、にんまりと笑った。


「じゃあご褒美をください」


「……」


 溜め息をついてから、ソラの後頭部に手を回した。

 期待からかソラの尻尾が左右に大きく揺れ、脚にふわふわと当たる。


 外はようやく日が暮れ始めていた。

 あの男、ウルフレッドにこの光景を見せたらどんな反応をするだろうか。


 櫛を通すようにソラの髪を撫でる。

 いつの間にか晒されていた俺の肩に、ソラの爪が、カリ、と触れた。


 この身体は隅々まで良くできている……あの女が自身をベースにしたと言っていた、人の形をした魂の器。

 それこそ必要あるのか疑問なところまで。

 だけどそれに繋がる感情……いや、この場合は欲求か、そういうのは沸いてこない。


 この自身の身体を見ても、ソラの裸体を見ても、可愛らしいとか綺麗とか、そういった感想が先に浮かぶ。

 ソラの唇が俺の耳を甘く噛み、長い舌が首筋を舐め伝う。


 だから、起きた肉体の変化に戸惑った。

 お腹の下……下腹部の奥が、ぽかぽかしている。

 魔力を吸収したときとは違う、これは、なんだろう。

 ソラが魔力を流し込んでいる気配はない。


 ピン、と立ったソラのふわふわした耳に触れた。

 一度逃げるように跳ねたそれはしなやかで柔らかく、感触はフェルト生地のよう。


 ソラの髪に鼻を埋めると、薄れてはいたけどやっぱり獣臭く、微かに血の臭いもする。

 ちょっと癖になりそう。

 ソラの真似をして鼻を鳴らすと、可笑しいのか熱い湿り気のある吐息が肩を撫でた。


 少女の姿をしたソラの身体は小柄だが、うなじから首筋、肩へ指先でなぞるだけで、荒く暴力めいた筋肉が潜んでいるのを確かに感じる。

 恐らくこの姿のままでも、あの苛烈な戦いを演じられるのだろう。

 引き裂き、噛み砕き、返り血を浴びるあの鮮烈で一方的な。


 四肢に魔力を流し込む。

 ほんの少し汗ばんだソラを抱き締め、身体を反転させて……ベッドに押し倒した。


「シエラちゃん。男らしいですね」


 ……男なんですけどね。

 太ももの間から尻尾がくるりと弧を描き、ソラのへその下までを隠した。


「……どれくらい欲しい?」


 身体ごと覆い被さり、乱れて露になったソラの額に口付けた。

 尻尾が揺れ、俺の脚をくすぐる。

 ソラのすらりとした腕が俺の背に回り、少しだけ恥ずかしそうに笑みを浮かべた。


「……たくさん」


 つられて笑う。

 夜は長くなりそうだ。

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