十話 ごほうびのじかん
この建物は一階が酒場で、二階が宿になっているらしい。
二階の一番奥の部屋の鍵を渡され、きぃきぃと軋む廊下を歩く。
部屋に入ったソラがローブを脱ぎ去り宙に放り投げると、ふわりと舞ったそれは床に着く前に青白く解けて消えた。
小さなテーブルに、椅子が一つ。
ベッドは一人用。
これ以上なく簡素な構成の部屋は、採光もあまり考えられていないのだろう、薄暗い。
ケープを脱いでベッドに腰かける。
真っ裸に首輪を一つ付けただけのソラが隣に座り、身体をすり寄せてきた。
「シエラちゃん」
「……なに。近いんですけど」
吐息が熱い。
こいつ、まじで酔ってるのでは……?
「どうしていきなり、ご褒美をくれたんですか」
一瞬何のことかと思ったけど、魔力供与のことか。
……ご褒美なんだ、あれ。
「いや、そういうつもりでは」
ないんだけど、という続きは、俺の唇に触れたソラの鋭利な爪でかき消された。
ぷにぷにと押されるそれは、いや待って刺さりそうで怖い。
「魔獣にとって」
ソラの爪が頬を滑る。
身体を反転させて、向き合うように俺の脚の上にまたがったソラは、そのまま腕を俺の背に回した。
ほとんど背丈の変わらないソラの唇が、俺の前髪を咥える。
「魔力は、ご馳走なんですよ」
「……知ってる、けど」
ソラの鼻が額を小突き、傾けられた唇が俺の鼻を甘く噛んだ。
長い爪が器用に首の後ろ、ワンピースドレスのリボンを解いた。
……なんで?
額と額が触れ、ソラの少し切れ長で大きな青い瞳が、俺の目を覗き込む。
「左目、どうしたんですか」
ふるふると揺れる瞳孔が、獲物を狙うそれではなく、単純に心配しているように見つめている。
「……どうなってる?」
そういえばまだ姿見で確認していない。
「いえ、見た目は別に。ただ……」
ソラの長く薄い舌が、左目に迫る。
首筋に鋭い爪が突き立てられていて、動けない。
「う、ぇ……っ」
その感触をどう表現すればいいのだろう。
熱くぬめるそれが眼球を這い回っている間、喉の奥からは、ひゅうひゅうと隙間風のような声にならない声が勝手に漏れる。
背筋が痺れる。恐怖、いや、この気持ち悪いような、これはなんだ。
なんで、俺は眼球を、舐められている。
ソラの舌が離れ、熱い吐息が眼球を撫でた。
熱が移ったように、左目が生温かい。
ちくしょう、涙が出てきた……。
いや違う、ソラのよだれだ。
もうやだ……。
「シエラちゃん。目、どうです?」
「どうって……どういう……」
言われて試しに目を切り替えた。
薄暗い部屋の中がぼんやりとした魔素の色で満たされる。
と、左目の視界……ソラの体内、部屋の壁の向こう、外側まで……魔力が鮮明に見えた。
この感覚はそう、尖塔でも。
「良かった。見えてそうですね。ちょっとズレてたので」
「……うん。ありがとう……?」
眼球を舐めてもらい、礼を言う変態がここにいた。俺だった。
何度かまばたきをしてから目を戻す。
ズレていた、という言葉の意味がよく分からなかったけど、目を切り替えたときの左目の違和感は確かになくなっていた。
脚の上にまたがり顔を突き合わせたソラは、にんまりと笑った。
「じゃあご褒美をください」
「……」
溜め息をついてから、ソラの後頭部に手を回した。
期待からかソラの尻尾が左右に大きく揺れ、脚にふわふわと当たる。
外はようやく日が暮れ始めていた。
あの男、ウルフレッドにこの光景を見せたらどんな反応をするだろうか。
櫛を通すようにソラの髪を撫でる。
いつの間にか晒されていた俺の肩に、ソラの爪が、カリ、と触れた。
この身体は隅々まで良くできている……あの女が自身をベースにしたと言っていた、人の形をした魂の器。
それこそ必要あるのか疑問なところまで。
だけどそれに繋がる感情……いや、この場合は欲求か、そういうのは沸いてこない。
この自身の身体を見ても、ソラの裸体を見ても、可愛らしいとか綺麗とか、そういった感想が先に浮かぶ。
ソラの唇が俺の耳を甘く噛み、長い舌が首筋を舐め伝う。
だから、起きた肉体の変化に戸惑った。
お腹の下……下腹部の奥が、ぽかぽかしている。
魔力を吸収したときとは違う、これは、なんだろう。
ソラが魔力を流し込んでいる気配はない。
ピン、と立ったソラのふわふわした耳に触れた。
一度逃げるように跳ねたそれはしなやかで柔らかく、感触はフェルト生地のよう。
ソラの髪に鼻を埋めると、薄れてはいたけどやっぱり獣臭く、微かに血の臭いもする。
ちょっと癖になりそう。
ソラの真似をして鼻を鳴らすと、可笑しいのか熱い湿り気のある吐息が肩を撫でた。
少女の姿をしたソラの身体は小柄だが、うなじから首筋、肩へ指先でなぞるだけで、荒く暴力めいた筋肉が潜んでいるのを確かに感じる。
恐らくこの姿のままでも、あの苛烈な戦いを演じられるのだろう。
引き裂き、噛み砕き、返り血を浴びるあの鮮烈で一方的な。
四肢に魔力を流し込む。
ほんの少し汗ばんだソラを抱き締め、身体を反転させて……ベッドに押し倒した。
「シエラちゃん。男らしいですね」
……男なんですけどね。
太ももの間から尻尾がくるりと弧を描き、ソラのへその下までを隠した。
「……どれくらい欲しい?」
身体ごと覆い被さり、乱れて露になったソラの額に口付けた。
尻尾が揺れ、俺の脚をくすぐる。
ソラのすらりとした腕が俺の背に回り、少しだけ恥ずかしそうに笑みを浮かべた。
「……たくさん」
つられて笑う。
夜は長くなりそうだ。




