七話 隠居した騎士
「……くんくん。ここ、めっちゃ臭いです」
よし、三軒目。
外から見ていても分からないし、突入あるのみ。
背の低い馬が繋がれた、一見するとただの倉庫に見えるその扉を叩く。
下げられた札に何か書いてあるけれど読めない。勿論、隣の張り紙も。
木の扉を引くと中は思ったより明るく、すぐにカウンター越しの座っている男と目が合った。
入り口付近は狭く殺風景で、葉の大きい観葉植物が隅に飾られている。
建物の作り的に、奥に広くスペースを取っているのだろう。
「……見ねぇ顔だな。買い取り希望かい、見せな」
おや、話が早い。
かけられた温度を感じる声色に少しだけ驚きつつ、ソラと並んで歩を進める。
顎に傷のある強面の店主の男は、くたびれたスエードのシャツの腕を捲り上げた。
奥行きのある傷だらけだけど艶のある木のカウンターに頭蓋骨と丸めた皮を乗せ、口を開く。
「よろしくお願いします」
「します」
「あいよ。……こいつぁまた、随分」
かなりの高齢だ。
白髪混じりの濃い茶色の髪を後ろに撫でつけた男は、ほぉ、と溜め息を漏らした。
男はカウンターの下から大きなルーペを取り出すと、乗せられた頭蓋骨を指で軽く叩き始めた。
「こりゃあ、随分と程度がいいな。『岩呑み』かと思ったが……違うな、牙に溝がある」
ん? ん? とソラはカウンターに乗り上げ興味津々な様子。……俺もめっちゃ見たい。
その姿を見て、店主はほんの少し笑みを浮かべながらごそごそと小ぶりのルーペを取り出した。二本。
そわそわしていたのがバレていたらしい。ありがたく受け取る。
「ここだ、細い溝が内側にあるだろう。途中に管もある。複数の毒を使い分けるタイプだな」
「確かになんか、地面がじゅってなってましたね」
「先端が消化液で、途中にあるこれだ。この穴が本命の毒液が通る管だ」
「ほぉ~」
おじいちゃんと呼んでもいい年齢だろう、刻まれた皺は深い。
なぜか生物の授業みたいになっているけど、こんな大きな生き物の説明なんて初めてなので、せっかくだから楽しむことにした。
続いて店主の男は丸められた皮を少し広げると、手で軽く撫でながら口を開いた。
「この皮も立派なもんだ。……いや、これはたまげた。『双頭の毒蛇』か」
「頭一つしかないのに、どうして分かったんです?」
「触れば分かる」
促され俺とソラは手を伸ばし、広げられたそれを撫でる。
ざらつきは刺さるように刺々しい感じだけど……えー、分かんねぇ。
「どちらに撫でても同じ手触りだろう。普通、鱗は決まった方向にしか生えん」
「あ、なるほど」
確かに言われてみれば互い違いで、どちらに向けて撫でても刺さるように痛い。
はー、これはおもしろい。
店主の男は丸められた皮を伸ばし、折り畳みながら長さを測っていく。
その流れるような手際の良さに、長い年月を感じさせられる。
「嬢ちゃんたちがこれを?」
「えぇ、まぁ」
男はちらりとこちらを見ただけで、それ以上の言及はしてこなかった。
この見た目だから疑われるかと思って少し身構えたけど、思い過ごしか。
「ここは初見のようだが。どうしてうちに?」
ここ、というのは恐らくこの一帯のことを指しているのだろう。
先の問いも併せて最初に聞くべきことだと思うんだけど……なぜこのタイミングで。
どう答えたものか逡巡していると、隣のソラが口を開いた。
「一番臭かったからです」
「ちょっ」
「……ハッハ! そうか。良い鼻をしている」
男は快活に笑い飛ばすと、ゆるく折り畳まれた皮を再びくるくると巻きなおした。
「二つ併せて金貨七枚でどうだ」
「……えぇと」
確か銅貨が十枚くらいで銀貨一枚だったな。
恐らくその上のものが七枚……んー、この世界の貨幣価値の感覚がいまいち掴めていない。
「じゃあ、それで」
「即決か、その年で気前がいい」
価値が分からないから交渉のしようがない。
まぁいきなり臭いなんて言われて笑い飛ばせる器量の持ち主だ、ぼったくられてはいないだろう。
カウンター奥の引き出しから取り出された鈍く光を反射する硬貨が七枚。
並べられたそれを受け取り、革袋へしまった。
「嬢ちゃん、まさかとは思うが……『白き魔女』、なんて呼ばれてないかい」
「? 初耳ですけど」
いや確かに全身白いけど。
そんな風に呼ばれたことは一度もない筈だ。
「そうか。いや、それならいい。ただこの先、街へ行くなら厄介なのに目を付けられんようにな」
「どういうことです?」
「少し前から商人連中の間でちょっとした噂になっている。ああ、なんだったかな」
店主の男はカウンターの下をごそごそと手で探り、くたびれた紙切れを取り出した。
そして一度咳払いすると、それを朗々と読み上げた。
「……彼の者は月より舞い降りた雪の羽衣を纏う精霊の化身。
嘆かわしくも美しき調べにて我が国を惑わせ秘中の秘を奪いせしめん。
彼の者見事引き立てし者には天上の祝福と最上の名誉を授けよう。
だが決して、決して傷つけてはならぬ。肝に銘じよ。……獅子王サルファン」
「……えぇと?」
「という情緒溢るるお達しが王直属の騎士団に極秘に下ったらしい」
極秘なのに噂になってるのはどういうことなんだろう、という疑問はさておき。
……いや待って、それ俺のことじゃねーか!
これはつまりえぇと……俺は、お尋ね者になってしまったということか。
一国の最奥に侵入、その秘蔵に手を出したのだから、普通に考えれば当たり前のことだった。
「兵の間では『白き魔女』で通ってるそうだが、サルファン王直筆の似姿が抽象的すぎてな。
そのほとんどが王の戯言だと受け止めているそうだ」
「そう、ですか」
「秘中の秘が王の御心のことで、城下で一目惚れした女性を探している、なんて噂もある」
「へ、へぇ~……」
冷や汗が背を伝う。
隣のソラは興味なさげに丸められた蛇皮を指先でつんつんしている。
「そもそもあの城に潜入、脱出することが困難な上に、仮に何かが盗まれたのだとしたら傷つけずに生け捕りなんておかしい、という意見が大勢でな」
確かに。
今は俺の中にあるあのアーティファクトは、恐らく国の趨勢を左右する代物の筈だ。
そもそもさっきの文言、取り返せじゃなくて捕らえろだったな。
目的はなんだろう。
「嬢ちゃんたちは目立つからな。最近は人さらいも多いと聞く。用心するに越したことはないだろう」
「……そうですね。ありがとうございます」
確かにその通りだった。
今はさらにソラも連れている。
この世界ではこういう……獣人とでも言うのか、どれくらい目立つ存在なのだろう。
そういえば城塞都市レグルスの雑踏の中でも、獣の耳と尻尾を有した人間はいなかった。
「すみません。恥を忍んでお聞きしますが」
「おう、なんだい」
「この子はどれくらい悪目立ちしますか」
ソラの髪を撫でながら。馬鹿みたいな問いだけど、死活問題でもある。
この店主は恐らく悪い人間ではない。
「ハッハ! 面白いことを聞く。街へ行くのが初めてだなんて言わんだろうな」
「……えぇと」
「初めてですが、何か。とても楽しみです」
俺が言い淀んでいると、ソラが尻尾をぶんぶん振りながらそっけなく答えた。
そうだね、楽しみだね。
「……そうか。ふむ、そうか……」
男は後ろへ撫でつけている白髪混じりの髪を軽く撫でながら、俺とソラを交互に見やった。
持ち込まれた頭蓋骨と皮を見ているときよりも真剣な眼差しだ。
「魔族の侵攻があったのは知ってるだろう」
「……『災厄』でしたっけ」
「そうだ。……魔族の中には、そういう特徴を有しているものもいた。
あれからまだ間もない。傷が癒えてない者も多い」
つまり、問答無用で襲われる可能性もある……いや、そもそも街に入れるのだろうか。
思ったより事態は深刻だった。
ああ、察したのかソラの耳がしんなりしている……。
「一緒にされては困ります。私は『空駆ける爪』というかっこいい……」
「ソラ、さん。それは」
「魔獣か」
ソラの迂闊な言葉を遮ろうとした俺の声は、男の声でかき消された。
ギラリ、と店主の男の双眸が煌いた……ような気がした。
武器の類を持っている風でもない、かなりの高齢、なのに怯んで動けなかった。
それはソラも一緒だったようだ。
「ああ、すまん。少々昔の血が騒いでしまった。……そうか一目、只者ではないと思っていたが……やはりお嬢ちゃんは手練れの魔術師のようだ」
反応してソラが狼の姿に変化しなくて良かった……。
ローブの中で尻尾を逆立てているソラの腰をぽんぽんと叩き、落ち着かせる。
この男は何者なのだろう。
さっきまで見てきた商人とは纏う雰囲気が少し違う気がする。
……薮蛇になるだろうか。
「面白い嬢ちゃんだ。濃密な魔力を纏う反面、所作は素人じみている……儂もまだまだ」
細く鋭くなった目は全てを見透かされそうで、少し恐い。
「いやしかし、『空駆ける爪』とはな。絶滅したと聞いていたが」
その言葉にソラはぴくりと身体を震わせた。
確かレイグリッド……あの騎士団長もそんなことを言っていたような。
彼はあの後どうなったのだろうか。
「私は最後の生き残りです」
「……そうか、すまん」
「いえ」
最後の生き残り。
それはあの女……ヒイラギとも何かしらの関係があるのだろうか。
僅かに伏せた少しだけ切れ長の大きな青い瞳は揺れている。
俺がかけられる言葉は何もない。だから、ソラの手をそっと握った。
ぴく、と小さく震えたソラの手は温かく、すぐに遠慮がちに握り返してくれた。
……いや、指を絡めるな。
こいつちっとも遠慮してねぇ。
店主の男は顎に手を当てて、ふむ、と独りごちた。
「ちょっと待ってろ」
そして立ち上がると片手で杖を突き、しかし器用に大きな蛇の頭蓋骨を担いで奥の部屋へ引っ込んでいった。
なんだろう。
まぁ丁度いいや、俺は革袋から金貨と銀貨を一枚ずつ手に取り、ソラに見せた。
「ソラ。これが何枚あれば、これになる?」
「分かりませんよ。人間の貨幣なんて」
「……ですよね」
いそいそと取り出したそれをしまう。
奥から何らかの作業をしているのだろう、リズミカルな音が響いている。
扉のない奥の部屋を覗くと……ああ確かに。
様々な生き物のそれこそ頭から尻尾の先まで、しかし標本や剥製ではないそれらが所狭しと並んでいる。
隣のソラがごくりと喉を鳴らした。
「いや、食べ物じゃねぇぞ」
「分かってます。分かってますよ」
そうか。ならそのローブの中ですんごいぶんぶんしてる尻尾をどうにかしろ。
……まぁ、元気になったようで良かった。
ほどなくして戻ってきた店主の男は、手に何か……外套みたいなのと首輪を持っている。
「そっちの嬢ちゃんは一応これを付けとけ」
ソラに手渡されたそれは、革のチョーカーだった。手触りが良さそうだ。
……どういうことだろう。
「首輪は所有者がいるという証だ。不本意かもしれんが、問答無用で襲われたくはないだろう」
つまりは野良ではなく、飼われているということを表す記号。
こっちの世界でもそこは変わらないらしい。
いやしかしソラは、れっきとした……。
「分かりました。ありがとうございます」
そう言ってソラは受け取ったそれを特に気にする風でもなく首に回した。
「どうですか、シエラちゃん。似合ってますか?」
「あ、ああ。うん」
「で、嬢ちゃんにはこれだ」
濃い茶色の、大きなリボンが付いたフード付きのケープ。
太めのステッチで縁取られたそれはとても温かそう。
「……これは?」
「娘が小さい頃に使っていたものだ。街でその白い髪は目立ちすぎるだろう。それでも被っておけ」
至れり尽くせり。
ありがたいけど、なぜそこまで。
という疑問が表情にも出ていたのだろう、店主の男は笑みを浮かべながら口を開いた。
「老婆心ってやつだ。後はそうだな、また何か仕留めたらうちに持ってきてくれると助かる」
「……分かりました。ありがとうございます」
あくまでも営業努力だということで。
それなら遠慮なく受け取っておこう。
貰ったケープを羽織り、首元でリボンを軽く結ぶ。
「可愛いですよ、シエラちゃん」
「ん」
照れるからやめろ。
さて、それじゃあそろそろ行きますか。
……その前に。
「えぇと……色々とありがとうございました」
「ハッハ、こちらこそいいものを見せてもらった」
カウンター越しに手を差し出す。
「シエラです。シエラ・ルァク・トゥアノ」
「ほう、良い名前だ。儂はディアーノ。ディアーノ・トルーガ」
握り返された手は硬く大きい、数多の傷痕が刻まれた、戦いに生きた男の手だった。
……ん?
とるーが?
「私はそら……。ソラです」
横からずいっと手を伸ばしたソラが男の手を毟り取った。
そうか。そう名乗ってくれるのか。
「うん、うん。嬢ちゃんも良い名前だ」
顔を綻ばせて手を握り返すその姿は、やはり年相応のおじいちゃんのようだ。
だけどその手その名前は、恐らく歴戦の。
俺はケープの、ソラはローブのそれぞれフードを被ることにした。
気をつけていきなさい。そう見送られて扉を開け放つ。
どうやらソラの鼻はなかなかに利くようだった。
これからも頼りにさせてもらおう。




