三十六話 ルデラフィア・エクスフレア
ルデラフィアの手を引き、本日二回目になる両開きの扉を押し開いた。
薄暗い店内から注がれる視線は初めて訪れたときと変わりない。
ただ一人カウンターの向こう、やはり猫背の女はこちらを見やると……にんまりと笑った。
「……チッ」
ルデラフィアの舌打ちに一瞬足が止まる。
けれど繋がれた手は離されなかった。対象は俺ではなかったらしい。
「いつもの、部屋に持ってきてくれ。……行くぞ」
そう言って顎で二階を指したルデラフィアは、さっきとは逆に俺の手を引いていく。
階段に足をかけた俺の背中に、カウンターから声がかけられた。
「シエラ様は、甘いので?」
「はい、お願いします」
その笑顔はどういう意味を含ませているのか、なんだか妙に怖い。
そして、答えた直後に後悔した。
……あれ、けっこうきついお酒でしたね。
部屋の中は一人用のベッドが一つと、最低限の家具が幾つか壁際に配置されている。
ドアとは反対側には小さな窓が一つ、人間が一人通れるくらいの大きさだ。
受けた印象は地味で質素。
「お前目立つからな。しばらくここにいろ」
そう言ってルデラフィアは背もたれのない椅子に座り、長い脚を組んだ。
ベッドに腰掛けた俺は、そうですね、と相槌を打ってからあえて話を蒸し返した。
「あの、ルデラフィアさん」
「……フィアでいい。さんもいらねェ」
愛称で呼ぶことを許された感動的な場面な筈だけど、ルデラフィアの顔は機嫌の悪さを如実に物語っている。
大丈夫なのかこれ。
「……フィア」
「なんだ」
「えっと……。さっきはその、すみません。……唇を」
「跳べと行ったのはあたしだ。それに女同士だし気にしてねェよ」
ぷいっとそっぽを向きながら答えたルデラフィアは、なんだか拗ねているみたいで可愛らしく見えた。
……女同士、か。
こんななりだし、そう振舞った方が便利で有利な場面が多かったから、そう見えるように意識してきたけれど……騙しているようで少し、気が引ける。
まぁでも、うん。
「じゃあ、またしましょうね」
「……っ、……しねェよ馬鹿かお前」
ルデラフィアの反応はなかなかどうして悪戯心がくすぐられる。
やりすぎると部屋ごと爆破されそうだからこの辺にしておこう。
黒に見えるぼさぼさの髪に酷い猫背の女は飲み物を置いていくと、去り際に意味有りげな微笑を残して部屋を出ていった。
ドアが閉まると同時にルデラフィアは唇を湿らせてから、緩んだ空気を払拭するように口を開く。
「で、どうすんだ」
ベッドには上層の最奥にある城の見取り図、見張りと巡回の兵士の時間割などの情報が殴り書きされた混ざり物の多い紙が広げられている。
字は当たり前だけど、読めない。
さらっと読めるようになる便利な魔術とかないんですかね。
「さっきのあれで警戒度は上がってるぞ」
と、言われましても。
あんなの予期できるわけないだろ。
あれがこの世界の当たり前なのだろうか。
あんな往来で嫁に来いとかどういう……。
「つーかお前、あのまま付いて行けば早かったんじゃねェの」
「あー……」
言われて気がついた。
いやまぁ、確かにその通りなんですけど。
考える間もなく反射的にお断りの言葉が出てたんですよね……。
「んん。えぇとですね」
その話は終わりだとばかりに、考えていた計画を話す。
ルデラフィアが言っていた仕込み……まさかアレがこんな所で役に立つとは。
「夜、眠っているだろうサルファン王の所へ、私が転移魔術で侵入します」
魔布。いや、おねしょシーツ。
この世界での、汚点。
別に仕込んだわけではないんだけど。
「大層気に入っていたそうですから、恐らく寝室まで手離さず持っているでしょう」
俺の中で既にアレは、アーティファクトよりも優先度の高い回収対象になっている。
「フィア。アーティファクトがある場所は特定されてるんですか?」
「最近、宝物庫から尖塔の最上部に移送された。エリクシルの回収に合わせてだろうな」
……あれだけの魔力がないと使用できない代物、ということだろうか。
湖の水の回収に失敗した今、また宝物庫に戻されている可能性もある?
口からこぼれ出た疑問はすぐにルデラフィアに否定された。
「それはないな。運ぶだけで何人か死んだらしいし」
「えっ」
……んん?
ちょっと待って?
「……ルデラフィアさん?」
「フィアでいいって……なんだ」
「それ、どうやって運び出すんです?」
「さァ?」
「えっ?」
「いやヴィオ姉は、おチビちゃんなら平気よぉ、って言ってたし」
いやいやいや。
あんまり似てなかった声真似は置いといて……運ぶだけで何人か死んだ?
その理由は分からないけれど、俺を使う理由が生贄って線が出てきたぞ……。
「ま、そこは心配すんな。ヴィオ姉は嘘吐いたことねェよ」
「……」
にっと笑うルデラフィアは、よほどヴィオーネを信頼しているのだろう。
その厚すぎる姉への信頼をそのまま信ずるに足る根拠を、俺は何一つ持っていないのだけど。
「なんだ、信用できねェか?」
考え込み押し黙る俺を見て、ルデラフィアはほんの少し声を荒げた。
その気持ちは分かる、分かるけど。
沈黙が部屋の温度を下げる。
決して大きくはない城の見取り図を凝視する俺の視界に影が差し、頬に手が添えられた。
ベッドが小さく軋む。
「……っ?!」
驚きで見開いた俺の目には、ルデラフィアのぎゅう、と閉じた目と薄い金の髪がさらりとかかった。
押し付けられた唇はやはり強張り、柔らかさよりも小さな震えに意識が散る。
喉の奥から小さくくぐもった声がして、魔力が流れ込んできた。
その流れはぎこちなく、恐らく俺より上手くはないだろう。
けれどそれは温かく、俺の中の何かを氷解させるのには十分だった。
「……はっ……はぁ……っ」
唇を奪った側が、顔を真っ赤にして照れていた。
顔を背けたルデラフィアは、首筋までも紅潮させ口を開こうとして、多分失敗した。
「……分かりました。任されましたよ」
小さく溜め息をつく。
言われずとも分かった。
それならあたしを信用しろ、と。
女性にここまでされたのだ。
これに応えないなんて、男じゃない。




