三十四話 初めてのお使い
ルーザーとヒューリックの二人は、朝から凄い形相で仕事に取り掛かっていた。
恐らく寝ていない筈のその気合は肌から立ち上るようで、うかつに声もかけられない。
「明日、また来る」
グレイスはそう言ってバングルを回収して朝早くから店を出て行った。
三人分の朝食を用意して。
昨日の鍋もグレイスが用意したらしい……曰く、兵は胃袋で動くとかなんとか。
この国では人の上に立つものは皆、比例して調理の腕も立つらしい。
専門の人員がいた方が楽だと思うのだけど、まぁそういうものなのだろう。
手持ち無沙汰だけど何もしないわけにはいかない。
明日の夜にはルデラフィアと落ち合う……恐らくこの三日という猶予は、その間に情報収集や準備をしておけということだろうから。
ルーザーの店の中、大きな姿見に映った自分の身体を見つめる。
髪に少しまとまりがない気がする白くて白い少女はやはりどこか浮いて見える……世界から隔絶されているよう。
「……」
にこぉ。
わざとらしく笑顔を作った直後、眉根を寄せて舌を出す。
んべぇ。
頬を膨らませて、目を細める。
うーっ。
端から見れば姿見に向かってにらめっこをする頭のおかしい子だけど、これはれっきとした練習だ。
然るべきタイミングで、一番効果的な女の子らしい表情を引き出す、相対する者を騙す為の演技。
「シエラちゃん、ちょっといいかしら」
姿見に集中していると横合いから、ふしゅうぅぅと息を吐いた巨人に……いや、ルーザーに声をかけられた。
「っ、はい」
驚いて表情を作るどころではなかった……いかんいかん、これじゃ駄目だ。
呼ばれて作業場までついていくと、目の下に隈を作ったヒューリックが待っていた。
その手にはできたばかりの靴が抱えられている。
「え……もうできたんですか?」
「そうよ。ここまで集中したのは久しぶりだったわね」
「さぁこちらへ、お嬢さん」
ぽすっと用意されていた椅子に座り、借りていた靴を脱いでやはりうやうやしくひざまずいたヒューリックの前に足を差し出した。
後ろに大きなリボンが付いた黒いショートブーツ。
側面が黒灰色で伸縮のある……何の革だろう、履きやすくなっている。
後ろのリボンから前面に細かいステッチで飾られたベルトが巻かれ、なるほど横で止めるようになっているのか。
「これ、は」
なんという履き心地。
習作だと言っていたあの靴も素晴らしいものだったけど、これはそれ以上に。
「すごい。すごいですよ、これ」
思わず笑ってしまう。
絶妙な重さ、寸分違わぬ一体感。
ルーザーが持ってきた大きな姿見の前に立つ。
まるで最初からそうだったかのような、自然な立ち姿だった。
「うふふ、思ったとおり……いいわね」
「ああ、いいですね」
二人は疲労を感じさせないやり切った笑顔で頷いている。
デザイン画の最中に要求された色んなポーズを取ってみる。
その度に彼らは満足気に笑みを浮かべ、俺もつられて笑顔になってしまった。
「こんなに良いものを……ありがとうございます」
素直にお礼を言うと、ルーザーはほんの少し照れた様子でニカッと笑った。
「いいのよ。むしろ感謝したいわ……シエラちゃん、あなたと出会えた奇跡に」
いや、それはさすがにちょっと重い。
朝食を取ったヒューリックは気絶するように眠りに落ちた。
「お使いを頼まれてくれるかしら? これなんだけど」
そう言ってルーザーは丁寧にラッピングされた箱を取り出した。
そしてこの都市の地図……簡略化されてはいるけど、俯瞰視点のそれは壁が取っ払われていて見やすさが重視されている。
ごつい指が示したお使い先は、三分割された領地の中央……中層にある店だった。
二つ返事で快諾すると、ルーザーの大きい手でわっしゃわっしゃと頭を撫でられた後、荷物と写された地図、立派な判が押された丸めた羊皮紙とお小遣いを貰った。
髪に丁寧に櫛をかけられながら、代金は頂いてあるから届けるだけでいいからね、とのこと。
街中に響き渡りそうな大声で、
「行ってらッッしゃああァァァイッッッ!!!」
と見送られたときは、恥ずかしさのあまり転移の魔術を使いそうになった。
ただでさえ目立つんだから止めてほしい……。
けれど。
「いってきます」
小さく呟いた。
悪い気はしなかった。
水捌けがあまりよろしくない緩やかな上り坂を、新しい靴で軽快に歩くこと十分ほど。
下層と中層を隔てる壁、その威容が視界に広がってきた。
「おー……」
けっこうな迫力だ。転移で飛んで上に立ちたくなる衝動を抑える。
よく見ると外側の壁に比べて、明らかに見張り台と兵士の数が多い。
壁の存在理由から考えると、一番外側に最も多くの兵を割きそうなものだけど……。
昨晩何回も試したけれど、転移の魔術は連続で使うには数秒の予備時間が必要だった。
この目立つ格好で、二回ないし三回の転移で壁を越える……ちょっとリスキーか。
それよりも、兵士が立つ門を抜けたその先にかろうじて見える中層の道……そこに直接転移したほうがよっぽど楽だし安全そうだ。
それもまぁ、この常に注目を浴びている状態で実行するのは、止めておいたほうが良さそうだけど。
「お嬢ちゃん、荷馬車が来るよ」
通りのど真ん中で壁を見上げながらの考え事は、当たり前だけど危ない。
「あ、ごめんなさい……ありがとう」
ぺこり、と注意してくれた初老の男性に会釈をする。
ほう、という反応を見て試みが上手くいっていることをひっそりと確信した。
周囲からどう見えているか、どう見られているか。
目を引く白い髪。大きな赤い瞳。緻密で美しいワンピースドレス。細い手足に、大きなリボンが可愛いショートブーツ。
湖の女神とまで形容されたのだ。
そう見えるような立ち振る舞いを、常に意識しておくに越したことはないだろう。
壁の中をくぐる門、その幅は荷馬車が二台は楽に通れる立派なものだった。
下層から中層への通行にはなんらかの許可が必要で、外壁とは違いある程度厳しい目で見られているようだ。
荷を改められている荷馬車の脇、やんごとなき身分の方々なのだろうちらりと通行手形のようなものを見せ、当たり前のように素通りしていく。
いくつかあった列の一つに並ぶこと数分。
偉そうに睥睨する門兵に、ルーザーに言われた通り丸まった羊皮紙を渡した。
悪いことはしていない筈だけど、なんだかやけに緊張する。
門兵は受け取ったそれを一通り流し見ると、ふん、と鼻息を鳴らしつつ大きな判を捺して、しかし丁寧に手渡してくれた。
「失くさないようにしっかりしまっておきなさい」
「あ、ありがとうございます」
門兵はにっこりと笑うと重ねて、雨上がりで滑るから足元に気をつけなさい、と見送ってくれた。
……いい人でした。
仕事柄そういう目つきや仕草になってしまうのだろう、頭が下がる。
門を抜けた先は溢れ返っていた人ごみが消え、往来それ自体は多いものの喧騒は聞こえてこない。
真っ直ぐにそして緩やかに続く大通りは、上層を隠すやはり大きな壁に繋がっている。
下層ではそこまで目立たなかった巡回中の兵士の姿がやたらと目につくけど、単純に人口密度の差だろう。
通り沿いには下層よりも飲食関係の店が目立ち、露店の類は目に見えて少ない。
下層に比べあまり磨り減っていない石畳はまだところどころ乾いておらず、注意していないと確かに滑りそうだった。
道の端に寄り、地図を広げる。
ルーザーの手製の地図は恐らくああ見えて几帳面な正確なのだろう、分かりやすくきっちり線が引かれている。
「……二回曲がれば着くかな?」
ほどなくして目的の店は見つかった。
ラッピングされたそれを渡し、お使いはつつがなく完了。
「さてと」
せっかく中層に来たのだ、ルデラフィアとの待ち合わせ場所を見ておくとしよう。
事前に聞いていた目印を探す為にどこか適当な建物の上に転移で跳ぼうと思ったのだけど……下層と中層を隔てる壁の上には、けっこうな数の見張りの兵士がいる。
高さも密度もごちゃごちゃしている下層とは違い、こちらは割と計画的に建てられたのだろう。
上から見下ろしている彼らの目には恐らく異物は目立つ。
結局歩き回ることにした。
ルーザーから見せてもらった地図で大体の位置は絞れていたので、時間はかからなかった。
壁からはほど近い、けれど絶妙に死角になる位置。
周りの宿泊施設に比べればこじんまりとした、特徴のない二階建て。
木造のそれは客を呼び込む造りにはなっておらず、排他的な印象を受ける。
だからこそ、か。
両開きの重い扉を押し開くと、がらんごろんと音が鳴り響き意図せず身体がすくんだ。
あえて絞っているのだろう、店の中は暗い。
窓も見当たらない、閉鎖的な空間。
いらっしゃいませの一言もない店内からは複数の視線を感じる。
正面のカウンター、明かりが届かない位置に意図的に配されたテーブル、それぞれから遠慮のない視線が注がれている。
新しく入ってきた客をちらりと見るのは分かるけど……いや、仕方ないか。
この薄暗い店内でもしかしたら俺は、淡く光を放ってさえいるのかもしれない。
それぐらい陰の中に潜むここの常連は、目立たないように色合いを抑えた地味な姿をしていた。
場違い感がはんぱない。
何の目的もなく入ってしまったのなら、この重苦しい空気に耐えられず回れ右していただろう。
俺は遠慮なく(内心びくびくしながら)ずかずかと歩を進め、そのままカウンター真正面の椅子によじ登るように座り、一息ついた。
「聞いていた通りで驚きました……予定より大分、早いようですが?」
呟くような掠れた声で、カウンターに立っていた酷い猫背で分かりづらいけど恐らくけっこうな長身だろう女性が話しかけてきた。
黒灰色の長い髪は酷くぼっさぼさだ。
……店内が暗いせいで、黒髪に見えた。
「下見です」
「なるほどそうですか……何か飲まれますか?」
「えっとじゃあ、甘いのを」
「かしこまりました」
席についても尚、視線は注がれ続けている。
居心地が悪い……!
カウンター越しの身だしなみに無頓着そうな女は、大ジョッキみたいな大きさの木のカップを置いて口を開いた。
「どうぞ。……それと、伝言がございます」
重いそれを両手で持ち、口をつける。
柑橘系の僅かな酸味が舌を刺激して、すぐにねっとりとした甘みが口の中に広がる。
喉を焼き鼻に抜けるこの熱は……いやこれ酒じゃねーか!
しかもかなり強い。
え、見た目おチビちゃんな客に普通お酒出す?
「こほん。……仕込みが済んでるとは驚いたぜ。タイミングはそっちに任せる。その時まで耳は使うな。……以上です」
……けっこう似てて驚きました。
んん、仕込みってなんだろう。
耳は多分、遠話のピアスのことだと思うんだけど。
甘くて強い酒を飲みつつ考え込んでいると、掠れた声で引き戻された。
「……シエラ様」
「んぐ……、はい?」
「お嬢様方を、よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げられた。
よろしくされたいのはむしろこっちな気がするけど。
……お嬢様、ね。
なんだか事情がありそうだけど詮索はしないでおこう。
「……善処します」
まぁ、協力関係ですし。
カップを持ち直してちびちびと飲む。
一気に飲めそうにないそれは、若干くどいものの後を引く。
うん、悪くない。
「何か伝言はございますか?」
ようやく飲み下し、席から降りた俺に掠れた声がかかる。
「それじゃあ……お会計はよろしく、と」
「かしこまりました。……お気をつけて」
少し和らいだ声と未だ警戒するような視線に背を押されて店を出た。
外は大分陽が高くなり、ところどころ濡れていた地面もすっかり乾いている。
「さて、戻る前に」
中層と上層を隔てる最後の壁でも見に行きますか。




