三十二話 少女としての覚悟
それからほどなくして俺は解放された。
店内を進む俺の足取りは恐ろしく軽い……ああ、自由って素晴らしい。
そういえばあの二人以外に店員らしき人間は見当たらない。
店の中、作業スペースに比べると陳列に割いている空間が狭く感じるのは、受注生産がメインだからだろうか。
店先の椅子に腰掛けて足を放り出し、紙箱から一本取り出して大通りを眺める。
やはりこの姿は目立つのだろう通り過ぎる人たちの視線は様々だけど、それらには何も感じなくなっていた。
慣れてきたというのも勿論あるけれど、さっきまで穴が空くほど凝視されていたので。
客足は相変わらず遠く、切り替えた目に映る魔素はやはり酷く薄い。
「……ああ」
ようやくあの三姉妹が俺をここに送り込んだ理由に気がついた。
この世界の魔術というものは、紋様や言葉、図や陣などの変換機構を通して魔素に働きかけて現象を起こす、という手順を踏むのだろう。
ここまで魔素が薄い原因は分からないけど、魔術師にとってこの場所はきっと、水を奪われた魚に等しい。
転移の魔術が平気だったのはなんでだろう……魔素への依存が少ない魔術だから、なのかな。
今までに会った彼ら彼女らの起こした現象を思い返しながら、誰にも見えていない魔素の煙をゆっくり吐く。
そんな風にぼーっと空を見上げていると、往来する人々を掻き分けて荷物を抱えたグレイスが戻ってきた。
「解放されたのか」
「はい。……随分と大荷物ですね」
「ああ、色々とな」
グレイスは重そうな荷物を降ろすと、俺の隣に腰を下ろした。
「煙草か? 魔術師の癖によくやる」
「んや、似てるけど違いますよ。煙、出てないでしょう」
「言われれば、そうだな」
やはり見えていない、薄く青い魔素の煙。
挨拶だったのか興味を失ったのか、グレイスはすぐに話題を変えた。
「聞いたぞ。枯れた湖で三狂の魔女の一人とやり合ったそうだな」
「……ええ、まぁ、はい」
完敗でしたけど。
狐と狸、じゃなくてコンサとラックの横槍がなかったら消し炭になっていただろう。
そういえば今日は一緒じゃないんだな。
「今ここに居るということは、上手くやったということか」
「……」
上手くやれた、のだろうか。
進展はあったけれど、ただ流されているだけな気もする。
現状、俺はどういう立場に立たされているのだろうか。
どこにも何にも所属していない俺は、身分を……自身を証明するものが何もないということに今更ながら思い至った。
……あれ、これってけっこう危ういのでは?
どう答えればいいのか視線を迷わせる俺に、グレイスはそれ以上の追及はしなかった。
「この国はどうだ」
グレイスの視線は遠い。
ただの世間話なのか、それとも何かを期待しているのか。
「……良くも悪くも、うるさいですね」
「そうだな」
苦笑する灰混じりの男は、やはりどこか疲れて見える。
目を凝らす。
魔力の巡りは悪くなさそうだけど、この場自体の魔素が薄いせいか森で見たときよりも魔力の総量は少なく見える。
「だけど」
視界には多くの多種多様な人間が映っている。
それは談笑する兵士だったり、荷を運ぶ商人だったり、買い物をする家族連れだったり、手を繋ぎ歩く老夫婦だったり。
そして……道端に座り込み、痩せこけ落ち窪んだ目でそれらを見上げる、老若男女。
「酷く、静かですね」
二人組みの兵士が、道の脇から何かを運び出していった。
軽そうなそれは薄汚い布に包まれ、その大きさはちょうど、人間の子供くらい。
談笑を続けながら手馴れた様子で運んでいく彼らを、俺はどんな顔で見ているのだろう。
「……そうだな」
思うところはあるのだろう、グレイスの声は低く、重い。
俺と隣のこの男に移る景色はきっと、色合いが違う。
〈へェ……、まさかと思ったけど、目論見通りってことか?〉
突然、俺の顔の真横……すぐ左側から雑音混じりのルデラフィアの声がした。
慌ててそちらを向くも、近くには誰もいない。
「急にどうした」
不審に思ったのだろうその声は右隣に座っているグレイスのもの。
幻聴、いや違う。
不自然な魔素の揺らぎを、大通りを挟んで向こう側……人影を建物の上に見つけた。
耳をちょいちょいと指すジェスチャー、このピアスはなるほど遠話の為か。
〈いやァ、まさか『魔女殺し』に取り入るなんてね。これはあたしの出番はなさそうかな?〉
「……いえ、なんでもないです」
そうだ。
俺はここに、協力関係を結んでいた彼らとの再会を祝しに来たわけではない。
アーティファクト……同郷の女が遺したという、魔術の結晶。
恐らくそれは、この世界の神を殺す為に遺したのだろう。
まだ神さまとやらにそこまでの強い感情を抱いていない俺には、恐らく必要のないもので、無用の長物だけど。
だけど、手に入れたいと思う。
単純な好奇心もあるけれど、それよりも……三狂の魔女から相応の見返りを引き出す為の手札として。
協力よりも一歩先、できれば主導権を握る為に。
〈それじゃ、三日後に。……油断はするなよ〉
そう言ってルデラフィアは屋根伝いに中層の方へ歩いていった。器用なことだ。
一言も返答できなかったけど、そんな期待はされていなかっただろう。
それよりも……。
「『魔女殺し』」
呟いた俺の声に、グレイスの身体は反応しなかった。
いや、あえて反応をしなかった……そんな気がする。
この世界に目覚めてから……いや、この身体になってからか。
人の表情や仕草、声色に目ざとく敏感になっているような……これもそういう機能なのだろうか。
「……俺も有名になったものだ」
諦めにも似たその声にちらりと横顔を窺うと、グレイスはしかしどこかほっとしたような目をしていた。
「貴様はそのうち、魔女と呼ばれるだろうが……安心しろ」
「そう、ですか」
後ろめたい気持ちが少しだけ芽生えている。
レイグリッドが率いる騎士団を擁する城塞都市レグルス、その最奥にある筈のアーティファクト。
それを俺は、盗み出そうとしているのだ。
レイグリッドもグレイスも、一人の人間として嫌いではない。
コンサもラックも、悪い奴らではない。
けれど、この国自体は好きになれそうになかった。
「……いい人ですね、あなたは」
だから、それだけに留めた。
咥えていた煙草に似たそれが、青白い炎とともに散り散りに消えていく。
気づけば空には厚い雲が、大きな二つの月を覆い隠そうとしていた。
「一雨きそうだな」
グレイスの声に俺は立ち上がり、くるりとスカートを翻らせた。
年相応の少女に見えるように。
「戻りましょうか」
その大きな手を取る。
そうだ。
この身体の武器は魔素が見える目、膨大な魔力の量、途方もない頑丈さ……それだけではない。
全てを利用すると決めたのだ。
この姿形、この声……全てを使わなくては。




