三十一話 職人という生き様
ヒューリック・サンと名乗った優男に連れられ、店の奥にある作業スペースに通された。
用意された椅子に腰掛け、大きな平たい桶にたっぷりの湯と、そして柔らかなタオルを手渡された。
「すみません、少し席を外しますね」
ヒューリックは爽やかな笑顔を浮かべ、さらに奥へ引っ込んでいった。
その間に綺麗にしておけということだろう。
気づかいに感謝し、遠慮なく足どころか顔も腕もくまなく拭いていく。
「……ふぅ」
すっきり。
店内は照明が絞られていて、落ち着いた雰囲気で居心地がいい。
獣っぽい臭いと……なんらかの薬品だろうか、分からないけど独特な匂いが混ざり合い店内を漂っている。
見える範囲には束ねられた紐や大小様々な袋、あれは腕や脚に付ける防具だろうか、鞭みたいなものも置いてある。
値札っぽい括りつけられた小さな紙には……読めないけどおいおい桁がいくつあるんだあれ。
ぬるくなった桶の水に映る自身の顔を何となしに見ていると、一目で分かる上質な黒革を持ってヒューリックが戻ってきた。
紐や台紙、黒炭など俺には何に使うか分からない道具を手早く並べていく。
どうぞ、と促され背の低い台に足を置くと、優男はうやうやしくひざまずいて口を開いた。
「何かご要望はございますか?」
「いや、……あの」
無意識のうちに、足の指をにぎっていた。
「……お金、あんまり持ってないんです、けど」
言いながら革袋を取り出そうとすると、慌てたような声で止められた。
「ああ、お代は大丈夫ですよ。グレイス様から頂くと伺っております」
「えっ」
子どもを安心させるようなゆっくりとした声色。
恐らく年齢は俺と同じ二十半ばだろうに、人間ができていらっしゃる。
しかし、そうか。奴が払ってくれるのか。
なら遠慮はすまい。
「それなら……頑丈で動きやすいのが、いいです」
「かしこまりました」
どことなく嬉しそうに答えたヒューリックは、投げ出した俺の足を手早く採寸していく。
その手、その眼は職人のそれで、なるほどただの優男ではないようだ。
採寸を終えると、ヒューリックは店の奥から小さな靴を持ってきた。
薄く短い靴下も一緒だ。
「恥ずかしいのですが、私の習作です。よろしければ出来上がるまで、こちらをどうぞ」
かいがいしく履かせてくれたそれは驚くほどぴったりと収まり、色合いの違う革が重ねられているのだろう、見た目にも可愛らしい。
細かいステッチ、両サイドにあしらわれたリボン、何より柔らかな履き心地。なにこれすごい。
いやもうこれください。
「ありがとうございます」
礼を言い立ち上がると、うわなにこれ歩きやすい。
飛び跳ねながらその履き心地に舌を巻いていると、すでにヒューリックは作業台に向かっていた。
ひと段落ついたのか様子を見に来たルーザーも加わり、あーでもないこーでもないと多分デザイン画だろう、意見を交わし合っている。
専門的な用語が飛び交い完全に置いてけぼりになった俺は、店の中をぶらつこうと思ったのだけど。
「はいそこ、動いちゃ駄目よ」
駄目でした。
二人はしきりにこちらを見てはガリガリと何かを書き込んでいく。
時折指定される女の子なポーズをとる度に、俺は一体何をやっているんだろう、と思わなくはないけれど。
彼らの目はあまりに真剣で、何より俺の為にやってくれているのだ……応えなくてはなるまい。
「師匠、この部分は革リボンで交差させて……」
「そうねぇ。それならここは……」
「ああ、その手がありましたか。しかしそうすると……」
「この際だからあれも使っちゃおうかしらね」
こんななりのおチビちゃん相手にも、彼らの仕事ぶりには一切の妥協が見えない。
いやぁ、完成が楽しみですね。
……それから小一時間が経ちました。
「見なさい、ヒューリック・サン。この子の大腿から下腿にかけての細く美しいラインを。
そうね、動きやすさは確かに大事よ。とても大事。でもね、ヒューリック・サン。
それでも、ほんの僅かでも、この美しさを損なうなんてことは、あってはならないのよ」
「……その通りです、お師匠様。私はまた、愚かな失敗をしてしまうところでした」
「いいのよ、ヒューリック。さあ、突き詰めましょう。この子の美しさを引き立てる究極の靴、そのデザインを」
「はい、お師匠様……っ!」
「……」
彼らは何度も、そう何度も、同郷の女がこの世界の神を殺す為に作ったこの身体の造形美を褒めそやし、自分たちの仕事がそれを台無しにしてしまうことを恐れ、しかしそれでも決して諦めずに挑み続けた。
そうこれは、数多の苦難を乗り越え遥かな頂を目指す、全てを賭けて走り続ける師弟の物語──。
疲れを知らないこの身体がしかし疲れを感じるのだとしたらそれは、精神的なものだろう。
俺は目の前で繰り広げられる彼らのやり取りから早々に目を逸らし、自身の体内に意識を向けていた。
相変わらず溢れんばかりの魔力は澱むことなく循環し、何度かの転移魔術の使用を経てもその総量はほとんど減っていないように感じる。
人差し指の付け根に刻まれた、血の色の指輪のような紋様。
裏路地で転移の魔術を使って分かったのは……この紋様自体はただの鍵だということ。
魔術を発現させる為の変換機構も、それに通す本来なら精密を要求される魔力の加減も、あの夜に全てこの身体に……。
ふと視界の端、薄い魔素が揺れたのを感じて店内の方に目を移すと、低く重い声が店先から響いた。
「おい、ルーザー。いないのか」
その声に反応したのは俺だけで、やはり二人は俺とデザイン画を交互に注視している。
「こっちです。奥です、グレイスさん」
助かった。
グレイスは脱いだローブを腕に持ち、どこか疲れたような表情で姿を現した。
そして珍妙なポーズを決めたまま固まっている俺の姿を認めると……顔をほんの少し和らげた。
「おいルーザー、いるなら返事をしろ。……行くぞシエラ。邪魔したな」
「スッッタァーーーッゥゥプッッッ!!」
「ひっ!?」
俺の手をグレイスが取ろうとした瞬間、店内の空気が爆発したかのような……え、今のはなに? 攻撃魔術?
グレイスは声こそ上げなかったものの、その手は腰に帯剣していた柄にかかっている。
見ればルーザーは額に血管を浮かべ、恐ろしい形相でこちらを睨んでいる……滅茶苦茶怖い。
「仕事の邪魔よ、グレイス。上で待ってなさい」
「……ああ、そういうことか。いつ終わる」
今みたいなことはよくあることなのだろうか。
付き合いの長さを感じさせる短いやり取り。
「今日中は無理ね。泊まっていきなさい」
「……。……分かった。酒でも買ってくる」
盛大な溜め息をつき、しかし満更でもなさそうに答えたグレイスは、こちらを哀れむような目で見やり……店から出て行った。
どういう関係なのか気になるところではあったけど、動くどころか声を発することすらできそうになかった。
あまりの恐怖に、魔力が漏れそうになっていた。
 




