三十話 煌く汗! 立ち上る熱気!
せっかく綺麗にしてもらったし、早いとこ靴が欲しい。
そう思って練り歩くことしばらく、見つけたのはお目当ての店ではなさそうだけど面白い店構えのこれは……何の店だろう。
石造りの建物が多いなか、黒い原木で組まれた建屋は異常に目立つ。
ただでさえ目立つその店先に、二メートルはありそうな筋肉隆々の大男が焼けた肌に汗を滴らせながら、一心不乱に作業をしている。
その異様な光景に客足は遠のいている。
気持ちは分かる……単純に、こわい。
面白そうだけど近づき難いその店を遠巻きに眺めていると、左手首に嵌めた遠話のバングルが蝉のような鳴き声を発して小さく震えた。
ジジジ。
慌てて左手を耳に当てる。
魔力をバングルに流そうとしてやはり失敗し、左腕と身体を循環した。
……どうしよう。
「も、もしもし?」
無理だろうと思いつつ声を出してみる。
〈うお、繋がった繋がった! 隊長ぉー、繋がりましたよ〉
耳元で甲高い声が響く。
……繋がった?
雑音混じりのこの声は恐らく、野生の狐を思わせる細い目をしたコンサだろう。
物音が何度かした後、低く響く声が聞こえてきた。
〈……シエラか。俺だ、グレイスだ。大過ないか〉
「お久しぶりです。元気ですよ」
答えつつ人ごみから離れる。
魔力が僅かにバングルに流れている気がする……けどいまいち感覚が掴めない。
〈三狂の魔女にさらわれたと聞いたが……、いやそれは後で聞こう。今は何処にいる〉
「今は……えぇと……」
近くには……頭頂部でねじり鉢巻をちょうちょ結びにした、革をなめす作業にいい笑顔で没入している大男がいる。
細かく編みこまれた明るい茶色の髪は、ともすれば韻を踏み何がしかに感謝してそうな見た目だけど。
へいよー、ちぇけら。
「黒っぽいお店の、でかい男がいる、えっと下層です……革を」
〈下層? なるほど既に都市内か……ということは、ああ、ルーザーの店だな〉
「……知り合いですか、グレイスさん」
知ってる風な、しかし嘆息混じりのその声に思わず聞き返してしまったのが失敗だった。
ぴたり、と。
澱みなく滑らかに洗練された動きで革をなめしていた大男の動きが、突如止まった。
「グレイスウぅぅ……?」
「ひっ……?!」
彫りの深い顔にぎらりと光る野獣のような眼光が、俺を射抜いた。
男は手拭いで額に浮いた汗を拭いそれを肩に掛けると、ザッ、ザッ、と音を立て砂煙を(石畳の上なのに)巻き上げながら、こちらに近づいてくる……。
突然世界観が変わったような錯覚すら覚えるその威圧感に、いやちょっとまって、こないで!
〈どうした、シエラ〉
「あわ、あわわ……」
目の前に立たれるとその威容は凄まじく、グレイスやレイグリッドもけっこうな上背だったと思ったけど、こいつはもっとでかい……まじでこわい……。
男は無言で俺の前にしゃがみこむと、恐怖で動けない俺の左手をしかし優しく握り、自らの頬へ持っていった。
ぴとり、と汗ばんだ妙に張りのある頬に俺の手が張り付く。
「ひぇ……っ」
「久しぶりね、グレイス」
転移の魔術を使えば逃げられたのだろうか。
目の前でニカッと白い歯を見せて笑う大男に気圧されて、俺の思考は完全に固まってしまった。
「ハッハ、挨拶ね。いつ戻ったのよ」
バングルの向こうの声は聞こえない。
そんな使い方もできるんですね手馴れてるなぁ。
傍目からは、押し黙る俺に向かって一方的に……理解し難い言葉遣いで語りかける大男という画だ。
だれかー、たすけてー……。
「あら、そうなの。お疲れ様ね。えぇ、そう」
目だけを動かし辺りの様子を窺うも、異様な光景に誰もが距離を置いて見て見ぬ振りをしている。
そうですよね。俺でもそうする。でもそこは勇気を振り絞るべきじゃないかな。
恐怖で足が震える。
「ああ? このお嬢ちゃんね、随分べっぴんさんじゃない。……へえ。ああ、分かってる。はいはい」
男(?)は快活に笑い、俺の手を放した。
その頬は吸い付くようなもち肌だった。
「迎えに行くからそこで待ってろ、ですってよ。シエラちゃん、でいいのよね」
「え、あ……はい」
「私はルーザー・メロロウよ。ルーちゃんと呼びなさい」
「……るーちゃん」
有無を言わせぬ迫力に圧され絶望的な気分でそう呼ぶと、目の前の大男……ルーザーは、ニカッと眩しい白い歯を見せて笑った。
気持ちの良い笑顔に対し、俺は引きつった笑みしか返せない。
「しかし見れば見るほど綺麗なお嬢ちゃんね。グレイスの野郎一体……ん? あなた、その足はどうしたのよ」
「え、あぇっと、靴を……買おうと思ってて」
ちょっと待って顔が近い……。
というか今まで出会った中で一番屈強そうな顔と体格でその喋り方はなんなんだ。
グレイス! 早く来てくれ!
「そう、それなら丁度いいわ。こちらにいらっしゃい」
山が隆起した……いや目の前の男、ルーザーが立ち上がっただけだ。
招かれて店に向かう俺の足取りは足枷を嵌められたかのように重い。
なんでこんなことになっているんだろう。
「ヒューリック! こっちにいらっしゃい!」
ルーザーが店の中へ向かって叫ぶと、すぐに奥からこちらは線の細い色白の優男が出てきた。
ルーザーより頭一つ分は低いものの、しかしかなりの上背だ。
さらっさらの金の髪を七三にきっちり分け、この世界では多分初めて見るシャツ姿、ひょろりとした第一印象はマッチ棒。
「お呼びですか、お師匠様」
ヒューリックと呼ばれた優男は作業用の手袋だろうか、指先が一部露出したそれを外しながら店先に出てくると、ルーザーの隣に立つ小動物みたいに震える哀れな俺を見て、ほう、と僅かに目を見開いた。
「『山おろし』の革が残っているでしょう。この子の足に合わせてあげてちょうだい」
「ああ、ああ。いいですね。分かりました」
うんうん、と納得した顔で頷いたヒューリックは少し屈み、俺に手を差し出してきた。
「ではこちらへ、可憐なお嬢さん」
ちくしょう、どいつもこいつも上から見下ろしやがって……。
内心で毒づきながら、しかし素直に付いていく。それ以外の選択肢はなさそうだし。
店先に吊るされた、恐らく皮革を専門に扱う店なのだろう商品の数々は、どれも見応えがある美しい作りをしている。
……お金、足りるのかな。




