二話 垣間見るは世界の理
鏡を所望した。
この眼に焼き付けておかねばなるまい。
そして胸に刻むのだ。
もう二度と、このような過ちを繰り返さぬと。
「似合ってるよ」
鼻歌混じりに着付けをした女は、暗いローブの中から姿見を取り出した。
女と同じくらいの高さの立派なものだけど、夢の中だから、うん。
それくらい出てくるよね。
女の行動言動一つ一つに突っ込む気力は最早ない。
「うん、私の若い頃みたいだね。あげるよ、それ」
さいですか。
いやしかし、なんというか。
全身が映るご立派な姿見に映っているのは、小さな女の子だった。
姿形は整っているけど……整いすぎているというか。
真っ白な長い髪と、生気を感じない白い肌。
長い睫毛。大きな瞳は赤く、不気味な程輝いて見える。
背はローブの女より頭一つ分、いやもう少し低いか。新鮮な目線の高さに酔いそうだ。
うーん。
別人になる夢は何度も見てきたけど、鏡越しにこうしてじっくり見るのは初めてではないだろうか。
なかなかにおもしろい。
そしてようやく、用意された椅子に腰掛けることになった。
足が下にぎりぎり届かないのは、妙に座り心地の良い座布団のせいか。
低めのテーブルはやはり硬く、冷たい。
置いた細い手は青白い光を受けて、死人のようだ。
「何から、話そうか」
女の細い指が、コツコツとテーブルを叩いた。
それに合わせて軽い破断音がテーブル表面のそこかしこで鳴り、大小様々な物が生えた。
可愛らしいマグカップ、立派な燭台、古めかしいやかん……年代も様式もバラバラに見えるそれらは、生えた先から独り立ちし、やはり全て石でできていた。
コツコツ。
その音に呼応するように火が揺らめき、丸い空洞に何かが満たされていく。
見ているだけで少し、楽しい。
「眼を凝らしてごらん」
女の声に素直に従い、眼を細めた。
すると、世界が一変した。
「これ……は」
無機質な冷たい岩石と死人のような二人、それだけの場所だったここは、周りの岩とよく似た色の薄い霧に覆われていた。
テーブルに視線を落とすと、霧は踊るように渦を巻き束ねられ、その全てに意思と意味が与えられていた。
「見えているようだね。それは魔素と呼ばれている。私たちの世界には多分、無かったもの」
女はそう言いながら、ようやくフードを取った。
こぼれ出た長い黒髪は、周囲の光を、視線を捉えて離さない。
「それは、この世界の根幹を為すもの。
それは、万物の素であり、現象の素でもある」
女が指を回す。
それに追従するように魔素と呼ばれた薄く青い細かな粒子が混ざり、跳ねては踊る。
「そして、それを喰らう異形の生物……魔獣に、この世界は常に怯えている。とりわけ人間は」
女の細い手を陽炎が覆う。
魔素を侵食していくように見えるそれは、魔力と呼ばれるもの。
「魔素を取り込み、体内に魔力を溜め込む。それは、魔素を変じさせる力を持つ」
「……ふぅん」
この先にどんなストーリーが待っているのかは、少しだけ興味があった。
それがどんな素晴らしく壮大な物語でも、どうしようもなく辻褄の合わない駄作でも、セットしたアラームが全てを水泡に帰してしまうのだけど。
黒髪に眼を奪われたからか、魔素と呼ばれる霧は視界から消えていた。
おかげで、女の顔がよく見える。
魔法使いや魔術師なんて言葉を連想していたけれど……それよりも、魔女という言葉がしっくりくる。
薄く笑みを浮かべる随分と整った顔立ちの女は、ああ確かに、鏡で見た少女の面影が残っていた。
親子の関係なのだろうか。
テーブルの上で組まれた長い指は、髪と対照的な白さで、血が通っているのか不安になる。
そして女は語りだした。
少しだけ、年齢を感じさせる語り口で。