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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第一章 覚醒する魔女
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二十八話 魔術に魅せられて

「つーかまえ、ぐ……ぇっ」


 両腕を大きく広げたそのあまりに無警戒な動きに合わせ、一歩を踏み出し左の拳を全力で振り抜いた。

 見ず知らずの他人へ暴力を振るうことへの忌避感は、彼らに対する嫌悪感で塗り潰されている。

 握り込んだ手は男のみぞおちに深々と埋まった。

 変な汗を噴き出しながら膝から崩れ落ちた男の後方、にやついていた男たちの間に僅か緊張が走る。


「おいおいおい、小娘相手に何してんだよ」


 が、その小娘の細腕一本に本気でやられたとは思っていないらしい。

 油断してくれるのは大いに助かる……まだやっぱり獲物は怖いので。

 残りは三人。

 両手に獲物を……無骨な鈍器を構えた二人目の男は大またで距離を詰め、一本を気合の声とともに投げつけてきた。


「お、ラァッ!」


 刃がないとはいえ、顔に向けて正確に飛んでくるそれはやはり怖いもので、魔素に伝播する魔力の閃きよりは遥かに遅かったものの、咄嗟に取れた動きは一つしかなかった。

 回転しながら飛んできたそれは顔をかばった両腕に当たり、鈍い音を立てる。

 こいつ、顔は狙うな的なことを言っていたのに!


 衝撃だけで痛みはほとんどなかった腕の向こう、詰め寄る男はもう目の前で、右手に持ち直した鈍器は横に振り被られていた。


「……っ」


 俺のわき腹を狙ったそれは、もう避けられるタイミングではなかった。

 けれど、だから、無意識に持ち上げた右手、その人差し指に刻まれている指輪状の紋様に、口付けた。

 瞬間、視界がぶれて男がほんの少し遠ざかり、俺の腹の前で暴力が空を切る。


「はア……っ!?」


 男の驚愕の声を聞きながら、唐突な理解が頭を巡った。

 確実に捉えたと思っていたのだろう、勢いよく空振りをした男は筋肉を傷めたのか、身体が硬直した。

 数瞬前まで俺がいたそこへ、一歩を踏み出す。


「ふ……っ!」


 がら空きになった男のわき腹に、握り込んだ左の拳が突き刺さった。

 さっきの男より鍛えていたのだろうか、伝わる感触に硬い弾力がある。

 くの字に折れ、たたらを踏んだ男はしかし踏みとどまり、苦悶と怒りの声を上げる。


「こ、の゛っ糞ガキ……っ!」


 それを見て聞いてようやく、後ろの二人も動き出した。

 その片方、頭にバンダナのような布を巻きつけた男はギラリと鈍く光を反射する……刃物を持っている。

 自然と身体が強張ったけれどまだ距離はある……意識を目の前の男に戻した。

 男は歯を食いしばり、怒気を孕んだ形相で獲物を真上に振り上げた。

 全力で振り下ろされるそれ、もう一度右手の人差し指、その付け根に唇を押し付け、魔力が流れる感覚。


 ほんの一歩の距離、男のすぐ真横の位置に俺の身体が現出した。

 男は獲物を振り下ろした体勢で固まっている……何が起きたか分からない、そんな横顔で。

 その無防備なわき腹、さっきと同じところに魔力を込めた拳を叩き込んだ。


「お゛……っ、……っ!」


 男は声にならない声を上げ、今度こそ膝をついた。

 あと二人。

 距離を詰めてきていた残りの二人は、うずくまった男を見て立ち止まった。

 それはまだ恐怖ではなく、警戒心だろう。


 横目で痛みに呻く男たちを見つつ、深呼吸をした。

 ……今頃になって足が震えてきたけど、自然と笑みが浮かんだ。

 右手の親指の腹で、刻まれた紋様を撫でる。


「ふ……ふふ」


 感覚しているところへ、魔術を発動できた。

 一歩の距離だったとはいえ、ちゃんと思ったとおりに……一回目は無意識だったけど、二回目は。

 これは、すごい。

 すごいぞ。


「ふふ、はは……っ、あはっあはは……っ!」


 同郷の女……ヒイラギは、やはり凄かったのだ。

 何百頁からなる魔術が、恐らく基本の要素は既にこの身体の中に刻まれていたのだろう、指の紋様はきっと鍵で、その発現は一瞬で!


「……、ふぅ……」


 紙箱を取り出して、一本を口に咥えた。

 興奮しすぎてちょっと思考がおかしくなった……。

 まだ距離を置いて身構えていた男たちは呆然としている……それはそうだろう、

 追い詰めた筈の小娘に逆襲されたと思ったら、そいつが突然狂気染みた笑い声を上げたのだ。

 そりゃ怖い。


「おい」


「ああ」


 二人の男は互いに声をかけると、僅かに腰を落としそれぞれ武器を構え直した。

 前の二人が返り討ちにあったのは油断からだったと結論づけたようだ。


 この大して広くはない路地で二人同時、しかも片方は刃物を持っている。

 刃は短く、他の男たちが持っていた獲物に比べれば長さは半分程度だけど、遥かに脅威に感じる。

 だけど、これを乗り切れたら或いは。

 今は協力関係だけど、多分恐らくきっと、三狂の魔女とは決別するときがくる……そのときは戦闘になるかもしれない。

 これは言わば、予行演習だ。


 魔素の煙を吐き、足元に転がっていた無骨な鈍器を手に取る。

 持ち手に薄汚い布が巻かれたそれは、形状は石斧に近い。


 例えばこれを、じりじりと近づく男たちの頭上に……あれ?


「んん」


 この獲物を転移させて隙を作ろう、なんて思ったのだけど……。

 左手に獲物。右手に魔術の紋様。

 ……どうすればいいのか、イメージも湧かない。

 とりあえず自分自身の転移、それだけに意識を集中しよう。


「……うん」


 ぽいっと、端の生ごみの塊に投げ捨てた。肥えたねずみが慌てて逃げていく。

 俺の行動の意味が分からなかったのだろう、二人の男の表情がさらに険しくなる。

 よし、それじゃあ。

 咥えていたまだ半分も減っていない煙草に似たそれを右手の人差し指と中指で挟み、左手に魔力を込めた。


「行きます、よ」


 はむ。

 唇で、三度目になる血の色で指輪状に刻まれた痕を甘く噛む……転移したいところをしっかり意識して。

 警戒してなのだろう、なかなか距離を詰めない男たちのほぼ真上、いや若干奥にズレた……空中で身体を反転させる、後頭部が見えた。


「……は?」


「消え、た?」


 先の小競り合いは距離と仲間の陰になってよく見えていなかったのだろう。

 一瞬で姿を消した俺に対し、二人は呆然と立ち尽くし……すぐに慌てて周囲を見回した。

 一秒にも満たない滞空時間、まだバレていないことを確信する、そのまま着地。

 足に魔力を込めて短剣を握っている男の股間を蹴り上げ……いや、それは、やめておこう。


「動くな」


 二人の腰に手を当て、精一杯声を低く抑えて告げた。

 ほぼ同時にびくり、と身体が強張るのが伝わってくる。


「追い詰めたと、思ったか? 誘い込まれたとも知らずに」


「な……っ」


「まじゅ……つ、し」


 がんばって凄んではみたものの、声が女の子のそれなので何というか、チグハグ感が否めない。

 もうちょっと低い声を出したかった。


「命まで取る気は……あーそうだ、お金ください」


 二人の腰をぽんぽんと叩く。

 舌打ちして武器を投げ捨てた彼らは、懐から小さな革袋を取り出して地面に落とした。

 ちゃり、と硬貨の擦れる音が鳴る。

 何歩か離れてもらい、二つのそれを拾い上げた。

 奥でうずくまっていた男たちが立ち上がる気配……中途半端に腕を上げたままの、俺にお金を巻き上げられた二人が後ろへ向き直る。


 その彼らの視界に、もう俺はいない。

 驚愕の気配がここまで伝わってきた。

 指に挟んでいたものを咥えなおし、突き当たりの石壁の上、恐らく逆光だろう縁に立ち……彼らを見下ろしている。

 ……けっこうな距離だったけど、転移魔術は成功した。


「お小遣いありがと。女の子襲うとか、もう止めとけよな」


 翻り、両足に魔力を込める……見える範囲で一番背の高い屋根の上へ跳躍。

 まだいまいち力加減が分からなかったそれは、微妙に跳び過ぎていた。

 落下が始まった空中で、内心ひやりとしながら転移の魔術を発動させる……瞬きの間に、ふわりと着地。

 発動した瞬間の運動エネルギーはどこへやら。


「おぉー」


 往来の激しい活気溢れる大通りを眼下に、街を見渡す。

 長く堅牢な壁に挟まれたここが、下層と呼ばれている……この都市の酸いも甘いも全て飲み込んできた坩堝。

 巨大な岩のくちばしに食われまいと抵抗する三本のつっかえ棒。層を隔てる長大な壁はそんな風にも見える。


 後ろを見やると、ごちゃごちゃした建物の群れの向こうは閑散としていて、中央の通りから端の岸壁に向かって貧富の差が如実に表れていた。

 ……奥の方は荒廃しているように見えるけど点々と人の姿も見える。俺は恐らくあの辺りから出てきたのだろう。

 それにしても本当に魔素が薄いな、ここは。

 目を切り替えてもほとんど違いが分からないくらいに。


 さて。

 時間はまだあるし、どこかから適当に降りて大通りを散策してみようかな。


 左手首に嵌めている傷だらけのバングルに、反応はまだない。

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