二十六話 囲むは魔女の食卓
大きな円形のテーブルには白いテーブルクロスが掛けられている。
ニャンベル・エクスフレアに連れられてきたのは、私室よりもさらに二回りは広いダイニングルームだった。
席には既にヴィオーネと名乗った長身の女と、今日は髪を下ろしているルデラフィアが座っている。
「よォ」
「……おはよう、ございます」
手を軽く挙げながら声をかけてきたルデラフィアに答えつつ、部屋の中に視線を走らせる。
部屋の壁際、二人一組で動いているのだろう侍女が、伏し目がちに金属製の食器を取り出している。
やはり彼らのそれぞれの首には歪な環が嵌められているけど、身体には外傷などもなく小綺麗な服装をしている。
苦痛でその顔が歪むことがないのなら……ここは悪い場所ではないのだと思いたい。
彼女たちの対面に座ると(ニャンベルは当たり前のように隣に)、氷細工のようなグラスにぶどう酒が注がれ、随分と手の込んだ軽食が運ばれてきた。
一口サイズのクラッカーに色鮮やかな葉物が添えられ、ソースが三種類。
「今日も仲良しさんねぇ」
そう切り出した、今日は艶やかな髪をゆるく纏めてサイドに垂らしているヴィオーネは、グラスを軽く眼前に掲げてから唇を湿らせた。
一つ一つの所作になんというか、気品が漂っている。
ルデラフィアは食い気が優先しているのか、クラッカーを三枚重ねで口に放り込んでいく。
気持ちの良い食べっぷりだ。
隣のニャンベルが皿に手を伸ばしたのを見てから、俺もグラスに手を伸ばした。
澄んでいるそれは、瑞々しい果物の香りが柔らかく鼻腔をくすぐり、期待感を膨らませる。
舌先に触れた酸味はしかし滑らかで、ライチのようなほのかな甘みが後から広がり、余韻もまた芳醇。
「これは……」
思わず声に出てしまった。
元居た世界でも味わったことのない重厚さ。
そして軽食に効いている塩気がまた絶妙で……いや、朝から大丈夫なのかなこの人たち。
並べられた料理に舌鼓を打っていると、指をぺろりと舐めたニャンベルがその手で俺の左手首のバングルを毟り取った。
テーブルにごろりと転がされた傷だらけのそれは、華やかに彩られたこの場では重く沈んで見える。
「なんだそれ?」
咀嚼したものをぶどう酒で一気に飲み下したルデラフィアが興味を示し、しかしその手はおかわりの催促をしている。
すぐに侍女に注がれたそれを再び豪快に飲み干してから、バングルを摘み上げた。
「遠話の魔術、ね。また古臭ェ書式だな」
一目で興味を失くしたのか、無造作にテーブルの上に投げ捨てられたバングルはごろごろと転がり、俺の手元まで戻ってきた。
皿にぶつかる直前で捕まえ……装着はしないでおく。
「ふぅん……そういうこと」
手を拭くヴィオーネの言葉にニャンベルが頷く。
どういうことだ。
お前ら以心伝心すぎるだろ。
「おチビちゃんを使って、レグルス王宮秘蔵のアーティファクトを頂戴する……いいんじゃない?」
「はァん……なるほどね」
三姉妹は各々納得した様子で食事を再開した。
いやちょっと待って?
恐らく当事者であろう俺がまったく理解してないのに話を終わらせないで?
唇を湿らせながら視線を廻らせるも、誰も口を開くそぶりがない。
しかし、アーティファクトか。
彼女らが狙う秘蔵の品ということは、それ相応の魔術に関わるものなのだろう。
それを、かなりの実力者であろう三姉妹が手ずからではなく、わざわざ俺を利用しようという理由。
何か引きだせるだろうか。
「……見返りは、なんです?」
俺の言葉にヴィオーネは笑みを浮かべた。
その目は俺を値踏みしているようにも見える。
「あなたの目的への協力、と言ったら……疑うかしら?」
どういうことだろう。
俺に関する情報は、名前くらいしか教えていない筈だけど。
「『黒き魔女』が作ったとされる九つの魔術の秘宝……アーティファクト」
そう言ってヴィオーネは、テーブルの上に立派な装丁の分厚い本を置いた。
魔術書……『転移魔術』。
俺の右手の人差し指、一見指輪のようにも見える刻まれたそれを、親指で撫でる。
「六番目の秘宝、『黒き魔女』の魔術書。……これは転移魔術、と読むそうね」
こんなに薄かったかしら、と。
ところどころかすれているように見える字を、長い指がなぞる。
つまり話に聞いたアーティファクト強奪事件……そこで手に入れたのがこの魔術書か。
それにしても『黒き魔女』、ね。
随分とお似合いな呼び名だ。
そういえばこの世界ではまだ、黒髪の人間をあの女以外に見かけてない……いやこれはたまたまだろうけど。
俺の目的はこの世界の神さまとやらに会うことだけど、あの女が遺したものをどうせならもう少し見てみたいという気持ちもある。
だけどわざわざ危険を冒してまで、とも。
協力の申し出……それが互いの利になる有益なものなのか、それとも俺を陥れる罠なのか。
その判断材料を、今の俺は持ち合わせていない。
本当に信用していいのだろうか。
「この世界の何処にも存在しない未知の言語で書かれた、超高度な魔術。……私たちですら、その一端しか垣間見えなかった」
ヴィオーネの目が妖しく揺らめいた。
含みをもたせたその僅かな間に、三姉妹の視線が交錯する。
思った以上に彼女たちは、同郷の女の遺物に興味津々らしい。
「私たちを利用しなさい、おチビちゃん」
「そん代わりお前を利用する。悪い話じゃねェだろ」
……確かに。
後ろ盾も何もない現状の俺には望むべくもない話だろうけど。
ちらりと横目でニャンベルの顔を覗き見る。
既に話は終わったとばかりに、食事を摘んでは指先をぺろぺろと舐めている。
「……そうですね」
あの二人のこともあるし、悪い話ではない。
主導権を握ることができれば、取れる選択肢も増えるだろう。
「協力、しましょう」
空になったグラスにお代わりが注がれた。
澄んだぶどう酒越しのヴィオーネの頬はほんのりと染まり、俺の手に合わせグラスを掲げた。
協力……いや。
利用させてもらおう。
彼女たちの知識、その魔術を全て。




