十九話 平穏は短く解け去る
「話を聞く限り、そいつらは魔術都市ソムリアの『三狂の魔女』で間違いないだろう」
「有名、なんですか」
ほれ、とグレイスに手渡された乾燥した橙色の実を齧りつつ、聞き返す。
小ぶりで酸味が強いそれは、しかし後からほのかな甘みも感じられてなかなかに美味い。
オレンジとさくらんぼの中間な感じ。
「悪い意味で、な。しかしそいつらは国との繋がりが薄い。情報もあまりないぞ」
「……そうですか」
村跡に併設するように立てられた駐屯所の一角、布と木で設えた簡易的な椅子とテーブル。
そこに隣り合って座り情報交換する俺とグレイス、それを対面からぽかんと眺めるぽっちゃり体型のラックと、腫れた額を撫でているコンサ。
「何があったんスかね」
「さあ……? 俺ぁ朝からの記憶が曖昧でなぁ……」
良かった。記憶は飛んでいるようだ。
内心でほくそ笑みつつ……しかし三狂の魔女、か。
「アーティファクト強奪事件を耳にしたことは?」
「えぇと……すみません、ないです」
「そうか。こちらに来たばかりなら知らなくて当然か」
グレイスはそう言いつつ対面の二人を見やる。
それを受けてラックとコンサは口の中のものを無理やり胃に流し込み、口を開いた。
「んぐ……っ未だに犯人が特定されてない、ソムリアの商隊が襲われた事件ッスね」
「まぁ手口からして間違いなく三狂の魔女……エクスフレア三姉妹の仕業だって言われてるけどなぁ」
「……あの、それって味方を襲ったってことですか?」
対面の二人は、そういうこと、と頷きながらテーブルの上の目の粗いパンに手を伸ばした。
歪な形だけど、食パンのようにスライスして具材を挟んで食べるらしい。
「魔女を名乗るあの三姉妹は、魔術の探求に余念がない。それだけなら聞こえはいいが、奴らは……見境がなさすぎる」
「味方とか敵とか、そういう概念があいつらには欠落してるんスよ」
「目的を見つけたら、その間にあるものは全部……あぁなる」
コンサは横目で村跡を見やり、だけどすぐに目線を切った。
食事をしながら思い出したい光景ではない。
「恐らく、だが」
しばらく思案していたグレイスが口を開いた。
「奴らはまたここに現れるぞ」
「それは……湖の水が目的だから、ですよね」
グレイスは話しつつ、指の長さほどの短いナイフで器用に干し肉だろうか、細かく裂いては薄く切り分けられたパンに挟んでいく。
完成したサンドイッチみたいなそれを手渡された。
かいがいしい。
「……何があったんスかね」
「さあ……?」
珍しい光景なのだろうか、対面の二人は目を丸くしている。
空腹感はほとんどないけど、せっかくなので頂くことにした。
少し獣臭くて癖があるものの、これもなかなか悪くない。
胡椒が欲しくなりますね。
「魔術師にとっては、魔石の方が使い勝手は良いんだがな……だがあの量だ。
上手く利用できさえすれば、途方もない価値を生み出せる」
「石を繋いで大量生産、くらいしか思いつかないスけどね」
「だよなぁ。あのままじゃ毒にしかならねぇ」
三人はそれぞれパンを肉を噛み千切りながら、あの湖の利用方法について議論を交わし始めた。
あまり行儀がよくないそれに黙って耳を傾ける。
ガラス瓶に小分けに封入して扱う方法は封入時の事故の懸念と、そもそも精度の高いガラス瓶の流通量の少なさから現実的ではない。
魔力を込めた武具の製作に使う案は作業工程上、人の手を介する必要があるので難しい。
濃度を薄めて直接取り込むのは、村の人間という悪しき前例が既にある。
結局、今のところは。
魔獣をおびき寄せる餌に使うか、『木々を食むもの』を利用して魔石に変換する……この二つくらいしか現実的な使い道がないということだった。
「奴らがあれをどう使うつもりかは知らんが、そう遠くないうちに現れるだろう。
我々としてはその前に蒐集して引き上げたいところだが」
グレイスはそう締めくくり、カップの中身を一気に飲み干して席を立った。
それを横目で見やりつつ、噛み応えのしっかりした少し癖のある肉を咀嚼する。
その場に残された簡素なテーブル越しに相対する、狐を思わせる細い目をしたコンサと、置物の狸のような安定感のあるラック、そして俺。
いい機会なので色々と聞いてみることにしよう……ああ、その前に。
「あの……右手、大丈夫ですか」
コンサの右腕には、薄く包帯が巻かれている。
食事中は普通に動かしていたので、多分平気だとは思うけど。
「ああこれかぁ。あれは補助魔術だからなぁ、全く問題無ぇし何より、人のモンに手ぇ出した俺が悪い。気にしないでくれや」
「自業自得っスね」
妙に早口でしかも滑舌が良いコンサは右手をぐぱぐぱ握り開き、特に問題ない様子。
……人の物、か。
「でも発現前に潰されたのを見たのは初めてっスね。あれは阻害魔術っスか?」
「……阻害?」
あの時は確か、魔素を伝う一筋の電流のようなものに触れて、それは音もなく霧散した。
恐らくあれがテテの背に到達していたら、周囲の魔素が現象へと変化したのだろう。
「あれ、違うんスか」
「発現はしてただろ、俺の腕で」
そう言えばそうっスね、と答えながらラックはパンを手に取り、具材を詰めていく。
もう三つ目のそれに、これでもかとぎゅうぎゅうと。
当たり前の光景なのか、コンサは気にすることなく右手をひらひらと振りながら続けた。
「照準が消えた、いや違うなぁ……なんつーか……」
「んん、気になるっスね。そこの所を詳しく……聞きたい所っスけど」
ラックは身体をずいっとテーブルに乗り上げ……はたと思い出したように座り直した。
それを見て、考え込んでいたコンサは頷いてからカップに口を付けた。
首を傾げる俺に対し、いつの間にかパンをペロリと平らげていたラックが口を開く。
「あんまり詮索しないように言われてるんスよね、隊長から」
「……へぇ」
これは驚いた。
まふ、とやらが余程気に入ったらしい。
根掘り葉掘り聞かれるとすぐにボロが出そうだし、その好意はありがたく受け取っておくとしよう。
さてそれじゃあ何を聞こうかな、と頭を巡らせていると、対面の二人は手際良くテーブルの上を片付けて立ち上がった。
遅れると怖いんで、と言い残して立ち去る彼らの背を見やりつつ、残された俺は一息ついて紙箱を取り出した。
一本を口に咥え、勝手に灯る青白い火を見やり、考える。
三狂の魔女……これだけの人数を相手に、しかし臆することなくやってくるだろうという。
それだけの自信と実力を兼ね備えている、そして見境のない魔術師。
ここにいる百余名を巻き込み迎え撃てば……なんとかなるのだろうか。
話を聞く限りでは、直接ぶつかるのはごめんこうむる、という感じだったけど。
立ち上がり、村跡へ足を向ける。
あの三姉妹は全く本気を出していなかったように見えた……それこそ、半分程度すら。
例えば、ニャンベルという俺と同じくらい小柄な女が使っていた、あの転移魔術。
あれを使ってこの駐屯所のど真ん中に前触れもなく現れ、そしてルデラフィアという女が使っていた周囲に爆発を引き起こした魔術を炸裂させる。
……たったの二手で、ほぼ壊滅する未来しか見えない。
すれ違う兵たちに声を掛けられる度、大げさに笑顔を作る。
彼らは今、何をしているところなのだろうか。
幾つかの小集団が森に入っていくのは見かけたけど、詳しいことは何も聞いていない。
完全に崩れた村の入り口を通り過ぎると、瓦礫と化した家々の向こうに簡素な木の板が地面から何本も生えていた。
なんだろう、と疑問に思った直後に思い至る。
「……お墓だ」
自然とそちらへ足が向かう。
それはとても簡単な作りだったけど、ちゃんと、お墓だった。
近くに積まれた材木に腰掛ける兵たちは一区切りついた所だろうか、思い思いに汗を拭い、水を飲んでいる。
何人かが俺に気づいて口を開こうとしたけれど、不意に思いとどまったように身体を硬直させた。
何本も生えている木の板の群れの中に、一際大きく無骨な木の板が刺さっている地面の膨らみがある。
「形が、その……分からないものは、まとめております」
後ろからおずおずと声がかかる。
アレをどう表現すればいいか、分からなかったのだろう。
「そう、ですか。……ありがとうございます」
その礼が何に対してなのか、俺にも分からなかった。
多分……ちゃんと人として扱い、簡素でも埋葬してくれたことに、だろうか。
彼ら村人に対して思うところは、別に何もない。
怒りも悲しみも、それこそ何一つ浮かばない。
けれど彼らの目には、俺の姿はあろうことか、神様に見えていた。
土の下に眠る彼らの前で、今更それを否定してもそれこそ意味がないだろう。
それならばいっそ、今だけはそれらしく手を組み、祈っておこう。
安らかに眠れと。
あれは、恐らく敬礼だったのだろう。
思い思いに休息を取っていた彼らは直立し、握った右手を腹のやや上に置いて微動だにしなかった。
その目に俺の姿がどう映っていたのか、聞けるような雰囲気ではなかった。
急に畏まった彼らに見送られ、今は所々が焼け焦げた跡だけが残る村の中央に、拾った棒切れを握って立っている。
脳裏に思い描くのは、砂を噛みながら見た転移の魔術、その描かれた魔法陣。
あの時見えた魔素と魔力の流れを思い浮かべながら、地面をガリガリと傷つけていく。
彼らは協力してくれると言った。
だけどそんな彼らも、『木々を食むもの』の二人……テテとトトのことを、石としてしか見ていない。
恐らく、今この現状も、俺が所有物である石を取り返そうとしているとしか思われていないだろう。
「……エゴなのかな、これは」
だとして。
俺の余計な介入がきっかけで彼らが攫われたのは事実だ。
最低でも、あの森の中の家に戻す責任が俺にはあると思う。
だけど、その後は……結局彼らは、魔石の生成装置として狙われ続けるのだろう。
「……エゴなんだろうな」
この身体は、あの女が作った最高傑作は、やっぱり俺なんかには勿体無い。
褪せない記憶と完成に近づく魔法陣を見て、素直にそう思う。
コレが使えれば、奴ら……三狂の魔女に奇襲をかけられるのではないか、と思いついたのがついさっき。
どうやって起動するのか、描けたとして本当に使えるのか、そこら辺はさっぱりなので、とりあえずできるだけ再現してグレイスにでも見てもらおうと思っていた。
描かれている幾何学的な紋様や文字の意味は、何一つ分からないし。
「こんなもんか……けっこう、でかいな」
魔法陣の中央から見ると、端までは大体3メートルってところか。
さて、これが魔術を使う為の変換機構だとして、魔力が燃料。
後は何が必要なんだろう。
目を凝らし、なんとなしに周りを見てみると……あれ。
描いた紋様に魔素が反応し、励起している。
「や……っば」
待て待て待て。
魔術を使うには魔力が必要なんじゃないのか?
慌てて魔法陣から出ようと踏み出した……そういえばずっと裸足のままの、その小さな白い足から。
魔力がだだ漏れになっていた。
いや違うこれは、魔法陣に吸い取られている……!
だけど慌てることはない。魔力を体内で操作する術は、今朝方マスターしたのだ。
「あ、無理だこれ」
全然駄目だった。
全く言うことを聞かない俺の魔力は、描いた魔法陣を隅から隅まで満たしていった。
美しい出来栄えだった。
そして魔術が発動した瞬間、描かれた紋様と魔法陣、その意味を理解した。
これは、術者が元の場所……元の座標へ、帰る為の魔術だ。
それは生まれた土地だったり、縁のある場所だったり、住む家だったりするのだろう。
ばっくとぅざほーむ。
俺の場合はどうなるんだろう……立ち昇る光に包まれた。




