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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第一章 覚醒する魔女
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十六話 夜に対峙する

 しばらくして三波目の人員が合流し、彼らは村跡に併設する形で即席の駐屯所を数時間で作り上げた。

 今日はここで休むといい、と言われ、他のものより少し立派な天幕の一つを宛がわれた俺は、護衛の兵士……恐らく見張りだろう妙にそわそわしている彼らと話をしながら、そして聞き耳を立てて兵たちの会話を盗み聞きしながら陽が沈むのを待った。


 収穫は多かった。

 この百に迫る規模の集団は、城塞都市レグルスという都市国家に属する騎士団の一部だということ。

 彼らの現在の目的はこの村の奥、森の中にある湖の水の蒐集だということ。

 都市国家のレグルスとソムリアは一触即発状態にあるということ。

 魔術的素養を持つ人員の育成、魔術師の質、量いずれもソムリアに頭二つ以上の差をつけられているということ。


 そしてこの村がどういう状況に置かれていて……何をしていたか、ということも。


 だけど結局、知りたかった魔術師三姉妹のことは何も分からなかった。

 目的も、いる場所も、何一つ。




 なので。

 俺は今、ちょうど村と湖の間、道を外れた木々の間を忍び足で進んでいる。

 目的は勿論、湖にいる筈の魔獣だ。

 白いワンピースドレスは目立つので、天幕の中に置いてあった誰かさんの濃い藍色のローブを拝借してきた。

 頭からすっぽり被ったそれを身体に巻きつけ、目を凝らしながら歩く。


 湖が見えてくると同時に、かがり火だろうか、湖畔を明るい白と橙が縁取っていた。

 風のない湖面を二つの月が覗き込み、幻想的な光景に溜め息が漏れる。


 かがり火の近くには寝ずの番だろうか、湖畔からは距離を置いて兵士が二人一組で座り込み、少し緊張した様子でみなが一定の方向を向いている。

 視線を湖畔沿いに滑らせると……ああ、いた。

 兵士もかがり火も、かなりの距離を置いて遠巻きに見ているのは、木陰で荷物番をしている大きな狼の姿をした魔獣。

 そのシルエットしか見えないけれど、大きなあくびをして退屈そうにしているのが分かる。


 湖を横目に森の中を慎重に進む。

 と、魔獣に最も近いかがり火……と言ってもまだかなりの距離があるそこに、あの大柄な男……グレイス・ガンウォードの姿が見えた。

 炎に照らされたその横顔は唯でさえ鋭い眼光、その強面がさらに威圧的に感じる。

 近づくとあの狸と狐に似た二人の姿もあり、やはり魔獣の方を注視していた。


「あれって山から下りて来たんスかね」


「じゃねぇの?」


 置物の狸に似た男のまるっとした頬が炎を照り返している。

 ここからでは開いているのか閉じているのか分からない、細い目の男が相槌を返していた。


「あれって何してるんスかね」


「寝てるんじゃねぇの?」


 彼らの掛け合いは短いテンポで小気味よく聞こえるけど中身が全くなかった。

 聞き流しながら考える。

 彼らはあの魔獣を今すぐどうこうしようという気はないらしい。

 と言うより、手が出せなくて困っているように見える。


「んん……?」


 あの人数がいて、手が出せない?

 あの統率された動き、使い込まれた武具の数々……相当に錬度が高いように見えたけど。


 いや待て待て。

 手を出せない理由が戦力的なものと決まったわけではない。

 そう例えば、狼が国のシンボルだったり神の使いとして崇められている可能性だってある。

 この世界の知識が圧倒的に不足している状態で軽率な判断は……そして行動は、もうしない。


 と、俺も魔獣を注視した瞬間。


「お」


 目が合った。この距離で見えるのか。

 俺からは遠すぎて、その青い眼光しかはっきりと識別できないのだけど。


 魔獣はしばらく俺の方を凝視した後、ぷいっとそっぽを向いて立ち上がった。

 湖畔の兵士たちが僅かにどよめく。

 そして魔獣は傍らの荷物を軽々と咥えると……森の中へ消えていった。


「え、ちょおっ……!」


 森の中を抜けて魔獣の元へ辿り着き意思疎通ができれば……そんな風に考えていた俺は、突然の魔獣の動きに思わず身を乗り出して声を上げてしまった。

 軽率な行動である。

 慌てて咄嗟に取る行動は必然、視界も狭まる。

 どこか枝木に引っかかったのか、闇に紛れる為に拝借した濃藍色のローブは森の中に置き去りになった。


 突然の闖入者に身体をビクリと震わせた狸に似た男は、かがり火を倒しそうになり慌てて手で押さえた。

 狐に似た細い目をした男は、声にならない声を上げた。

 一人、揺れる炎を映した灰色の鋭い目だけが、俺を睨みつけている。


 さらに遠くでは、死霊、という単語が場を賑わせていた。

 森から彷徨い出てきた、月の光を受けてぼうと浮かぶ、白く長い髪の白い服を着た、白い肌の少女。

 幽霊か。この世界の者ではない、という意味ではあながち間違いではないのかもしれない。

 にわかに騒がしくなる湖畔を、グレイスの声が一喝する。


「伝令だ。『空駆ける爪』は巣に戻ったと」


「はっ……伝令ぇー!」


 グレイスの声を受けて、狐に似た男が声を上げた。

 遠吠えのようによく通る声だ。


「いやコンサ、お前が行け。ラックもだ」


「ええっ」


 驚きの声を上げたのはラックと呼ばれた、ようやくかがり火を安定させた狸に似た男。

 俺とグレイスを交互に見やり、突然、合点がいったように口を開いた。


「ま、まさか。逢引き……おぶしっ!!」


「早く行け」


 ガツン、と今ので身長縮んだろうな、と思わせる鈍い音が響き渡った。

 しかし捕まるかと思ったけど……遠話の魔術とやらを使えば済むだろうに、わざわざ人払いとは。


 細目の男コンサはこちらをちらりと見ただけで特に何をするわけでもなく、頭をさするラックを連れて小走りで去っていった。

 仕事には真面目らしい。


 これだけの人数に見られた以上、逃げるわけにはいかないか。

 問題はこの男……グレイスが何を目的としているかだけど。


 腰の後ろに結いつけてある短剣を確認し、かがり火の明かりが届くところまで歩を進めた。

 男の後ろ、湖面は相変わらず濃い魔素に覆われている。

 俺が足を止めたのを見てから、男は口を開いた。


「あいつは……レイグリッドは、少し甘いところがあるが、人を見る目は確かだ」


「……?」


 何の話だろう。

 訝しむ俺を置き去りに、男は話を続ける。


「あいつがそう判断したのなら、俺は口を挟むつもりはない。だが……」


 万が一がある、そう言って男は剣を抜いた。

 帯剣していたのか……というかこいつ、魔術師じゃなかったのかよ。

 装飾がほとんど見られない実用的でシンプルな長剣……いやよく見ると、刀身に薄っすらと紋様が刻まれている。


「……大人気おとなげない、のでは?」


 精一杯の笑顔で口を開いたつもりが、緊張して引きつった笑みになってしまった。

 自分で言うのもどうかと思うけど、いたいけな少女を相手にこの敵意。

 それに足る理由……疑惑が、この男にはあるということだ。


 視線を感じる。


 遠く、火の番をしている兵士たちはざわついている。

 誰かを呼びに行くもの、固唾を呑んで見守るもの、反応は様々だけど……いや、誰か俺を助けようという気概を持つ奴はいないのか。

 つまりはこの男、グレイスもまた相応の権力を持っているということらしい。


 話し合いは無理そうで、助けも来ず。

 この世界は血生臭いな。

 そう胸の中で吐き捨てて、生き残る道を探そうとさらに目に意識を集中させた。

 右手で短剣の柄を探す。

 男の四肢全てに恐らく紋様、それと長剣の刀身。それぞれ魔力が既に走っている。

 魔力が魔術を起こす為の燃料なら、もう充填済みということだ。

 だけど周囲の魔素にはまだ変化はない。

 半身に構えた男が持つ長剣、その切っ先がゆっくりと後方へ。


 やはり視線を感じる。

 この視線は……。


「では、行くぞ」


「……止めたほうが、いいですよ」


 それは精一杯の虚勢だったけど、確信でもあった。

 短剣の柄を探していた手でゆっくり紙箱を取り出した。

 もう手馴れた動きで一本を口に咥える。

 魔術の為だろう空けた左手を前に少し腰を落とした男が、これが最後だとばかりに口を開いた。


「……どういうつもりだ、小娘」


「おいで」


 その場に居る、俺以外の全ての人間が息を呑んだのが分かった。

 俺の後方、木々の暗闇から……先ほど森に姿を消した魔獣『空駆ける爪』が姿を現したから。


「どういう、ことだ……貴様」


 どういうことだろうね、いや本当……。

 ぐぅるぐぅると低く唸りながら俺の横まで歩いてきた魔獣は、鼻先で身体を小突くようにすんすんと匂いを嗅ぎ始めた。

 遠く、距離を保って動向を見守っていた兵士たちは大騒ぎになっている。


「お前、見すぎだよ。まぁ助かったけど」


 硬い毛に絡まった枝やら葉っぱやらを取りながら、叩くように撫でてやる。

 思えば、森の中に居たときはずっと見られていたのだろう。感じていた視線の正体はこの魔獣だったのだ。

 その理由はまだよく分からないけど。

 傍らに寝そべった魔獣を横目に、俺は口を開いた。


「先に言っておく……おきますけど。私は、あなた方と敵対する意思はありません」


「貴様、魔獣を侍らせてよくそんなことが言えるな。……目的は何だ」


 グレイスの敵意は先ほどとは比べ物にならないほど……これは最早、殺意か。

 呼び方が小娘ですらなくなっている……。

 だけどどんな状況であれ、話を聞いてくれるのはありがたい。

 湖畔には続々と兵が集まってきていて、物々しい空気になりつつあった。


「あの村を壊滅させた、三人の女魔術師の情報が欲しい。覚えていますか。あなたが石と呼んだ子たちが攫われました」


「ふん……貴様がやったのではないのか」


 一瞬、見える世界が再び魔素で染まり、ピクリ、と傍らの魔獣が反応する。

 息を深く吐いて、その大きな耳を撫でた。

 集まってきた兵たちとの距離が少しずつ狭まっている。

 思ったよりも場の空気が重苦しい。


「……いや、違う。実際、私も襲われました」


「見え透いた嘘を。あの惨状の中で貴様だけ無傷ではないか」


 ごもっとも。

 ダメージを受けたのは……中身だからな。

 これは詰んだかな、と半ば諦めていると、魔獣が覗き込むように横を……じわりと近づきつつある兵士の一団の方へ顔を向けた。

 そこから歩み寄ってくる勇猛な人間が一人。


「その辺にしておけ、グレイス」


 彼らを率いる団長、レイグリッドだった。

 鎧は着けておらず、帯剣のみの軽装だ。

 ぐるる、と唸ろうとした魔獣の鼻っ面をぺしっと叩いた。


「話は大方、聞かせてもらったぞ」


 そう言って軽く振った左手にはあのバングル……遠話の魔術か。

 堂々と歩を進めるその様は、流石は一団を率いる将だと唸らざるを得ない。

 遠巻きに見ている兵士たちは気が気でない様子だけど。


 そしてちょうど俺たちと正三角形を描くように相対し、レイグリッドは口を開いた。


「名乗らせてもらおう。俺はレイグリッド・トルーガ。城塞都市レグルスの元、騎士団一個大隊を預かっている」


 言いながら剣帯を外し、すぐ後ろを付いてきていた兵士に預けた。

 魔獣の前で武器を外し丸腰になる、その意味とその豪胆さは兵士たちの反応と何より、グレイスの表情でよく理解できた。


 少しの逡巡の後、構えを解いたグレイスは一度俺の方を睨みつけると、剣帯を外して兵士に放り投げた。

 レイグリッドの行動、何よりその目が雄弁に語っている……話をしに来たのだと。

 これを逃せばもう後はないだろう。

 後ろ盾もなく、何も知らない世界でこのなぜか懐っこい魔獣と共に渡り歩く……それもまぁ、悪くはなさそうだけど。


「悪い、預かっといてくれ」


 短剣を魔獣に咥えさせ、鼻先をぽんぽんと撫でた。

 察しが良い魔獣はのそのそと立ち上がり、ゆっくりと森の中へ歩いて行った。

 すぐに闇に紛れて見えなくなったけど、視線を感じる……そこまで遠くには行っていないようだ。

 いやほんと、ちゃんとお礼しないとな……。

 そして向き直り、それっぽく見えるように頭を下げた。


「シエラ・ルァク・トゥアノです。シエラとお呼び下さい。……機会を与えて下さり、感謝します」


 魔獣が森の中へ消えると同時に一気に距離が縮まっていた兵士の一団から、溜め息が漏れた。

 魔獣を従えていた謎の女、そう思われていたと考えればその感触は悪くない。

 あれが居なくなった直後に襲われる、そんな最悪も無くはなかった。

 レイグリッドは満足そうに頷いた。


「ふむ、珍しい名だな。生まれは何処になる」


「……遥か果てにある、小さな島国です」


 嘘は言っていない。

 それとも、本当のことを話した方がいいのだろうか。

 別の……異なる世界から来たんです、中身は男なんですよ、と。

 ……間違いなく頭がおかしい奴だと思われるだろうな。


「ふん、海を渡ってきたとでも言うのか。馬鹿らしい」


 グレイスの表情は相変わらず険しい。

 ……んん。

 今いる場所がそもそも島なのか大陸なのかそれすらも分からないけど、今の口振りからすると、外から海を越えてくるのは難しいのかな。


「ええ、私の母は偉大な魔術師でしたから」


 どうとでも取れるような返答だけど、これも嘘ではない。

 この身体を作ったというあの女はきっと恐らく、あの三人の女魔術師など歯牙にもかけないだろう。

 あの時見た、見せてくれた光景は……そう、一部の隙もなく完成されていた。

 レイグリッドは俺の言葉を受けて何か思案しているのだろう、短い顎ひげを撫でている。


「ふむ、何かを隠していそうだが……。

 その子が我々に仇なす者なら、そもそもこの場自体、成立してないだろうよ」


「だとして、だ。魔獣を従えるものを信用するわけにはいかんだろう。

 魔族に与する者かもしれんぞ」


 やはり相容れない存在なのだろう。人間と、魔獣。

 何かないだろうか。

 彼らの信用を得る、千載一遇の何かが。


「ああ、だが絶滅したと聞いていたあの『空駆ける爪』だぞ。

 それが人に懐いているなど、夢でも見ているかと思ったわ。

 その話も詳しく聞きたい、場所を変えんか。やはりここは、重い」


 その言葉に、思い出した。

 兵士たちが話していたあの村のことを。


 落ち着いて視界を切り替える。

 相変わらず魔素は濃い……重いと表現したのはこの濃度だ。

 彼らの魔力の塊は身体の中心にすとんと納まっている……ほんの少し、窮屈そうに。


 足を踏み出して、それを訝しむグレイスの横を通り、湖のほとりへ。

 正念場だ。しっかり意識しろ、今の自分がどう見えているかを。


「ここに来たのは、この水が目的ですよね」


 魔素が濃密に溜まっている、この光景は普通ではないのだ。

 そして初めてこの湖に入ったときの、あの感覚。

 足をそっと湖面から差し込む。

 後ろの二人の、周りの兵たちの、息を呑む姿が目に見えるようだ。


「貴様、何を……いや、まさか、平気なのか」


 長い時間沈んだりしなければ、多分。

 振り返る前に一度だけ深呼吸をした。


 裾を持ち上げ、凪いだ湖面は鏡のよう。

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