十五話 来襲する騎士団
俺の身体を取り押さえていた歪な形をした腕は、魔法陣の消失に応えるように粉々になった。
砂を吐き捨てて立ち上がり、服の汚れを叩く。
頭上の煙はすっかり晴れ、大きな二つの月が何もできなかった俺を見下ろしていた。
億劫で、首だけを巡らせて辺りの様子を窺う。
動いている、生きているものは見当たらない。
時折、何かが軽く爆ぜて崩れる音が聞こえる以外には何も……いや、遠くの方から何か聞こえる。
砂煙と足音……蹄が土を蹴る音だろうか、少しずつ近づいてくる。
近く、横たわる鞘を見つけて手を伸ばす。
短剣とともに拾い上げ、来訪する者たちの方へ足を向けた。
知識が足りない。情報も圧倒的に足りない。
認識も欠け落ちていたし、何より覚悟が足りなかった。あらゆるものを利用する、覚悟が。
あの三人の女魔術師のことを聞き出す。そしてその後は……。
後ろ暗い決心を秘めて、やってきた……遅すぎた一団を、崩れた村の入り口で迎えた。
この身体には少し長く感じる短剣を胸に抱き締め、俯き……身体中を煤まみれにして。
果たして。
轟と響く号令で足を止めた先頭集団は、一抹の疑惑と残りは憐憫の目を俺に向けている。
正面、恐らく隊長格であろう人物が手近の部下に何か言付け、それは集団へ即座に伝播していった。
形をかろうじて残している村入り口の馬小屋だろう場所へ向かう集団、それを見やり、俺の目の前で馬から軽快に降りて歩み出てきたのは、先程の隊長格であろう人物。
かなりの上背だ。
丸みを帯びた銀の頭頂部やや後方からたなびく白い三本羽根、その勇壮さを存分に表現した兜を脱いで小脇に抱えた男は、癖のついた焦げ土色の髪を一度手で撫で付けてから口を開いた。
「もう大丈夫だ」
経験と自信に裏付けられた厚く重い声。
膝をつき、窮屈そうに俺と高さを合わせた男は、革製だろうか年季の入った手袋を無造作に取ると、その手で俺の頭をぽんぽんと叩いて声色を少し柔らかくした。
「……お嬢ちゃん、お名前を教えてくれるかな」
「……っ、けほっ、けほっ」
むせた。
髪に煤をまぶしているときに吸い込んでいたらしい。
目にも入っていたそれのせいで涙が滲む。こっちは、わざとだけど。
「ああ、ああ」
厳格さと勇猛さを足した後に二で割れなかった巌のような空気を纏った男が、あたふたと狼狽する姿を間近で見るのは少し面白い。
男は近くの兵に湯を持ってこさせ、懐から繊細な刺繍の施された手拭いを取り出した。
「おいで。顔を拭こう」
柔らかな手拭い越しのゴツゴツした大きな手が、まるで鳥の雛を扱うように強張っている。
なるほど、今の俺は思った以上に弱々しく見えているらしい。
「よし、大分綺麗になった」
「……」
礼を言いたいところだけど、男の顔を上目遣いに睨み付ける。
村の情景を思い出す。人として扱われもしなかった村人の最期を。
あの二人の姿を思い描く。物として扱われた彼らの伸ばした手を。
俺は……いや、今のこの私は、壊滅した村の生き残りの少女。
目の前で全てが炎に浚われる様をまざまざと見せ付けられた悲劇の子。
手を握り締めろ。唇を噛み締めろ。涙を滲ませろ。
目の前の男は何も悪くない。よく来てくれたと思う。だけど怒りをぶつけろ。もっと早く来てくれていればと。
年端のいかない……そう、遠慮を知らない少女のように。
「……参ったな」
男が嘆息した直後、後方から第二波がやってきた。
そちらを見もしない男の手振りで伝わったらしい、整然と人馬一体となった集団が一つの意思を持った生き物のように別れ、集まる。
合わせて五十はいるだろうこの集団は、この世界の軍隊なのだろうか。
「団長、村の中ですが」
俺のすぐ後ろから声が降ってきた。溌剌とした若い男の声だ。
団長と呼ばれた目の前の男は、しかしその報告を手で遮り、口を開いた。
「今行く。温かい飲み物と毛布を用意してやれ。……では、な」
一瞬考え、手を伸ばした。
立ち去ろうとする質実剛健を形にした傷だらけの鎧、その下のザラリとした手触りの硬い鎧下を掴む。
どこかの国に所属しているであろうこの集団、それを束ねているこの団長と呼ばれている男。
恐らくけっこうなご身分なのではないだろうか。
そう、これはチャンスだ。
「参ったな」
男は短く刈り揃えた顎ひげを撫でながら、再び嘆息した。
どうやら苦労人らしい。
「ほらおいで、お嬢ちゃん」
困ったような顔で笑みを浮かべた若い兵士が手を差し伸べてくる。
その手から逃げるように、大木のような体躯の後ろへススス、と身体を滑り込ませた。
離れんぞ。
こいつの近くに居れば情報があちらから飛び込んでくるだろう。
利用しない手はない。
何より、悪い奴ではなさそうなので。
梃子でも動かんぞ、という俺の意思表示に折れたのか、男は俺の頭にポン、と手を置いた。
その手は大きく、俺の頭を片手で掴めそうなほど。
「グレイス・ガンウォードは、いるか」
腹の中まで響く声に身体がびくりとした。凄い迫力だ。
その声に応えてやってきたのは、こちらもかなり大柄な男だった。
黒に近い藍色のローブ。
灰色に退色した短い髪と揃えられた顎ひげ、同じ色の鋭い眼光は見るもの全てを威圧する、ようで……。
あ、ヤバい。
「どうした、レイグリッド……ん?」
目が合った。
見る見るうちに、ただでさえ怖い顔の眉間に皺が刻まれていく。
「報告を纏めておいてくれ。お前の方がここは詳しいだろう」
「……ああ。それはいいんだが」
二人の会話の間に、レイグリッドと呼ばれた団長の身体の後ろへこそこそと退避する。
どうやらこいつらは旧知の間柄らしい。
少数で動いていたグレイスという灰混じりの男、あの狐と狸に似た二人もいるのだろう、それが所属するこの一団。
……目的は何だろう。
いやそもそもこの大した規模ではない村に、この明らかに武装した集団は何をしに来たのだろうか。
「その娘は、どうした」
「察しろ、グレイス。怖がっているではないか」
そうだそうだ、言ってやれ。
いやしかし、まずいな。
話がまだ通じそうだとはいえ、こちらは奴の部下らしき人間に手傷を負わせている。
「……そうだな、すまん」
おや。
グレイスは俺を一瞥すると、あっさり引き下がった。
そして俺を腰に引っ付けたまま、レイグリッドは話を続ける。
「で、運び出す算段は付いたのか」
「ああ、そのことなんだが……」
そこに、話の腰を折るようにグレイスの身体……手首の辺りからジジジ、と異音が鳴った。
蝉の鳴き声に似た……あれは何て種類だったかな。
悪い、と一言告げたグレイスは、左手を耳に当てて口を開いた。
「どうした」
電話かな?
身体を乗り出して注視すると、ローブの緩い袖から覗くごつい手首に嵌められたくすんだ銀のバングル、その表面に青白く浮かぶ紋様と微細な文字が見える。
声だけを遠くに飛ばす魔術か。
そう当たりをつけていると、頭の上にポン、と手が置かれた。
「一人で話しているように見えて滑稽だろう。あれは遠話という魔術だ」
正解でした。
いや別に珍しい光景ではない。
現実の……いや、あちらの世界では、人々は誰しもが携帯端末で別の誰かと繋がっていた。
集団に属していながらも孤独で、どこかに繋がりたいと願っていた。
少し声量を落としたグレイスの声は、ところどころ聞き取れない。
「刺激せず監視を続けろ。改めて周知しておけ、湖には近づくな」
「あっ」
湖、という単語に思わず声が出てしまった。
すっかり忘れていた……二人の荷物、そして番犬ならぬ番狼のことを。
レイグリッドの訝しげな視線から逃げるように再び身体の後ろへ。
あの魔獣はまだあの場所で荷物番をしているのだろうか。
遠話の魔術か……俺にも使えればいいのだけど。




