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最後のアーティファクト  作者: 三六九
第一章 覚醒する魔女
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九話 邂逅する魔術師

「この地に渡ってきてから名前を聞かれたのは……初めてだったもので、つい」


 並んで正座をしている目を腫らした二人は、もうお分かりだとは思いますが、と前置きした上で口を開いた。

 その声色は弱々しいけれど、表情は少しだけ晴れやかになっている。


「僕たちは、『木々を食むもの』と呼ばれていた一族の、生き残りです」


 恐る恐るこちらの顔色を窺いながら紡いだ言葉、それを言い切ったことに安堵したのか、弟の少年は一息ついた。

 隣の姉は何か覚悟を決めたような、そういうことです、みたいな顔でこちらを見ている。

 どういうことだよ。

 何一つお分かりじゃねぇよ。


「……それで?」


 と続きを促したとき、二人はほぼ同時に顔を家の入り口へ向けた。

 その表情は心なしか険しい。

 直後、立て付けただけの木の扉が、外から乱暴に叩かれて悲鳴を上げた。


「は、はいっただいまあ……っ!」


 声を上げて立ち上がる姉を見送る弟の目つきは鋭い。

 その手がさりげなく後ろに回され、得物……無骨な短剣の柄を握った。

 どうやらただの客ではなさそうだ。

 ……その得物、いつから準備してたんだろう。


「どちらさまで……っ」


 戸を開けた包帯女の声が止まる。

 姉さん下がれ、焦りを伴った駆け寄りながらのその声は、しかし後一歩届かなかった。


「おや、これは驚いた。石がこんな所に落ちているとは」


 腹に響く低い声。

 固まった包帯女の首元を掴み、外に引きずり出す腕は筋肉の鎧を纏っているようだ。

 追いかけ飛び出した少年の叫ぶ声は、数秒後に鈍い殴打音で塗り潰された。

 次いで、くぐもった少年の声がまた別の……不快な音で上書きされる。


 何が起きたのだろう。

 突然の暴力に当たり前だけど慣れていない俺は、急すぎる展開に戸惑うことしかできなかった。

 耳の奥にこびりつくように、少年が殴られて踏みつけられた音だけがずっと反響している。


「……」


 分からない。何も分からないけど。

 その二人は何も分からない俺の、貴重な情報源になる予定なので。

 もしかしたらお節介なのかもしれないし、何ができるかも分からないけど。

 何かしら、してみよう。



 そんな前向きとは言いづらい決意を胸に戸を潜った俺の視界には、黒に近い藍色のローブを身に纏った男が三人。


 一番近い……十歩ほどの距離で少年の頭を踏みつけている男は随分と大柄だ。

 包帯女を引きずり出したのはこの男だろう。

 灰色に退色した短い髪と顎ひげ、同じ色の鋭い眼光は見るもの全てを威圧するよう。

 その斜め後ろ、少し距離を置いたところに控えている野生の狐と置物の狸を思わせる二人の男は、うずくまる包帯女を足蹴にしている。


「……」


 別に、その二人とは知り合いというわけでもなく。

 とりあえず近くの人里の場所とか聞ければ、ありがとうじゃあねバイバイ、のつもりだったんだけど。

 少しだけ、心がざわつく。


 三人の男は四肢を覆い隠すようなローブを纏っているけれど、それぞれ腕の辺りが何か……陽炎のように揺らめいて見える。

 目覚めた洞窟であの女が見せてくれた魔力、というやつだろうか。


 まだ人が残っているとは思っていなかったのだろうか、俺の姿を認めた男たちは訝しげな表情を浮かべた。


「おや、村の人間かな。……にしては」


 にしては、なんだろう。歯切れが悪いな。

 俺を見るその視線に暴力めいたものは感じず、ただただ珍しいものを見るようなそれ。

 珍獣的な。


 この場にそぐわないからか、それとも単純にこの姿が珍しいものなのか。

 分からないけれど姿を見せただけで注意を引くことはできたらしい。

 踏みつけていた男の力が緩んだのか、隙をついて地面を掻き、包帯女は抜け出せたようだ。


 しかし逃げられることは見越していたのだろう。

 慌てた様子もなく、包帯女を足蹴にしていた狐のような細い目をした男は、もう手の届く距離にいないのにも関わらず手を伸ばした。

 足を一歩も動かさず、ニヤリと笑みを浮かべながら。


 瞬間、その腕に纏わりついていた靄……恐らく魔力が、明確な意味を持って消失した。

 もうすぐ俺の横を駆け抜けようとする、包帯女の背中に向けられた男の手の平。

 何かは分からないけれど、嫌な予感がした。


「あ゛っ」


 肺から無理やり絞り出されたような声が後ろに遠ざかった。

 瞬間、ほぼ真横で起きた現象の余波で髪が流れ、視界が半分覆われた。

 包帯女の背中で爆発するように巻き起こった風が砂埃を上げ、さらに視界を奪い勢いよくスカートを捲り上げる。

 色んな意味で危ない!


「あーやっぱり対人には向かねーなぁこれぇ」


 手をこちらに伸ばしたままの細目の男が不満の声を漏らした。

 宙で絡み合うように起こり続けていた風が解けていく。

 家の外壁まで派手に吹っ飛ばされた包帯女の方をちらりと見る……見たところ外傷はほとんどないようだ。

 ……今のは魔術、だろうか。


「けどまぁ、そこならぁ……」


 細目の男の口角が再び上がった。

 これから起こる、これから起こす現象の結果が楽しみで仕方がない……初めて理科の実験をする子供のような、純粋な好奇心だけがその顔に浮かんでいる。

 そこにためらいはなく、咎めるものもいない。


 知らず睨みつけていたのだろう、視界が柔らかな薄く薄い魔素の色に染まった。

 そして、見えた。

 周囲の魔素に伝播する魔力の流れ……男の手の平から稲光のように閃く、一筋の歪な線。

 それはきっと誰にも見えない、瞬間的に起こる不可避の暴力……その力を伝播する道しるべ。


「ほっ」


 自分の腕の短さに一瞬、冷や汗が伝う。

 その行為の意味は分からなかった。けれどそうしなければならないような気がした。


 目測は完全に誤ったけど、一歩を踏み出し俺が伸ばした左手……その指先は、ぎりぎりそれを捉えた。

 包帯女の背中へ伸びる、魔素を伝い伝播する、本来ならば見えないのだろうそれは『魔術の起こり』。

 衝撃に備えて伸ばした腕が身体が緊張で強張った、けれど触れたそれはとても脆く……解けるように霧散した。


 何も、起きない。


「……?」


 腕を伸ばした変な体勢で固まる俺。

 それを顔だけ振り返り疑問符を浮かべながら見つめる包帯女。

 魔術を行使したであろう男も、小太りの男も、大柄な男も、視線は白い少女に集中していた。

 それは秒にも満たない時間で、その硬直はしかしすぐに崩れ去った。


 こちらに手を伸ばしていた男の腕が鈍い光を発した瞬間、その腕の周囲を取り巻くように風が巻き起こり、そしてそのまま巻き起こり続けた。


「なっ、おおお!?」


 すぐ近くにいた丸顔の男は巻き込まれるのを恐れたのか後ずさり、こちらと交互に視線を泳がせている。

 大柄の男は仲間だろう二人の様子を一瞥すると、俺を横目で睨みつけた。

 その目には隠し切れない喜色が浮かんでいる。


「ふん、楽をするからそうなる。だが今のは……」


 その笑み混じりの言葉は、遠吠えのような咆哮でかき消された。

 腕に巻き起こった小さな竜巻を振り払った細い目の男は、ボロボロになったローブの袖を引きちぎり、再びその手を包帯女……いや、今度は俺に向けた。

 見開かれた目には怒気が燃えている。


「おぉ、らアアぁっ!」


 その手から魔素を伝い、瞬きの間に三つの閃光が走る。

 ほとんど同時に到来する稲光の先端、触れればさっきみたいに消せるだろうか、そう考え両の手でそれぞれに触れようとして、嫌な予感にその手を止めた。


「ふぅっ……!」


 おもいっきり息を吐いて身体ごと首を後ろに捻る。

 顔面と胴体に到達せんとしたそれは、身体に触れることなく後ろへ抜けていった。

 その直後、後方で衝撃音、次いで暴風が吹き荒れる。


「う、わ」


 慌てて勢いよく捲くれ上がるスカートを両手で押さえると、前に流れる髪でまた視界が乱された。

 もうやだこの服……。


 暴れる髪を撫でつけ、ぱたぱたと服から砂を払う。

 見えてないだろうな……下には何も穿いてないんだぞ。


 こちらに手を差し向けたまま固まった狐に似た男は、器用にも苛立ちと困惑を同時にその顔に浮かべた。

 避けられることを一切想定していなかった、そんな表情。

 その不思議と愛嬌すら感じる顔を見ながら考える。


 今の魔術はあの男の腕……手の平を向けた延長上の『何か』に、魔素を伝うアレが触れた瞬間、発動するのだろう。

 『誰か』とか『座標』を目標にすることもできるのかな。だとしたらさっきのアレが見えても……。

 と、そんなことを考えつつ、自分の手を見て首を傾げた。


 んん?

 さっき包帯女を狙っていた魔術は、俺が手で触れたときにはその場で発動しなかったな。

 男の腕で暴発するように発動していた……あれは、なんだったんだろう。


「……おもしろい。貴様、ソムリアの魔術師か」


「そむ……?」


 腹に響く低く重い声は大柄な男から発せられた。

 首を傾げた俺の反応は、しかしどうやら男にとって想定外のものだったらしい。


「……そうか。いや、どうやら勘違いだったようだ」


 国の名前だろうか。それともどこかの団体か。

 分からないけれど、その鉄面皮がほんの少し安心したように緩んだ……気がした。

 聞き返すと薮蛇になりそうだし、相手の出方を窺う。


「人の噂は馬より早いとは言うが……」


 独りごちた男は、踏みつけていた少年を足で掬い上げるように蹴り飛ばした。

 軽々と浮いた少年はこちらに飛んでくる。

 えっ、受け止め、いや無理……っ!


「っだあああーーっ!」


 俺の後ろで様子を窺っていたらしい包帯女が、声を上げて足を踏み出し……少年を受け止めた。

 やりおる。

 その背を見つめる形になった俺は一人感心していると、再度男の声が降ってきた。


「石は返す。首輪はしっかり着けておけよ、小娘」


 翻り、右腕を擦過傷まみれにした細目の男を小突いた大柄な男は、二人を引き連れてあっさりと引き返していった。


「間に合わんかもしれんな」


 と、言い残して。


 ……なんだったんだ一体。

 少年を抱えてうなだれながら家に戻る包帯女を見やり……空を仰いだ。


「あ゛ー……」


 左手を握る。開く。にぎにぎ。

 あの時触れた、魔素の感触……魔術の起こり。

 あの時見えた、風で露になった右腕に刻まれた幾何学模様、そこに纏わりつく魔力の残滓。

 魔素を変じさせる為の……魔術を使う為の、恐らく変換機構みたいなもの、だろうか。

 そして魔力は、その燃料。

 魔素が見える世界で……彼ら三人の体内にもぼんやりと見えた。


 手をにぎにぎしながら思考に没頭していると、何やら視線を感じた。

 横目で見ると、戸口の隙間から包帯女がこちらをじぃっと見つめている……。


 現状の俺に選択肢はあるのだろうか。

 一応、二人を助けた形になっている今ならすんなり話を聞けそうだけど。


 少しだけ考えてから包帯女の方を振り向いた。

 なるべく、笑顔で。

 それにつられたのかは分からないけど、包帯女の顔に花のような笑顔が咲いた。

 ああ、笑うとなかなかに可愛らしい。


 それじゃあ色々と、話を聞かせてもらうとしよう。

 聞きたいことがそれはもう、山ほどあるのだ。

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