プロローグ
「ここは、夢じゃないよ」
今はフードを外した女は、ぼうと淡く灯る火の向こうで、微かに笑った。
夢の中の登場人物に、これは夢ではない……なんて言われたのは、恐らく初めてのことだった。
右手が、掛けていない眼鏡を持ち上げようとして空を切る。
「そういうことに、しておきます」
答えつつ、誤魔化すように右手で頭を抑える。
ふうわりとした、硬さを感じない柔らかい髪。
その触り心地の良さに、意識が霧散しそうになる。
深呼吸を一つ。
心が乱れそうになった時は、まず息を深く吸う。
ゆっくりと吐く。
これは夢だと思う。
断言できないのは、あまりにもリアルすぎるこの感覚と。
いつも見るような明晰夢ならもう既に感じているはずの、覚醒への予兆……その気配すらないからだ。
「まあ、何を考えているか大体分かるよ……私もそうだったからね」
「……そう、とは」
見た目は二十代後半くらいだろうか、艶めいた長い黒髪は、やはりどこか魔女めいている。
濃い赤色のルージュでも引いていれば、言うことなしだろう。
だのにその語り口は、どこか疲れ果てた老婆のよう。
「ここは一体何処なのだろう? 私は夢を見ているのだろうか? ああしかし、夢にしてはあまりにも……現実的すぎる」
「……」
手振りを交えた芝居がかったその台詞は、だがしかし、胸中で渦巻いていた俺の考えそのままだった。
見透かされている、のだろうか。
「夢ではないよ」
もう一度、落ち着き払った姿で女は言い直した。
まるで、どこか、自分自身に言い聞かせるように。
「夢じゃないなら……何なんです」
なんとか絞り出せた言葉は、酷く情けなく響いた。
だけど聞きながら、ようやく一つだけ納得できたことがある。
「もちろん」
淡く揺れる小さな火に照らされて浮かび上がった、その蟲惑的な笑みを浮かべるこの女は間違いなく。
「現実さ」
魔女なのだろうと。