少女の名と正体は
いきなり夢の世界へと介入してきた、生々しいまでの現実感を帯びた存在に、カイトは思わずそれを左手に取る。
またしても相手が足を止めた気配に、舌打ちをして後ろを振り返った少女は、拾い上げた武器をしげしげと見詰めている彼に不可解そうに首を傾げた。
「あんた、そんな小物の鋼骸器なんか拾って何してんのよ? あのルチアと同じ趣味って訳じゃあるまいし、そんな役にも立たないガラクタなんか放っといて、早く行くわよ」
「鋼骸、器……? 君はこれのことを、そう呼んでいるか?」
「そんなの、子どもでも知ってる常識じゃない。……って、そんなことも知らないなんて、あんた人間界に来るのは、もしかして初めてな訳!? まさか蓋を開けてみたら、パッと出の新顔の悪魔でしたなんて、そんなおっそろしい冗談はやめてよね!」
両目を細めて声を荒げる彼女に、しかしカイトはその呼びかけを左から右へと流し、悄然とした眼差しを左手の携行型制圧兵器へと戻した。
あまりにも周囲の世界観とは不釣り合いなその銃器は、おそらく時空間転位の余波によってこの時間と場所に飛ばされてきた、D・ウォルトの基地に常備されていた物だろう。
だが、それらの装備が広範囲に渡って散布され、更には鋼骸器という耳慣れない名称を付けられているという現象は、カイトの知る歴史には決して存在しないはずの出来事だった。
自分が時空間転位装置を誤作動させたことで、過去を大きく捻じ曲げてしまったのだろうか。
得体の知れない不安と恐怖に慄然としていた彼だったが、物凄い剣幕で駆け寄ってきた少女にどやされ、それ以上の考察は強制的に打ち切られてしまった。
再び元の経路へと戻ったカイトは、偶然に手に入れたその銃を、ひとまず手元に残しておくこととした。そのまま『鋼骸器』を持ち運ぶ彼に、少女は「だから、何の役にも立たないって言ってるでしょうが」と、不愉快そうな渋面を作ってぼやいていた。
管理もされずに放置されていたグレネードランチャーは、少々雨風に曝されてはいたものの、装填されていた数発の榴弾を含めて良好な状態を保っていた。
森の中を行く道すがら、彼は他にも自分の時代から渡ってきた物が落ちていないか、辺りを念入りに探索し続けた。
しかし芳しい成果と言えば、手持ちの武器の弾種違いの弾倉ぐらいで、後は修理の仕様もない故障品か、原状を留めていない何かの部品しか見当たらなかった。
カイトは捜索に当たっては何よりも優先して、サイボーグ用の微小機械注入器を探した。
だが、先導していた少女が目的地に着いたのを告げるまでの間、結局彼はそれをただの一本も探し当てられなかった。
彼女が自らの家として示したのは、森の少し開けた野原に建つ、崩れかけた外壁を隙間なく蔦が覆っている煉瓦造りの家屋だった。
寸胴の体に潰れた三角錐の屋根を被っている主屋の横には、脇を流れる小川へと身を浸している、小振りな水車が取り付けられている。
その木製の車輪は既に朽ちて動きを止めていたが、カイトは特徴的な外見から、この建物が元は農業用の水車小屋であったらしいと推測した。
「やれやれ、どっかののんびり屋な悪魔のせいで、思ったよりも時間が掛かっちゃったわ。ほら、あんたもさっさと中に入るわよ。やらなきゃいけないことはたくさんあるんだから、もうこれ以上無駄な時間は使わせないでよね!」
少女は疲労の混じった声でそうぼやくと、半壊している表扉の間から、暗い影の覗いている室内へと入っていった。
一人残されたカイトは、彼女の後へと続く前にまず、傍らを流れる幅の狭い川へと歩み寄る。
細やかなせせらぎの音を奏でているその川面は、化学物質による白濁も水泡もなく、砂利の敷かれた浅い底を見通せるくらい綺麗に澄み渡っていた。
透明な揺らぎの中をたゆたう水草や、水面近くを素早く泳いでいる小魚の影に、カイトは意を決してその水を直接口へと含む。濾過を全く行わずに飲み込んだ無色の液体は、しかし全くと言って良い程、生体器官に影響を及ぼすような有害物質を含んではいなかった。
ただの水を「美味しい」と感じることに衝撃を受けていたカイトは、頭上から降り注ぐ甲高い怒鳴り声を耳にする。見上げると、水車小屋の上部に開けられたアーチ型の窓から、あの少女が大きく身を乗り出し、早く中へと上がるよう叫んでいた。
慌てて必要量の水分を摂取し終えたカイトは、これ以上相手の機嫌を損ねないよう、急いで彼女の進んだ経路を辿った。
少女の住み家である小屋の一階には、埃っぽく湿潤な空気が充満しており、壁と床と柱以外に目立った物は何もなかった。
薄暗い闇の溜まった殺風景な室内の端には、壁伝いに斜めに上へと伸びている、簡素な階段が取り付けられている。今にも崩れそうなその段差を登って行った彼は、下の空間よりも幾らかは手入れのされている、手狭ながらも陽の光に満ちた清潔な部屋へと出た。
元は物置として使用されていたらしい屋根裏部屋には、古びた角灯や、表面が傷だらけの鉄の容器。それから、年季の入った数冊の書籍などが床に雑然と並べられ、片隅の方には寝床であろう毛羽立った薄い毛布が敷かれている。
微かではあるが、確かな生活感を漂わせる内装に、カイトはこの場所が少女の居住スペースであると見定めた。
床へと直接腰を降ろしていた部屋の主は、階段側の出入り口から覗いた彼の顔を、呆れたような三白眼でじっとりと睨め上げた。
「やっと来たのね、ノロマ君。話すこととか確かめたいこととか色々あるんだから、あんたも早くここに座りなさい! ボケっと立ってた方が良いのなら、別にそっちでも構わないけど」
揃えた膝先の戸板を、広げた掌で乱暴に叩き、少女は対面へと着席するようカイトへ促す。
有無を言わせない口調での命令に、彼は心中で密かに溜息を零しながらも大人しく従う。
拾得していた武器を脇に置き、床の上で窮屈そうに膝を組むカイトに、彼女は遠目からフンと小さく鼻息を吹きかけた。
「さてと、あれから結構時間を置いてみたけれど、あんたのグツグツに湧いてた頭の方は、いい加減にそろそろ冷めてきたかしら?」
「まあ、な……。少なくとも、自分の今いる状況を判断できる程には、冷静になったつもりだ」
「そう、だったら早速ここで、私達の契約の誓いを結ぶわよ。本当はあの洞窟ですぐにやっても良かったんだけど、そこを我慢して待ってあげた、私の心の広さに感謝しなさい」
押し付けがましい態度と表情でそう前置きした少女は、もったいぶった咳払いを挟んでから自己紹介を始めた。
「私の名前は、メリッサ・アースキン。歴史に名を刻む偉大なる魔術師の卵で、あなたをこの人間界へと召喚した者。では、呼び主の名において命じる。我が声に応えて姿を現せし闇の輩よ、私へとその隠されし真の名を、今ここに明かしたまえ!」