謎の少女と、謎の場所
休止状態となっていた知覚センサーが、突如頭部への軽微な衝撃を感知する。
瞬間、機能を恢復していた自己防衛ユニットが、生身の脳幹部へと微弱な電流を流し、意識を失っていたカイトは強制的に覚醒を促された。
焦点が定まらず、解像度も極端に減衰している景色を、彼は半ば無意識の内に見渡す。
視線を右へと移動させたカイトは、自らの頭部の真横に浮遊している、一人の少女の姿を視認する。相手が目を覚ましたのを確認した彼女は、仁王立ちの姿勢から彼を見下ろしつつ、これ見よがしに勢いのある鼻息を吹いた。
「ちょっとあんた、出て来ていきなり眠ってんじゃないわよ! まだ起きないつもりなら、もっと頭を蹴り飛ばしてやるけど、それでも良いのかしら!?」
傲然と腕組みをしながら急き立てる少女に、カイトは現在、自分が地面へと横たわっていること。そして、頭部に走った先の衝撃は、彼女の蹴りによるものであることを理解した。
自分は先程、素粒子力爆弾の爆発に巻き込まれ、跡形もなく蒸発していたはずだった。
なのに、なぜまだ自身の生体モニターは陽性を示しており、更には見知らぬ少女に踏み付けられているのだろうか。
あまりにも予想外に過ぎる展開に、カイトは状況の整理が追い付かず、次に取るべき行動を失念する。
呆けた表情で横臥を続ける彼に、少女の顔には瞬時に険しさが満ち満ちていく。
前の言葉通り、本当に追撃を加えてきそうなその雰囲気に、ひとまずカイトは上体を起こすこととした。
そのまま腰を上げようとした彼は、しかし姿勢制御システムが機能不全を起こしていたため、並行感覚が保てずに体勢を崩す。反射的に手を突いて体を支えようとしたカイトは、そこで半壊していた自身の右腕が、損傷箇所を境にして損失しているのを認めた。
彼は肘の部分から破れているジャケットの袖の上より、その切断面を左手で探る。
指先より伝わる、強化内骨格の鋭利な突端や電解液のパイプ、そして人工筋肉のささくれた繊維質の触感に、カイトはD・ウォルトによって断たれかけていた右腕の残りが、何か強い力でもぎ取られたらしいことを察した。
カイトはようやく復活した自律管理システムによって、右腕以外の損傷の度合いを重要な箇所から確認していく。そして、致命的な被害は受けていないのを確かめた後、彼は例の少女が自分を注意深く観察しているのに気付いた。
彼女は地面に座るカイトの周りを時計回りに歩きながら、あらゆる方向より彼の姿を、じっくりと目に焼き付けていた。輝きに満ちた両目を見開き、食い入るようにこちらを眺めているその顔は、彼の記憶にも記録にも合致するものはなかった。
まだ幼さの残る容貌から判断すると、歳の頃はおそらく十四、五前後。
体格は全体的に小さめであり、虚弱で矮躯とまではいかないまでも、身長と肉付きは決して恵まれているとは言えない。
少女の整った目鼻立ちを構成している、利発的な印象を与える細い眉は、背中の中程へと流している長髪と同様、陽の光に映える綺麗なブロンドである。
太陽の下では純白にも輝いて見えるその毛髪に、カイトは色素の薄い無機質的な肌の色も相まって、一瞬彼女は愛玩用の自動人形なのではないかと疑いを持つ。
しかし、相手の適度に無駄な動作の混じった足運びや、彼へと向ける好奇心と喜びに彩られた生き生きとした表情は、やはり感情を有した生身の人間のものでしか有り得なかった。
肩幅の狭い細身の体躯は、可動域の幅に重点を置いた、青を基調とした軽装をまとっている。
カイトの着用している戦闘服とも方向性を同じくしているそれは、しかし無防備な程に肌の露出が多い上に、実用性の疑わしい装飾も多数施されていた。
まるで大戦下とは思えない、時代錯誤な服装を身に着けているその少女は、やがてカイトの正面へと回って足を止める。
茫然として言葉を失っている彼を前に、彼女は薄い唇を僅かに笑みの形へ曲げると、少し不満そうに狭い眉間へと皺を寄せた。
「ふぅん、右の腕が無いってだけで、何だかパッとしない見た目だけど、大体の悪魔ってこんなものなのかしら? 服も何だかボロボロだけど、まあさっきまで地獄に居たんだから、当たり前っちゃ当たり前よね」
座っている相手を舐めるように見回しながら、彼女はブツブツと謎めいた独り言を口にする。
少女が呟く『悪魔』や『地獄』といった不穏当な単語に、それを小耳に挟んだカイトは奇妙な戸惑いを覚えた。
彼はD・ウォルトによる支配から脱する以前、敵対していたレジスタンスの一部から『人の皮を被った悪魔』とも呼称されていた。また、自身の生きる場所であった戦場も、ある意味では苦痛と絶望に閉ざされた、阿鼻叫喚の地獄そのものであると言えるだろう。
だが、目の前の少女が漏らしたそれらの言葉は、どこかそうしたカイトの認識とは異なるニュアンスを帯びているように聞こえた。
俄かに心中へと湧く疑念に、彼の脳裏にはD・ウォルトが開発に成功したと豪語していた、時空間転位装置の無骨な外観が浮かんだ。
彼は戦いの場から逃走を図った際、それを用いて過去へ向かうと宣言していた。
だとすれば、自分がこうして未だに生存しているのは、連動していた素粒子力爆弾へのハッキングによって誤作動を起こした装置が、自身もまた対象に含めたためかもしれなかった。
もしそうだとすれば、ここはどの時代の、どの場所になるのだろうか。
内蔵している全地球測位システム(GPS)が上手く作動しないカイトは、こちらを興味津々の面持ちで見詰めている少女へと、直接その疑問をぶつけてみた。
「君、ちょっと、聞いても良いかな? 今は西暦で言うと一体何年で、ここはどこの国の、どういう名前の地域なんだ? 変な事を聞いていると思うだろうが、教えてくれないか?」
「は、セーレキって? 良く分からないけど、今はアルジュの代の三十七年、レメトフェスの月の三日。そして、ここはナライエ王国のアーリヴァン地方よ」