始まりの終わり
正面より振り降ろされた高振動溶断刀が、右の二の腕へと鈍い音を立てて食い込む。
超硬化タンパク質(SHP)の人工皮膚を焼き、強化内骨格を溶断していく発熱した赤い刃に、視覚ユニットへと表示されていた数々の警告へと、右上腕部損傷のものが新たに追加される。
だが、カイトはそれらに一切構うことなく、左手に構えていた対物狙撃銃を、対峙するD・ウォルトへと突き刺すように押し付ける。
自分の胸部へと火花を散らして叩き付けられる、長く肉厚の銃身に、彼は驚愕に歪んだ彫りの深い顔面を、自らの攻撃を肩で受け止めているカイトへと差し向けた。
「貴ッ様アアアっ!? 止めろ、止せ、これは、命令だ……!」
「申し訳ございません、司令官殿。その命令には、残念ながら従いかねます」
数倍に拡声された絶叫が轟く中、カイトは皮肉交じりの嘲笑を浮かべ、引き金を躊躇なく引く。瞬間、D・ウォルトへと密着していた13.7mmの銃口より、高比重合金タングステン弾芯の徹甲焼夷弾が、三点バーストで発射された。
零距離より撃ち出される三段階の衝撃に、既に稼働限界近くまで破損していたD・ウォルトの義身には、大小様々な亀裂が刻まれる。
勢いに負け、後方へと吹き飛んだ彼は、胴体より多くの部品と電解液をぶちまけながら、中央管制室にある自らの玉座へと背中から激突した。
カイトは射撃の反動で激しく態勢を崩しながらも、どうにか踏み止まって転倒を防ぐ。
先端の炸裂した対物狙撃銃を捨て、彼は右肩に残されていた刃物を抜き取る。続けて、複数の端末と回路に囲まれて倒れ伏す、満身創痍の宿敵の姿を睨み付けた。
どうやら、先程の攻撃で姿勢制御ユニットが破壊されたらしく、D・ウォルトは白い蓬髪に覆われた頭部だけを、大きくもがくように揺り動かしている。
その相手の無様な有り様に、カイトは遂に、この長い戦いにも決着が付いたことを悟った。
彼は、赤黒く焼け焦げた右肩の傷を押さえながら、関節部が駆動しない左足を引き摺って前へと進む。ぎこちない足取りで徐々に近付いてくる彼に、D・ウォルトは眼球型センサーのレンズへと憎しみの炎を燃え上がらせ、怒りに満ちた罵声をぶつけた。
「カイト、貴様、キサマよくもおおおおおッ!! あと一歩で、全世界のネットワークシステムが私の物となり、この私が人類史上初の、『世界帝王』となるはずだったというにイイイッ!!」
「そいつはまた、残念だったな。だが、今更言うのも何だが、その肩書きはどうかと思うぞ。脳の大半が機械化しているとは言え、あまりにも発想が貧弱過ぎだ」
「黙れ黙れ黙れええッ!! それが、お前にその素晴らしい肉体を与えてやった恩人に対する言葉か!? これが、第二の生を恵んでやった親への報いか!? この、人間もどきの出来損ないの、肉片と鉄屑交じりの不良品がああああああああッッ!!」
「確かに、俺はあんたに作られた、中途半端な人間さ。だがな、そんな俺にもただの殺人機械にはない、人として何かを感じることのできる心を持っている。それを、俺は敵だったはずの、あいつらから教わったんだ」
「あの低能で無価値な抵抗組織のゴミ屑どもに、余計な思考を吹き込まれおってッ……! 大人しく私の手足となっておれば、貴様も支配の側に立てたというにイイッ!」
「ガキはいつか、親から独り立ちするもんだ。だがら、俺は今、ここで、お前を倒す。このクソッタレな因縁と運命に終止符を打って、俺は三度目の人生を生きていくことにするさ」
「絶大な権力を持つ管理者が消えれば、この世界は再び混迷と騒乱の坩堝に逆戻りだ! お前は、その中で自分が平穏な生活が送れるとでも、レジスタンスの無能共が混乱を収束させられるとでも、本気で考えているというのかアッ!?」
「例え、先の見えない明日であっても、自由と希望に満ちた未来の方が遥かにマシさ。俺は、自分が神サマだと勘違いしている孤高の天才より、互いに手を取り合って歩いていける、愛すべき凡人達の方を選ぶね」
カイトは動揺を微塵も見せずに、取り縋る相手へ決然として言い放つ。
確固とした決意を言動へと表す彼に、D・ウォルトは唯一神経の通う顔面を、激情から小刻みに痙攣させる。しかし、カイトが止めを刺そうと歩み寄りかけた時、不恰好に歪んでいたその顔が、突然不気味な嘲笑へと取って代わった。
「そうか……ならば、お前には望み通り、その凡人共との素晴らしい未来をくれてやる!」
相手の不可解な発言に、カイトが強化繊維の眉を顰めた直後。
強烈な震動が突如として、足元より彼の体を強く鋭く突き上げた。
天井より壁面や計器の破片が降り注ぎ始める中、室内にはサイレンのけたたましい騒音と共に、人工声音による警告が響き渡った。
「警告、非常用パスワードによるアクセスを承認、時空振動発生装置の稼働を開始します。総員、施設内より速やかに退避して下さい。繰り返します、非常用パスワードによる―」
辺りが不穏な喧噪へと包まれる中、D・ウォルトは不敵な笑みを頬へと刻む。
全てを理解しているようなその泰然とした態度に、カイトは挙動へと焦りを滲ませつつ、彼へとにじり寄る。
「お前、何をした!? 今の『時空振動発生装置』って、一体なんだ―」
彼は力づくで事情を問い質すべく、相手の頭部を掴み取ろうと左手を伸ばす。
だが、その腕は目標の遥か手前で、突然に強く弾き返された。
踏鞴を踏んで下がるカイトの前には、いつの間にかD・ウォルトの周囲を彼の玉座ごと覆う、半透明の指向性フィールドが展開されていた。
「迂闊だったなァ、カイト! この座席の周りには、遠隔で操作可能な複数の端末が置かれているッ! そこに態々飛ばしてくれるとは、つくづく貴様も愚かな奴よォ!」
耳障りな哄笑を上げて勝ち誇るD・ウォルトを、カイトは歯軋りをしながら悔し気に睨み付ける。
手出しも出来ずに無念の眼差しを向ける彼に、D・ウォルトは鉄壁の防御壁の内側より、嘲りと余裕を多分に含んだ、得意気な調子の言葉を投げつけた。
「では、冥途の土産に教えてやる! 私は長年の研究の末、遂に時間軸を任意に往来可能とする方法を発見した! そして、この座席を囲う装置の一式こそが、その時間移動の機器となる、時空間転位装置そのものなのだァッ!?」
「タイム、マシンだって……!? 馬鹿な、そんな作り話の物が、実在なんてするはず―」
「有史以来、最高の頭脳を持つ存在であるこの私には、不可能の言葉など無縁なのだよオッ!!加えて私は、その副産物として更に素晴らしき物さえ創り出してみせた! それこそが貴様の後ろに立っている、素粒子力爆弾だアアッ!!」
自らに酔い痴れている彼の言葉に、カイトは背後へと頭を巡らせる。
そこには、怪しげな駆動音に身を震わせ、機器の隙間より緑青の燐光を漏らしている、円筒形の機械が置かれていた。
「時空間転位装置は稼働に当たり、多量の素粒子第三類を内部へと生成する。そして、私はその過程で発見した第四類を高濃度に圧縮した後、臨界点に達した瞬間に放出させる兵器を開発した! これは従来の破壊兵器とは異なり、爆破と同時に半径5㎞に存在する物質を、時空振動によって分子単位から粉砕するッ! 即ち、この基地の周辺に押し寄せているお前の大切な仲間達は、起爆と同時に仲良くミクロ単位に木端微塵という訳だァ!!」
カイトは朗々とした説明を背面で聞きながら、D・ウォルトが素粒子力爆弾と呼ぶ装置へ、急ぎ足で駆け寄る。
本体の横へと嵌め込まれている制御盤には、ちょうど一分を切ったばかりの残り時間が表示されていた。
現状を把握した彼は舌打ちを漏らし、咄嗟に手動での操作を試みる。どうにか機能を停止させようとしているその姿に、D・ウォルトは大口を開け、心底愉快そうに呵々大笑した。
「無駄ムダァ、それは私からのアクセスしか受け付けん! 私に触れられない今の貴様が出来ることなど、もはや皆無も同然よォ!!」
ひび割れた高笑いを背中に受けながら、カイトは悔し紛れに装置の側面を殴打する。
それでも、床へと固定された爆弾は微動だにせず、変わらず終末への時を刻み続けていた。
やがて、一頻り笑ったD・ウォルトは満足気な溜息を零し、茫然と立ち尽くすカイトへ淡々と別れを告げた。
「さて、それではこちらの準備も整ったようだ。私は一足先に、この場所、そして時代から失礼して、過去へと向かわせてもらうとしよう」
直後、彼の横たわっていた台座の下部より、複数枚の端末が取り付けられた、鋼鉄の柵が競り上がる。あたかも花弁のように広がる鈍色の囲いの中心で、D・ウォルトは狂喜と歓喜に彩られた眼差しをカイトへと差した。
「今度こそ、私はつまらん不運などに躓くことなく、世界の頂点へと君臨してみせる。そしてカイト、次に貴様を機甲人間へと改造する時は、反乱を企むような失敗作ではなく、無駄な人間性を全て排除した、完璧な兵器に作り上げてやる。だから今の貴様は安心して、友と一緒に地獄の業火に焼かれていると良いッ!!」
先端部分を頂上で接続し、続いて外枠のフレームが複雑な運動を始めた鉄柵の周りには、徐々に蒼と白の入り混じった粒子が漂い始める。そして、時空間転位装置の上げる唸りにも似た重低音が加速するに連れて、その正体不明の瞬きも、次第に数と光量を増していった。
やがて、青白い閃光が勝ち誇るD・ウォルトの笑みを、傷付いた体躯ごと完全に包み込もうとした瞬間。 伏せていた顔を上げ、決意を秘めた瞳で前を見据えたカイトは、勝利の余韻に浸っていた彼へと大きな声で叫び掛けた。
「過去の行いへの報いなら、とっくに受ける覚悟はできている! だが、共に地獄へと行くのはあいつらじゃない! 道連れになってもらうのは、お前だ、D・ウォルトオオォォッ!!」
そう叫ぶや否や、カイトは手刀の形に構えた両腕で、素粒子力爆弾の制御盤を叩き割る。
そして、内部へと差し入れた両の掌で、彼は装置への介入操作を開始した。
「それもまた、無駄むだムダァ!! 貴様の両手に内蔵されている簡易性のハッキング端末などでは、何重にも構えられた情報防壁を突破できる可能性など、万に一つとしてありえな―」
最後まで抵抗を続ける相手に、D・ウォルトは再び揶揄の混じった痛罵を浴びせる。
直後、彼の喜色満面の相貌を照らしていた光の群れが、不意に統制を乱して波打ち始める。
合わせて、その青い粒子をまとっていた時空間転位装置の骨組もまた、混乱を来たしたように不規則でぎこちない挙動を示し出した。
カイトが素粒子力爆弾、及びそれと直接連動している時空間転位装置の、双方の権限を獲得しつつある状況を、D・ウォルトは間を置かずに理解した。
「なんッ、だとォッ!? 有り得ん、貴様の装備は半年前の状態のまま、一切の更新は行われていないはず……!? なのにィ、なぜェッ、お前は私のシステムへと侵入しているッ!?」
「今度、セキュリティのデータを作る時は、侵入者側の努力と根性も、ちゃんと計算に入れておけ!」
動揺を顕わにする相手へと、そう吐き捨てるように最後通牒を突き付けたカイトは、全ての出力と気力を傾け、制御システムへの侵食を続けた。
既に、素粒子力爆弾における反応は最終段階にあり、現時点から収束へと持ち込むことは不可能である。
指先より登る情報からそう判断を下したカイトは、爆弾の停止を選択肢から即座に放棄する。
次に、彼は爆発の規模を可能な限り、狭い範囲へと縮小させることへと集中した。
手順を踏まえない強引な操作により、大きく負荷の掛かった素粒子力爆弾の回路は次々とショートを起こし、機器の隙間からは白い煙が立ち昇り始める。
真正面から噴出する猛烈なガスの勢いに、カイトの切断しかけていた右腕が千切れかける。
それでも、彼は外れかけた右手の甲を片足で踏み付けて支え、懸命に作業を継続した。
例え、どのような結果になろうとも、爆発点にいる自分は助からないだろう。
だとしても、爆発の余波を最小限に留められれば、D・ウォルトの基地へと共に攻め込んだ仲間達の多くを救うことができるかもしれない。
ならば、今の自分がやるべきことは、たった一つしか在りはしなかった。
人としての尊厳と心を取り戻させ、そして仲間として迎えてくれたレジスタンスの人々。
そんな果てしない借りを持つ者達のため、カイトは捨身の覚悟で素粒子力爆弾のハッキングを続行した。
そして、自己防衛プログラムの苛烈な抵抗に遭いながらも、彼が爆破予想範囲を極限にまで狭めるのに成功した刹那。激しく鳴動していた素粒子力爆弾は遂に限界を迎え、蜘蛛の巣状に亀裂の入っていた外装の合間より、猛烈な光の奔流を溢れ出させた。
その発生源に近接していたカイトは、瞬く間に圧倒的な力の渦へと巻き込まれていく。
眼球ユニットの感光値を遥かに超える白の嵐の中、D・ウォルトの怨嗟の悲鳴は遠くへと去り、彼のあらゆる感覚は同時並行して消滅していった。
義身が光に溶けて消えていくのを感知しながら、カイトは実体のない自らの心へと、穏やかな充足と安らぎが満ちていくのを確かに感じた。
誰かのために、人として生き抜けた喜びに、彼はゆっくりと両目を閉ざして、独り微笑む。
安らかな表情を浮かべたその顔もまた、やがて色のない光へと呑み込まれ、カイトの存在は一片の痕跡さえ残さず、完全にこの世界から消え去った。