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イントゥ・ザ・フレマシー  作者: 沖見 るもい
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5、物語の始まり

 急に変わった母親の様子に多少ひるんだ冬雪(ふゆき)であったが、初めて見る異国の風景に圧倒されているうちにそんなことも忘れてしまった。

 勇者は母親に反発して家を出た。そうだ、こうやって物語は始まるんだ。とすると、次に向かうのは……。

 キョロキョロと辺りを見回しながら『その場所』を探す。ゲームの中では規則的な動きしかしていなかった人々は皆、活き活きと生活をしている。娘はいくつになった? 仕事が終わったら飲みに行こうぜ、などという会話も聞こえてきた。

「おや、神官様の倅じゃねぇか。修行もしないで何やってんだ」

 冬雪は無駄な時間を省こうと、必要のない会話は無視する気でいたのだが、どうやら『相手』の方ではそうもいかないらしい。もしかしたら、こういう何気ない会話もストーリーの進行上、不可欠なのだろうか。

「何って……。俺は神官になんかならないって決めたんです。おかしいですか」

 ぶっきらぼうにそう答えてみたが、どうせこの人もプログラムされたこと以外はしゃべらないんだ。そう思って、軽く会釈し、立ち去ろうとした時、話しかけてきた髭面の男はガハハと笑いだした。

「おかしかねぇよ! お前の人生なんだからよ!」

 冬雪が呆気に取られていると、髭男は近くにいた友人らしき男を手招きして呼びよせ、なおも続けた。

「こいつの倅なんてなぁ、親父の跡なんか継がねぇって家を飛び出しちまったんだ。なぁ、そうだよなぁ? いまは何してるんだ?」

 無理やり肩を組まれたやせ型の男は苦笑いをしながらもなぜかまんざらでもないような表情である。

「弁護士だってよ。あいつ、俺に似ねぇで頭が良かったからなぁ……」

「な? こういうこともあるんだよ。お前に神官の才能があるか無いかなんて俺にはわかんねぇけどよ、お前がやりたいことをダメだなんて言う権利は親にも神様にもねぇんだ」

 そう言うと、肩を組んだ男達は高らかに笑いながら去っていった。

 冬雪はしばらくその場に棒立ちになっていたが、ぶんぶんと頭を振って気を取り直すと、目的である老人の家を探した。


 しかしここで問題が起こる。

 ゲームでは、ほいほいと他人の家に上がり込んでいたのだが、それを実際にやるとなると相当の勇気がいるのである。インターフォンなどという便利なものはなく、ライオンのような獣が輪っかを咥えているようなデザインの金具が備え付けられており、どうやらその輪っかを打ち付けてノックするらしいのだが、果たしてどんな理由を付けて訪問したら良いのだろうか、皆目見当もつかない。かといって、何もしないのでは一向にストーリーは進まない。

 おそらくここであろうという家の前で、冬雪は数分立ち止まっていた。現代社会なら明らかに不審者なのだが、この世界でそうでもないらしい。やがて彼は意を決し、下唇を噛んで勢いよく鼻から息を吐き、ライオンの輪っかに手を掛けた。

 決心はしたものの、控えめにコツコツとしか打ち付けることは出来ず、応答はない。もしかしたら聞こえていないのかもしれないと、冬雪はもう一度輪っかを打ち付けた。しかしやはり応答はない。思い至ったのは、もしかしたら応答できないのではないか、という点である。先ほどの母親も男達もたしかにプログラム外の言動はした。ただ、それはあくまでも、まずはプログラム通りの行動をとった上で、それに対しての反応をこちらが示してからである。ということは、現実世界での常識である『他人の家には無断で侵入しない』という部分を捨て、まずは踏み込まなければならない。

「お邪魔しまーす……」それでもこの台詞は彼の最後の良心であろう。

 おずおずと室内へと入ってみる。部屋はゲームの時と同じようにワンルームになっていて、広さとしてはそこそこあるのだろうが、ベッドにタンス、食事用テーブルといったものまでがすべて収まっているのである。トイレや風呂場につながるような扉もなく、テーブルはあるのにキッチンはない。この世界の住人はどうやって生活しているのだろう、と冬雪は思った。もしかして、自分がこの扉を開いた時だけ彼らは動き出すのだろうか。

「おや、神官様の倅じゃないか。わしに何か御用かな?」

 テーブルの上にはほわほわと湯気の上がるマグカップだけがある。中は何だろう。どうやって淹れたのだろう。そう思いながら椅子に腰掛けている老人に近づいた。やはり無断で(一応ノックはしたのだが)入ってきたことに関しては何のお咎めもないらしい。

 ゲームならここで『はい』を選択するところである。ちなみに『いいえ』を選択しても「いや、その顔を見ればわかる。用があってきたんじゃろ?」とエンドレスに問いかけられ、『はい』を選択せざるを得ない状況になるのである。

「そうなんです」

 そう言うと、老人はふぉっふぉっふぉと笑い、「それならばこれを持って行きなされ。町の外れに小さな祠がある。そこに不思議な泉があるでの。きっとお主の望んだものが手に入るじゃろう」と言って冬雪に小さな釣竿を手渡した。

 よくよく考えてみれば、用がある、と言っただけである。それなのにいきなり祠へ行けと釣竿を渡す。ゲームだからこそ何の疑問もなくほいほいと進めたが、実際に体験すると現実世界との違いに戸惑う。何かおかしなものだな。冬雪はそう思いながら老人に会釈をした。



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