4、プロローグ
ゆっくりと目を開けると、彼の眼前に広がっていたのは、見慣れない風景である。
銅や真鍮で作られたと思われる小さな祭壇があり、粗末な供物と空の杯が置かれている。
「何だ? ここ……」
冬雪はゆっくりと立ち上がり、キョロキョロと辺りを見回してみるが、どう見ても自宅の居間ではない。それどころか、身に付けている衣服もそれまで着ていた部屋着ではない。
「おいおいちょっと待て……」
身体を少し捻りながらまじまじと衣服を見つめる。これはどう見ても『MAGICAL QUEST』の勇者の衣装である。そして、自分の足元には使い込まれた鍵付の木箱があり、気付くと自分の手には見慣れない鍵が握られている。
「もしかして……。いや、もしかしなくてもこれか……」
そういえば猛烈な眠気に教われていたことを思い出し、そんな記憶はないものの恐らく眠ってしまったのだろう、だからこれは夢なのだと言い聞かせ、手の中にあった鍵を木箱の鍵穴に差し込んだ。余程年季が入っていたと見えて、回すのには少々力が必要ではあったものの、ガチャリという音を立てて鍵は開かれた。
蓋を開けると中に入っていたのは見るからに重そうな鎧や盾、兜に茶色い布の袋。それらを一つずつ取り出して身に付けてみるとやはりというか自分にぴったりである。そして一番下に置いてあった鞘に納められた剣を腰のベルトに差し、おもむろに抜いてみる。鞘に納まっている時よりもずしりと重たく感じるのは、これが決して模造刀等ではなく、一振りで相手を容易に傷つけることが出来る代物であることが見てとれたからであろう。冬雪は軽く身震いをして、剣を鞘に納めた。
これが夢であるのは間違いないとして。
冬雪はそう思いながら祭壇の部屋を出た。もうその頃にはこの夢の舞台が『MAGICAL QUEST』の世界であることは理解出来ていたので、次は『ここ』が『どの村(ないしは町)』で、さらにいうと『どんなイベントの最中』であるのかを確認する必要がある。
祭壇の部屋を出たものの、そこは屋外ではなく、ベッドと文机、それから小さなタンスがあるだけの狭い部屋だった。『封印の祭壇』は独立した小屋タイプのものもあれば、教会やそこの権力者の屋敷の中に作られたものもある。冬雪は必死で記憶を手繰り寄せ、そうしたタイプの祭壇がある場所を思い出そうとしたが、テレビ画面で見る町や室内は所詮簡略化されたドット絵である。それらしい場所はあるものの、どれもほぼ似たり寄ったりでとても区別がつかない。
「冬雪、起きたのなら礼拝堂にいらっしゃい」
扉の向こうから、やや高い女性の声が聞こえる。冬雪はハッとした。そうか、このイベントか。そう思い、ふぅっと勢いよく息を吐きだし、扉の向こうにいる声の主に会いに行った。
「おはよう、母さん」
どうやら自室であったらしい扉を開けると、そこは大理石で作られた厳粛なムード漂う礼拝堂である。ドーム状になっているガラス張りの屋根からは柔らかな日差しが降り注ぎ、ちょうどその真下にいる女性を照らしていた。これがこの世界での自分の母親なのだと冬雪は自分に言い聞かせたが、写真で見た本物の母親との違和感はどうしてもぬぐえない。
「おはよう、冬雪。またあなたはそんな恰好をして。いつになったら父さんの後を継ぐ気になるのかしら」
母親はこの神殿に仕える巫女である。名前は何というのだろう。そういえばゲームの中では特に触れられなかったな、曲がりなりにも勇者の母親であるのにそれではあんまりじゃないか、と冬雪は思った。
「母さん、俺は神官になんかならない。神様だか何だか知らないが、ただの魔法使いじゃねぇか。それに、巷ではそいつのせいで苦しんでいる人達もいる。父さんが本当に神様と話が出来るって言うんなら、いますぐ止めさせろよ」
ゲームの中では主人公である勇者は一言もしゃべらない。人々に話しかけても一方的にプログラムされた台詞を述べるのみで、こちらの意思はカーソルで選択出来る『はい/いいえ』だけだ。
さすが夢だな。自分の思った通りのことがしゃべれるのか。さぁ、母さん、反抗的な態度を取った息子にアンタはどんな反応をするんだ?
冬雪は次の展開をわくわくしながら待った。夢の中でなら、この世界のエンディングを変えられる。あんな後味の悪い結末になんか絶対にさせない。
しかし、目の前の母親は困った表情のまま動かない。時折、パチパチと瞬きをするのみで、冬雪の期待した行動をすることはなかった。
「何だよ! 所詮はゲームかよ! 何か別のことしゃべってみろよ!」
そう叫ぶと、固まった表情のままこちらを見つめている母親を強く睨んでから、外へ繋がっている扉へ向かった。この神殿には風呂やトイレ、台所といった生活には無くてはならない設備というものがない。ゲームとしてプレイしている時は気にもならないことであったが、よく考えてみればおかしなことだ。扉を開け、外の空気を吸った途端、ふとそんなことを考えた。
「冬雪!」
突然背後から女性の声が聞こえる。
何だ? そんなイベントはなかったはずだ。そう思いながら振り返ると、先ほどとは別人のような、思い詰めた表情の母親がこちらを向いて立っていた。
「後悔しないのよ」
それだけ言うと、彼女は柔和な笑みを浮かべ、冬雪に小さく手を振った。




