23、新しい物語
村長夫妻の部屋を出ると、お決まりのように若者が駆け寄ってくる。
「僕の愛しいマリア……。勇者様、どうか、マリアを助けてください」
ああこの若者はまだ物語が変わった事を知らないのだ。あんなに派手にやらかしたのに? と思ったが、脇役程度のキャラクターには即影響が出るものでもないのだろう。
「えっと……、大丈夫ですよ。もうこの村で生け贄を差し出すことはなくなりましたから」
「本当ですか?」
ささやき程度にひそめていた声は急に最大のヴォリュームを伴って発せられた。そしてそれがきっかけでもあったかのように、これまでとは違った歯車が動き出す。
「アレク、そんなに大きな声を上げてどうしたの?」
彼に思いを寄せるメイドが駆け寄る。若者が既定の進行から外れたことで彼女もまた新しい物語の中に入り込んだようだ。
「ああ、ヒルデ。聞いてくれ。マリアが。マリアが生け贄にならなくて済んだんだ。勇者様がマリアを、いや、この村を救って下さったんだよ!」
アレクと呼ばれた若者はヒルデというメイドの手を取り、感涙にむせびながらぶんぶんとその手を振った。ヒルデはその勢いに圧倒され、がくがくと首を縦に振るばかりである。
「勇者様! 本当に、本当にありがとうございました! これでマリアと結婚することが出来ます!」
そう言うと、ヒルデから手を離し冬雪に抱き付くと一行に何度も何度も頭を下げ、足早にその場を去って行った。その場に残された一行とヒルデはしばらく呆然としていたが、やがて正気を取り戻し、冬雪は「これで……良かったんだよなぁ」と誰ともなしにつぶやいた。
「勇者様……、あの……生け贄が無くなったというのは……本当なのでしょうか……。あの……村長様は……?」
まだ少し気の抜けたような顔のまま、ヒルデは言った。まだ閉められていない夫妻の部屋を覗き込むように身体を傾いでいる。
「村長さんとその奥さんは、魔物だったんだ。それで私利私欲のために生け贄を差し出させてた。神様がどうこうってことじゃなかったんだよ」
「ま……魔物……? では……、勇者様達が……?」
「うん、倒した。だから……」
新しい村長を、と言いかけたところで、先ほどまで呆けていたような表情をしていたヒルデがカッと目を見開き、硬い鎧の上から冬雪の胸の辺りを平手で打った。
「何ていうことをしてくれたの!」
いくら満身の力を込めていたとしても所詮はただの若い女性である。冬雪にとっては痛くもかゆくもなかったが、おそらく打った方は相当痛かったのではないだろうか。しかし彼女は痛がる素振りもなく、ギッと冬雪を睨みつけ、肩をいからせながら階段を駆け下りた。
「何だ……アレ……」
「混乱しているのではないでしょうか。彼女はここにお仕えしていたようですし……」
「まぁ、ああなる前は穏やかそうな村長さんだったしなぁ」
村長夫妻が魔物だったなど、この村のものは誰も知らないのだ。生け贄が無くなったことは喜ばしいだろうが、村の長が殺されてすぐに気持ちを切り変えられるものはそういないだろう。
どう説明したらよいのかと考えながら階段を下りる。屋敷の外に出ると意外にも日は落ちており、すっかり薄暗くなっていた。
「とりあえず宿に泊まって、村人への説明は明日にしようか」
そう提案すると、疲労困憊の面々が反対するわけもなく、村の中心にある安宿で一晩を過ごすこととなった。
その翌朝、身支度を済ませた勇者一行の元に届けられたのは『マリア惨殺』の知らせであった。
宿屋から出た勇者一行に真っ赤な顔をしたアレクが駆け寄り、肩身となってしまったペンダントを持って泣きながら知らせてきたのである。美しい青い宝石のついたそのペンダントにはべっとりとマリア本人のものと思われる血糊が付着しており、それを持つアレクの手もまた彼女の血で赤く染められていた。
「どうして……」
やっとそれだけ言うと、彼はその場にへたり込んだ。「神様が……お怒りになられたのでしょうか……」
「そんなはずは……!」
そんなはずはないのだ。神は生け贄など望んでいなかった。そして、愚かな人間を諌める際にも、連帯責任とでも言わんばかりに天災としてその土地を攻撃したのである。仮にこれが神の怒りだったとしても個人をむごたらしく殺すなど考えられない。でも、だとしたら一体誰が、何故?




