22、水龍の渦
「冬雪!」
薄れていく意識をギリギリのところで引っ張ったのは、女性の声だった。
たぶん……これは、茜の声だ。何だ、『様』はもう止めちまったのか。何となく残念に思いながら、頭の芯にガンとくるようなその声に意識を傾ける。どうやら現実世界に戻って欲しくないようだ。しかし、かといって目が開くわけでもなく、身体が動くわけでもない。
「『初級蘇生魔法 天使の吐息』」
耳を疑った。
初級とはいえ、蘇生魔法なんていまの茜が使えるわけがない。
しかし、現に冬雪の身体はその名の通り吐息のような温かな風に包まれており、ぴくりとも動かなかった四肢や指先までもが自由に動かせるのである。
中級なのでさすがにFGは全回復とまでいかないが、それでも随分と軽くなった身体をゆっくりと起こすと、そこにはニヤついた源二郎と、怒ったような、心配しているような表情の茜がいる。
「茜……、何で……?」
かすれた声でそう言った時、彼女は瞳を潤ませて冬雪に抱き付いた。「ちょ、ちょっと……?」
「良かった……」
「まぁ、まぁ、茜さんや。冬雪のことは一安心じゃがな、そこでアンタの亭主が一大事じゃぞ?」
源二郎はそう言いながら茜の肩を叩く。冬雪の頭はまだ混乱している。
アンタの……亭主……?
「岳雪さんはそんなにやわじゃありませんよ。それよりも息子です」
「は? 息子って……、えぇ?」
源二郎の言葉に首を振り、なおも力強く抱きしめる茜を無理やり引き剥がす。茜はきょとんとした顔をしている。どうやら涙は乾いたらしい。
「母さん……なのか……?」
「当たり前じゃない! ……って言いたいところだけど、わかるわけないわよね」
茜はそう言うと寂しげに笑った。そうだ、母さんは俺を産んですぐに死んじまったんだった。
「まぁ……、わかん……ねぇけど……」
母と認識すると、いまの状況がことさら恥ずかしく、冬雪は俯いた。それは茜の方でもそうだったようで、困ったように微笑んでいる。
「お……、おいっ! 俺のこと……忘れてねぇか……っ!」
背後から岳雪の苦しそうなうめき声が聞こえてくる。振り向くと、だいぶ持ちこたえてはいるものの、そろそろ限界だと見て取れるほど傷ついた岳雪の姿があった。
「忘れてませんよ。……もう、岳雪さんたら」
茜はやれやれ、といった風情で立ち上がり、杖を握った右手を高く上げた。
「『中級水魔法 水龍の渦』!」
杖の先から勢いよく大量の水が飛び出し、村長の周囲を取り囲む。その水の先は龍の頭になっており、ぐるぐると回りながら徐々に彼との距離を詰めていく。やがて水龍はすっぽりと村長の身体を飲み込んでしまい、彼を取り込んだまま巨大な渦となった。村長は水龍の渦の中で苦しそうにもがいていたが、彼の力ではその状況を打破することは出来ないらしい。彼は口から大きな泡を二度三度吐き、脱出しようと天井に向かって必死に水をかいたがそれは豪華なシャンデリアの真下にある水龍の頭にすら届かず、やがて力尽きたのかぐったりと脱力した後、彼を取り囲む水龍もろともさらさらとした砂に変わった。
「終わった……なぁ……」
冬雪はその場にしゃがみ込んだ。傷が癒えていないからだとか、緊張の糸が切れただとか、そういった類ではない形容しがたい疲労が彼を包み込んでいた。
いや、そんなことより……!
「ちょ、じいちゃ……!」
ぎりぎりまだ残っていた気力で立ち上がり、源二郎と茜の元へ駆け寄る。
「いやぁ、強敵でしたなぁ、冬雪殿」
「ご無事で何よりですわ、冬雪様」
数分前までの態度はどこへやら、すっかり元の二人である。
「えっ……? いや、その……、お二人さん?」
「何か?」「どうなさいました?」
どうやらあの状態は長く続かないようだ。もしくは、自分の夢が見せた都合の良い『奇跡』ってやつなのかもしれない。
「いや……、いいや。とりあえず、これで生け贄の件は解決だよ」
吐き捨てるようにそう言うと、またその場にへたり込む。今度はもうしばらく立てそうになかった。
「おい、冬雪。さっきのすごかったなぁ。何だよ、じいさんと茜、いつの間にそんな魔法使えるようになったんだ?」
のん気な声を上げながらかなりの額であるDGDを回収している。頭の中ではやかましいくらいレベルアップの鐘の音が鳴り響いており、あの二人がどれほど大物だったかがよくわかる。




