1、祖父の死
唯一の肉親だった祖父が死んだ。数日前まではぴんぴんしていたというのに。
ちょっとたちの悪い風邪にかかったと言って病院に行くと、あれよあれよという間に入院となり、そして、あれよあれよという間に容態は急変した。
京極源二郎、享年78歳。
その孫である冬雪は高校3年生であった。
葬式やら遺産相続の手続きやらが終わり、いつも源二郎と過ごした居間のカウチに腰かける。
二人で過ごすにはちょうどよかった3LDKの平屋は、がらんとしていてやけに広く感じた。
「なぁ、じいちゃん。とうとう俺ひとりぼっちになっちまったよ」
冬雪は50インチの液晶テレビがよく見える位置に置いた源二郎の遺影に向かって言った。
「仏壇なんざいらねぇぞ。俺が死んだら取って置きの写真をテレビの前に置いてくれ。供え物も気が向いた時だけでいいんだ。どうせ死んじまったら何にも食えねぇんだからな」
源二郎は生前、何度もそう言っていた。
テレビ好きの源二郎らしい言葉だと冬雪は思う。
冬雪の母親は身体が弱く、彼を産んですぐに亡くなった。冒険家だった父親は5歳の時にその旅先で(それがどこなのかは冬雪には知らされていないのだが)帰らぬ人となったのだという。源二郎の妻である祖母も冬雪が産まれる前に亡くなっていたので、物心着いた頃には二人きりの生活だった。
60もの年の差がある二人だが、世間一般の祖父と孫という枠組みには当てはまらないと思えるほど仲はよかったと思う。
二人を繋いでいたのはテレビだった。
冬雪は老人が好むような時代劇やら囲碁の番組なども決して嫌いではなかったし、源二郎の方でも子供向けのアニメやスポーツ番組などを好んで見た。新聞紙を丸めて殺陣さながらのチャンバラごっこに興じてみたり、一緒に風呂に入ってはアニメの主題歌を口ずさんだりもした。
学生の本文である勉強に関して、源二郎はあまり口うるさくはなかった。後々困るのは他ならぬ冬雪なのだし、どうせその頃には俺はもう生きてねぇからなと言って、好きにすればいいというスタンスだった。そう突き放されると何となくある程度は出来といた方が良いのではないかと自主的に机に向かうようになったので、それが源二郎の作戦だったとするならば大成功といったところであろう。
冬雪が気づいた時には源二郎はすでに定年を迎えており、気ままな隠居生活を送っていたが、生活はそこそこ裕福だった。どうやら、冒険家などという得体の知れない職業であった父は相当稼いでいたようで、その蓄えと、あとは源二郎の不労収入であるらしい。『らしい』というのは遺産相続の手続きの際、弁護士の先生から何やらそれらしいことを聞かされたからである。とにかく、冬雪はあくせく働かなくても毎月それなりの収入を得ることが出来るらしい。
「冬雪、おめぇ高校卒業したらどうしたいんだ?」
高校に入学して間もなく、居間で茶請けの羊羹をかじりながら源二郎は言った。たしかその時「これ以上勉強したくないから、働こうかな」と返したと思う。そうしたら源二郎はすっかり禿げ上がった額をさすりながらカッカッカと笑って「おめぇは岳雪にそっくりだ」と言うのだ。岳雪というのは冬雪の父の名で、どうやら彼は同じ質問に対して同じ返答をしたらしい。
勉強が嫌だから冒険家になった、というのはいささか飛躍しすぎな気もしたが、とにかく父・岳雪は冒険家になり、世界中を旅して回っていたらしい。
だったら俺も冒険家になってやろうか。
ふとそんな考えがよぎる。
「なーんてな。なれるわけねぇじゃん。俺、都会育ちのもやしっ子だぜ? アウトドアとかも興味ねぇし」
誰に聞かせるでもなく、ただただ寂しさをまぎらわせるためだけに声を発した。
営業マンでも店員でも何でもいいんだ。ただ毎日この家を出て、この家に帰ってきて、そしてじいちゃんと一緒にテレビ見ながら飯が食えりゃよかったんだよ。
心の中に沸き上がってきた思いがせっかくの虚勢を打ち消してしまう。大粒の涙がぽろぽろと零れ、絨毯にシミを作った。
知ってたよ。人はいつか死ぬってさ。60も離れてんだ。先に死んじまうことだってわかってた。だけどさ、それがこんなに急だなんて思わねぇじゃん。
「くそっ!」
冬雪はテーブルの上のティッシュを数枚抜き取ると溢れてくる涙を乱暴に拭った。涙の染み込んだティッシュを丸め、テレビ台の横に置いてあるゴミ箱に向けて投げる。それは美しい放物線を描きはしたが、中には入らず、ポコッという小さな音を立てて縁にぶつかり、床を転がった。冬雪は軽く舌打ちをしてから立ち上がり、ため息混じりにそれを拾おうと身を屈めた。
「あ……」
その時彼の視界に入ってきたのは、テレビ台のガラス扉の奥にある据え置きゲームである。冬雪が産まれる数十年前に発売され、すっかり変色してしまった『FRIENDLY MACHINE』、通称フレマシーである。
源二郎は冬雪が欲しがったものは大抵買ってくれたが、どういうわけかテレビゲームの類いは首を縦に振らなかった。
「フレマシーを超えるテレビゲームなんざ、この先一生現れねぇ!」
最新のゲームをしたこともないくせに、源二郎は得意気にそう言い放って「これならいくらやったって構わねぇ」と1本のカセットを手渡した。
『MAGICAL QUEST』と書かれたそのカセットは、それしかゲームを知らなかった冬雪少年のお気に入りだった。当時テレビは1台しかなかったから、フレマシーを起動させると源二郎は見たい番組を我慢せざるを得なかったのだが文句を言わずに冬雪の操作する画面を食い入るように見ていた。
「最後にやったのはいつだったかな」
そんなことを呟きながら取りだし、何気なく電源を入れてみる。さすがにもう動かないだろうと思っていたが、懐かしいスタート画面が当時よりも大きい50インチのテレビ画面一杯に映し出され、またほんの少し涙が滲んだ。




