第九十一話 まさかの遭遇
※3月11日に発生いたしました東北地方太平洋沖地震で、被害にあわれた皆様のご冥福と、早期のご回復を心からお祈り申し上げます。また、災害地域の皆様が、一日も早く元の生活に戻られますよう、切に願っております※
姿を見送ったのはほんの少し前。
それにもかかわらず、一向に目的の人物が見当たらない。
「足が速いのですね・・・魏忠殿。」
廊下を走りながらつぶやく玲春。
安林山に会いたくて部屋を抜け出してきた玲春だったが、林山が皇帝と深い仲である関係者(!?)から聞いてしまい気落ちをしていた。
自分の出る幕ではないと思い、部屋に帰ろうとしたところで拾い物をした。
それは顔見知りの虎の世話係・魏忠愛用の櫛だった。
安林山と皇帝が恋愛関係にあると語った人物の落し物。
これが、彼自身が使うものなら、今すぐ渡そうとは思わなかった。
しかしそれは、魏忠が世話をする小虎・紅嘉愛用の品だった。
これがなければ、紅嘉は大人しくならない。
それを聞いた以上、後日渡すなどできない。
詳しい事情は知らないが、魏忠は紅嘉と共に庭の方で林山の親友達と会う約束をしていた。
そこに自分が行けば、きっと驚かれるだけでなく、夜中に出歩いたとして罰せられるだろう。
そのことは彼女もわかっていたのだが―――
―――――撫でてやったり、櫛でといてやると、その間だけは大人しいのですよ。―――――
ただでさえ、平陽公主様の不興を買っている紅嘉。
それが、夜中に騒いでいたと知れれば、今度こそ処分されるかもしれない。
そんなことになれば―――
(安様がどんなにお嘆きになるか・・・)
自分を食い殺そうとした虎にさえ、情けをかけられるお優しいお方。
恩人である、彼の悲しむ顔は見たくなかった。
(そのためにも、これを魏忠殿に届けなければ。)
自分のことより他人のことを優先したあの方のように、私も自分を犠牲にしてでも人のためにもなりたい。
そんなことを考えながら、庭に降りようとした時だった。
「うわぁああ!!」
悲鳴があたりに響く。
(なに!?)
それは、驚いてあげたというものではなかった。
聞き覚えのある苦痛のある声。
昼間聞いた、女官仲間や兵士達の叫び声と類似していた。
「まさか・・・安様?」
(紅嘉にまたがって、暴れていらっしゃるの!?)
一瞬そう思ったが、すぐにその考えを否定する。
「玲春の馬鹿!安様は正義の味方じゃない・・・!」
あの時は、賊にやられた傷が原因で暴れる紅嘉を制しきれなかっただけ。
間違っても安様のご遺志で暴走していたわけではないじゃない。
となると、考えられるのはただ一つ。
「・・・・・賊?」
少し前に、皇帝陛下が襲撃された。
賊はすべて自害し、誰の犯行かはわからずじまいだと聞いた。
しかし、賊の侵入を許したということで、自分の主人の夫である衛青様は、宮廷内の警備は強化したのだけど。
(だから、賊が忍び込むはずなんてない・・・・!)
大将軍である衛青将軍の指揮の下、ネズミはおろか、蟻さえも入り込めないほど厳重にしているはず。
(賊がいるはずはないわ・・・!)
そうよ、いるはずがない。
そうは思ったのだが、それに合わせて疑問も浮かぶ。
(それじゃあ、今の叫び声はなに?)
なんだったの・・・?
「どうしよう・・・!?」
どうしていいのかわからない。
こんな時どうすればいいか、馬様は教えてくださらなかった。
平陽公主様もご教授下さらなかった。
「安様・・・!」
不安と恐怖から、その場に立ち尽くす。正確には、怖くて動けなかった。
震えながら、動けずにいる彼女の耳に鳴き声が響いた。
「グルゥ・・・・!」
先ほどの悲鳴よりは小さく、普通の会話よりも小さい声だったが間違いない。
「あれは・・・紅嘉殿の声!?」
微かに聞こえたけものの声が、玲春を動かした。
苦しそうな、明らかに普通ではない鳴き声。
(どうしたのかしら?側に魏忠殿がいらっしゃるんじゃないの?)
そこまで考えてハッとした。
(まさか、先ほどの悲鳴は―――――――!?)
魏忠様!?
そう考えるのが自然だった。
(大変!)
彼に何かあったのかもしれない。
でも、何かが起きているということはわかっていた。
自分に何ができるかわからないけど、このままにしておけない。
(確かめなきゃ!)
そう思って動いたが、今の彼女には後のことを考えていなかった。
万が一、なんらかの異変を目撃した際、その出来事を目撃した後の行動をどうするべきか考えていなかったのだ。
このような場合、何者かに襲われているという可能性もある。
なので、不審者に気づかれないように隠れながら行くのだが、大胆にも彼女は普通に駆け寄ったのだ。
もし、これが賊に襲われているところだったら、目撃した人物はまず命はない。
しかし玲春は、そんな状況に対処する正しい知識がない。
とにかく、何が起きているのか確かめなければという気持ちの身で動いていた。
庭に出て見渡せば、数人の人影が見えた。
「あ――」
とっさに、近くの花々の中に隠れた。
一瞬しか見ていない
顔はもちろん、性別すらわからなかったのだが
(こわいっ・・・・・!)
理由のわからない恐怖が玲春を襲ってきた。
それはじわりじわりと、彼女を支配する。
(なに・・・?なんなの・・・!?)
とにかく、怖いという思いしかない。
(怖い!怖い!!怖い!!!)
目を閉じて、体を小さくして一生懸命隠れた。
ガタガタと、震える体を抱えていると聞いたことのない声がした。
「まずは、あれで良しとしよう。」
「はい。ですが・・・そのようなものが役立ちますか?」
「ないよりマシだ。」
「奴は、あのままでよろしいので?」
「殺した方がよかったと言いたそうだな。」
「はい。その方が―――」
「毒にも薬にもならぬ。捨て置け。」
そんな会話をしながら、自分の側に近づいてくる。
(お助け下さい、天帝様・・・安様・・・!)
必死で祈る彼女の願いは通じた。
出ていた月が雲に隠れる。
それにより、庭を含めた地上すべてを闇がつつむ。
そのおかげかどうかわから煮が、声の主達は彼女に気づくことなく通り過ぎる。
足音は全くしなかったのだが、
(なに・・・?このにおい?)
震える玲春の花に、妙なにおいが届く。
薬品のようなにおいと、生臭いにおい。
前者は心当たりがなかったが、後者は嗅いだことのあるにおい。
(あれは・・・なんのにおいかしら?)
すぐには思い出せない。
一瞬、血の臭いかと思ったが、少し違うような気がした。
(行ったのかしら・・・・?)
彼らから足音や衣擦れはしなかった。
代わりに、連中がまとっていたにおいがしなくなっていた。
そのにおいを頼りに、彼らがいなくなったと理解した玲春。
しかし、すぐに動くことができなかった。
(もしかしたら、隠れて私が出てくるのを待ってるかもしれないし・・・。)
という警戒心と、
(こ、腰が抜けて動けない・・・・!!)
恐怖による、体の不具合があった。
(こ、怖かったぁ~!今日の昼間より怖かったぁ~・・・・!!)
時間はかかったが、なんとか四つん這いで這い出る。
辺りを見渡し、怪しい人物がいないのを確認してから先ほど人影が集まっていた場所へと這って行く。
その間、あたりは漆黒となっていたのだが、
「あ・・・?」
視界が晴れていく。
見上げれば、隠れた月が姿を現し始めていた。
ホッとするような暖かい光。
それをしばらく眺めた後、視線を前に戻す。
その瞬間、背筋が凍りついた。
「魏忠殿!?」
折り重なるように、魏忠と紅嘉が倒れていた。
否、紅嘉を守るように、魏忠が体を預けていたと言っていい。
「ぎ、魏忠殿っ!!」
大声で叫んで、転がりながら駆け寄った。
「ぎ、魏忠殿!魏忠殿!?しっかりなさってください!!」
肩を支え、揺さぶってみる。すると、二、三度痙攣したのち、そのまぶたが動いた。
「うっ・・・?」
「魏忠殿っ!?」
「れ、玲・・・玲春殿・・・!?」
「よかった・・・よかった気がつかれて・・・!!」
相手は生きていた。
介抱しようと抱き起した時、手に生ぬるい感触。
「ひっ!?」
それがなんであるかわかった瞬間、叫んでいた。
「ち、血・・・!?」
触れた場所肩。
月明りを頼りに見れば、鮮血が流れていた。
「ひどい・・・!」
傷もそうだが、親切な彼を斬ったということにも嘆く言葉。
「しっかりしてください!今、止血しますから。」
急いで懐から布を出して肩をきつく結ぶ。
主人が大将軍の妻と言うこともあり、そういった知識は学んでいた。
しかし、実際にするのは初めてのこと。
震える手で、傷口を縛った。
「す、すまない・・・!だが玲春、どうしてここに・・・・?」
「私のことより魏忠殿です!お待ちください、今誰か―――!」
「ガァ・・・!」
自分の言葉を遮るような鳴き声。
「紅嘉殿!?」
「グゥゥ・・・」
魏忠の体の下になっていた小虎を見れば、ガクガクと変な動きをしていた。
「どうしたの?あなたもやられたの!?」
虎だということも忘れ、その頭を撫でてやれば、目を細めて低く鳴く。
「その子は無事だ・・・。」
「魏忠殿?」
「私は肩をやられたが・・・その子は妙な袋をぶつけられ・・・中に入っていた、水のようなもので・・・動きが・・・!」
「ひどい!誰がそんなむごいこ―――!?」
“まずは、あれで良しとしよう。”
脳裏に先ほどの声の主達が浮かぶ。
「・・・!?」
(あの人達が魏忠殿を・・・?)
「ぎ、魏忠ど―――!」
「ガルゥ・・・!」
何かに体を引っ張られ、言葉途切れた。
「紅嘉殿!?」
見れば、自分の着物の袖を引っ張っていた。
「ど、どうしたのですか?」
それも、紅嘉から近い腕の方ではなく、離れている方の袖。
自分は今、仕事着の上から紺の布をかけていた。
同じ引っ張るなら、布の下に隠れている仕事着よりも、その上に羽織っている布の方が近いはず。
それなのに、布の下に顔をもぐりこませてまで、袖部分を引っ張るというのはおかしな行動だった。
(体勢的にもつらくなるのに・・・・なぜ?)
戸惑いながら見れば、なにかを訴えるようにぐいぐいと袖を引く。
「本当にどうしたの・・・?」
そこまで言って気が付く。
(そういえば、こっちの袖に―――)
「ま、待って!今出してあげるから。」
「玲春!?」
「魏忠殿!袖の中のものを出しますから、紅嘉殿を―――」
「え!?あ、ああ・・・」
言われるがまま、玲春から紅嘉を引きはがす。
小虎が離れるや否や、かまれていた袖に手を突っ込む。
「これが、ほしかったのですね?」
袖から手を出し、紅嘉の前に差し出したのは小さな包み。
それを見た瞬間、苦しそうな声で鳴いていた紅嘉の鳴き声が変わった。
「グルゥ。」
嬉しそうな声で尻尾を振り始めたのだ。
(やっぱり・・・。)
「れ、玲春・・・それは一体・・・!?紅嘉殿。」
わけがわからず、尋ねる男にやわらかい玲春は答える。
「安様が昼間、紅嘉殿を落ち着かせるために使ったものです。」
「それでは――――それが安様のお香か!?」
「・・・ええ。正確には、私が安様にお貸ししたお香の残りです。」
小さく笑いながら答えた。そのまま視線を小虎に向ければ、少し高めの声で鳴いてから銜える。
「グルルル・・・。」
ぎこちなく体を起こすと、前足をそろえる。その揃えた前足に、咥えていた香袋を乗せる。
そして、嬉しそうにその香袋に顔を摺り寄せ始めたのだ。
「紅嘉殿・・・・。」
甘えるかのような仕草。
その光景は、昼間あの人に懐いていた時の同じ。
「安様だと思って・・・甘えているのですね・・・・。」
頬ずりする姿に、非常事態にもかかわらず、自然と笑みがこぼれた。
嬉しそうに香袋を顔にくっつける小虎。
その姿を眺めながら、ポツリと魏忠が呟いた。
「あいつ・・・安様と別れてから、随分泣いたんだよ。」
「え?」
「あまりにも泣き止まないから、平陽公主様から『黙らせなければ殺す』と言われてな・・・。」「平陽公主様がそのようなことを!?」
「おっしゃってきたのは馬殿だけどな。それで、少しだけでもいいから、紅嘉をなだめるために安様に面会を求めたんだ・・・。」
「それでここまでいらっしゃったのですか・・・・!?」
「そうだ・・・。ご本人は体調を理由に断れたが、ご友人の王様と張様が紅嘉のため―――ぐっ!」
そこまで言うと、男の言葉が途切れた。
見ると、血が流れ出る肩を抑えながら苦しそうにしていた。
「魏忠様!?しっかりなさってください!」
慌てて体を支える。
続いて、懐から布を取り出して、傷口の側を縛った。
「うぁ!」
「痛いでしょうが、我慢してください!流れる血の量を止めてから、傷口を抑え中れば、血の出すぎで命を落としてしまうそうですから!」
口を動かしつつも、手を動かしながら別の布で怪我の部分を縛った。
「す、すまない・・・」
「いいえ。傷は深いみたいですが・・・場所が良かったみたいです。お命に問題はございません。」
「そうか・・・。」
「とにかく、人を呼びましょう。手当は早い方がいいですわ。」
「玲春殿・・・」
「でも、いったい何があったのですか?そもそも、このような時刻に、こんな場所でこのような怪我を追われるなんて・・・」
青ざめた顔で聞く少女に、苦しい呼吸を繰り返しながら魏忠は口を開いた。
「・・・あなたはどうなのだ?」
「え?」
「なぜ、平陽公主様付きの女官であるあなたが、高級宦官の宮殿にいるのだい?」
「そ、それは―――」
「女官が真夜中に出歩くだけでも罰を受けるんだよ?賢いあなたが、知らないとは思えない・・・。」
恐れていた質問に、声も体も震えた。
「わ、私・・・・」
誤魔化すことなどできない。
覚悟を決めて、真実を語ろうとした時だった。
「紅嘉!?」
魏忠の驚いた声と、唸り声とが耳に届く。
「どうしたんだ、紅嘉?」
普通ではない唸り方をする紅嘉を見れば、小虎は一点をにらみ続けていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます・・・!!
この度は、東北地方を含めた、日本各地で起こった地震・津波によって、被害にあわれた方々のご冥福と、早期のご回復を心よりお祈り申し上げます。
今回の小説の内容ですが、玲春と魏忠の話となっています。
魏忠の落とした紅嘉の櫛をとどけるため、その後を追った玲春は怪しい人達を見かけてしまいます。
その上、追っていた虎の養い親は負傷中です。
次回も続きますので、興味のある方は読んでやってください。
※ないとは思いますが、誤字・脱字・変換ミスがありましたら、ご一報いただけるとありがたいです。ヘタレですみません!!!※