第九十話 本人が聞いたら怒る誤解
自分が考え込んでいる間に、部屋の中へと入った顔見知りの男。
(魏忠殿・・・。)
隠れていた柱にもたれながら玲春は考えた。
(どうして、魏忠殿がここにいるの?)
彼の仕事は宮中で動物の世話をすること。
子供同様に育てているのが、小虎の紅嘉。
虎を扱えるということで、重宝されていたと聞いている。
なによりも、生き物に対して優しかったことを知っていた。
だからわからない。
なぜそんな人が、ここに来たのかわからない。
昼間の一件もあり、紅嘉は平陽公主から安林山へと下賜された。
魏忠もそれに伴い、平陽公主の下から離れた。
あんな形で離れたこともあり、元・皇女は魏忠と小虎をよく思っていない。
宮中では、闇から闇に葬られることはよくある。
いくら、表向きで陛下の命を聞いていても、裏では何をするかわからない。
玲春自身、自分の主人を信じている。
陰でひどいことをする人ではないと信じていた。
彼女が自分に向ける笑みは、優しいもの。
厳しい人ではあったが、暖かさのある厳しさを持つ人だと思っている。
でも―――――
昼間見た主人は、初めて見る主人だった。
平気で約束を破り、卑猥なことを口にした。
いつもたわむれた口調で、残酷に人を殺そうとした。
安林山を殺すつもりだったのだ。
あんな態度を見たこともあり、玲春にはかすかな疑問が生まれていた。
(本当に・・・誓いを守ってくださるのかしら?)
安林山を殺さないという誓い。
それとあわせて、紅嘉を殺さないという約束を―――――
(ごめんなさい・・・平陽公主様・・・!)
かつての私なら信じられました。
でも、今の私は完全に信じきれません。
安様のものになった紅嘉を、生かしておくとは言い切れない。
安様が無事でも、紅嘉が無事とは限らない。
紅嘉に何かする可能性はあった。
玲春が見た限り、魏忠は一人だった。
彼以外に、紅嘉を手なずけられるものはいない。
つまり、大事な小虎を一匹残してここにきているということになる。
そうまでして、ここへ来た意味。
その理由をはっきりと断言はできないが、わかっていることは一つある。
安林山に用があって来たというのは間違いなかった。
安林山のおかげで、大事な虎と己の命とを失わずに済んだのだ。
お礼を述べに来たのだと思えばよかったが・・・・
(平陽公主様から『会うな』と言われた私ならともかく・・・・会うことを禁じられていない彼が、わざわざ真夜中に会いに来るかしら?人目を忍んだとしても・・・なんだろう―――――――?)
なにか、おかしい。
素直にそう思えず、疑問を覚えた。
疑問には思ったのだが―――――
(いいえ・・・もしかしたら、やむにやまれぬ事情がおありなのかもしれない。一概には言えないわ・・・!)
それはそれとして、この後どうすればいいのかしら?
(魏忠殿の話が終わるのを待ってから、声をかけた方がいいかしら?それとも、今すぐにでも声をかけた方がいいかしら?でも―――――)
出来ることなら、林山とだけ玲春は会いたかった。
彼の親友や顔見知りの男が信用できないわけではなかったが、できれば大事にしたくなかった。
だから、こっそりと会って帰りたかった。
(お礼だけ述べて帰るなら、すぐすむかもしれない。魏忠殿が帰れば、王様も張様もお部屋に帰られるだろうし・・・。)
それを待ってから、お声をかけた方がいい。
そう判断して待つことにした。
すぐに終わるだろうと思って、待っていた。
ところが、待てども待てども、なかなか部屋から出てこない。
そのうち、誰かの怒鳴り声がした。
(なに!?)
びっくりして顔を上げれば、さらに罵声のような声色がした。
気になった玲春は、隠れていた柱から離れて部屋の前まで戻った。
悪いと思いつつも、再び、聞き耳を立てた。
悠長に構えていた自分の気持ちとは裏腹に、部屋の中は殺伐とした状態になっていた。
「林山を殺そうとしたくせにっ!!」
(ええ!?)
あまりの内容に、心臓が飛び跳ねた。
(この声は―――――張空飛様かしら・・・?)
一度も話したことはなかったが、他の二人の声を知っていたこともあってそう判断した。
なによりも、最初に部屋の前で聞いた声と同じだった。
さっきは『起こさなかったこと』で怒っていたが―――――
(今度は、自分のことで怒っているということではなさそうですね・・・。)
怒りの原因は、彼の親友だった。
話の内容や受けた印象からして、安林山を危険な目に合わせた魏忠と紅嘉に対して怒っているらしい。
「ボロボロの林山に虎を!なに人間みたいに話してるんですか、虎なのに!?畜生のくせにっ!林山を殺そうとしたくせに!!」
特に、紅嘉をまるで人間の子供のごとく紹介したことに腹を立てているようだった。
(魏忠殿から見れば、子供かもしれないけど―――――)
所詮、虎は虎。
それも親友を食い殺そうとした人食い虎。
それが怒っている彼の気持ちだったようで、
「お前なんか、大嫌いだ!!お前の虎も大っ嫌いだぁ!!林山を―――私の大事な林山を殺そうとしたくせに!この人殺しの極悪人っ!!虎共々畜生だっ!!」
(それはいくらなんでも―――――・・・・・)
言い過ぎではないかと思ったが、それが普通の反応なのかもしれない。
怒りに満ちた罵声は、いつしか鳴き声へと変わっていた。
気まずい気持ちになり、玲春は少しだけ戸から離れた。
(そうよね・・・・。いくら可愛くても、人間と虎は違う。誰だって、虎相手に素手で戦うなんてできない。それなのに安様は―――――)
戦った。
自分のお香を使ったとはいえ、ほぼ素手で戦ったのだ。
平陽公主様に許していただくため、私を助けるために人食い虎と戦ったのだ。
(どうして私なんかのために?会ったばかりの私のためにそこまで出来るのですか・・・?)
“あなたの笑顔を見るためなら、卑しい私はどんなことでもしましょう。”
(私のためなら・・・・。)
・・・・いいのですか?
「そう思ってよいのですか?安林山様・・・」
小さな小さな声で、口の中でつぶやくように、息を吐くように声に出す。
胸が締め付けられる、何とも言えない気持ちになる。
少しだけ上を見れば、月明りが出ていた。
その月を見ながら、しばし感慨にふけった。
(安様・・・)
ここに来る前よりもさらに、彼のことを考えていた。
笑顔やしぐさが頭の中を駆け巡る。
夢うつつにそんなことを考える少女だったが、程なくして現実へと引き戻された。
「お願いします!!どうか、安様を半刻だけでいいのでお貸しください!!」
背後から聞こえた声に、背筋が伸びた。
ぼんやりとしていた思考が、一気に動き出す。
その声が安林山の部屋から発せられたものであり、言っているのがよく知る虎の世話係だとわかったのだが、
(安様を貸す?)
彼の言う言葉の意味がわからなかった。
その意味を知るため、中のやり取りに注意を傾ける。
すると魏忠の声で、とんでもないことが聞こえてきた。
「わ、私はー・・・安林山様に、横恋慕しているわけではございません!!」
「「はぁ?」」
(横恋慕!?)
その言葉に眉をひそめる。
横恋慕って、あの横恋慕ですよね?
え?魏忠殿が安様に?
え?でも、安様は男性ですよね?
それは魏忠殿とて同じはずで~??
(わ、私が盗み聞をやめているうちに、いったいどんなやり取りが!?)
混乱する玲春にとどめを刺すかのように、虎の世話係は決定的なことを言った。
「た、確かに見目麗しく、心根も美しい方ですが―――皇帝陛下の愛妾に、そんなっ!畏れ多い!!」
(・・・・え?)
あいしょう?
(あいしょうって・・・・あの愛妾?)
ゾクリと何かが背筋を這った
(――――――愛妾って!?愛妾って!?愛妾って!?愛妾って!?愛妾って~~~~~!!)
あ―――――――――――――――
(あ・・・・安様が、安様がっ―――――――!!!)
―――――皇帝陛下の愛妾―――――
(りゅ、龍陽(男色)だったなんて―――――――!!?)
玲春の中で、何かが音を立てて崩れた。
確かに、噂では陛下とそうではないかと聞いていた。
しかし、本人を前にし、そうでもないのではと思っていた。
それが、こうして身近な人間の断言によって知ってしまった以上、信じない方がおかしいのである。
(安様が・・・龍陽・・・・!)
さっきとは違った意味で、その場にへたり込む玲春。
(そうよね・・・陛下のお気に入りならば・・・・)
いろんな想像がぐるぐると頭を回る。
「そっ!?それ、危なくないですか!?」
「大丈夫です!首輪をしっかりしてますし、ちゃんと縄を木に巻きつけてますし、なによりも!!」
「なによりも?」
「うさぎの肉を与えていますので、空腹で人を襲うことはありません。食事中は静かですから!!」
(そうでうすよね・・・陛下の愛妾と横恋慕の誤解なんて、危ないですよね・・・。首輪をつけて愛でるほどでしたら・・・。襲う勢いで愛を与えていらっしゃるのですか・・・。)
もはや、聞こえてくる会話をきちんと把握すること出来なくなっていた。
うなだれながら玲春は思った。
(安様は、皇帝陛下御自ら、御助けに来たほどの身分。私などが、薬を持ってはせ参じたところで、どうこうなるわけではないですよね・・・。)
―――帰ろう。―――
せっかくここまで来たけど、帰ろう。
真夜中に、それも怪我をひどくする原因となった自分が現れただけでも、迷惑に違いない。それが、部屋を抜け出してきた飛ばれでもしたら―――
(安様にご負担をかけるばかり・・・)
そう決心して立ち上がろうとした時だった。
「とにかく・・・林山に会ってきますので、待っていてください。」
「あの!でしたら、紅嘉の側で待っていてもいいでしょうか?その方が、あいつも私も安心しますので―――」
そう言いながら、こちらへ、戸の方へと近づいてきていた。
(大変・・・!見つかっちゃう!)
立ち上がれば、自分の影が三人に見えてしまう。
慌てて身を伏せて四つん這いになりながら素早く、さきほどまで隠れていた柱の陰に行く。
「「あぁ、はい。どうぞどうぞ。」」
重なる声と一緒に、三人の男が姿を現した。
「では、我々は林山に会ってきますので。」
「はい、よろしくお願いします。」
「紅嘉殿はどちらに?」
「向こうの庭にいます。そこで紅嘉と共に私もいますので。」
「あの・・・本当に大丈夫ですか?夜中ですし・・・騒いだりしません?」
「ご心配には及びませんよ、張様。お待ちしている間、あいつの毛並みを整えておりますので。」
「毛並み・・・ですか?」
「はい。撫でてやったり、櫛でといてやると、その間だけは大人しいのですよ。」
「そうですか・・・。」
「ええ、なくてはならないものなのです。」
「でしたら、思う存分なだめていてくださいね。」
「はい、王様。」
「それでは、後程。」
「お心遣い、感謝いたします。」
そう言い交すと、二手に分かれた。
(安様に会ってくる・・・・?)
それぞれの姿が小さくなったところで、そっと顔を出す玲春。
(安様は部屋にいるんじゃ―――?)
気づいた時には、戸に手をかけ、部屋の中へと入っていた。
「安様・・・?」
呼びかけてみるが、返事はない。
「安様、いらっしゃらないのですか?玲春です。」
寝台に近づくが、寝乱れした寝具があるだけで人の姿はない。
「どうして・・・?」
ここは安様のお部屋ではなかった?
お部屋にいないということは、まさか―――――
(皇帝陛下の寝所!?)
”では、我々は林山に会ってきますので。”
「・・・・だからここに、いらっしゃらないのね・・・!」
王様達が、魏忠殿と別れて出て行かれたのはそういうことだったのね。
「安様は・・・皇帝陛下のお側にいらっしゃるのね・・・。」
(じゃあ、王様達が向かわれた先に安様が?)
そう思い、追いかけようと部屋から出たが、
「・・・・やめよう。」
その歩みを止めた。
(何を考えてるの、玲春?今更、私がお会いして何になるというの?)
あの方は今、皇帝陛下のお側で、首輪につながれ愛でられているというのに。
子猫や子犬にするみたいに、頭をナデナデされているというのに。
添い寝をなさっているというのに。
本人が聞けば、全力で怒る内容。
唯一の救いは、玲春の想像が幼子が感がる男女の戯れであったこと。
小さい子供が、手をつないであるいたり、一緒に眠るだけというおこちゃまの男女がするほのぼのとした恋愛模様であったことだ。
彼女の想像力と知識では、それが精一杯だった。
同時に、それ以上の男女の付き合いを知らない玲春にとっては、十分な深い中の男女という認識であったと言えた。
だから、強く思い知らされた。
(私のような女官が、陛下と一緒にいらっしゃるであろう方とお会いできるはずがない。)
皇帝陛下に単独で会うことすら許されぬ身。
罰せられる身分の者。
(ここで会えなかったのだから、縁がないということなのに・・・。)
私のような女官と高級宦官・・・それも、陛下の寵姫である方とが・・・
(身の程知らずも、あったものではないわ。)
帰ろう、自分の部屋に。
(安様がご無事であったと・・・わかっただけ、十分じゃない?)
自分にそう言い聞かせて満足し、踵を返した時だった。
小さな音がし、何かが足に当たった。
「え?」
視線を下に落とせば、何かが落ちていた。身をかがめて手に取る。
「これは―――魏忠殿の櫛。」
そこにあったのは、魏忠が大事にしている櫛だった。
いつも、紅嘉の毛をといてやる際に使っているもの。
“ええ、なくてはならないものなのです。”
先ほどの会話がよぎる。
「これがないと困るのでは・・・?」
紅嘉は、毛をとかしてもらうのが大好きで、側にいる時は撫でているかといてやっているかしないと拗ねてしまうと・・・・以前、魏忠殿はおっしゃっていた。
「届けないと。」
今なら、まだ間に合うかもしれない。
そう思うよりも早く、体は動いていた。
こうして彼女は、虎の世話係の後を追って紅嘉がいるとされる庭の方へと向かったのだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます・・・・・!!
内容は、『玲春の誤解』となっております。
恩人であり、ある安林山こと劉星影が皇帝と深い仲だと思ってしまったようです。
元々、星影に対して美化したイメージを持ってたので、それが崩れてしまったということを書いてみましたが・・・伝わったでしょうか?
次回も続きます。
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