第八十九話 肝心なことが抜けてました
夜と昼では、こんなにも違うのね。
そんなことを考えながら、真夜中の静かな廊下を小走りに走る少女。
平陽公主付きの女官・玲春だった。
仕事着の上から、紺色の布をかぶっていた。
その身を隠すように。
少女が夜中にこそこそ動いていたのにはわけがあった。
(早く安様にお会いしないと・・・!!)
自分を助けてくれた高級宦官・安林山を見舞うためであった。
普通、お見舞いといえば明るいうちにするのが礼儀である。
しかし彼女の場合は、人目のある昼間は動けない。
というのも、自分が仕える主人が、安林山のことを嫌ってしまっているからだ。
「玲春・・・・安林山には二度と会うでないぞ・・・・!?」
あの騒動の後、女官頭の馬瞭華を通すことなく自分に告げた女主人。
それが何を意味している。
(直接言われたということは、絶対聞かなければいけないご命令ということ・・・。)
平陽公主様のご性格を考えれば、当然なのかもしれない。
ご自身の愛用品を偽物と暴かれた上、殺そうとした相手に命を救われてしまえば・・・
(安様をお嫌いになられても、仕方がないのかもしれないけれど・・・)
玲春の脳裏に、安林山の笑顔と平陽公主の笑みとが交互に浮かぶ。
できれば、できることならば―――
(お二人には仲良くしていただきたい・・・)
だって、
(お二人とも、私にとって大事なお方だから・・・)
少女は自分の住んでいる宮殿から抜け出した。
誰にも告げず、誰にも気づかれないように彼人の下まで行かなければならなかった。
安林山のいる宮殿に行くのは、同じ宮中内だから簡単かと言えば、そうでもない。
自分がいる宮殿と相手のいる宮殿はかなり離れている。
普通に行くだけでも時間がかかるのに、その途中途中で、衛兵の見回りや見張りなどが各所に配置されていた。
つまり、見つからないように女官一人でこんな真夜中に行くのは不可能であるということ。
捕まればただでは済まない。
降嫁したと皇族の姫(?)の侍女といえども、罰せられるだろう。
仮に、お見舞いに行くためだった正直に話したところで信じてもらえるか怪しい。
というよりも、下手をすれば密通をしに行くと誤解されかねないのだ。
(そんなことになっては、平陽公主様にご迷惑をかけてしまう。)
ただでさえ、自分が原因で不快な思いをさせてしまっている。
それを思ったので、正直に普通の道を使わなかった。
先輩女官や自分で見つけた秘密の近道を使って、彼女は安林山のいる宮殿へと来たのである。
庭を抜けたり、塀を登ったりと、見つかれば怒られそうなことをしながら忍び込んだ。
はやる気持ちを抑えつつ彼女は向かったのである。
(安様が知れば、またご心配をかけそうだけど・・・。)
そう思いながら、廊下の角を曲がろうとした時だった。
「まったく!!どうしてあの子は・・・!」
甲高い声が聞こえた。
慌てて、近くの部屋に入る。
「安林山め・・・!大将軍にまでご迷惑をかけるなんて!ぁあ・・・陛下に何とご報告すればよいのやら・・・」
(安林山!?)
その声は、自分が探す人物のことを口にしていた。
「大体あの子は!入廷早々、先輩宦官と一方的な殴り合いの喧嘩をするわ!立ち入り禁止の陛下専用のお庭に侵入するわ!そこで賊と壮絶な戦いをして品物をたくさん壊すわ!陛下に無礼を働くわ!挙句の果てには平陽公主様に殺されかけるわっ!本っっっ当~~~~に!!あの宦官らしくない宦官め!!」
歯ぎしりしながら言う内容は悪口。
「人の話を聞かない!忠告もどこ吹く風!高慢で!自信家で!凶暴で!身勝手で!自由人で!思ったことは良くも悪くもズバズバ言う!!こうだと決めたら一直線のイノシシでっ!!口が悪いクッソガキがぁ~~~~!!!」」
悪具と言うか偏見と言うか、とにかく怒りを口にしていた。
「これにこりて、大人しくなればいいけど・・・!ただでさえ、宦官らしくない行動・素行・口調で、古参の者からも苦言が来ているというのに!いくら私の元部下とはいえ、今後はまじめに行動してくれないと、私の評価にだって関わるっていうのに!これ以上私の顔に泥を塗られちゃかないませんよっ!あれが健全な体の男なら、と~~~の昔に!おチンチン切り落として喉の奥に突っ込んでやってるぜ・・・!!」
(こ、ここの宦官って怖い・・・・!!)
自分の周りにいるナヨナヨとした女性っぽい宦官と比べ、その違いを痛感する玲春。
何気に男らしい言葉を使ったのも、そう感じさせる要素となっていた。
そうして、しきりに安林山に対する悪口を並べる宦官であったが・・・
「・・・あの子、本当にちゃんと寝てるかしら・・・?」
急に、静かな口調でつぶやくように言った。
「・・・そりゃあ・・・ああなったのは、自業自得だけど・・・・悪意があってしたわけじゃないでしょうし・・・。だからこそ、始末が悪いのだけど・・・」
なにやら、愚痴のような嘆きのようなことをブツブツ言い始めた。
「まぁ・・・意外と丈夫だから簡単には死ななそうだけど・・・ちゃんと休んで治しなさいよ。」
え?
(治しなさいよ・・・?)
「治して・・・元気になるのですよ・・・。」
集中して聞いていなければ、聞き逃していたほどの声。
蚊の鳴くように小さく紡がれた言葉。
安林山を気遣うもの。
(この方は―――――!)
文句を言いつつも、心配をしていた。
散々口汚くののしっていたが、最後に漏らした言葉はまぎれもない真実。
安林山の身を案じる言葉だった。
(心配する心が深かったからこそ、その反動であんなことをおっしゃっていたのね・・・。)
それがわかって、玲春は嬉しかった。
足音が聞こえなくなるのを待ってから、隠れていた部屋からそっと顔を出す。
(行ったみたい・・・。)
悪口で照れ隠しをしていた人物は、もうそこにはいなかった。
(さっきは怖いと思ってしまったけど、本当は良い方なのかもしれない。)
そんな感想を思い浮かべながら、相手が来た方向を見る。
(今の方、こちらから来たのよね・・・?)
周囲の様子をうかがいながら玲春は考えた。
今の人は、安様のことを話しながら歩いていた。
話の内容からして、今まで安様に会っていたと考えられる。
(もしかしたら、安様を見舞った帰りだったのかもしれない・・・)
『元部下』と言っていたから、以前は、安様の上司だった方でしょうね。
もしそうなら、この時間にこうして出歩いているのも納得できるわ。
この場合、お見舞い帰りだったと考えた方がいいわね。
(向こうへ行けば、安様に会えるかもしれない・・・)
そう思いながら、そろそろと歩き始めた。
長い道を、一歩一歩確実に歩く。
見つからないように慎重に進んだ。
程なくして、高級宦官達に与えられている部屋へとたどり着く。
個室を与えられているらしく、廊下に沿って扉が並んでいた。
そこで玲春は、新たな壁へとぶつかった。
(・・・どの部屋に安様がいるのかしら?)
彼女は、一番肝心なことがわかっていなかった。
それは、会いたい相手の部屋である。
知っているのは、この宮殿のどこかの部屋だということ。
各部屋の前を通ってみたが、どの部屋も静かで人の声さえしない。
(先ほどの方と会われていたのなら、まだ起きてらっしゃると思ったんだけど・・・。)
それともさっきの人は、お見舞いを終えた後ではなかったのかしら?
偶然、安林山の名を口にしていただけ、ただの通行人なの?
そう思いながら、忍び足でとある部屋の前を通った時だった。
「どうして起こしてくれなかったんですか!?」
悲痛な叫びが聞こえた。
びっくりして足を止める。
「どうしてもなにも・・・君があまりにも心地よく眠っていたから・・・」
「だとしても起こしてくださいよ!!わ、私!大将軍に寝顔を見られたということですか!?それって・・・恥ずかしいじゃないですか・・・!?」
聞こえてきたのは、怒る男性となだめる男性の声。
玲春はそのなだめる方の声に覚えがあった。
(この声、王琥珀様!?)
安林山と一緒にいた親友の宦官の声に間違いなかった。
ここは、王様のお部屋?
(もしかしたら、安様の手掛かりがあるかもしれない。)
そんな期待に胸ふくらませ、そっと部屋の前まで近づく。
気づかれないように耳をすませれば、程なくして中の会話が聞こえてきた。
「大丈夫。きれいな寝顔だったよ。それに見たのは大将軍だけじゃない。」
「琥珀と黄様もと言いたいのでしょう!?」
「私や黄藩殿、それに大将軍よりも前に林山が見ている。」
(え!?『林山』!?)
聞きたかった人の名前。
(い、今!『林山が見ている』って言っていたけど―――!?)
聞こえた会話をつなげて推測すれば、安様に寝顔を見られたということになる。
(それでは、安様は無事だということ!?)
高鳴る胸を抑えつつ、会話を聞くために耳を押し当てる。
「だから、琥珀はその現場を見ていなかったんでしょう?どうしてそう言い切れるんですか!?」
「部屋の状況からして、そう言い切れるからだよ。」
「状況?」
「ああ。部屋を出る時に起きていた君は、体に何もかけていなかった。しかし戻った時、林山にかかっていたはずの布団を君がかけて眠っていた。そればかりか、林山はそんな君をいたわるように折り重なりながら寝ていたんだからね。大方、目を覚まして、寝ている君を気遣ってかけてくれたんだろう。」
「じゃあ、林山は・・・!?」
(よかった・・・・。)
そのやり取りに玲春は安堵した。
(安様、動けるぐらいまで回復なさっているのね・・・・。)
一番気がかりだったことが解決し、自然とその場に座り込む。
怪我がひどくて倒れたと言っていたけど、もう大丈夫なのね。
自分以外の誰かをいたわれるぐらい、お体にもお心にも余裕ができるぐらい良くなられたのね。
(本当にようございました、安林山様。)
安心するとともに、彼女は確信した。
ここは安様のお部屋なんだわ。
今会話している方々は安様の一番のご友人方。
確か安様には、王琥珀様というご友人以外に、張空飛様と言うご友人がいたはず。
怒っていらっしゃった方が、きっとその張様だわ。
(張様も、心配されていたのね・・・。)
断片的なやり取りしか聞けなかったが、おそらく林山の怪我で二人がもめていたことは玲春にもわかった。
一番の友達、親友だからこそ、怒るぐらい心配して当然だということぐらい彼女にもわかった。
(安様って、本当に人望がおありになるのね。)
自分以外にも心配している人がいると分かると嬉しくなった。
今、彼がどうしているかわからない。
声が聞こえてこないのだから、眠っているのかもしれないが―――
(ここに安様がいるのは間違いないわ!)
彼の部屋だと分かった以上、いないはずがない。
あの人は今、寝台の上で安らぎに身を沈めているのね。
激しさと優しさを持つ瞳を閉じ、虎をねじ伏す力を封じ、無垢な姿で眠っているのかしら。
安様の寝顔、きっと可愛・・・!
(ヤダ私ったら!なんてはしたないことを―――!!)
その姿を想像して恥ずかしくなり、頭を左右に振って妄想を消す玲春。
嬉しくて、胸がドキドキして、楽しい気分になった。
彼に会ったらなんと言おう?
なにから話せばいいのかしら?
そう思いながら、部屋の前をぐるぐる回っていた。
「ふぇっくゅ!!」
歓喜に満ちた少女の背後で、突然響いた音。
(え!?なに!?誰!?)
暗がりの中、鼻をすすりながらこちらへやってくる人影が見えた。
(ど、どうしよう!?もしかして衛兵!?)
そんな!ここまで来たのに、お会いする前に衛兵に捕まってしまったら・・・!
最悪の事態が少女の頭をよぎる。
(そんなのいや!隠れないと!!)
慌てて、柱の陰に隠れた。
(み、見つかりませんように・・・・!!)
小さな体をさらに小さくし、震えながら玲春は祈るの。
柱とその壁の中に身をうずめていると、すぐ近くで声がした。
「夜分遅くすみません。安様。」
え?
(衛兵じゃない・・・?)
理解したと同時に、その声に聞き覚えがあった。
(この声は――――――紅嘉の世話係の魏忠殿?)
平陽公主様の覚えもよかった人物。
ただし、今はその印象が良いのかはわからない。
昼間の一件で、自分の女主は彼に不満を抱いていた。
しかし、玲春は違った。
平陽公主の動物の世話係と言うこともあり、魏忠とは面識があった。
気さくで、誰にでも優しく、玲春も親切にしてもらった。
お菓子をくれたり、外の話を聞かせてくれたりした。
だから―――
(魏忠殿なら、見つかっても内緒にしてくれるのでは?)
そう思ってしまえるほどの人柄の持ち主。
心細さと甘えから、相手に声をかけようとしたのだが、
(え?)
柱の陰から顔を出し、魏忠を見た時。
(・・・なにそれ?)
声をかけることなく、影の中に顔をひっこめていた。
(なに、あの顔・・・。)
上手く表現できないが、彼女が見た見知った虎の世話係の姿。
いつもとは違う顔をした魏忠がいた。
(なんだろう――?なんかやだ・・・!)
声をかけることを躊躇させるようなものだった。
(どうして――――魏忠殿・・・。)
いつもと違う相手を見て、変な気持ちになった。
それと同時に、なぜ相手もここにいるのかという疑問が湧いて出てきた。
あの部屋が、安林山の部屋ならば、謝罪に来たと考えれば普通だろう。
しかし、時間が時間である。
真夜中に人を訪ねるなど非常識。
それは自分にも言えることだが、
魏忠殿のあの表情―――――
(あれは、謝罪をするという表情かしら?)
どちらかと言えば――――
そう思案していると、部屋の戸が開く音が聞こえた。
びっくりして固まり、さらに身を縮めれば、
「これは王琥珀様!」
「やはり、魏忠殿でしたか。」
魏忠と王琥珀の声。
それがやむのと、扉が閉まるのとは同じぐらいだった。
静かになったところで顔を出してみれば、廊下から魏忠の姿は消えていた。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます・・・・・!!
ようやく、玲春の登場です。
安林山こと星影の悪口を言いながら彼女の側を通過したのは、黄〇です。
悪口言いつつも心配はしているということを表現したかったのですが・・・伝わったでしょうか?
一応、次回に続きます。
小説とは関係ありませんが・・・サブタイトルを考えるのって、大変ですね・・・!!
今回のサブタイトルの決め手は、『危険を冒してまで来た玲春が、肝心の林山の部屋を知らない』ということをもとにつけました(苦笑)
本当に・・・小説を書くより大変です(笑)
※誤字・脱字・変換ミスがありましたら、教えて頂けると嬉しいです・・・!!
ヘタレですみません(土下座)