第八話 宦官の心得
「まだ書物を運んでないの?さっさと書庫に運んでよ!本当に役に立たないわね!!」
「・・・・す・い・ま・せ・ん。」
甲高い怒鳴り声と共に1つの影が、扉の中から弾き出された。
「たく!なんて人使いが荒いんだよ!」
扉に向かって舌を出す人物。安林山こと劉星影だった。
宮中に入ってから数日が経過していた。宮中に入って早々暴行(!?)事件を起こした星英は当然のごとく先輩宦官たちのいじめを受けていた。おかげで休憩時間はないわ、食事は摂れないわ、睡眠不足になるわと、ろくな事はなかった。そのため自然と口調も荒くなる。
「まさか宦官が、あんなに陰湿で、弱い者いじめが好きだとは思わなかったよ。」
一人でブツブツと、愚痴っていた時だった。
「しかたなさ。後宮は力がすべてだからね。」
声と同時に、持っていた荷物が軽くなる。びっくりして後ろを振り返った星影の目に飛び込んできたのは。
「琥珀!?」
それは久しぶりに見る王琥珀の姿だった。あの騒動以来顔を会わせていなかった。それもそのはず。罰掃除の後から、馬小屋のようなところに放り込まれたのである。
「大丈夫?手伝うよ。」
そう言って星影の荷物を持つと、さっさと歩き始める。
「あ、待って!そんな、手伝ってもらうなんて悪いよ。貴方の仕事だってあるんだろう?」
「いや、平気だ。一人より二人の方が早く終わるしね。」
にこやかに答える琥珀に、星影は好感を覚える。最初の時は嫌な奴だと思ったが、こうして話してみるといい人かもしれない。
「それに比べて、楊律明も呂文京も性格がひん曲がってるわ!」
星影の愚痴を、琥珀は困ったように笑いながら答える。
「本当に、林山は宦官らしくないね?」
「え!?な、なんで!?」
思わず声が上ずる星影。
(もしかしてバレた!?)
「なんと言うか―――」
そんな星影の問いに琥珀が答えようとした時だった。前方で物音がする。お互いに顔を見合わせた二人は、何事かと小走りで近づく。見るとそこには一人の宦官がうずくまっていた。抱えていた荷物が回りに散らばっていた。それを慌てて拾っていた。星影は、その後姿に見覚えがあった。
「張空飛殿!?」
同じ雑用係りで、先輩の張空飛だった。
「え・・・?あ、林山殿!?」
星影に気づいた張空飛は、びっくりしたように彼女を見る。驚くのも無理はなかった。彼も、琥珀同様、謹慎という名の元で隔離されていた星影と会うのは久しぶりだったからだ。
「大丈夫ですか?手伝いますよ。」
星影は早足で張空飛の側まで行くと、落ちている荷物をいくつか拾いながら声をかけた。
「林山殿・・・。」
そんな星影に呆気に取られる張空飛だったが、その後ろからやってきた琥珀を見て、慌てたように立ち上がった。
「こ、琥珀殿まで。ご、ごめんね。ありがとう・・ございます。お二方。」
「いいですよ。貴方も書庫まで行くのでしょう?一緒に行きましょう。」
琥珀が微笑みかけると、彼の方もつられたように微笑み返す。しかし、その笑みは直ぐに消えた。そして、荷物を両脇に抱えている星影へと体ごと視線を向けた。
「申し訳ありません、林山殿!」
言ったと同時に、頭を下げる張空飛。
「はい?」
突然謝罪の言葉を受けた星影は、間の抜けたような声を出す。
「私のせいで、あなたに迷惑をかけてしまって!!」
「え、張殿?」
「ごめんなさい、ごめんなさい!本当にごめんなさい!私のせいで――」
「ちょっと、待ってください。」
「私を助けたばっかりに、あなたは楊律明様や呂文京様達から、受けなくて良い嫌がらせを受けて―――」
その言葉で、相手がなにを誤っているか察する星影。
「私のせいでごめんなさい!申し訳ありま――」
「それは違うよ。」
張空飛の言葉を否定するように星影は言った。
「私が勝手に受けたものだ。楊律明・呂文京が売ってきた喧嘩を、私が買って叩きのめしただけだ。あなたのせいじゃない。」
「でも――」
「それに、私もあいつらが大嫌いだから、嫌ってもらって結構!勝手にネチネチさせてればいいんだよ。」
「そんなことをしたら、一体なにを――!」
「すればいいさ。その時は、こちらもそれ以上にやり返してやる。とにかく・・・張殿は悪くないんだから、気にしなくていい。私に謝る必要もない。」
優しい口調で言う星影に、張空飛は目を見開いた。しばらく星影を見つめていた張空飛だったが、その目からは大粒の涙がこぼれ出した。
「泣かなくていいじゃないですか。あなたは悪くありませんから。」
そう言って、張空飛の背中をさすれば、相手は嗚咽し始める。
「それにしてもすごい量ですね。もしかして、楊律明殿が?」
琥珀の問いに、空飛はおずおずと頷く。その様子を見て、星影は思わずため息をつく。
「本当に、人使いの荒い男だな。琥珀殿!あなたも手伝ってくれ!私はこっちを持つから。」
星影の言葉に、それまで事の成り行きを見ていた琥珀は、小さく笑う。
そして、わかった、と言って本の山を持ち始める二人に空飛は目を丸くする。
「そんな!林山殿、琥珀殿、悪いですよ!もしこんなところを上の方に見つかったら・・・。」
慌てる空飛とは別に、たいして気にしていない様子の二人。特に星影に関しては、
「そんなもの、見つかったら、見つかったですよ。どうにでも誤魔化せばいいですから。」
「あなた達はなにも知らないからそんなことが言えるのです。・・・私なんかに構っていたらひどい目にあいますよ。」
最後のほうは消え入りそうな声で言った。
「関係ないね!私が誰と仲良くしようが私の勝手だ。それよりもむしろ、私といた方がまずいかもな・・・。」
その問いに彼は首を横に振る。
「そんなことないですよ!あの時・・・あなたが身代わりになってくれたから私は助かったんです。あれ以来・・・連中は私に嫌がらせはしてきません。でも、代わりにあなたが・・・・!」
空飛に対する嫌がらせが少なくなったのは事実だった。その一方で星影に対する風当たりが強いのも本当だった。あれだけ派手に暴れて奴らに怪我をさせたのだ。仕方ないといえば仕方ないことだが。
「私は大丈夫だよ。心配しないで!これを運び終わったらもう近づかないから。」
星影の言葉にびっくりしたように空飛は彼女を見る。
「なにを言っているのですか!?そんなこといわないでください!!私はあなたに感謝していると同時に友情を感じて・・・!!」
「え?」
空飛の言葉に星影は動きを止める。それは空飛も同じだった。
「張殿・・・。」
「・・・申し訳ありません。馴れ馴れしいことを言ってしまって・・・。でも。」
「でも?」
「そう思えたのは・・・あなたが初めてなんですよ。」
空飛の言葉は、星影を驚かせるのには十分だった。そんな彼女達の視線を気にしつつも彼は言った。
「あんな風に助けてくれたのは初めてだったし、今みたいに優しく言ってくれた方はあなたが初めてです。だから嬉しかった。周りはいつもずるいことしか考えない人たちばかりだったから・・・。」
「張殿。」
「あなたは・・林山殿は心が優しいのですね。あなたの優しさが嬉しかった。友情みたいなものを感じました。」
真顔で言われて恥ずかしくなる。
「い、いや、そんな優しいなんて!私はただ、ああいう奴らが許せなくて。」
「優しいだけでなく、勇気もあるのですね。」
「そんな!大げさですよ!でも、張殿にそういわれると悪い気はしません!あの、私なんかでよければ・・・友達になりませんか?」
「友達・・・?」
「ええ。ただしこの友達は厄介ですよ。周りから嫌われてるんですからね。でもその分、友情を大切にする奴です!」
そこまで言って星影は気づいた。
しまった、仮にも自分の先輩に軽々しく“友”なんて言葉を使ってしまった。上下関係の厳しい後宮で軽々しく言ってしまった。いくらおとなしい彼でもさすがに怒るだろう。
そう思ったのだが。
「本当に・・・?」
「え?」
当の本人は、たいして怒る様子もなく、びっくりしたように自分を見つめていた。
「本当に友達になってくれるのですか!?」
「い、嫌じゃないんですか?」
「とんでもない!あなたみたいな真っ直ぐな人と友達になれるなんて・・・・私。」
そういって泣き出す空飛の背中に、優しく王琥珀が手を回す。
「泣かないでください、張殿。あなたも林山殿と同様優しい人だ。」
「こ、琥珀殿。」
「付け足して言うならば、その厄介な友達を持つと、お節介な友達もついてくるがよろしいですかな?」
「琥珀殿、あなた。」
「私もなりたいと思ってたんですよ。お二人の友に。」
口だけで笑ってみせる王琥珀。
「じゃあ、決まりだな。・・・俺達三人は今日から友だ!」
照れ隠しに言う星影に、琥珀が付け足して言う。
「ええ。私達は同じ仲間です。」
「はい、これからよろしくお願いします・・・!」
「ああ、よろしく!」
「私も。」
にこやかに言う星影と、笑顔で頷く王琥珀。それを見ながら少し照れくさそうに微笑む張空飛。
「そうと決まれば、堅苦しいのはなしだ!二人供、私の事は林山と呼んでくれ。その方が友らしい。」
「わかった。私も琥珀でいい。張殿は・・・」
王琥珀の言おうとしている先を理解し、代わりに張空飛が答える。
「私が先輩であることを気にしているのですか?友なのですから上下は関係ないですよ!それでは仲間になりませんからね。私のことも空飛でいいです、林山、琥珀。ここからは他人行儀はなしにしましょう。」
そう言った空飛はどこか嬉しそうだった。
彼の方が自分達より先輩になるわけだが、気が弱く、どこか謙虚なところがあり、未だに下級宦官のままの男性だというが・・・。
(楊律明と呂文京の言ったことは、いい加減な話だったみたいだな。)
そんな空飛の笑顔に、星影も気を良くする。
「じゃあさっさと終わらせよ。皆で協力すれば早く終わるしね。」
星影の一言で歩き出す三人。ここに来て友ができたことが嬉しかった。同じ年頃の友といえば、変な話だが林山しかいない。あとは、同じ門下生と言ったところだった。同じ年頃の娘達は劉星影を怖がっているか、親が近づけないようにしていたこともあっていないに等しかった。ただ、近所の子供達だけは、怖がることもなく、親の目を盗んでは彼女に群がってきた。子供からすれば星影はちょっとした英雄だったから・・・。でも、今日できた友達は違う。気の合いそうな友達。星影の心が軽くなるのと比例して彼女の足取りも軽やかになった。